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2011年6月29日水曜日
映画 「ノルウェイの森」
日本での映画公開から半年たって、やっと この映画がヴィデオで手に入ったので、観て見た。
ハルキの世界がそのまま映像になっていて、驚いた。監督 トラン アン ユンは、フランス語の翻訳でこれを読んだそうだが、とても深いところで ハルキの世界を理解していることがわかる。翻訳者も優れているのだろう。
ハルキは ユン監督から映画化の申し出があったとき すぐに快諾したという。ハルキの作品は ベストセラーになり、36言語で翻訳され世界で出版されている。小説の中に出てくる音楽のCDが流行ったり 携帯電話のコールに使われたりもしているそうだ。ノーベル文学賞受賞も目前らしい。
彼が過去に生み出した作品は すべてとっくに彼自身の手からは離れているのだ。それでいいのだと思う。
原作:村上春樹
監督:トラン アン ユン
キャスト
ワタナベ:松山ケンイチ
直子 :菊地@子
ミドリ :水原希子
キズキ :高良健吾
ストーリー
キズキと直子は3歳の時からいつも一緒に育って成長してきて 互いに無くてはならない強い結びつきを持っていた。そんなキズキの親友ワタナベは 中学でも高校でも キズキと直子と3人で一緒に遊んで過ごした。
しかしキズキは17歳で自死、ワタナベは 一人東京で大学生活を始める。そして偶然、直子と出会う。二人はひんぱんに会うようになり、直子の20歳の誕生日に二人は結ばれる。しかしワタナベの不用意な一言が 直子のキズキを失った傷を再び痛みつける。直子は東京を去り、京都の山奥の療養所に入所してしまう。療養所に直子を訪ねたワタナベは、直子とキズキの間にあった傷に触れることになって 直子を守ることがキズキに託された責任だと思い込む。しかし直子は、、
というお話。
テーマは二つ。
ひとつは 愛する人を失った喪失感から 人は抜け出せるのだろうか ということ。
もうひとつは 愛があって肉体が結びつくことができない不毛の愛に 人は耐えられるかどうか ということ。
3人が3様の答えを出す。キズキは17歳で自死し、「永遠に17歳である」ことで結論を出し、直子は 21歳まで生きるが 喪失から抜け出せずキズキの後を追うという結論を下す。ワタナベは 直子を失うことによって、2度も親友のキズキを失う。だから彼はこんなに悲しかったのだ。彼は二人を失って キズキの親友に託された責任を負うこともなく、初めて自分自身のひとりだけの自由を得る。3人3様の結論。人は自分の選択を生きるしかない。
ハルキ独特の世界、空気が透明で 生活の匂いがしない。登場人物は極端に口数が少なく ひとことひとことに とても大切な意味合いが含まれている。女は 危うく揺れ動くが 男はいつも誠実だ。そういったハルキの世界が 忠実に映像になっていて、とても良かった。
直子の療養所のある田舎の自然描写が秀逸だ。カメラワークが独特。自然が中心で その端っこの隅に人が佇む。
山々の緑、陽を受けた川の輝き、冬の始めの雪原の美しさ。これに音楽がとても合っている。弦楽重奏の使い方が素晴らしい。直子の不安、罪悪感、喪失感 死者のささやき、幻覚、幻聴が そのままヴァイオリンの不協和音で表される。うまいな と思う。
ユン監督は ベトナムのフランソワ トリュフォーだ。トリュフォーは 壮大な抒情詩のような映像を たくさん残した。 彼がフイルムに中で映し出す緑は ふくよかな貴婦人が佇む印象画に出てくる 光り輝く緑だ。それをユン監督は継承している。「青いパパイヤの香り」の詩情たっぷりの映像の美しさ。「シクロ」の画面の美しさ。若く 貧しい青年達の無残な姿が 美しいベトナムの情景の中で 浄化される。
まだ若い監督だ。彼の前作にくらべて画面のひとつひとつが、はるかに洗練されてきた。音楽の使い方が前作に比較できないほど素晴らしい。自身でも「音楽はインスピレーションと思考をもたらす言語だ。」と言っているが、映像と音楽の使い方がとても良い。
ハルキと同じ時代を生きてきた。
安保、ベトナム反戦、安田講堂、防衛庁攻撃、明大学生会館、六角校舎、神田カルチャラタン、、、おびただしい数の学生達が傷つき、たくさんの自殺者を見送った。殺された仲間も居た。大切なのに失った人が沢山居た。
直子の苦しみも、当時の自分の苦しみに重なる。
「20歳が美しいなんて、誰にも言わせない。」ポール 二ザンじゃないけど、、どうしてあのころ 平和になったベトネムなんか見たくないとでも言うように みんな急いで逝ってしまったのだろう。
ミドリの会話やワタナベの言葉が エキセントリックだと言う人が居る。あの時代 みんながエキセントリックだった。トロッキー、バクーニン、フロイト、ヴィトゲンシュタインとか ごっちゃにしながら付け焼刃で仕入れた知識をその日のうちにしゃべらずに居られない。女の解放、性の解放を言いながら男物のジーンズで走り回って 不器用な恋をした。今も古傷に触れれば血が滲む。
