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2008年7月29日火曜日

ツアー デ フランス表彰台にチベットの旗




7月17日の日記「北京オリンピックは踏み絵か?」で触れたが、ロードバイクの世界競技 ツアー デ フランスが、7月27日に終了した。

この日曜日、21日間 バイクでアルプスの山々3500キロメートルを走り続けてきた選手達が パリ凱旋門を通り抜け シャンゼリゼを走りぬけてゴールに達した。

21日間の縦走には、事故がつきもので、タイヤのパンクや転倒事故など 幾度も繰り返しながらの競技が続いた。100キロ近くのスピードで山を下る途中勢いあまって山道から転げ落ちたり、道路を横断していた犬にぶつかって自転車を壊されたり、道路わきの応援の人に妨害されてスリップしたり、転倒に巻き込まれて、何十人もが通行不能になったり、せっかく凱旋門目前のところでタイヤがパンクして、走るのを断念せざるを得なかった選手もいたし、自転車の座席がはねとんで無くなって ずっと立ち姿で走破した選手もいた。手足の骨折は言うに及ばず、頭蓋骨骨折の負傷者もでた。

ツアー デ フランスはそんな21日間を耐えながら スピードを競う ものすごく過酷な競技だ。 これにオーストラリアのカデロ エバンス31歳が、出場し、快走していたが、遂に第2位を獲得した。
途中、報道陣の車にひっかけられて、転落事故で怪我をして、走りながら 止血スプレーを使っていたこともあったし、他国の攻撃的なチームによる 露骨な妨害にあったりしながらも、よく快走してくれた。

彼は 「FREE TIBET」「チベットに自由を!」という文字を編みこんだ靴下を履いて走り続けた。ユニフォームのジャージーの下には チベットの旗がプリントされたシャツを着ていた。
そして、その姿で、表彰台に登ってくれた。

第1位のスペインのカルロス サストレとの時間差 58秒。

カルロ エバンス あなたが誇らしい。
チベットの旗をパリの表彰台に乗せてくれて ありがとう。
うれしくて、言葉もない。

2008年7月28日月曜日

和太鼓 「TAO」



九州から 和太鼓パフォーマンスグループ「TAO」がやってきて、太鼓を叩いて見せてくれた。
パフォーマンスのタイトルは、「マーシャルアート オブ ザ ドラム」。ステイトシアター A席 $80.

和太鼓を叩いている若い人たちが 九州で共同生活をしながら 体を鍛えて技を磨いているが、ヨーロッパ公演で非常に高い評価を受けている、という話は聞いていた。いつか聴きに行ってみたいと思っていたが初めて その機会に恵まれた。

会場に行ってみると、3分の1は子供なので、驚いた。スクールホリデイも終わったのに、土曜とはいえ真冬の夜の劇場に 親に連れられて きちんとした服を着た子供が沢山 集まってきているなんて。みな、空手キッズだったのだろうか。 シドニー大学で柔道を教えている人がいて一般の人も入会できて流行っている、とか、シテイーに空手の道場ができたとか、日本人会でボランテイアで剣道を教えている人がいるとか 聞いていたが、それ以外にも中国人や韓国人が武道を教え始めて、ハリウッド映画の影響もあって東洋のマーシャルアートは 知らないうちにかなり広く深く浸透しているのかもしれない。

でもそんな シドニーの古武道ファンにも 和太鼓を打つ大変さまでは あまり わかっていないのではないだろうか。 和弓をやっている 友達のことを 話していたら、「あー知ってる。アーチェリーね。高校のときやったわ。楽しいよね。」とか言われてしまって拍子抜けしたことがある。和弓はアーチェリーとは 材質も大きさも全然異なる。スポーツというよりも、精神鍛錬がメインで、もう ほとんど哲学の世界なのを、西洋人に理解させることは難しい。 和太鼓も、見てきたよ、と言うと、「あー 僕は去年アフリカの太鼓とダンスのショーをカジノで観たよ。」とか、「ウン、私はリオのカーニバルで太鼓とダンス見た。」とか言われて、こういった 世界の叩けば簡単に音がでる太鼓と 和太鼓とは全然違うのだと 自分が叩いたことがないので ちゃんと説明できなくて、もどかしい。

