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2012年8月13日月曜日

ベートーヴェン交響曲第9番 ACO定期公演


   

シドニーは真冬。一年のうちで、一番寒い8月。凍るような南極から吹いてくる強風に震えながら オーストラリア チェンバーオーケストラ(ACO)定期コンサートに行ってきた。で、日本でも真冬に演奏されるベートーヴェンの交響曲第9番を聴いた。


ACOのリチャード トンゲテイが、棒を振るベートーヴェンに、エンジェルプレイスコンサートホールが一杯になって、立ち見の観客が出た。クラシックコンサートで立ち見なんて、シドニーで今まで聞いたことが無い。それほど「第9」が人気 というのに驚いた。まるで日本に居るみたい。

交響曲第9番の第4楽章の「歓喜」は、ヨーロッパ連合の歌。連合の統一性を象徴する歌として、ヨーロッパ各国から承認されている。近頃では経済危機で ギリシャ、イタリアに次いでスペインまで危なくなってきているけれど ヨーロッパは、連合として生き残るしか方法はない。ヨーロッパ連合の「歓喜の歌」が「悲哀の歌」にならないことを願うしかない。
1918年、第一次世界大戦集結の年の暮れ、ヨーロッパの平和への祈りをこめて、ライプチッヒのケバントハウスで12月31日に、100人の演奏家と300人の歌手とで、「第9」が演奏されたのが、始まり。以降、毎年これが繰り返し演奏され、1944年に、ケバントハウスが戦火で消失しても、再建され演奏が続けられた。

日本では、たくさんの演奏家達の間で クリスマスにはヘンデルの「メサイヤ」、大晦日には「第9」が演奏されるのが恒例になった。
東京両国の国技館では「5000人の第9」が、大阪では、「サントリー一万人の第9」が大阪城ホールで、広島では広島交響楽団による「第9ひろしま」が、演奏、合唱する。クリスチャンのバックグラウンドがない国で、これほどベートーヴェンの「第九」が愛されている国は他に無い。
決して簡単に演奏できる曲ではない。決して簡単に歌って 暗誦できるドイツ語の詩ではない。それを やりぬけてしまう日本人のパワーって、すごい と思う。

何十年も前だが、アマチュアオーケストラの仲間に入れていただいたことがある。夫の赴任先で 知人も友人も居ない。言葉が全く通じないことにショックを受けていた。家は畑の真ん中の一軒屋。孤独のどん底から 引き上げてオーケストラに受け入れてくれた音楽家達の優しさに、有頂天になって、2歳と3歳の子供を連れて練習に通った。クリスマスのヘンデル「メサイヤ」や、ミュージカルやバレエの演奏を一緒にさせてもらって、本当に嬉しかった。
さて、隣町の宜野湾市に公会堂ができることになって、こけら落としに「第9」をやることになった。ヴァイオリンのスコアを 初めて開いてみると、16分音符と32音符ばかりで 全然弾ける気がしない。ピッチカート、スピカート、トレモロばかりで 練習しても練習しても、弦をこする不快音がするばかり。必死に 練習して弾いてみるが 全然、音になっていない。案の定、合同練習が始まってみると コンダクターに「ねえ、ベタベタ弾かないでくれない?」と何度も注意される。ごめんなさい。でも、うまく弓を飛ばせない。ピタリと全体が休符にはいるところで 私だけが音を伸ばしていて締まるところが締まらない。練習のたびに半泣きだった。「メサイヤ」と全然ちがう。音の密度も、難易度も他の曲と比べ物にならない。

だから私にとって「第9」は 「歓喜」ではなかった。いまでも思い出すと冷や汗が出る。でも聴くのは大好き。いつ聴いても心を揺さぶられるような感動をする。
フリードリッヒ フォン シラーの詩「歓喜に寄す」を読んで 感動した22歳の若いベートーヴェンが いつかこの詩に曲をつけて交響曲にしよう とずっと思って 生涯暖めて最後の交響曲に全力を投入して作曲した作品。ひとつの小節 ひとつの楽章にも気が抜けない。考えて考えて工夫に工夫を凝らして作られている。偉大な作品だ。

演奏:オーストラリアチェンバーオーケストラ
指揮:リチャード トンゲテイ
ソプラノ:ルーシー クロウ
アルト :フィオナ キャンベル
テナー :アラン クレイトン
バリトン:マチュー ブロック
合唱  :ケンブリッジ クレアカレッジ合唱団

メゾソプラノ以外全員 歌い手はイギリス人。ケンブリッジ大学からきた32人の男女合唱団は、とても40人足らずの合唱とは思えない声の篤さと響きをもった、迫力のある合唱団で、素晴らしかった。
チェンバーオーケストラは団員21人の弦楽グループだが、「ACOー2」という若手のオーケストラを育成、指導している。この中から助っ人を加えて、第1ヴァイオリン10人、第2ヴァイオリン8人、ヴィオラ6人、チェロ5人、ベース1人というメンバーだった。
これに吹奏楽器を加え、さらにテインパニーもシンバルもトライアングルも「第9」には必要だ。リチャード トンゲテイがコンサートマスターでヴァイオリンを弾きながら指揮もするのは、いつものことだ。だけど、合唱が加わって、指揮に力が入って、弓で指揮するたびに、見ているのにハラハラしてしまう。「わー、、国宝ガダニーニのヴァイオリンと弓なのに、どこかにぶっつけなければ良いけど、、」という心配だ。さすがに、リチャード、合唱の後半は ヴァイオリンを横に置いて指揮していた。
素晴らしい。

低い弱音で 奏で始められるチェロによる歓喜の歌のテーマが、やがてヴィオラに代わり、ヴァイオリンになり、音が徐々に大きく広がっていく。そして、大合唱の大爆発。

天に響け とばかりにオーケストラが鳴り、合唱が重なる。胸が開かれる思いだ。澱になって沈んでいた心のすべてが流れ出して、自分の胸にあるものが解放されていく。この世のものと思えない、力強く 清らかな天使の声を聴く。
素晴らしい演奏と合唱だった。

ほとんどの人々が ブラボーと叫び、立ち上がって拍手の嵐になった。
鳴り止まない拍手。

でも2回ほど お辞儀をするとサッサと引っ込んで二度と舞台には戻ってこないリチャードたちACOの面々。拍手の嵐が鳴り止むころには、団員達はもう車で家に向かう途中だ。
そういうところ、ACOが大好き。