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2010年5月31日月曜日
オーストラリア日本の調査捕鯨を国際提訴
5月28日、オーストラリアの外相ステイヴン スワンは、「南氷洋での日本の調査捕鯨を止めさせる為にオランダ ハーグの国際司法裁判所に公式に提訴する。」ことを発表した。
2007年 労働党のケヴィン ラッドが政権交代したときの 選挙公約のひとつが、やっとのことで実現することになった訳だ。遅すぎる決断ともいえるが ようやく実現することになったことを評価したい。世論調査では オーストラリア人の ほぼ100%が捕鯨に反対している。あたたかい海で出産したクジラが エサを求めて空腹の長い旅をして オーストラリアを通り過ぎて南極を回遊するときに、はるばる遠く日本からきた捕鯨船に捕まり殺されるのではたまらない。冬の晴れたボンダイの高台で クジラが潮を吹く姿が頻繁に見られる。クジラはオーストラリア人にとって天然のペットのようなものだ。海洋動物は私たちと、これから生まれてくる人たちとの共通の財産だ。長いこと絶滅の恐れがあるとされ、保護対象として討議されてきたザトウクジラやナガスクジラなどを、獲って食べるべきではない。
国際捕鯨委員会(IWC)が、この6月にモロッコで開催され、日本の調査捕鯨について 話し合いが続行される。それに先立つ4月、対立が膠着したままのオーストラリアと日本の関係を 打開するために、議長の改定案が出されていた。改定案では、日本の南極海での日本の調査捕鯨で、「捕獲枠を 年間205-410頭まで、と従来の半分以下にし、日本沿岸の捕鯨を年120頭まで許す」というものだが、これに対して日本側も、オーストラリア側も受け入れを拒否していた。オーストラリアは、一貫して調査捕鯨も商業捕鯨も認めない立場だ。
1972年、国連人間環境会議で、商業捕鯨の一時停止(モラトリアム)を米国が提案、1982年に、IWCでモラトリアムが採択された。2年後の1984年に日本が南極海鯨類捕獲調査計画を開始、以降、国際的な批判をあびながら日本は調査捕鯨という科学の名をつけた商業捕鯨を続けている。
私は 野生動物保護の立場から、商業捕鯨にも調査捕鯨にも、沿岸捕鯨にも反対だ。日本は、世界中から顰蹙をかっている「クジラを食べる野蛮人」というレッテルを返上し、捕鯨を中止し、国際社会と協調すべきだ。捕鯨ひとつのことで、国際社会から孤立している姿をはっきり認識しなければならない。そして、日本の独自文化の尊厳を取り戻し、知性ある外交での国際間のリーダーシップを持つべきだ。
調査捕鯨にも商業捕鯨にも沿岸捕鯨にも反対な理由を以下にあげる。
1)他に蛋白源となる食品が豊富な日本で 鯨肉を食べ続けなければならない理由がない。鯨肉を食べるのは日本の伝統文化だという歴史的事実はない。都市に住む多くの日本人が鯨肉を食べ始めたのは敗戦前後の食糧難の時期だった。鯨肉が日本人の蛋白源だったという歴史的事実はない。
2)和歌山県太地町、北海道網走市、宮崎県牡鹿地区など、一部の日本沿岸に残されている鯨漁は伝統的遺産であるが、現在、この地域の経済基盤が 唯一鯨漁に依存しているという事実は 全くない。
3)海は誰のものでもない。そこに、生息する野生動物を 世界の顰蹙を受けながら日本だけが 殺して食べ続けて良いとは思えない。野生動物は、殺されて人の食料となる家畜とは全く異なる。
4)殺生方法が残酷きわまる。日本側は度重なるIWCからの 殺生方法についての批判に対して、「瞬時に殺している」と弁明しているが、逃げ回る鯨をモリで突き、力尽きるまで泳がせて引き上げて、殺している。沿岸鯨漁では 岸に追い込んで一昼夜網で囲み、突き棒で一頭一頭殴り殺している。鯨やイルカなど、自由に大海を泳ぎまわっていた野生動物を、瞬時に殺す方法などあり得ない。
5)調査捕鯨予算の多くは 捕鯨した鯨を市場で売った利益で資金ぐりをしていることが明らかになっている。これでは公正で科学的な調査研究ができる訳がない。科学の独自性 独立性もない。科学と言いながらIWCが評価できるような科学的研究発表が、なされていない。科学の名を借りた悪辣商売だ。
6)鯨やイルカなど大型海洋動物は、水銀汚染されているので食用にすべきではない。厚生労働省でさえ、鯨肉の摂取は週40グラム以下にすべきだと言っている。現実に和歌山県太地町で鯨肉を食べてきた住民の毛髪から日本人平均の10倍を超える水銀が検出され、WHOの安全基準を超えていることがわかっている。危険とわかっている食物を妊婦や子供に食べさせてはいけない。
以上だ。今後の政府とIWCの行方を見守っていきたい。
2010年5月26日水曜日
カストラート 男か女か
セシラ バルトリのDVDを買ってきて聴いた。1966年生まれのイタリア人 メゾソプラノの歌手。
DVDの題名は「SACRIFICIUM」、サクリファイは、生贄とか、犠牲にするという意味だから、いけにえとか、犠牲者達という意味だと思う。テーマはカストラートで、歌うために自分の体を犠牲にしてきた歌い手が歌った数々の歌を、彼女が男装して歌っている。