とても共感できる映画に仕上がっている。
2011年6月27日月曜日
メトロポリタンオペラ 「ヴァルキューレ」
オペラ「ニーベルングの指環」は ワーグナーが26年間かけて完成させた一大叙事詩だ。ギリシャ神話をオペラにしたもので、バイエルン国王 ルードビッヒ2世という 半端ではないパトロンなしには 絶対完成できなかった作品。
全曲の初演は1876年8月13日から17日、バイロイトオペラハウスで発表された。普通 4部に分かれていて、14時間30分の上演時間を、4晩に分けて上演される。4部とは 「ラインの黄金」、「ヴァルキューレ」、「ジークフリート」と「神々の黄昏」だ。
今回 ニューヨークメトロポリタンオペラのHDフイルムを 映画館で観たのは 「ヴァルキューレ」3時間40分。
指揮:ジェイムス レビン (JAMES LEVINE)
解説:プラセド ドミンゴ
ヴォータン :ブライン ターフェル (BRYN TERFEL)
ブリュンヒルデ:デボラ ヴォイト (DEBORAH VOIT)
ジークムント :ヨナス カーフマン(JONAS KAUFMAN)
ジークリンデ :エバ マリア ウェストブレック(WESTBROEK)
フリッカ :ステファニー ブライス(BLYTHE)
フンデイング :ハンス ピーター コング (KONG)
http://www.metoperafamily.org/metopera/broadcast/template.aspx?id=16210&prodpage
ストーリーは
神々の一番上に立つ神、ヴォータンには人間との間にもうけた子供、双子の兄妹がいる。二人は生後 別れ別れになっていた。妹ジークリンデは 愛のない結婚でフンデイングの妻になっている。
ある嵐の夜 戦で傷を負った戦士ジークムントが 助けを求めてきたのがジークリンデの家だった。二人は一目観るなり 恋に陥り激しく愛し合うようになった。そこに夫 フンデイングが戻ってきて ジークムントと決闘することになった。ジークリンデは 父が残した霊剣を兄に渡す。
一方 ヴォータンは それを見ていて ジークムントを助けてやりたいが 正妻フリンカの猛反対にあって、息子ジークムントを処分するために娘のブリュンヒルデを送り込む。
しかし、ブリュンヒルデは 父が本当はジークムントを助けてジークリンデとの愛に生かしてやりたい気持ちを持っているのを知って、ジークムントに加勢する。しかし、ヴォータンが与えた霊剣をもっても 傷ついたジークムントは 決闘に敗れて死んでしまう。いとしい人を失ったジークリンデは、死を望むが ブリュンヒルデは ジークリンデにはジークムントの子供の命が宿っていることを教えて 折れた霊剣を持たせて森に逃がす。
娘ブリュンヒルデが 父に背いたことを知った父ヴォータンは 娘に愛を感じながらも 娘を罰するために 炎で取り囲んだ中に封印して眠らせてしまう。
というストーリー。
イタリアオペラが大好きだけれど、ドイツオペラもすごいなと思う。見終わって 感動の波が序序に競りあがってきて もう息もつけない。3時間40分の長い長い夢を見ていたようだ。
極端に重唱が少なく、どれもが独唱で、それがすべてどっぷり じっくりと聞かせてくれる。一般的なオペラでは 心を奪われるような しっかり聞かせてくれるアリアはせいぜい2-3曲だ。しかし、このオペラでは、ほぼ全曲が独唱の連続だ。
オーケストラの奏でる音楽が素晴らしい。管弦楽が特に 光っている。
とても一人の作曲家が全部を作り上げたとは思えない。本当に、天才の作曲家が何年も何年も時間をかけて 構想して構築して練り上げて、作り上げた完成品だ。本当に素晴らしい。
このような芸術の遺産に、いま触れることが出来る贅沢が 心から喜ばしい。
ジークムントとジークリンドの出会いと互いに愛し合う テナーとソプラノがとても美しい。ジークムントをやった ヨナス カーフマンという人は、若くてギリシャ彫刻のような美しい顔をしている。テナーの声も美しくのびて 力強い とても男性的なテナーだ。聞き惚れて、見惚れる。
ヴォータンのブライン ターフェルのバリトンが パワフルで美しい。今一番人気のあるバリトンではないだろうか。彼の神様の重厚で厚みのある声が胸に迫ってくるが、彼は役者としても一級だ。表情など、怒った顔は火の様に燃えていて怖い。父に背いた娘を怒りながらも 一番のお気に入りの娘だったブリュンヒルデを罰することの 心の痛みが伝わってきて泣かせる。
ブリュンヒルデを歌ったデボラ ヴォイドは ソプラノの人だが剣と盾をもって戦う勇ましいヴォータンの娘を演じてアルトっぽいアリアを沢山歌った。戦士の娘が父の前に立つと 父に思わず幼児のように駆け寄ったり けなげで いじらしい娘の姿も見せる。最後は舞台中央が 盛り上がって10メートルも高いピラミッド状になり そこから眠ったまま逆さ吊りにされて まわりを火で囲まれる。舞台が真赤に染まり その下で苦悩する神々の神ヴォータンの嘆く姿が ひとり浮き出されて終わる。
