ページ

2010年5月9日日曜日

母の日のクロエ物語



オプトメトリストをしている娘が 母の日に大きな深紅の薔薇の花束を抱えて持ってきてくれた。素晴らしく高貴な香りに、部屋中が満たされている。
獣医をしている娘から、生の声が吹き込まれている 母の日のカードが送られてきた。生後7ヶ月の赤ちゃんの声も一緒に録音されていて、楽しい。
世界でいちばん幸せな母親だと、心から思う。

その母の日の前日、失踪していたねこが 帰ってきた。二重の喜びだ。宙に浮いていた心がやっと自分の体にもどってきた感じ。シャンパンを開け、久しぶりでよく眠れた。

今年の1月19日に 愛猫オスカーに死なれた。17歳という高齢だったから、仕方がない と言えば言えるが 食べ物を受け付けなくなっても、1ヶ月近く生きて、死ぬ直前まで 甘えて膝の上に乗ってきた。最後まで美しく 愛らしい子だったオスカーを思うと 失った今でも涙があふれてくる。

その後、獣医の娘が クロエという4歳の真っ黒な猫を連れてきた。
ニューカッスルの もと飼い主は 新しく犬を飼う様になって 犬と相性の悪いクロエを手離した。しばらくは、動物病院のシェルターで 新しい飼い主を待っていたが いつまでもは待てないから、いずれは処分せざるを得ない。そんな立場の沢山居る猫たちの中から 穏やかで私たち夫婦に 飼える様な性格の猫を選んで連れてきたわけだ。

そうしてクロエは うちの新しい家族になった。
とても恥ずかしがりやで いつも押し入れや、ベッドの下に隠れている。夜になると 出てきてちょっとだけ甘えて、与えられた食事が済むと サッサとまたベッドの下にもぐりこむ。私たちが、家の中にいるときは、四六時中 私たちの足元にくっついて離れなかったオスカーに慣れていたから、クロエの態度には拍子ぬけだった。2週間たっても、クロエはあまり甘えてこない。
日曜の夜 私たちが寝室に行く時、クロエはいつも少しだけ開けてあるガラスドアから外に出て、ベランダに居た。猫は外の空気が好きだから それを気にもとめなかった。が、それが クロエを見た最後だった。

次の朝 食事に呼んでも出てこない。ベランダは、13メートルの細長い形をして、外に面していて、緑の林が真正面に続いている。その奥は6面のテニスコートが広がっている。朝 様々な鳥の声が騒がしいほど自然豊かな風景だ。アパート全体が斜面に建っているので、2階だが、4階くらいの高さだ。
とても猫が飛び降りられる高さではない。落ちたら 猫でも怪我をする。ベランダに、隙間があるので両隣の家にも、猫なら行ける。オスカーもよく となりの家のベランダに出張して行って、籐の椅子が涼しくて気持ちが良いのか、よく隣の家の長椅子で眠っていた。だからクロエが居なくなっても あまり気に留めなかった。そのうちに、おなかが空けば帰ってくるだろう と。

月曜の夜に帰ってこないので あわてた。クロエは失踪したのだ。
両隣の家族は 知らないという。あわてて娘に連絡して、クロエの失踪届けを出してもらった。オーストラリアでは すべての小動物のペットに 飼い主はマイクロチップを埋め込む義務が課せられている。失踪してもマイクロチップをみれば、飼い主がわかる仕組みになっている。
張り紙をあちこちに張り出し、クロエを見つけ次第 連絡をくれるように頼みまわる。ベランダから落ちて そのまま帰る家がわからなくなって困っているかもしれない。その日から「クロエ、クロエ」と大声で名前を呼びながら アパートのまわりや、林の中を探し歩く毎日になった。ベランダから落ちたかもしれない場所に エサを置いておくと、誰が食べるのか、翌日には なくなっている。クロエが食べたのではないだろうと わかっていながら毎朝、毎晩エサを置いておく。林の中を探し回って体中 蜘蛛の巣だらけになったりした。