個人的には セシラ バルトリが生まれながらにして女性なのか、トランスジェンダーなのか、レスビアンなのか、両性具を持った人なのか知らない。自分がどの性を選択して生きるか 決めるのは自分だけだ。男か女かどちらの性を生きるか 社会的に人々の理解と認識の幅も 広がってきた。愛のあり方も、LGBT:レスビアン、ゲイ、バイセクシュアル(両性愛)、トランスジェンダー(性同一障害者)の人々が、どんな選択をしながら生きていくか 男女に関係なく人権問題として、とらえ、人として尊重されるようになってきている。 今後、生物学的に100%女でも 男として社会的に生きていく というようなことも そしてその為に戸籍を書き換えることも許容されるようになっていくだろう。世界の動きとしては ようやくそんな方向に向かっている。だから、セシル バリトリが男でも女でもいいんだけど、本人が女性であると認識しているから、それに従う。でもDVDを観ていると、肩のいかつさ、背の高さ 平たい胸など、男のようで、かつてのカストラートの姿を彷彿とさせてくれる。 転がるような軽やかで美しい声で、とても音符のたくさんある 教会音楽の難曲を歌っている。
カストラートとは、変声期を迎える前の男の子を去勢してボーイソプラノの高音を歌う能力を維持したまま成長した歌手をいう。
18世紀前の教会にとっても、オペラにとっても、なくてはならない存在だった。はじめは 変声期前のボーイソプラノの歌手が事故か病気で睾丸を失くしたために、その後も声変わりすることなく美声を持ち続けたことが切っ掛けだったと思われる。それがイタリアルネッサンスにより解剖学や医学の発達とあいまって 安全に睾丸除去する手術が行われるようになった。
ボーイソプラノは 歌い手の体が小さいので高音が美しいが、声量がない上、持久力もない。テナーは高音が出ない。ボーイソプラノとテナーのギャップを埋める歌手が必要だったのだ。
教会にカストラートが登場したのが1599年のローマ。その後、300年間。女がしゃべったり、歌ったりすることが禁じられていた教会で、カストラートは活躍する。オペラの世界では 約200年間存在したあと、18世紀のボルテールやルソーの啓蒙運動や フランス革命による女性の進出などとともに、法的に禁止され、消えていった。
カステラートがもてはやされたピーク時には、毎年4000人もの10歳前後の男の子が 去勢されたと言われている。幼少のベートーベンは、ボーイソプラノの歌い手として類稀な才能をもっていたので、当時カストラートになることを期待されたが、作曲家だった父親は反対し、彼に楽器の名手になることを望んだ。
カストラートの中には 王家や貴族、大富豪のパトロンをもって 一代で財をなした歌手も多かった。カストラートのための音楽教育も盛んで、べカント唱法、バロック音楽のスピカート、コロラドーラなどを習い、文字通り天使の歌声といわれた。
現在私たちが発声練習に使っているソルフェージュは、カストラートを教育育成する為の教科書だ。
カストラートの第一人者は ナポリ生まれの カルロ ブロスキ(1705年ー1782年)で、彼はシニュール ファルネリと呼ばれていた。彼の音域は驚くべきことに 3オクターブ半あったといわれている。彼は 王侯貴族に愛されるだけでなく 女性からも愛された。歌うために睾丸除去されていても、性交渉には問題がなかったために、恋人もたくさん持っていたようだ。
題名は忘れたが 古い韓国の映画で、貧しい芸人の家に生まれた美声を持つ娘が 父親に薬で両目をわざと失明させられる というお話の映画を観た。健康な目を潰されたのは 見えないほうが 音楽に集中して、良い芸を身につけられるからだ。そんな風にして厳しい父親から芸を叩き込まれた娘が何年も何年も三味線をもって、旅をする。その旅の果てで同じように失明させられた弟と出会うという 哀しい哀しい話だった。
篠田正浩監督の「はなれごぜおりん」という映画も 思い出した。盲目で生まれた女達が集められ、唄と三味線を教えられて放たれる。芸を身につけた女達は 村からむらへと芸を披露しながら旅をして 一晩の宿のために身をひさぐ。叙情的な美しい映画だった。
音楽のために カストラートになったり、盲目にされたり、まことに、人々は美を求めてサクリファイしてきたものだ。
DVDの曲名は
Nicola Porpora
Come nave in mezzo all'onde
Nicola Porpora
Sinfonia
Francesco Araia
Cadro ma qual si mira
Nicla Porpora
Parto ti lascio o cara
Nobi onda
Usignolo sventurato
Riccardo Broschi
Son qual nave
Gerge Frideric Hndel
Ombra mai fu
2010年5月25日火曜日
わたしの2010年上半期 映画ベストテン
1:「終着駅 トルストイ死の謎」 原題 ザ ラストステーション
3月29日映画評
2:「剣岳 点の記」
4月24日 映画評
3:「インヴィクタス 負けざる者たち」
2月12日映画評
4:「アバター」
12月26日映画評
5:「シャッターアイランド」
3月15日映画評
6:「ハートロッカー」
2月22日映画評
