ページ

2012年4月15日日曜日

初めてオットが訪れる奈良



ツアー5日目。
奈良を訪れるなら、空から観たかった。奈良には現在、登録されているだけでも138の古墳がある。大きなものは、全長400メートルを越える。不思議な前方後円墳や円形や長方形の古墳を空から眺めて 古の奈良を満喫したかった。日本旅行を計画したとき、オットも西オーストラリアで、バングルバングルという山々の奇岩を小型飛行機で観て夢中になったから、今回も大賛成で、京都に着いたら、ガイドに聞いて上空から古墳をみせてくれるツアーを探そうと、話し合っていた。しかし、それが見つからない。京都のガイドは首を振るだけ、、。残念だが、次回の楽しみにとっておく。

それでスケジュール通り、奈良見物の東大寺と春日大社に出かける。
ホテルに迎えに来てくれたガイドの顔を見て、がっかり。昨日の京都ツアーのガイドだ。同じアメリカ人の旅行者も彼女を見るなり、「オーマイゴッド!」と言って肩をすくめる。このガイドの悪いところは 英語の発音が イントネーションなしなので聞きとれないだけでなく、グループを率いて 彼女の歩調についていける人だけに立ち止まって説明して、後からゼイゼイ言いながら来た人には、何の説明もしないで平気でいることだ。典型的な中学校教師、、。自分も根底のところで 本当は判っていない内容を、サッサと教えて、ついて行ける子だけを見て、先を進める先生だ。おかげで取り残された子は、自分が頭が悪い、出来ない子だと思い込んでしまう。こんな風に子供を教える教師がこの世に居てはならないが、このガイドも同じでプロとして失格だ。

東大寺は境内だけで12万坪という。古代都市、奈良はさすがに何でも規模が大きい。奈良時代、8世紀に聖武天皇が建立。第45代聖武天皇と光明皇后が、幼くして亡くなった息子の菩提のために、733年に建立された金鐘寺が。その前進という。光明皇后が悲殿院や施薬院を設け、それが社会事業の先駆けにもなった。巨大で美しい南大門の両側に 巨大な木像が立っている。高さ8メートル余り。ひとつは口を閉じ、左の像は口を開けている。二つの仁王像に睨まれて、首をすくめて通り過ぎる外国人たちの姿がおかしい。横に張られた太い大きな敷居を乗り越えるのにオットを励まして何とかステップを乗り越える。誰かが、簡単に、またいで越えられないような太木を渡したり、石の階段を沢山作って、病弱者や年寄りが簡単には大仏に近付けないようにしたわけではなく、太りすぎや運動不足を叱咤激励し、民衆の健康促進を願った仏の心、と理解したい。

金堂は、世界最大の木造建築だった。高さも、間口も、奥行きも50メートル前後ある。オットは、ただただその大きさに感動している。
大仏の左右には木造の脇侍が、また道内には四天王のうち二つの王像がある。四天王のあとの残りの二体は未完成で頭だけが置いてあった。
大仏は銅製で木造ではない。14,7メートル。大宇宙の存在を象徴する仏で、留舎那仏像(ビルシャナ)という。聖武天皇は「万代の福業をおさめて、動植ことごとく栄えむとす。」と言い、人も動物も植物も共に栄える世を夢見ていた。彼が心酔していた華厳経のビルシャナは、人も動物も植物も塵も等しく尊い、という徹底した平等主義の思想を持っていた。ビルシャナという言葉はサンスクリット語。ちょっと仏教をかじってみると、ラーフラとか、ナンダとかアーナンダとか、ゴーダマシッダッタとか、サンスクリットの名前がおもしろい。
しかし、東大寺建立にまつわる歴史に興味があったら、コミック「デル天」こと、山岸涼子の「日出処の天子」1巻ー7巻を読むのが、歴史の専門家の本を読むよりはるかに、よく理解できる。また ブッダについて知識を持ちたかったら やはりコミック、中村光の「聖おにいさん」(第1巻ー5巻、講談社コミック)が絶対おすすめだ。

ガイドと、ついていける人だけが どんどん先に行くのでオットと完全に落ちこぼれたが、昼食でまた遅れた。素晴らしく、しゃれた古い西洋館をレストランにバスが着くと、皆は、サッサと二階の木の階段を登って昼食にありついている。エレベーターもエスカレーターも勿論ない、古い洋館は、階段の一段一段が恐ろしく高い。オットが登りきるのは不可能だ。いったん登ったら、今日中には、降りてこれない。「階段はダメって言ってあったでしょう。」とガイドに言うと、「聞いてません」と繰り返すだけ。レストランのオーナーの好青年が、機転をきかせて、階下のお土産を売っている一角に、テーブルを出してくれて、二人だけの特別の昼会席。「紙なべ」と、「味噌かつ」が出て、素敵。大喜びで頂く。味噌とんかつを、とうとう食べた。感激。でもこれって名古屋の名物じゃないの。

午後からは、春日大社。平城京に710年、藤原不比等によって、藤原氏の氏神を祭るために建立された。30万坪に及ぶ境内、参道を全部歩くことは出来ない。たくさんの石灯篭を見ながら「二ノ鳥居」をくぐり、美しい鹿の石像が横たわっている「伏鹿手水所」で、手を洗い「、着至殿」まで登った。そこから先には、青龍の滝、南門、御本殿,酒殿、桂昌殿、祈祷所、神社などなど、見所が沢山あるらしいが全部、石段なので、とても歩けない。オットは、水のない水槽の金魚みたいにアップアップしている。朝の東大寺も午後の春日大社も、仏も神も一緒になって 石段をたくさん提供してくれた。体の強い民を訓練して、オリンピック選手を育成することを望まれていたのか。そうだったのか。

まったくオリンピックに関心のないオットには ブッダと神の違いがわかっているだろうか。ツアーの面々が登って帰ってくるまでのあいだ、茶屋で 二人、アイクリームを食べながら、神道について説明する。神道は、日本の民族的な信仰で、明確な教義や教典はない。森羅万象に神が宿ると考え、祖霊を畏敬する素朴な信仰だった。しかし明治政府は、明治天皇を現人神として神仏分離、神道を国教とした。そして、天照大神の末裔が現人神としての天皇と捉える皇国史観が、アジア侵攻、植民地拡大の軍国主義を生んでいった。資源のない小国が、生き延びで経済成長していくための必然だったのだ。古の古墳に埋まっている天皇や貴族達は、そのような神道を 決して望んでは、いなかっただろう。

奈良公園のどこにでも見られる鹿は、1500頭に登るという。親子連れで車の近くまで平気で歩いていて、人と鹿とが上手に共生している。それが嬉しい。奈良の空気に触れられて、良かった。
京都のホテルまで、帰りのバスで爆睡するオット、一日で、よく日焼けした。今日も良い一日だった。
夕食のビールは美味しいことだろう。