絵のように美しい。この美しい劇的な光景が忘れられない。とても感動的な終わり方だ。たくさんの舞台を観てきたが これほど 激しく脳裏に焼きつくようなエンドは稀だ。
このあと、話は続いて 身ごもったジークリンドは隠れ家でジークフリートを産む。この若き英雄が ブリュンヒルデの炎を解いて彼女の眠りを覚まして、活躍する。
長い長い 叙事詩だ。オペラをもってギリシャ神話を生き生きと甦らせて総合芸術に仕立てあげたワーグナーの才能と、それを支えたルートヴィッヒの遺産に改めて感動する。
2011年6月23日木曜日
二人目のマゴ
6月16日に二人目の孫が生まれた。
獣医で 救急病院に勤める次女の 二人目の赤ちゃん。最初が女の子で、今度が男の子。1年9ヶ月 離れた姉弟になる。
出産という重労働を乗り越えて 終始冷静に新しい家族を迎えた娘に 心からご苦労様と言いたい。そして、おめでとう。
東京生まれの娘は 親戚も頼れる人もいないフイリピンという父親の赴任先で、たった13歳で父親をなくした。そのまま外国に留まり 大学を終え、専門職に就き、家庭を持った。誰にでもできることではなかったと思う。迷いもあったが 帰国せずに オーストラリアに移住してよかったと思う。
娘の陣痛が始まったのが 15日の朝。
私は病院の夜勤を終え、ベッドに入ったばかり。「陣痛が始まったよ。」という娘のことばに 「あ、そう良かったね。」と応じて そのまま眠ってしまった。夢の中で「寝ていて良いのだろうか?眠って良いのだろうか?」と誰かが問いかける。ふむふむ。そうか、、、こんなことはしていられなかった。
ガバ と起き上がり 職場に電話をかける。今日から休暇をください。お願いお願い。休暇願いは 一週間後からとって許可も得ている。そのころが予定日だった。でも予定は未定。今日から休暇を 何が何でも取らなければならない。マネージャーの機嫌が良くて 助かった。ラッキー! 職場に急行して休暇届を出して 娘の住むニューカッスルへと、車を飛ばす。
3時間の運転の間中 「間に合いますように 間に合いますように」と まじめに祈った甲斐あって、娘が笑顔で出迎えてくれる。娘に代わって 家事をしたり 夕食を作ったり、1歳9ヶ月の孫の遊び相手をしている間も、娘は痛みに必死で耐えている。
オーストラリアでは 妊婦が破水しても 子宮口が3センチ以上開かないと 病院に入れてくれない。陣痛の痛みが どんなに激しくても 陣痛を促進するために病院の外を歩いてくるように言われる。 痛みでパニックを起こしている妊婦でも、家に帰される。出産は自然の営みなので妊婦を病院では 患者扱いしてくれないのだ。出産後もすぐに シャワーを浴びさせられる。トイレも自分で行かなければならない。入院は1日か2日だ。入院中の食事も自分で取りに行かなければならない。だから 日本に居た時のように 出産のときにずっと助産婦がついて励ましてくれたり、産後1週間入院させてくれる日本の出産を知っている日本人産婦のカルチャーショックは大きい。娘は 家でしっかり我慢をして夜になって 夫と病院に行った。
孫が眠り、娘とその夫が病院に留まり、離れで眠っているうちに夜中の1時に 生まれたばかりの赤ちゃんの画像が携帯電話に送られてきた。
おめでとう。良かった、良かった。
朝、シドニーから 上の娘が やって来た。その娘と孫とで 産婦を見舞う。産後12時間というのに、娘はジーンズ姿で元気だ。一緒に病院の食堂でコーヒーと 上の娘が持ってきたケーキを頂く。
娘と生後1日目の孫は、一晩 病院に泊まって、翌日の朝、帰宅。
やれやれ、、、。
とてもうれしい。
2011年6月22日水曜日
映画 「スーパーエイト」
映画「グーニーズ」みたいな少年達が 「ET」みたいな出会いをして、「スタンバイミー」みたいに成長する映画だ、、、と宣伝されたら、観ずにいられないだろう。行って観てきたが、残念ながら 「グーニーズ」の興奮、「ET」の感動、「スタンバイミー」の共感を期待していると、そのどれにも裏切られる。強いて言えばトム クルーズの「宇宙戦争」が好きな人には 見る価値があるかもしれない。
http://www.youtube.com/watch?v=vpzUCA5i6zY
題名の「スーパーエイト」は、スーパー8ミリのカメラのこと。
1979年、夏、オハイオ州の小さな街。
ジョーは 母親を交通事故で亡くす。兄弟なない。父親は町の警察官だ。多忙を極める父親を見てきた街の人々は 一人残されたジョーを心配する。ジョーは母親が死ぬまで身に着けていた 息子を抱く自分の写真の入ったペンダントをいつもポケットに忍ばせている。
夏休み。ジョーと4人の仲間は 8ミリカメラで映画を作っている。太っちょのチャールス、カーレイ、マーテイン、プレストンだ。伊達男の私立探偵が ある事件を追っているうちに 犯人がゾンビであることを突き止めるという恐怖映画だ。探偵の愛人役に、アリスに頼んで出演してもらうことになった。ジョーもチャールスもアリスのことが とても好きだ。
撮影場所は駅舎。