7:「マイレージ マイライフ」
2月17日映画評
8:「南極料理人」
9:「アリスインワンダーランド」
3月12日 映画評
10:「蟹工船」
2010年5月22日土曜日
わたしの2010年上半期漫画ベスト10
まだ5月が終わってないのだけど、今年の上半期に読んだ漫画のなかで おもしろかった順から並べてみた。
1:「バガボンド」 井上雅彦 1-32巻
2:「聖おにいさん」 中村光 1-4巻
3:「テルマエ ロマエ」 ヤマザキマリ
4:「竹光侍」 松本大洋 1-8巻
5:「宇宙兄弟」小山宙哉 1-9巻
6:「神の雫」 オキモトシュウ 亜樹直作 1-24巻
7:「青い春」 松本大洋
8:「ちはやふる」 末次由紀 1-8巻
9:「働きマン」 安野モヨコ 1-3巻
10:「源氏物語 あさきゆめみし」 大和和紀 1-7巻
10:「ドラゴン桜」 三田紀房 1-21巻
1:「バガボンド」1ー32巻 継続中
宮本武蔵を描いた作品。この作家ほど人物描写がうまい作家は他に居ない。絵が とても美しい。ストーリーの作り方も上手だ。他の漫画家から抜きん出て居る。
宮本武蔵が切り捨ててきた 数々の剣士達、一人一人が忘れがたい。32巻まで読んだが 第一巻からしっかり記憶に残っていて 感動がよみがえってくる。
「スラムダンク」で、高校生だった当時のファンたちと共に 成長してきた作家自身が 今度は武蔵とともに成熟し、作家としてゆるぎない地位を築いた。この作品を書くと同時に、全くジャンルの違う「リアル」のような 内容の濃い漫画も同時に連載している。本当に、力量のある作家に違いない。
2:「聖おにいさん」1-4巻 継続中
とにかく おもしろい。ページをめくるごとに 笑える。
イエスとブッダが二人して 地上に降りてきて高円寺のアパートで、一緒に暮らしている。今まで作家が取り上げなかった宗教を題材に漫画にしているが けっしてブラックジョークやシニカルにはならないところが良い。若い人らしく軽快に楽しい笑いを取るところが 爽やかだ。作家が実に 笑わせる芸に長けている。
3:「テルマ ロマエ」継続中
2010年漫画大賞受賞作品。
時は、紀元前。建国から800年ローマ文化の爛熟期。
ローマ風呂の技師ルシウスは、仕事に熱心なあまり、昼も夜も考えることは風呂のことばかり。仕事熱が高じて 現代の日本にタイムスリップしてしまう。まじめな顔のルシウスが、ローマ時代から 今の日本にくるごとに、驚愕する姿が おかしくてたまらない。ローマ人の風呂好きと日本人の風呂好きが、こんなに相似点で結ばれているとは、、、。
日本の銭湯にワープして「平たい顔族」(日本人のこと)や、一枚板の鏡やフルーツ牛乳に感動する姿には笑ったが、猿が浸かっている温泉にワープしたり、個人風呂ニワープするごとに、ストーりーが広がっていく。日本の風呂に突然、ルシウスが現れるたびに 日本人が大して驚きもせず ルシウスを自然に受け入れて あれこれ世話をする姿が本物っぽくて、すごく笑った。作家は とても頭の良い人だ。
4:「竹光侍」1-8巻 完結
絵にこだわる松本大洋の作品。瀬能宗一郎は、人里離れた山奥で 幼い時から厳しい父親に剣の道を教えられて育った。しかしある日、送り込まれた刺客によって 両親を失い独りきりになる。そこで、父親の形見の剣をもって、江戸に出る。目明し(御用聞き)親分に拾われて、かたぎ長屋で 子供達に読み書きを教えて、暮らすが 次々と現れる侍や殺し屋に、関わりあうことになる。遂に、命をかけた真剣勝負をすることになるが、彼は最後まで、自分がどうして人々から狙われるのか 知らずにいる。
おっとりした狐顔の宗一郎がとても良いが いったん剣を抜くと、別人に豹変する姿など、描き方が迫力満点だ。
5:「宇宙兄弟」1-9巻 継続中
宇宙飛行士になることを夢みて 成長してきた二人の兄弟、南波六太と3歳年下の南波日々人。日々人が一足先にNASAの職員となり、日本人ではじめて月面に立つことになった。
よく出来て、素直で性格も良い日々人に比べて、何をやっても冴えない兄の六太が、がんばる兄貴の姿に、自分を投影して、つい六太を応援したくなる。
6:「神の雫」1-24巻 継続中
味わい というものに これほど深さと多様さがあるとは、、、。
これを読んでから ワインの飲み方が変わってきた。神咲雫や、遠咲一青のように、微妙な味を味わい、香りを理解することはできないが 今までよりも 慎重に味わうようになった。何となく 人物のつながりと結末はわかってきたが、これからも出てくるワインの数々を見てみたい。
7:「青い春」 松本大洋 短編集
一つ一つの短編が、それぞれ違う味で、独立しながらキラキラ輝いている。
8:「ちはやふる」1-8巻 継続中
全く興味も知識もなかった百人一首 かるたとりの世界をちょっとだけ知ることが出来て、興味の幅が広がった。「ヒカルの碁」で、碁をちょっとだけ齧り、「ダービージョッキー」で、競馬のことが すこしだけ分かるようになった。漫画で得る知識もばかにならない。
若い女の子が ひとつのことに一生懸命になっている姿はいつ見ても 好ましい。主人子の綾瀬千早が、自然体でとても良い。彼女をとりまく男の子達も、清々しい。
9:「働きマン」安野モヨコ
