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2011年8月23日火曜日

父 書く人 


8月13日
父の血圧が100前後、脈120くらい、呼吸数25、末梢血流酸素68%-75%を前後し、一方血糖値が高栄養輸液のために330と急上昇する。昼間は」普段どうり呼吸が苦しいが」話しかければ返事をし、お父さんおはよう、と言うと「おお」と返事をする。義姉が 「お父さん明日また来ますから」と言うと しっかり握手をする。

それなのに それは突然やってきた。
午後5時。幻視 幻覚がはじまる。父は兄、姉夫婦に囲まれながら私たちと視線が合わなくなった。父は天井を見ている。私たちに見えない何者かを見て、「おお」とか、「ほほー」とか言って、嬉しそうにしている。突然肩をすくめて笑い声をあげる。私の右手を 痛いほど強く握りしめるので、しばらくして手をはずすと、その手を布団から出して、空中で何かを書く様子を見せる。あわてて 父の手にペンを持たせると しっかり握りノートに何かを書こうとする。

父は昔から筆を持つと 美しい字を書いたが、ペンを持つと実に歯切れの良い 起承転結のある 格調高い文章を書いた。大学で教えていた間、学術書を書いたが 定年退職後は趣味で 随筆集をいくつも出した。書くことが趣味で 仕事で、道楽でもあった。そんな父が死の最期までやりたかったことは やはり書くことだった。

幻覚の世界で父はペンを握り 誰かと話し合い、笑い合い、そして書き続けた。父の持つペンに 紙をあてると字にならない字を書き続けた。
「お父さん お母さんとお話しているの」と聞くと、いいやとはっきり首を横に振る。「お父さん 疲れるから眠ってください」と言っても、首を横にふる。
幻覚のなかで、朝まで父は休まず ずっと誰かたちと話をしながら何かを書いていた。

8月14日
とうとう父は一睡もせずに 昨夜5時から朝まで ずっと目を大きく開き、右手にペンを持ち 何かを書いていた。ときどき笑いながら、楽しそうに。

呼吸が 下顎呼吸に変わったので、ホームで眠っている兄と姉夫婦を呼ぶ。かけつけたみんなの前で 父は30分かけて ゆっくりゆっくり呼吸数を落とし、そして呼吸を止めた。
父のみごとな死を私たちは 黙って見つめていた。

大内義一 99歳。
午前7時 永眠。
ペンを握りながら 力尽きて逝く。