アリスを含む6人は、深夜 家を抜け出して駅で映画撮影を始める。そこを列車が通過する。 すると、列車の進む方向から トラックがやってきて列車に衝突し、列車はことごとく脱線して燃え上がる。少年達は命からがら 逃げ回るが、駅に置き忘れてきたカメラのフイルムは 回り続ける。6人の子供たちは列車に衝突したトラックと それに乗った男を見つける。それは、半死状態の学校の生物の先生、ドクターウッドワードだった。驚くことに、先生はまだ生きていて、ジョーたちに「今見た事を誰にも言ってはならない。軍が来て お前達を見つけたら殺すだろう。早く逃げろ。」と言って銃でジョーたちを脅かす。6人は恐怖に駆られて現場から遁走する。そうしている間にも 何百という軍人を乗せたトラックが どこからともなく集結していて、周辺が封鎖された。
ジョーたちは翌日 顔をあわせても あったことについて口を閉じていた。街は軍人達であふれている。彼らは事故の処理で忙しい。街の警察官のジョーの父親は、軍に協力を申し出るが 相手は断り そっけない。
この日を境に、街中の犬が居なくなり、車のバッテリーは盗まれ、電線が断ち切られ、停電ばかりするようになった。不思議なことばかり起きて、一人、また一人と、住民が消えて居なくなる。
ジョーとチャックは 現像した8ミリカメラのフイルムを観ていて、そこに横転した列車から何か、異様な生き物が出てくるシーンを目撃して、衝撃を受ける。
軍は 次々と転覆した列車事故の跡に、火を放ち 何かの証拠を消すかのようだ。ついに住民は 避難するように命令され 人々は着の身着のままバスに乗せられる。
アリスが父親の目の前で 何物かに連れ去られた。その何物かを目撃したアリスの父親の言葉に ジョーは誰がアリスを誘拐したのか 確信して 彼女を助け出す決意をする。ジョーと4人の仲間は学校に忍び入り 列車転覆事故の原因になったドクターウッドワードの研究室を調べる。そし列車から逃げ出した正体が、、、
という お話。
監督:JJエイブラムス
製作:ステーブン スピルバーグ
キャスト
ジョー :ジョエル コートニー
ジョーの父:カイル チャンドラー
アリス :エル ファニング
アリスの父:ロン エルダート
チャールス:ライリー グリフィス
カーレイ :ライアン リー
1979年オハイオ州で実際にあったコンレール社の貨物列車脱線事故で、このときの事故処理が 秘密裏に行われ、処理に200万ドル以上の空前の費用が投入された。スリーマイル島原子力事故に、時期的にも近いし、列車で何が運ばれていたのか 人々には知らされなかった。またネバダ州のエリア51が閉鎖され、人々の立ち入りが禁じられたが その理由が全く明らかにされていない。など数々のクエスチョンマークが この映画制作の切っ掛けになったようだ。
ステーブン スピルバーグを尊敬していて とても思い入れのある監督JJエイブラムスが監督した映画だが、気色の悪さで 彼のB級作品「アルマゲドン」を思い出してしまった。エイリアンも「宇宙戦争」、「トランスフォーマー」や、「ロードオブザリング」などでおなじみの姿で、「やあやあ、またお会いしましたね。」という感じ。
印象に残った場面も無くはない。
ジョーが、犬が居なくなったので 犬の写真を貼った紙を街の掲示板に貼り付けに行く。初めカメラがジョーの犬をフォーカスしている。フォーカスが解かれ、画面が序序に大きくなり、ジョーが犬を失くしたのが自分だけではないと気がついて 後ずさりすると掲示板いっぱいに 様々な犬の写真が 何百と掲示板にひしめいている。カメラのレンズが拡大するに従って ジョーの恐怖感が増大するシーンだ。カメラワークがうまい。
最後のエンデイングの音楽とともに映る 子供たちが製作した8ミリ映画が秀逸だ。
これが とても愉快でよくできている。映画そのものよりも、こっちの方が良い。
「グーニーズ」は1985年作品。リチャード ドナー監督。女の子一人を含む6人の子供たちが 仲間のマイキーの家が 銀行の借金で立ち退きになる為 それを阻止するために海賊の隠した財宝を探しに洞窟探検するお話。喘息で吸入器が離せないマイキー、メキシコ人のマウス、虚言癖のある太っちょチャンク、中国系で発明家のデータ マイキーの兄とその恋人アンデイー、、どの子も目の前に居る実際の子供のように鮮やかに描かれていて楽しい。
「ET」は 1982年作品。 地球に探索にきて 一人置き去りにされてしまったエイリアンとエリオット少年とその仲間の 心の交流の物語。
「スタンバイミー」は 1986年 ステーブン キング監督。12歳の少年4人が 死体探しの冒険の旅に出るお話。
コーデイには優秀な兄がいて、家庭に自分の居場所がない。その兄が事故で死んでしまったとき、親は「お前が死ねばよかったのに。」と言われて傷つく。4人とも 心に傷を持っていて けなげに現実に向き合っている。それぞれが実に生き生きしていて、忘れられない名作だ。
「グーニーズ」と「ET」と「スタンバイミー」をあわせたような 本当に心がふるえるような 子供たちの映画があったら、素敵だ。
2011年6月14日火曜日