雑誌社に勤める女の子。編集長になって 自分の思いどうりの雑誌を作りたい。そこまで登りつめるために仕事で徹夜も平気。気のあったボーイフレンドもいるけど お泊りよりも仕事第一。若い男の新人などの何倍もバリバリ働く女の子。マスコミ界にいたことがあるから「シメキリ」の4文字の怖さを知っているし、この女の子に共感するところもある。でも、現実はもっと過激かもしれない。実際編集長を務め 男性社員を叱咤しながら働いて、さらに家族を持っている立派な女性を何人も知っている。もっともっと、本気で働く女性が漫画で描かれて良いのではないか。
10:「源氏物語 あさきゆめみし」1-7巻、完結
随分昔に 発表されたらしいが、初めて手にした。絵が美しい。光源氏の描き方に好感をもてる。
10:「ドラゴン桜」1-21巻 完結
何が何でも 教え子を東大に入学させようとする 龍山高校の桜木健二先生が 押し付けがましいが、ばかくさくて、おもしろい。
2010年5月18日火曜日
映画 「コンサート」
映画 「コンサート」を観た。ルーマニア人監督による映画。日本では「オーケストラ」という題で公開されている。どうして「コンサート」という題が日本にいくと「オーケストラ」という題の映画になるのか そのままの題では何故いけなかったのか、わからない。
監督:ラド ミハイル
キャスト
アンドレ フイリポフ指揮者:アレクセイ グスコフ
ヴァイオリニスト アンナマリ:メラニー ローレント
ストーリーは
25年前 アンドレ フィリポフは、ボリショイオーケストラの常任指揮者だった。スターリニズムの嵐が吹き荒れる頃、彼は 命令に背いてユダヤ人演奏家をオーケストラから排除せず、中心メンバーとして演奏させたことで、当局から糾弾され、職から追放された。
生活のために、今はボリショイ劇場の掃除夫をしている。
ある日 他に誰も居ない 劇場のマネージャーの部屋を アンドレが掃除している最中、ファックスが届いた。パリの シャタレー劇場からだ。そこには、ロスアンデルス フィルハーモニーが 事故のため急に来られなくなったので、代わりにボリショイオーケストラに来てもらえないか という打診だった。
アンドレは、これは神の啓示ではないか、と思い立つ。ファックスを握り締め、昔の仲間を呼び集める。アンドレと共に 解雇された演奏家達は 散々になっていて、それぞれが生活のために、汲々としていた。タクシードライバー、引越し屋、商売人、カフェ経営者などなど、、、かき集めた仲間で オーケストラを編成して、パリに行く、、、そんな夢のようなことにために、皆一致して、金策に走る。そして、いよいよ、新ボリショイオーケストラはパリに向かう。
アンドレは、パリに住む 25歳の美しい、新鋭のヴァイオリニスト、アンナ マリーに独奏を依頼していた。様々な困難を 克服して、アンドレは 何が何でも パリでアンナ マリーにチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾かせなければならない理由がある。
アンドレと アンナ マリーは一体どういうつながりがあったのか?
と、いうお話。
ファックスを受け取ってからの アンドレの燃えるようなエネルギー。コンサートの場所はパリでなければならないし、独奏者は アンナ マリーでなければならないし、曲は絶対に チャイコフスキーのヴァイオリンコンチェルトでなければならない。それでなけれな 彼の人生は完結しない。
そんなアンドレの気持ちとはうらはらに オーケストラのメンバーの お気楽さ。クラリネットも、ヴァイオリンも、フレンチホーンも、売り飛ばしてしまった 元団員が25年ぶりに、音楽を始めるのだから どんな様子か、それは笑える。田舎者でウォッカ漬けのロシア人が沢山集まって パリの街頭に出れば、どんな醜態をさらけ出すか、それも笑える。全員が リハーサルなど、そっちのけで、街頭やカフェで、演奏して小銭稼ぎに、走り回る。それで得た金で飲んだくれる。
一方では 解雇された指揮者と 両親を知らされずに育った25歳の孤独なヴァイオリニストの哀しい哀しいお話。でも、こころ温まるストーリーなのだ。見ていて、ついつられて涙が出た。でも、それは画面がどうあれ、チャイコフスキーが、劇場いっぱいに鳴り響いていたから、という単純な理由だ。
話としては、おもしろい。ボリショイオーケストラで、名声高い指揮者がいまは、掃除夫。それがパリから届いた一枚のファックスで かつての栄華をとりもどす。胸のすくような お話だ。
それに、パリ育ちの美貌のヴァイオリニスト 彼女は孤児で 何やら不遇の指揮者と関係があるらしい。ぞくぞくする謎めいた展開。
そして、音楽も良い。何と言っても チャイコフスキーの曲の数々。素晴らしい。
しかし、こんな映画を見てはいけない。時間と金の無駄だ。
ありえないお話だ。非現実的すぎる。全く、音楽をやらない人が作った 作り話だ。オーケストラを解散させられ、解雇され、生活のために楽器を売ってしまった団員達が、25年後に集まって借り物の楽器で すぐにチャイコフスキーが演奏できるわけがない。
映画では、みな団員達は飲んだくれてリハーサルさえ なしだ。あり得ない。プロでさえ、コンサート本番をひかえると、毎日5時間6時間と、練習をして、その上 何時間ものリハーサルを繰り返すのだ。本当の演奏家たちを馬鹿にしてはいけない。チャイコフスキーを愚弄してはいけない。