それにしても、力強いパフォーマンスだった。8人の男性と5人の女性、みな はつらつとして エネルギーの塊のような若い人たちが 自分の体よりも大きな太鼓を飛び上がって全身を使って叩く姿や、13人が 音も大きさも違う太鼓を 一斉に叩くと地響きがするほどで 大変な迫力だ。女性たちの横笛も、上手だったし、琴も弾いていた。踊りながらシンバルやタンバリンまで出てきたが、その上 全員が太鼓を叩くのだ。男性陣も 時には笑わせたりしながら 力強く太鼓を叩いてくれた。

最初の出しもので、もう13人全員がエネルギーを使い果たしてしまっって、こんなで、最後までみんな体がもつだろうか、と心配してしまった。本当に力強い。それと、いかにも日本人だと思ったのは、一糸乱れず 全員がよく統制がとれて、小さな間違いひとつない、完璧なパフォーマンスだったところ。すみずみまで訓練が行き届いていて、気持ちが良い。プロフェッショナルに徹したショーマンシップが、潔い。

ヨーロッパ、アメリカ公演で 高く評価されたわけが良くわかる。 最後の方で、一人のパフォーマーが、マイクを持ってジャパニーズイングリッシュで挨拶したが、「みなさんに拍手され、喜んでいただける限り 太鼓を続けていきます。」という意味のことを言ったんだけど、言葉が足りなくて、観客は、拍手をすれば いつまでもアンコールに応えて太鼓を叩いてくれるのかと誤解して、最後、アンコールのあとも、拍手が止まなくて、舞台の人たちは、ちょっと困ってしまう というシーンもあった。あとになってみれば これもご愛嬌。

若い、立派なミュージシャンたちだった。
貴重な日本の文化遺産 後継者達ともいえる。

2008年7月23日水曜日

映画 バットマン 「ザ ダーク ナイト」



映画「THE DARK KNIGHT 」を観た。
クリスチャン ベール主演の「バットマン ビギンズ」の続編。前作と同じく、クリストファー ノーラン監督。150分。コミックの映画化だ。全米で、封切りされた最初の週のうちに 1億6千万ドルというハリウッドの新しい売り上げレコードを 更新した。一日で 売れたチケットでも 最高金額を記録したそうだ。

オーストラリアでも上映開始と同時にスクールホリデイにも重なり、大人気だ。私のいつも行く映画館では、同時に2つの館で1時間ごとに 上映して、客を捌いていた。こんなに人気なのは、オーストラリアが誇る男優、ヒース レジャーが出演した最後の映画、遺作でもあるからだろう。映画を観た誰もが ヒース レジャーが良かったと言い、28歳というあまりに早すぎた死を惜しんでいる。 私は過去10年来 ヒース レジャーが好き、この俳優は とんでもなく本物だ、と言ってきたが、同調したり 同感と言ってくれる人は全く いなかった。今年になって、彼が事故死してやっと 人々が彼の役者としての価値に気ずいてくれた感がある。どうして、「ブロークバックマウンテン」のとき、アカデミーをあげなかったのか。もう遅いのに。 バリウム(鎮静剤)と一緒に テマゼパン(睡眠剤)と、エンドン(鎮痛剤)を飲んで 副作用で呼吸が抑制されて そのまま眠ったまま亡くなってしまった。余程 頭が痛かったんだろう、疲れて眠りたかったんだろう、と思い、また 翌朝 起きて役者としてやりたいことが沢山あっただろうに、と思う。

ヒース レジャーのジョーカー役はぴかいちで、冴えている。精神分裂症で人を殺したい、出来うる限り悪事を働いて人々を苦しめたいという欲望だけで生きているジョーカーの姿は本当に恐ろしい。どんどん殺して、燃やして 破壊する。頭が良くて、ゴッサムシテイーの警察や市長などより 頭脳ゲームでも勝っている。みんなが束になってかかっていっても 相手にならない。互角に戦えるのは、バットマンだけだ。それでいて、ジョーカーは後姿がやけに悲しい。激しく市長やッ警察を笑い飛ばしながらも 虚無的な目をしている。以前の ジャック ニコルソンのジョーカーよりも 私はヒース レジャーのジョーカーが怖くて良いと思う。