映画「オレンジとサンシャインと」
どの国にも暗い過去、あまり他人に触れられたくない過去の汚点といわれるものがある。日本でいうと、関東大震災直後の朝鮮人狩り、宣戦布告なき開戦パールハーバー、南京大虐殺、アイヌ土人法、部落差別、日本軍による沖縄人集団自決の強要、ハンセン氏病患者の隔離、調査捕鯨、東電の放射能垂れ流し、などなど、、、。
この映画は イギリスとオーストラリア両国政府の歴史的汚点である、「忘れられた子供たち」を明るみに出した映画だ。いまのところ 明確になった事実は、1920年代から1970年代までの間に、13万人の 3歳から14歳までのイギリスの子供たちがオーストラリアに送られて、多くは孤児施設や教会施設で強制労働を強いられた というものだ。子供たちの移送はイギリス政府とオーストラリア政府間の合意のもとに行われた。政府間の間にたって、斡旋したのは救世会、カトリック教会、大英教会、その他 慈善団体だった。
ボートに乗せられ、オーストラリアに送られた子供たちの、多くは孤児ではなかった。母親が病気で預けられていた子供たちや、子供を欲しがっている家庭に養子に出した貧しい家庭の子供たちや、戦争中 安全なところに避難させられた子供たちが多数含まれていた。
主に西オーストラリアと南オースチラリアに送られた子供たちは 私物やパスポートを取り上げられ、粗末な衣類と乏しい食料を与えられ、教育を受けることもなく、孤児院施設や教会施設の建設、灌漑事業の強制労働をさせられた。施設では 子供たちへのレイプや虐待は日常茶飯事だった。成人してからは、施設で過ごした年数分の食費を借金として返済させられた。この子供たちを「忘れられた子供たち」と呼ぶ。
これらの両国間の恥ずべき事実は、長いこと当の子供達以外に知るものが無かった。政府のスキャンダルが 明らかにされ、被害者起こしが始まる。しかし、心にも体にも傷を負った当時の子供たちの口は重い。成長した後も 教育を満足に受けられなかったため 良い職業につくことが出来ず また、性的奴隷にされ成長したために 大人になっても普通の結婚生活を送ることができず生活破綻する人が多い。僅かだが幸運にも子供を欲しい家庭に養子として受け入れられて幸せに成長した子供も居る。しかし、ほとんどは 施設で過酷な境遇にあった。イギリスで孤児に掛る一日の経費は一人10ポンドだが、オーストラリアでは5シリングで済んだ、と言われている。
2009年11月、労働党ケビン ラッドが 首相になって 初めて政府として国会で「忘れられた子供たち」に謝罪が行われた。続いて、2010年2月、英国政府として、ゴードン ブラウンが謝罪した。
しかし 両国による謝罪が済んだばかり。今後は具体的な 経済的保障、損害賠償などが課題になる。まさに、「忘れられた子供たち」は、過去の汚点などではなく、現在進行形の事実なのだ。
現在キャンベルタウンの市長は この「忘れられた子供たち」のひとりで、インタビューに答えて、自分は生後2ヶ月で揺りかごの中から浚われて、最終的にはオーストラリアに送られてきた。ボートが港に着いたときに、男女別々にされたため兄と妹、姉と弟が引き裂かれて泣き叫んでいた時の悲鳴が忘れられない、といっている。当時の同じ仲間の多くは子供のときに頭を殴られて いまは耳が聞こえない、と語っている。
監督:ジム ローチ
原作:マーガレット ハンフリー著「EMPTY CRADLES」
キャスト
マーガレット ハンフリー:エミリー ワトソン
レン :デヴィッド ウエナム
ジャック ;ヒューゴ ウィービング
ストーリーは
英国 ノッチンガムでソーシャルワーカーとして働いているマーガレット ハンフリーは 1986年、ある日 オーストラリアから来たというシャーロッテと名乗る女性に呼び止められる。彼女は ノッチンガムの孤児院から 4歳のときに オーストラリアに送られて成長した。自分が誰なのか、探して欲しいと言われる。しかし それがマーガレットには どういうことなのかわからない。そんなことがあるわけがない。4歳の孤児がまさか、地球の果てのような外国にボートで送られるなんて。その上、孤児施設で奴隷のように働かされたなんて。
しかし自分のグループセッションに参加している女性が 自分には身寄りがないと思っていたが ジャックという弟がオーストラリアにいることがわかった と言って喜んでいる。ジャックは 8歳のときに船に乗せられてオーストラリアに送られたのだと、にわかには信じられない話がマーガレットのところに 再び舞い込む。
オーストラリア大使館に問い合わせても、わからない。何の記録も残っていない。シャーロッテの戸籍を調べてみると、彼女の母親がまだ実在していることがわかった。母親は 当時社会では許されない婚外関係で子供を産み 養子に出して、シャーロットを手放した。まさか、その後 娘が外国に送られて過酷な生活をしたなどとは想像もしていなかった。
マーガレットは この母娘を引き合わせる。うりふたつのように似た顔の娘が母を初めて対面する。捨てられた娘の母を見るぎこちない視線、、、。