それと、主演女優の大根ぶりは、見るに耐えない。どうしてヴァイオリンを弾ける人を使わないのか。若く美しいヴァイオリニストは星の数よりも居る。音大に足を運んでみたら、チャイコフスキーのさわりくらい弾ける美しい女はいくらでもいただろう。それほど美しくも、名もあるわけでない女優にオーケストラをバックに独奏者としてヴァイオリンを弾く「ふり」をさせるなど、愚かで見苦しい。キラキラ星が弾けるようになった子供でさえ、この映画を見れば この女優が弾いているふりをしているだけだ ということがわかる。情けない。
こんなつまらない映画、見るべきではない。
2010年5月9日日曜日
母の日のクロエ物語
オプトメトリストをしている娘が 母の日に大きな深紅の薔薇の花束を抱えて持ってきてくれた。素晴らしく高貴な香りに、部屋中が満たされている。
獣医をしている娘から、生の声が吹き込まれている 母の日のカードが送られてきた。生後7ヶ月の赤ちゃんの声も一緒に録音されていて、楽しい。
世界でいちばん幸せな母親だと、心から思う。
その母の日の前日、失踪していたねこが 帰ってきた。二重の喜びだ。宙に浮いていた心がやっと自分の体にもどってきた感じ。シャンパンを開け、久しぶりでよく眠れた。
今年の1月19日に 愛猫オスカーに死なれた。17歳という高齢だったから、仕方がない と言えば言えるが 食べ物を受け付けなくなっても、1ヶ月近く生きて、死ぬ直前まで 甘えて膝の上に乗ってきた。最後まで美しく 愛らしい子だったオスカーを思うと 失った今でも涙があふれてくる。
その後、獣医の娘が クロエという4歳の真っ黒な猫を連れてきた。
ニューカッスルの もと飼い主は 新しく犬を飼う様になって 犬と相性の悪いクロエを手離した。しばらくは、動物病院のシェルターで 新しい飼い主を待っていたが いつまでもは待てないから、いずれは処分せざるを得ない。そんな立場の沢山居る猫たちの中から 穏やかで私たち夫婦に 飼える様な性格の猫を選んで連れてきたわけだ。
そうしてクロエは うちの新しい家族になった。
とても恥ずかしがりやで いつも押し入れや、ベッドの下に隠れている。夜になると 出てきてちょっとだけ甘えて、与えられた食事が済むと サッサとまたベッドの下にもぐりこむ。私たちが、家の中にいるときは、四六時中 私たちの足元にくっついて離れなかったオスカーに慣れていたから、クロエの態度には拍子ぬけだった。2週間たっても、クロエはあまり甘えてこない。
日曜の夜 私たちが寝室に行く時、クロエはいつも少しだけ開けてあるガラスドアから外に出て、ベランダに居た。猫は外の空気が好きだから それを気にもとめなかった。が、それが クロエを見た最後だった。
次の朝 食事に呼んでも出てこない。ベランダは、13メートルの細長い形をして、外に面していて、緑の林が真正面に続いている。その奥は6面のテニスコートが広がっている。朝 様々な鳥の声が騒がしいほど自然豊かな風景だ。アパート全体が斜面に建っているので、2階だが、4階くらいの高さだ。
とても猫が飛び降りられる高さではない。落ちたら 猫でも怪我をする。ベランダに、隙間があるので両隣の家にも、猫なら行ける。オスカーもよく となりの家のベランダに出張して行って、籐の椅子が涼しくて気持ちが良いのか、よく隣の家の長椅子で眠っていた。だからクロエが居なくなっても あまり気に留めなかった。そのうちに、おなかが空けば帰ってくるだろう と。
月曜の夜に帰ってこないので あわてた。クロエは失踪したのだ。
両隣の家族は 知らないという。あわてて娘に連絡して、クロエの失踪届けを出してもらった。オーストラリアでは すべての小動物のペットに 飼い主はマイクロチップを埋め込む義務が課せられている。失踪してもマイクロチップをみれば、飼い主がわかる仕組みになっている。
張り紙をあちこちに張り出し、クロエを見つけ次第 連絡をくれるように頼みまわる。ベランダから落ちて そのまま帰る家がわからなくなって困っているかもしれない。その日から「クロエ、クロエ」と大声で名前を呼びながら アパートのまわりや、林の中を探し歩く毎日になった。ベランダから落ちたかもしれない場所に エサを置いておくと、誰が食べるのか、翌日には なくなっている。クロエが食べたのではないだろうと わかっていながら毎朝、毎晩エサを置いておく。林の中を探し回って体中 蜘蛛の巣だらけになったりした。
300キロ離れたニューカッスルから連れてこられて2週間、、、ニューカッスルに向かって歩いているのだろうか。おなかを空かせて 車の多い道路を避けながら トボトボと北に向かっているのだろうか。野良猫に間違えられて 邪険にされたり石を投げられたり 犬に追われたりしているのではないだろうか。ゴミ箱を漁っている間に ゴミ自動車に放り込まれたりしていないだろうか。ベランダから落ちた時に ひどい怪我をしているのではないか。
アパートのとなりのとなりの家族が クロエが居なくなる前日の土曜に引越しをしていた。正確にこの人たちが いつ出て行ったのかわからないが、クロエが ベランダからこの家に入って、引っ越した時に まちがって家に中に閉じ込められたかも知れない。家の中をよく調べてください と不動産屋に依頼の手紙を出す。家のドアに耳を押し付けて 猫の声がしないかどうか、一日に何度もやってみる。