遺作なのでヒース レジャーのことばかり語っているが、この映画の主役は 勿論 クリスチャン ベールだ。彼の美しい顔が、バットマンの仮面にこんなによく似合うとは思ってもみなかったので前作「バットマン ビギンズ」では、ショックを受けた。クリスチャン ベイルも 役者魂のかたまりのような すごい俳優だ。2004年の不眠症の男の話「マシニスト」では、体重を35キロ落として、文字どうり骨と皮になって、熱演していた。ボブデイランの役を、「アイアム ノット ゼア」でしたときは、ギターを抱えて、ゴスペルを熱唱して、本物よりも感動的だった。カンボジアの捕虜になった兵士を演じたときは 20キロ体重を落とし、飢餓を生き抜くシーンで本当に カメラを前に蛆を食べたそうだ。バットマン、ヒーローでは、しっかり筋肉のついた立派な体をみせてくれる。役のために これほど体を作ることから こだわって徹底する役者は 彼の他にいそうにない。

クリスチャン ベイル演ずる ブルース ウェインは、大富豪、ハンサムで独身。パーテイーに 自家用飛行機を操縦して ロシアのプリマドンナや 売れっ子モデルを飾りに引き連れて、にやけている。だが、本当は仮面を被って 悪を退治する正義の味方。執事(マイケル ケイン)と、忠実なメカニック(モーガン フリーマン)の力を得て、地下に バットマンとして戦う為の兵器工場をもっている。幼くて両親を目の前で強盗に殺された彼にとっては、 一緒に育った従兄弟のレイチェルだけが 彼の心を潤してくれる存在だ。

マイケルケーンの執事がとても良い。こんな品格のある人に子供のときから見守ってもらってきたブルース ウェインは幸せだ。メカニックのモーガンフリーマンも はまり役。こんな 名優二人に がっちり脇を固められたクリスチャン ベールのバットマン、、、 これ以上の配役は考えられない。前回のレイチェルは ケイト ホームズだったが、今彼女は トム クルーズの奥さんになって二人の子供のお母さんになってしまったので、今回はちょっと彼女に似ている マギー ジーレンホールがレイチェルをやっている。
バットマンの バズーカ砲が当たっても壊れない車体の低い車や、車から分離して走り出すバイクや、コンクリートも透視できる眼鏡や 様々な武器や、さらにパワーアップしたバットマンスーツも健在、そうしたものの宝庫の地下室には わくわくする。

でも今回のヒーローは 初出場の ゴッサムシテイーの地方検事、アーロン エッカートだ。「ノーリザベーション」で、キャサリン ゼタジョーンズ共演の姿を初めてみて、若いロバート レッドフォードそっくりな姿に目が離せなくなったが、良い俳優だ。検事はゴッサムシテイーを悪から守ると、真正面からジョーカーに宣戦布告したため、ジョーカーから徹底して痛めつけられる。愛しているレイチェルと共に誘拐され、レイチェルを失うことによって 狂ってしまう。半身 焼け爛れて鬼のようになった アーロン エッカートの迫真の演技も、すごい。夢に出てきて うなされそう。こわい。 一方、バットマンはレイチェルが当然、自分のたった一人の理解者で自分の妻になるべき人だと思っていたが、、、というお話。

バットマンのクリスチャン ベール、ジョーカーのヒース レジャー、執事のマイケル ケイン、メカニックのモーガン フリーマン、警察署長のゲイリー オールドマン、地方検事のアーロン エッカート、、、これだけの豪華俳優をそろえたバットマンはもう二度と作れない。

ストーリーでは、まだジョーカーは健在で、今のところ、バットマンに勝利はない。でも、ヒース レジャーなしで、この続きが 作れるだろうか。そう思うと、空前の売れ行き、ハリウッドで売り上げ最高記録というニュースが 悲しく聞こえる。

2008年7月22日火曜日

映画「UP TO THE YANGTZE」


「揚子江は海のような大きな河だからね。イルカもいるし、鯨もくるんだよ。潮を吹きながら川面から飛び上がったり 沈んだりする姿は それはそれは美しい光景だったよ。」と叔父から子供のときに聴かされた。そんな大きな河を見ながら育った叔父は なぜか他の 東京で育った叔父や伯母達に比べて 心の大きな、広い知識をもった 雄大な人だったような気がする。

長江は 揚子江とも言うが、中国で一番長い大きな河だ。その上流地域で四川省奉節県から延びる3つの峡谷を、三峡という。長江をはさんで、両岸が切り立っていて 景観が良い。この地方に生息していた猿は、独特のつんざくような激しい鳴き声をたて、それがこだまして幾重のも重なる山々の間を縫っていったという。