マーガレットは、オーストラリアを訪ねて、ジャックと姉に引き合わせ、彼らの母親を探し出す。しかし見つけたのは1年前に亡くなった母の墓石だった。「ボクが かあさんを見つけるのが遅すぎたから、、」と 泣きながら自分を責めるジャック、、、。
レンは 西オーストラリアの砂漠の中で カトリックの巨大な殿堂を建設させられた。重労働による怪我や栄養失調で 亡くなる仲間の子供たちがたくさん居た。、昼は労働、夜は牧師たちの性奴隷になった。成長してから借金を返済するまで拘束は続いた。30年余り時がたって マーガレットが探し当てた母親に会いに、渡英したが、かつて自分を捨てた母親を受容することができずに、苦しんでいる。
マーガレットはオーストラリアの当時の子供たちを訪ね歩き、新聞社や放送局の協力を得て 当時の子供たちをカミングアウトするようにキャンペーンを始める。それに対して これは済んだ過去のこと として教会関係者や当時の施設関係者たちの妨害が始まる。マーガレットは死の脅迫を受け 暴力の恫喝を受ける。しかし、ひるまず彼女はまた、「忘れられた子供たち財団」を組織して 当時の子供たちの 聞き取り調査を続ける。
という実際にあった ストーリー。
この映画は 社会派映画監督ケン ローチの息子 ジム ローチが製作した。ジムはテレビ畑の人なので、ドキュメンタリーフイルムを作る予定で動き出していたが ドラマの方がインパクトがあると考えて映画にしたそうだ。英国とオーストラリアで撮影され、両国の俳優を使っている。レンを演じたデヴィッド ウェルナムは実際被害者たちと会い 彼らが建設したカトリック施設で 1週間過ごして役作りを考えたそうだ。
題名の「オレンジとサンシャインと」は、子供たちがオーストラリアに連れてこられる前に 言い聞かされていた言葉。「オーストラリアでは手を伸ばせばオレンジの実が取れて それが朝ごはん。毎日太陽が輝いて カンガルーが学校に連れて行ってくれるよ。」と。なんと罪つくりな大人たちだったことか。映画が始まってすぐに、見ている人たちの嗚咽が聴こえてきて、それが最後まで続いた。涙なしに この映画は見られない。
2011年6月12日日曜日
ランランのラフマニノフを聴く
真冬のシドニー。
凍りつくような 冷たい雨が降るしきる夜 オペラハウスにランランがきて ラフマニノフを弾いてくれた。
待ちに待ったライブ。チケットを手に入れたのは 去年の9月だ。ランランのオーストラリア公演は、3日間だけ、それもシドニーオペラハウスでの公演だけだ。今年に入って すぐにチケットは完売して 友達など欲しがっている人も多かったが、全然手に入らなかったそうだ。水曜日に「ベートーヴェン ピアノソナタ第3番」、「プロコフィエフ ピアノソナタ第3番」を弾き、次の火曜日に「チャイコフスキー ピアノコンチェルト第1番」を弾く。
聴きに行ったのは土曜。プログラムは シドニーシンフォニーオーケストラの「チャイコフスキー交響曲第4番」のあと、ランランが オーケストラをバックに、「ラフマニノフ ピアノコンチェルト第2番」を弾いた。
彼はシドニー滞在中、ピアノを学ぶ子供達に、公開レッスンに積極的に取り組み、彼らしく 分厚い眼鏡をかけた子供達相手に、「感じて、感じて、うたって、うたって、、」と繰り返して言っていた。
おもしろいことに、彼が ピアノに興味をもって3歳で弾き始めた切っ掛けは、テレビ漫画「トムとジェリー」で、トムがピアノを弾くシーンだったそうだ。このとき ネズミのトムが弾いたのが、リストの「ハンガリアン ラプソデイー」だった。人生、何が切っ掛けで子供の才能が開花するか わからないものだ。子供には 何でも見せること、聞かせることが大事だ。
ランランのライブを初めて ビデオで見たのは 飛行機の中でのこと。その時の 驚きと感動は、2010年の2月10日の日記で書いた。
プログラム前半のチャイコフスキー交響曲第4番。
シドニー シンフォニー オーケストラでは シモン ヤングが居なくなってからは ブラデミール アシュケナージが常任指揮者になったが、今回はランランが連れてきた ジャージャ リンが指揮をした。日本ではクラシックを弾く人も聴く人もエチケットに大変厳しいらしくて 交響曲の楽章の合間に拍手する人が居たりすると 睨まれたり叱られたりするそうだけど、オージーは とてもおおらかで 聴衆は奏者が上手で自分が嬉しかったら 曲の途中でもブラボーを叫ぶし、一つの楽章が終わったら つい夢中で拍手したり立ち上がって足を踏み鳴らしたりする人も居る。弾く人も聴く人も楽しむ。オペラ鑑賞も同じだ。それでいいのだと思う。