一週間は、探し回るのに必死で、他のことは何も考えられなかった。アパートの掃除の人、庭師、ゴミ集めの人、水道屋にも、探すのを手伝ってもらう。
2週間目に入って、クロエを探しながらも だんだん気落ちして夫婦共に うつ状態に入った。今思うと この時期、ヤバかった。中年の鬱、、、朝起きたくない、何も食べたくない、食べ物の味がしない、仕事に行きたくない。一月前から友達と食事に行く約束をしていたが 行く気になれず キャンセルした。キャンセルしたことで、また自分を責めて落ち込む。誰とも話をしたくない。夫婦の会話は途切れがち。
オットは クロエが居なくなった日曜の夜、ベランダにいたクロエを家の中に入れようかどうしようかと迷って そのままにした。それを自分でひどく責めている。オットと何の話をしていても、最後には、「あの時 家の中に入れるべきだった。」という言葉しか 出てこないのには まいった。
3週間目に入って、ふっきって、あきらめた。居なくなった猫を 私たちは どうすることもできない。秋になって、毎日一層寒くなった。雨に濡れながら、怪我した足を引きずりながら 痩せさらばえてニューカッスルに向かって歩いている姿が目に浮かぶ。しかし、それをふっきった。オットと久しぶりで映画を見て笑った。じゃあ、旅行に行こうか、と、先の話ができるようになった。
2週間だけうちに居たクロエが、突然居なくなって3週間。
そんな矢先、ずっと離れたクレモンの動物病院から クロエを保護しているという連絡が入った。かかってきた電話にあせって 言われたことが のみこめないまま 動物病院の住所を書き留める。娘に電話すると、娘が調べて その病院に電話をしてドクターと獣医同士で話をして、クロエが病気も怪我もしておらず、健康状態も良いことを確認してくれた。そこの動物病院のナースが 道に迷っていた猫を保護したのだという。娘のアドバイスに従って、ハードウェアに走って行って ベランダに柵を作り 網を張って、二度と猫が隣に行ったり、落ちたりしないようにした。
クロエを 迎えに行って 連れて帰る。クロエは大して嬉しそうな様子も見せず 家に着くなりベッドの下に隠れた。しかし、一安心。
クロエは無事 帰ってきたのだ。ベランダから落ちて、痛む足を引きずりながら 飢えと寒さに耐えながら北に向かって 彷徨い歩いていたのでは 断じてない。来た時と同じ 真っ黒な毛はつやつやと輝いていて、丸々と太っている。
しかし、クロエが保護されたところは、車で30分、猫が歩いて行ける距離ではない。3週間の間 誰がクロエを食べさせて世話をしたのだろう。引っ越していった若い人たちが ベランダに来たクロエを軽い気持ちで連れて行って 嫌になって外に出したところで ナースに拾われたのだろうか。謎だらけ。
クロエは何も語ってくれない。
何事もなかったように、私の膝の上で、長々と伸びて眠っている。
ねこのことは わからない。しかし、それでいいのかもしれない。母の日の 気の利いたプレゼントだと思うことにしよう。
NSW州美術館の「歌麿」
先月は、ポスト印象派の絵を観に キャンベラまで旅行してきた。いま、この絵画たちは、日本で公開されている。
私の住んでいる近所にある NSW州立美術館にも ポスト印象派の良い絵が いくつかある。州立美術館は シドニーのシテイーの中心 ハイドパークと、オペラハウスの中間にある。とても大きなヴィクトリア風の建物だ。1896年ー1909年建設。
グランドフロアに
ゴッホの「農夫の顔」(HEAD OF PEASANT),1884年
セザンヌの「マレーネ川岸」(THE BANK OF MARENE)1888年
モネの「ゴルファー港」(PORT GOULPHAR BELLE-ILE]1887年
ピサロの「農家 エナグニー」(PEASANT HOUSES ENAGNY)1887年作、などがある。なかでもゴッホの絵がとても良い。
地下2階に下りると 20世紀の絵画の部屋に ピカソの大作「ロッキングチェアーに座る裸婦」(NUDE IN ROCKINGCHAIR)1956年が、あって、輝いている。
ここで 喜多川歌麿の浮世絵89点が展示 公開されていた。日本から来たわけではなく、ベルリン国立アジア美術館所蔵作品が貸し出されてきたものだ。
写楽の描いた役者の肖像画など、その斬新な描写に魅力を感じるが 歌麿は春画のイメージが強くて、ちょっとねー、、と、避けて通りたかったが、日本びいきの友達らが、ビューテイフル、ワンダフル、マーべラス、アストニッシュ、グレイト と連発するので、行ってみてきた。
歌麿は吉原の遊女ばかり描いていたのかと思っていたら、そればかりではなくて、その時代の庶民の姿を描いたものが多いのが意外だった。
女達の顔は みな似ていて、平面的、小さな目や口で、そろって着ている着物は 襟がゆるく はだけて着崩している。男も女も共通して、なよなよして、なめくじのよう。だが、色っぽい。