300キロ離れたニューカッスルから連れてこられて2週間、、、ニューカッスルに向かって歩いているのだろうか。おなかを空かせて 車の多い道路を避けながら トボトボと北に向かっているのだろうか。野良猫に間違えられて 邪険にされたり石を投げられたり 犬に追われたりしているのではないだろうか。ゴミ箱を漁っている間に ゴミ自動車に放り込まれたりしていないだろうか。ベランダから落ちた時に ひどい怪我をしているのではないか。
アパートのとなりのとなりの家族が クロエが居なくなる前日の土曜に引越しをしていた。正確にこの人たちが いつ出て行ったのかわからないが、クロエが ベランダからこの家に入って、引っ越した時に まちがって家に中に閉じ込められたかも知れない。家の中をよく調べてください と不動産屋に依頼の手紙を出す。家のドアに耳を押し付けて 猫の声がしないかどうか、一日に何度もやってみる。

一週間は、探し回るのに必死で、他のことは何も考えられなかった。アパートの掃除の人、庭師、ゴミ集めの人、水道屋にも、探すのを手伝ってもらう。
2週間目に入って、クロエを探しながらも だんだん気落ちして夫婦共に うつ状態に入った。今思うと この時期、ヤバかった。中年の鬱、、、朝起きたくない、何も食べたくない、食べ物の味がしない、仕事に行きたくない。一月前から友達と食事に行く約束をしていたが 行く気になれず キャンセルした。キャンセルしたことで、また自分を責めて落ち込む。誰とも話をしたくない。夫婦の会話は途切れがち。
オットは クロエが居なくなった日曜の夜、ベランダにいたクロエを家の中に入れようかどうしようかと迷って そのままにした。それを自分でひどく責めている。オットと何の話をしていても、最後には、「あの時 家の中に入れるべきだった。」という言葉しか 出てこないのには まいった。

3週間目に入って、ふっきって、あきらめた。居なくなった猫を 私たちは どうすることもできない。秋になって、毎日一層寒くなった。雨に濡れながら、怪我した足を引きずりながら 痩せさらばえてニューカッスルに向かって歩いている姿が目に浮かぶ。しかし、それをふっきった。オットと久しぶりで映画を見て笑った。じゃあ、旅行に行こうか、と、先の話ができるようになった。

2週間だけうちに居たクロエが、突然居なくなって3週間。
そんな矢先、ずっと離れたクレモンの動物病院から クロエを保護しているという連絡が入った。かかってきた電話にあせって 言われたことが のみこめないまま 動物病院の住所を書き留める。娘に電話すると、娘が調べて その病院に電話をしてドクターと獣医同士で話をして、クロエが病気も怪我もしておらず、健康状態も良いことを確認してくれた。そこの動物病院のナースが 道に迷っていた猫を保護したのだという。娘のアドバイスに従って、ハードウェアに走って行って ベランダに柵を作り 網を張って、二度と猫が隣に行ったり、落ちたりしないようにした。

クロエを 迎えに行って 連れて帰る。クロエは大して嬉しそうな様子も見せず 家に着くなりベッドの下に隠れた。しかし、一安心。
クロエは無事 帰ってきたのだ。ベランダから落ちて、痛む足を引きずりながら 飢えと寒さに耐えながら北に向かって 彷徨い歩いていたのでは 断じてない。来た時と同じ 真っ黒な毛はつやつやと輝いていて、丸々と太っている。
しかし、クロエが保護されたところは、車で30分、猫が歩いて行ける距離ではない。3週間の間 誰がクロエを食べさせて世話をしたのだろう。引っ越していった若い人たちが ベランダに来たクロエを軽い気持ちで連れて行って 嫌になって外に出したところで ナースに拾われたのだろうか。謎だらけ。

クロエは何も語ってくれない。
何事もなかったように、私の膝の上で、長々と伸びて眠っている。
ねこのことは わからない。しかし、それでいいのかもしれない。母の日の 気の利いたプレゼントだと思うことにしよう。