李白
早発白帝城            
朝辞白帝彩雲間    朝に辞す 白帝 彩雲の間
千里江陵一日還    千里の江陵 一日にして還る
両岸猿声啼不住    両岸の猿声  啼いてやまざるに
軽舟己過万重山    軽舟 すでに過ぐ 万重の山

朝早く 朝焼け雲のたなびく白帝城に別れを告げて 三峡を下り
千里も離れた江陵の地に たった1日で帰って行く
その途中、両岸の猿の鳴き声が絶え間なく聴こえていたが、
その声を振り払うように私の乗った 小船はもう
幾重にも連なる山々の間を通り抜けていた。(石川忠久 訳)

25歳の李白が始めて故郷を出るときの 感傷的な歌だ。

世界最大の水力発電所が この長江(揚子江)を堰き止め、三峡をつぶして造られている。200万人の家庭が 水の底に沈んだ。プロジェクトは1994年に始まり、2011年に完成する。すでに200万人の家や土地やその生業を失った人々は 政府の指導に従い 移住先に移っていった。政府はそれを、沢山の人の為の 小さな犠牲と称した。

せき止められ沈んでいく3つの美しい渓谷は、李白のいた昔から景観地だ。今や、ダムのために沈んでいっていって、失われていく「古き良き中国」を見せる為に、観光客が呼び寄せられている。10人程度の観光客を乗せた 手漕ぎボートから、バーやレストラン完備の豪華客船まで、海外からの観光客を乗せて遊覧している。その客船の名は、「FAREWELL CRUISE」昔の中国への「お別れ航海」だ。澄んだ水、山々の美しさ、、、にも関わらず、すでに、水からは 白い靄が湧き上がり、遠くの空は かすんでいる。開発によるスモッグだ。 中国の近代化は 世界への均一化であり、3000年の歴史も伝統も人々の優しさも すべて飲み込んで 何の特徴もない都市造りに向かっている。

映画「UP TO THE YANGTZE」を観た。邦題は、まだわからないが、「揚子江を上る」か。 このドキュメンタリーフィルムは カナダ生まれ モントリオールとニューヨークで映像を学んだ中国人、YUNG CHANG監督によって 作られた。サンフランシスコ映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞。カナダバンクーバー国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を獲った。ナレーションといい、人々の表情を捉えるカメラワークといい、会話も自然で秀逸。 二人の若者の姿を通して、自分達の住んでいたところが沈んでいく様子と、中国の近代化のありようが よく描かれている。

16歳のYU SHUIは 文化大革命のときに下放されて何の教育も受けられなかった文盲の両親から生まれた3人兄弟の長女。両親は沈んでいく川岸の小屋を建て とうもろこしを植えて 出稼ぎの土木作業をしている。水道 電気のない小屋での生活は不潔極まりない。それでも沈みつつある家は子供たちにとっては スイートホームだ。政府の役人に裏金を渡すことの出来ない彼らに 約束された移住先はない。YU SHUIは身一つで、観光産業の花形である豪華船の皿洗いの下働きとして雇用される。あいさつひとつできない無学の家庭から来た貧しい娘に 職場は決して暖かい受け入れ先ではない。しかし 序じょに彼女は仲間から学んで、一人前のサービスガールになっていく。

一方、同じ時期にボーイとして雇われたBO YUは 一人っ子政策の行き渡った中流家庭に一人息子として育った。背が高くハンサムで英語も話せる、おまけに両親親戚から猫のように可愛がられてきた。アメリカ人が落としていくドルのチップに狂喜して、世界はもう自分の為にある と思い込む。しかしチームワークで仕事が出来ないとして、解雇されていく。

船のなかでの マネージャーによる英語教育、、、まじめな顔で、「オールドとか、ぺイル(青白い)とか、ファット(でぶ)とか 言ってはいけません。」などと言っているのが笑える。しかし、急ごしらえの外見だけ豪華で 内容の貧しい中国側のサービスに気がつかないまま 豪華船で豪華な食事に舌ずつみをうって満足している外国人観光客の姿も かなり笑える。


沈み逝く景観、すでに沈んでしまった300万人の人々の生活のありよう、こういった 愚かな政策に泣く人々の心の痛みと嘆き、失って二度と取り戻すことの出来ない自然への挽歌を、若い監督が 冷静でかわいた視線で映像化することに成功した。たぐいまれな、優れたドキュメンタリーだ。

2008年7月17日木曜日

北京オリンピックは踏み絵か?