描写力が実に緻密で 着物の模様、帯の刺繍の端まで はっきりと描写されている。人物描写が細かいのに 絵の背景に色がなく、白い紙に人物だけが描かれているものが多い。記念写真のように 上半身の女の絵が多く、「美人大首絵」といって、歌麿の専売特許のようなものらしい。カメラのなかった時代 彼の描いた遊女達の美人画が出版されるやいなや、その女性が吉原で売れっ子になる などの流行現象をおこしたといわれている。
印象に残った作品は
1:「絵本虫選」1788年
15ページの絵本で 狂歌の横に花や蝶や虫が描かれている。虫に、恋心をたくして 哀しがったり 喜んだり 皮肉ったりしている。それぞれの絵が緻密で、本当の図鑑のよう。狂歌の英語訳がおもしろい。英語は実用後だから、ことばに余韻も味も香りもない。
2:「煙草の煙を吹く女」1793年
大首絵といって、画面いっぱいに上半身の女を描いたもの。クローズアップされた女の 怠惰な表情が伝わってくる。
3:「お七,吉三」1800年
1683年の本当にあった江戸の大火の原因になった、八百屋お七と、吉三のお話を芝居にした時の絵。絵では ふたり仲良く並んで絵になっているが、死罪になったお七の悲劇は、娯楽に少なかった時代に 格好の芝居になって庶民の涙をふり絞ったことだろう。
喜多川歌麿の絵を観たついでに 関連の本も読んでみた。歌麿は 1806年に死去したことになっているが、墓が発見されたのが、明治35年 1902年のことだ。長いこと誰からも省みられることなく 墓を世話する家族もなかったらしく、墓の土台だけが辛うじて残っていた。そこに書かれていた記録から、死亡年月が確定されて、生まれた年が逆算され、1753年に生まれたことになった。どんな家庭に生まれて育ったのか、本人はどんな家庭を持ったのか、子供はいたのか などの事も わかっていない。
当時 文筆に長けていた教養人からは、浮世絵師は ずっと下の卑しい職業と思われていた。歌麿がどうして 浮世絵を描くようになったのかわからないが、幼いときから 鳥山石燕(1712-1288)に 弟子入りしたことは わかっている。彼は 大衆小説 黄表紙の挿絵 絵本入り狂歌 芝居絵本などの版下絵師として、生計をたてていた。
28歳で、葛屋重三郎という、版元に出会い、次々と作品を出版できて売れるようになって、30歳を過ぎてから 美人画を描き始める。
生涯に1000の美人画を描き、450の春画を描いた と言われている。江戸町人文化の華だ。
ところが、突然 松平定信による寛政の改革令が下りて 葛屋重三郎が身上半減の極刑を受ける。また1796年に浮世絵は出版禁止となる。しかしその後も、歌麿はしぶとく絵の背景に、字や絵をいれて、浮世絵とは別のものであるようにして、描き続ける。
1804年、絵本太閤記につけた武者絵が刊行されたことで、当局に「風紀壊乱」した、とされて版元は絶版没収、15貫文の罰金、3日間の入牢、50日の手鎖という重刑を受けた。徳川幕府にとって、豊臣秀吉の英雄物語の出版とそれによる庶民の人気が、時の政府の怒りをあおったのだろう。受刑のあと、歌麿は失意に打ちのめされ2年後に死んだ。
浮世絵が当局によって出版禁止になっても、描くことを止めず 圧倒的な庶民による支持を受けて、人気者であり続けた歌麿。酷刑にあい、身も心もうちやぶられて、死んだ歌麿。美人画や春画を描くことで 時の権力者にたてついた反逆児だった。
A DOG TRAINER SHOULD BE WELL TRAINED THAN DOG.
犬を訓練したかったら、犬よりは賢くなくちゃあね。とよく言う。今も昔も 権力者は 賢くなければ。それなのに、、、。
江戸時代 大衆文化の豊穣さを、少しでも お上が理解できていたら、寛政の改革や風紀取締りで、芸術家を圧殺するようなことは なかっただろう。
2010年5月5日水曜日
映画 「アイアンマン 2」
丁度、2年前の5月に、「アイアンマン」を観て とてもおもしろかったので、日記に書いた。その続編「ナンバー2」が出た。
日本では6月11日から公開されるそうだ。2008年に、世界中で興行成績5億8500万ドル(600億円)を稼いだ ヒット作品だ。
あれ、トニーは、どうしてアイアンマンになったんだっけ?と、2年前のことだから すっかり忘れていたのを おさらいして記憶を新たにするために 「アイアンマン 1」を貼り付けておく。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=796952524&owner_id=5059993
監督:ジョン ファブロー
キャスト
トニー スターク:ロバート ダウニー ジュニア
秘書 ペッパー:グウィネス バルトロー
親友 米軍大佐ジム:ドン チードル
ロシアからきた敵:ミッキー ローク
トニーの新しい秘書ブラック ウィドー:スカーレット ヨハンソン
ライバルの武器商人ジャステイン:サム ロックウェル
ストーリーは
前回、アイアンマンの大活躍によって 米国防衛の危機は回避された。自分がアイアンマンであることを名乗り出ざるを得なかったトニー スタークは、国のヒーローになって人気者スターになってしまった。いまや米国政府と契約を結ぶ大企業の経営者で、2代目の天才科学者トニーは アイアンスーツを着れば無敵の強さだ。スターク社のエキスポでは、美女達のラインダンスに花火、ど派手なステージショーでアイアンマンスーツを着脱してみせて、トムは有頂天になっている。お金があって、頭が良くて、変身できて、独身プレイボーイだから言うこと無しだ。