この日、チャイコフスキーの第一楽章が終わって 拍手が終わったあとも指揮者はニコニコ笑って、ドアが開けられ遅れて来た観客があわてて席に着くまで待った。こんなことは始めてだ。この日、オペラハウスのコンサートホールは満員。真冬の大雨で道路は渋滞し、オペラハウスの駐車場が大混乱だった。オペラハウスでは、いつもは早めに行って、コンサート前に シャンパンを飲んで ゆったり音楽を楽しむことにしている私達も、この日 駐車場に車を入れるだけで 余計に時間が30分もかかって、シャンパンどころか小走りに会場の階段を駆け上がらなければならなかった。肥満と心臓病で100メートル歩けない おまけに喘息もちのオットなど、私にせかされて 水を抜かれた金魚のようにアップアップして席に着いたのだった。遅れて来た人たちを 第1楽章のあと入れてやり オーケストラを待たせたのは 指揮者の優しい思いやりだったのだろう。立派なことだと思う。
シドニーシンフォニー。第1第2バイオリン 各14人、ビオラ12人、チェロ10人、バス8人に木管を入れて80人余りの音は、、、第1楽章を聞いたときは「何だ、これでちゃんと音あわせしたのか?」と問いたくなったが、第2楽章からは、良くなって、聴いている内に ちゃんと チャイコフスキーのロシアの風景が目に浮かぶようになった。可もなし不可もなしの演奏。彼らは自治体と国から給料をもらって、演奏している。この楽団の悪口は この5年余りのブログで ことあるごとに言い続けてきたが、給料もらって演奏しているなら もっとがんばれと繰り返し言いたい。どこからも補助金をもらわずに この20年近く 素晴らしい音を演奏してきたリチャード トンゲテイ率いる オーストラリア チェンバー オーケストラ(ACO)の 質の高さを比べると シンフォニーの連中の「サラリーマンの音」にはいつも失望させられるのだ。
休憩に入り、やっとシャンパンで人心地ついて、次がランランの演奏だ。
ラフマニノフ ピアノコンチェルト第2番。ぺテルスベルグに近いセミョノフ生まれ。1873-1943。28歳の時に作曲した ロシア 浪漫派の音楽の代表作。自身が従兄アレクサンドル ジロデイ指揮で初演している。
ランランの演奏の最初の3音で、「ああ、これがランランの音だ。」と思わせる とてもとても力強い和音連打だ。すごいな と思う。1音の強さと濃厚な音の連なり。
豊かな音量、深くて厚みのある、とても熱い音だ。とても良い。
しっかりとロシアの森 黒々とした針葉樹森 雪の残る冷えた空気、冴え渡る白い空、大地の広がりが、目の前に現れてくる。感動的だ。とても良い。本当に実際のランランの音に触れることができて良かった。
この曲、そういえば「のだめカンタービレ」で、「千秋真一先輩」がピアノ演奏している。パリ行きを決意した後で、大学での最後のコンサートで、様々な思いをこめて演奏する千秋真一に、見ていて思わず涙が出た。漫画の作者も ドラマの製作者も この曲の使い方が上手だ。感心した。
この曲、デビッド リーンのイギリス映画「逢びき」でも 道ならぬ恋の場面で使われていた。ベンゼル ワシントンが30年代に白人の人妻に危険な恋をする出会いの場面で流れたのも、この曲だった記憶がある。
28歳で神経を病んでいたラフマニノフが 心をこめて作曲した このせつないコンチェルトを、骨太のランランが力強く弾くと ロシアの大地が香り立つ。ブラボー ランラン。
2011年6月1日水曜日
フランス映画 「神々と男たち」
フランス映画「神々と男たち」、英語題名「OF GODS AND MEN」を観た。英語字幕、2時間15分。
2010年カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した作品。
アルジェリアのテイブリンという村で、トラピスト修道院の7人の修道士が モスリム過激派に誘拐された末 斬首殺害された 実際1996年に起こった事件を映画化したもの。44歳のフランス人監督がメガホンを握った。
監督:ザビア ボーヴォワ
キャスト
クリスチャン:ランバート ウィルソン
ルーク :ミカエル ロンズデール
クリストフ :オリビエ ラローデイン
セレステイン:フィリップ ランデンバック
アメデイー :ジャッキー へリン
ジャンピエール:ロイック ピション
マイケル :ザヴィア マリイ
ポール :ジャン マリー フリン
ストーリは
1995年。アルジェリアの寒村。丘の上にトラピスト修道院が建っている。そこに住む9人の修道士たちは 羊を飼い 畑を開墾し農作物を作り、パンを焼き 地元の人々と共に生活していた。村の住民の多くはクリスチャンだが、モスリムの住民達と仲良く共存して暮らしていた。修道院の一角には 村で唯一の診療所が開設され、年老いた修道士が人々の治療に従事している。彼は 住民に無料で治療するだけでなく、やってきた住民に靴がなければ靴を与え、身なりの貧しい患者には服を与えた。
平和で静かな 修道院の祈りの日々。
しかしクリスマスの夜、突然モスリムの武装集団が 修道院に押し入ってくる。彼ら過激派の一団は ブラザークリスチャン(ランバート ウィルソン)に銃を突きつけながら 薬と医師の提供を要求する。しかし、クリスチャンは 命を脅かされながらも 修道院の医師は 高齢で病気がちであり、患者のために出かけていくことは出来ない、また医薬品は欠乏気味で分けることが出来ない。と毅然たる態度で提供することを断る。
一行は退いていく。