北京オリンピックに参加する すべてのオーストラリア代表選手達は、中国政府を批判するような所持品を持っていた場合 中国入国禁止、ただちに強制送還になるという。


チベットの旗がプリントしてあるTシャツを着ていたり、鞄に入れていただけで、選手としてオリンピックに参加できなくなるだけでなく、強制送還すると。 沢山の競技選手たちは スポーツに強いだけでなく、常識も兼ね備えているから、当然のことながら、ユニフォームの下に 「チベットに自由を」 とか、「民主主義を守れ」 とか、「殺すな」 と プリントされたシャツを着て 競技に参加するだろう。それが 個人の自由で、憲法で守られた表現の自由というものだ。チベットの旗が印刷された持ち物を持っているだけで、入国禁止とは なんという横暴、時代錯誤。民主主義というものが一切定着していない中国という国家の恥をさらすようなものではないか。

中国政府 並び、中国オリンピック協議会は、チベットを踏み絵にしている。
中国のチベット政策に 賛成している競技者でないと オリンピックに参加させないという。これでは、オリンピックで競技をするということは、チベットを弾圧し、チベット文化の尊重を訴える人々を虐殺し、民主化を圧殺することを支持するという意思表示をすることになってしまう。

ダライ ラマをはじめ、チベットを民主化するための運動してきた人々は、チベットの独立を叫んでいるわけではない。チベット独特の文化と宗教を尊重し、民主的な 自治を望んでいるだけだ。そういった人々を中国政府は軍の力で押さえつけ 圧殺してきた。チベット民主化を望む人々は 外国人でも、北京オリンピックに参加できない という中国のポリシーは、間違っている。

1936年のベルリンオリンピックは ヒットラーが、ドイツの国威を 世界中に見せつけるために、開催された。ファシストのヒットラーでさえ、中国の今回のような 愚かな 「踏み絵」 など、しなかった。中国はとてもとても恥ずかしい国だ。


現在、ロードバイクの世界競技である、ツアー デ フランスが行われている。ランス アームストロングが、癌を克服しながら7連勝した記録がある自転車競技だ。21日間、3500キロメートルの アルプスの山々をバイクで 走りぬけるとても過酷な競技だ。
オーストラリアの、31歳の、カデロ エバンスが、快走している。水曜日は 競技中マスコミのオートバイに引っ掛けられるという事故で、転倒し怪我をしたのに、翌日は区間で最高記録を更新した。

彼は、バイクのユニフォームの下に、チベットの旗と、民主化運動を支持するメッセージを印刷されたシャツを着て、走っている。
彼が誇らしい。
がんばれ、エバンス!!!
優勝してくれ。
チベットの旗を表彰台の上に乗せてやってくれ。

2008年7月14日月曜日

タンゴ ファイヤー



もしも あなたの前にダブルボタンの三つ揃いスーツにソフト帽 目深に被ったクラーク ゲーブルが5人も立って、ウィンクしたらどうだろう。クラーク ゲーブルがわからないならば、アントニオ バンデラでもいい。保障してもいいが、私だったら、たちどころに失神する。
そんな舞台を観た。
アルゼンチン ブエノスアイレスから来た ダンサー達が踊るタンゴを観にいってきた。タンゴ世界チャンピオン ジャーマン コルネオを代表するアルゼンチンダンスカンパニーによるショー。 ロイヤルシアター。A席 $80.
5組のダンサー
Germann Cornejo & Carolina Giannini
Nelson Celis & Yanina Fajar
Meuricio Celis & Ines Cuesta
Cristian Mino & Jougelina Guzzi
Sebastian Alvarez & Victoria Saudelli
歌手
Pablo Lago
ザ バンド カルテット
Violin : Maecelo Rehuffi
Acordion : Hugo Satorre
Base : Gerardo Scaglione
Piano : Gabriel Clenari 
10人のダンサー達は歌手とバンドを連れてきたが、この音楽家達 4人とも めっぽう若くてハンサムで演奏の仕方もダイナミック、地元ではひっぱりだこの人気グループだそうだ。
全員黒髪の長髪をオールバックにして、だぶだぶのズボンに、黒の三つ揃い、ソフト帽をかぶった伊達男の代名詞みたいな姿の男のダンサー達のセクシーなことと言ったらない。タンゴのリズムに合わせて 踊る男達の足さばきがみごと。女性ダンサーがハイヒールで踊る足と足の間に、ひょいひょいと足を入れながら 女性をリードしていく。 女性達は 3インチというから7.5センチの高いハイヒール、これが一番女性の足が美しく見える高さだそうだが、その靴で飛んだり はねたり 転がったり 滑ったり、もうアクロバットのように踊るタンゴに目を見張りどうし。 彼ら、日本にも何度も行ってステージに立っているそうだ。
タンゴはもともと中南米で、貧しい人々の間で 決まった形のないダンスとして形作られていたものだ。4拍子の強烈なリズムさえ 踏襲していれば ステップは自由自在にカップルごとに あるいはリードする男性次第に 変形しても良いという。 「タンゴというのは 女の気持ちをそそらせて、そそのかし、誘惑し、惑わすための踊りです」と、タンゴ 世界チャンピオンの、ジャーマン コルネオは言う。彼のパートナー カロリナ ジャニー二は 「女は男の情熱と興奮を感じながら、服従したり反発したりするけど、その男と女のやり取りを 見ている人たちと共有できるような舞台にしていきたい」と 舞台の前に言っている。
10歳のころからタンゴを踊ってきたというダンサーたち。トウシューズで踊る クラシックバレエが一番苦しい訓練を強いるダンスだと思ってきたけれど、タンゴも楽じゃないみたい。 絶対まねはできないけれど、また 観にいくだけならばオッケー大賛成。 
そんな 舞台だった。