米国国防庁は、トニーにアイアン パワースーツを引き渡すように 要求してきた。この国家命令を拒否したためトニーは査問委員会に召喚される。しかし、トニーは 自分の企業秘密を漏らすわけにはいかない。トニーは かつて、アフガニスタンで砲丸の破片に当たって停止した心臓を、ロシアの科学者の手で 原子力を使ったペースメーカーを埋め込まれて救命されている。アイアンスーツは、そのペースメーカーが入った自分の体を犠牲にして作られたものだから、ほかの誰かに渡すことは出来ない。
一方、ロシアで一人の科学者が息子(ミッキー ローク)に看取られながら死ぬ。アフガニスタンの砂漠でトニーを救った科学者に縁のある学者らしい。息子に、アイアンマンは、おまえがなるべきだったんだ、と言って死ぬ。息子は父親の残した設計図をもとにアイアンマンのパワーのもとである原子力を使ったパワースーツを作る。その名は ウィップラッシュ。
トニーがモナコの自動車レースに出場していると、カーレースの真っ最中に ロシアからきた ウィップラッシュが出現して、次々と走ってくるF1カーを 鉄を真っ二つに切れる鞭で つぶしていく。混乱した会場は火の海となった。車から投げ出されたトニーは 攻撃を受け、すんでのところで 駆けつけた秘書 ペパーが 投げてよこしたアイアンスーツのおかげで命拾いをする。
ウィップラッシュは監獄に送られるが、ライバルの武器商人ジャステインに 身請けされて、アイアンスーツのような武器を作ることを 強いられる。強力な敵の出現だ。
そんな事情を知ってか 知らずか、トニーは相変わらず飲んだくれて、はめを外して 美女をはべらせ調子に乗っている。アイアンスーツのまま 酔ってパーテイーをぶち壊しているトニーを止めようと、親友の米軍大佐ジムは、とっさにトニーの研究室から 別のアイアンスーツをひったくって着用し、アイアンマンの大暴れをやめさせる。そんな、トニーに、みんなは すっかり愛想をつかす。
それを好機とばかり、武器商人のジャステインは ウィップラッシュに作らせた強力ロボットを多数政府に売り込む。そして落ち目のアイアンマンを潰そうと、ウィップラッシュは攻撃してくる。
トニーひとりで この危機が回避できるのか、、、。
と いったストーリー。
続きがある。映画が終わっても すぐに立たないで座っていると、「その次」の予告が入る。
新たにトニーの秘書 ブラックウィドー(スカーレット ヨハンソン)が加わった。秘書のペパー(グウィネス バルトロー)は 頭が良くて機転が利いてトニーが馬鹿をやっている間 代わりに社長代行もできる。でもタフではないのに比べて、ブラックウィドーは めちゃめちゃ肉体派で強い。二人とも 普段は ミニのタイトスカートにハイヒールで仕事しているが、いざとなるとブラックウィドーは ボデイースーツで ブルースリー並みのカンフー使いになる。ハスキーな声で、ふくよかな唇 小柄で可愛いスカーレット ヨハンソンが、今まで見せなかったアクションに挑戦している。
しかし、何と言ってもおもしろいのは天才物理学者で正義感ある男なのに 酒と女遊びに溺れ 馬鹿ばかりやってしまう調子者のトニーと、それを支える常に冷静で 利発な秘書ペパーとのつかず離れずの関係だ。だだっ子と それを懐柔するお母さんのような やりとりがおもしろい。
ロバート ダウニージュニアは もともとハンサムでもかっこよい訳でもない。若くもない。ハリウッドで長いこと下積み生活、映画ではまあまあの端役ばかりやっていた。そんな役者がアイアンマン2008年の大ヒットでいちやくトップスターになった。役者としてのそんな彼の姿と、映画の中でのアイアンマンが、今ひとつスーパーヒーローと言い切れない姿とダブって これまでにない人間的なスーパーヒーローの味を出している。姿も顔も美しいスーパーマンや、バットマンとはちがうタイプのヒーローになった。
今回の敵をやったミッキー ロークは映画「レスラー」で、何十年かぶりで映画界に帰り咲いた老練の役者。レスラーではリンクで華と散ってくれたおかげで、観客をすすり泣かせてくれた。今後も悪役ばかりで ちょくちょく顔を見そうだ。でも本当は優しい人だ、と言われても こんな人を友達にはなりたくない。こわい。
トニーが研究しているとき 設計図がスリーダイメンションでコンピューターグラフィックでとび出てくる。これがおもしろい。また、アイフォーンみたいな大きさの彼のコンピューターが、次々と情報を立体図で空間に飛び出てきたり、写真や地図が空間で見られたり、人探しなど さっさとやってくれて、機能が良い。こんな携帯電話、欲しい。
全米で、10人に一人以上の人が失業して職探しに走り回っている、出口のないアフガニスタンで毎日戦死者が出ている。不況の波は、回復の兆しを見せていない。それに加えて、自然災害。何一ついいことのない2010年のアメリカ。
だからこそ、F1カーが がちゃがちゃ衝突炎上し、ガラスでできた高層ビルがアイアンマンの一撃で ガラガラ崩れ落ち、コンクリの建物がグチャグチャつぶれ、何もかも派手に燃え上がるアイアンマン、必見かもしれない。