しかし、その日から 静かだった村にも 過激派のゲリラがひんぱんに現れて 協力を断った住民が首をはねられたり、政府職員が連れ出されて拷問の末に惨殺されたりする事件が頻発するようになった。
クリスチャンは地元の役所に呼び出されて 修道士は全員フランスに帰還するように命令が出たことを知らされる。
彼は修道士全員を集めて、意見を聞く。二人の修道士が 母国に帰りたいと言う。自分達が実際ゲリラに取り囲まれ、銃を突きつけられたときの恐怖感。道路で ゲリラに襲われて咽喉を掻き切られて死んだ住民を見たときの激しい嫌悪感。ゲリラに協力することを断り拷問の末に殺された信者の遺体を前にしたときの恐怖感。修道士たちは みな心の平静を求めて祈るが 忍び寄る恐怖感に苦しむ。
軍は修道院を武装兵で護衛することを提案するが、クリスチャンは 神の居る場に 武器を持ったものは入ってはならない、と言って断る。
クリスチャンは 村の信者達に会いに出かける。自分にフランス帰還命令が出ていることを言うと、「村の住民はみな小鳥、修道士達は樹。樹がなくなったら小鳥は巣を作ることも 生きることもできなくなってしまう」、と言われて、村に残る決意をする。
クリスチャンは 修道士全員の意見を再び求める。
留まるか、去るか。もう そのときには全員が留まる覚悟ができている。迷いがなくなり、みな微笑んでいる。修道院に入る前に自分が持っていた家庭や所有物や国籍や自分の名など 捨てて生きることが自分達の使命だ。
雪の夜 静寂が破られて 武装集団が修道院を襲う。修道士達はゲリラ達に誘拐される。雪深い山に修道士達はゲリラ達に先導されて、吹雪のなかを山に入っていくところで映画が終わる。
修道士を演じた役者たちは 修道士の役柄を理解するために 実際何週間も修道院に入って教育を受けたそうだ。修道士の責任者 クリスチャン(ランバート ウィルソン)と 医師の修道士ルーク(マイケル ランデール)以外の役者は ほとんど無名の役者さんたちだ。
クリスチャン役の役者は 役者で歌手でもあるそうで、どうりで賛美歌を彼が主導すると ひときわ声が通る 美しいテノールだった。
準主役のルークは79歳の役者で、実際年齢と同じ年寄り役を飄々と演じていて貫禄たっぷりだ。1日に100人もの患者を診て 疲れ果てて、足をひきずって歩く 喘息もちで かんしゃくもちでもあるルークの かわいいおじいさんぶりを見ると、愛さずにいられない。
撮影はモロッコで行われた。丘の上に立つ修道院は実際 建ってから40年もの間 放って置かれていた修道院が使われたそうだ。
カメラワークが素晴らしい。アルジェリアのなだらかな山々、痩せた土地を耕作し、種を蒔く人々、川の美しい流れ、石ころだらけの道を羊飼いが羊を追っていく姿。
ゲリラたちが去り、平安が戻ってきたと思われた晩、夕食のときにルークはお祈りではなくて、チャイコフスキーの白鳥の湖 序曲CDをかけ ワインを開ける。小さなラジカセから流れる圧倒的な音の力に聴き入る修道士達の顔が順に映し出される。シンフォニーの美しさに 思わず涙が流れ、安堵の表情、安らかな顔が映し出される。
しかしながら その夜 彼らは襲われて誘拐される。文字通り これが「最後の晩餐」になった。
カメラは 修道士の顔を真正面から大写しする。銃を付き付けられて恐怖に歪む顔、死の恐れから逃れられずに苦しむ顔、死者を見つめる哀れみの顔、祈るときの真剣な顔、死を覚悟した瞬間の毅然とした顔、、、顔が心を映し出す。逃げも隠れも ごまかしも嘘もない本当の心がそのまま顔に表される。画面いっぱいに映し出された顔、それぞれ若くない男達の顔が 実に美しい。
カメラの動きが極力、抑えられていて、それがそのまま修道士達の心の動きのように一定している。
最後の場面で、雪が降りしきる中、山の斜面をゲリラ隊と 寝間着姿のまま誘拐された修道士達が 息を切らせながら歩いていく。カメラの位置は 変わらない。ロングショットだ。一人一人の修道士がおぼつかない足取りで登っていく。被害者的な表情も 絶望も希望もあきらめも何もない。誘拐者たちも誘拐された者たちも 淡々と雪山を登っていく。そして、すべての者が通りすぎてしまい、後姿が小さくなり、音が消え、降りしきる雪だけとなって そして終わる。長い長い 素晴らしいロングショットだ。
この最後のシーンで 彼らがどこまでもどこまでも歩いていって そのまま世界から消えていっってしまったことを象徴している。恐らく修道士達は、行進の後、一人一人首をはねられ山に捨てられた。しかし、それを映像にしないで、修道士達が山に向かって歩き続けていく姿で映画を終えることで、修道士達が 私達の心の中で 永遠に生き続けていくことを示した。巧みだ。
とても美しい映像。
監督名は初めて聞く名前だが、今回のグランプリだけでなく、1995年にも「DON"T FORGET YOU ARE GOING TO DIE」という映画でも カンヌ映画祭で賞を取っている人だそうだ。映像と音の使い方が上手で 音響効果が素晴らしい。若いのに才能のある人だ。