2008年7月13日日曜日

シドニーは戒厳令


ワールドユースデイで、ローマ法王べネデイクト16世が シドニーにもうじき到着する。
7月17日から21日までシドニーい滞在して世界の若者達の祭典でミサを行う。イベントは 7月14日から21日までくりひろげられ、世界各国から 12万5千人、国内から10万人 の人々が シドニーに集まってくる。 これについては、可哀想な馬にことよせて、6月16日の日記で書いた。

いま、空港では沢山の若い人々が 続々と大きなリュックを背負って 到着しては、引き受け先の学校とか教会とか軍の施設に向かって散っていっている。町を歩くと 地図を片手にした若くてちょっと良い顔をしているが ちょっと垢抜けない感じの若者達が たくさん歩き回っている。ほとんどの人は 真夏の国からきて、シドニーのひどい寒さに ショックを受けたはずだが、嬉しそうにしている。 オーストラリアのどこを見て帰るの?というテレビニュースのマイクを向けられて、「オペラハウスとグレイトバリアーリーフとエアーズロック」と答えた青年、、、シドニーのオペラハウスと、クイーンズランドのグレイトバリアーリーフまでは飛行機で2時間半の距離だし、逆方向のアリススプリングは3時間のフライト、3つを見るためには1週間では足りないと思うけど。

会場のランドウィック競馬場では レースコースがつぶされて、とんでもなく大きな舞台が出来上がっていて 信じられないような沢山の椅子や簡易トイレが設置されている。 神が7日間で世界を造られた、アダムの肋骨の一部からイブが造られた と主張されても、私は困らない。人がこんなに複雑な細胞からできているので 進化して自然淘汰などを経てひとりでにできあがったとは思えない 神によって造られたとしか説明できないとして、進化論を否定し、科学の時間にダーウィンの進化論を教えず、聖書の科学性を教える私立学校が沢山あっても良い。ローマ教皇ヨハネパウロ2世は 進化論を認めたうえで しかし人の魂は神が造ったと折衷案で落ち着かせた。しかしいまだにカトリックの右派やイスラム教の保守派は 進化論を否定している。

ひとそれぞれ、違う考えがあっても良い。私達は自分の信じていることや考えていることが、それを反対している人たちも、たくさんい居るということを知っている。否定しようと むきになってかかってくる人々や、黙殺したり、抹殺しようとさえする人々がいることを知っている。時として、本当に抑圧を跳ね除けなければならないけれども、大抵は 反対している人々とも、一緒に仲良くやってける。それが社会というものだ。

ニューサウスウェルス州の知事、モーリス イエマは、イタリア人でカトリックだが、民意に反して ワールドユースデイの期間中 警察の権限強化を命令した。期間中の、イベントへの妨害、反対行動、参加者にたいする不快行動も、すべて取り締まるという。イベント参加者にたいして不快感や不便を感じさせた場合、警察が介入し 命令に従わないものは 拘束や、$5500の罰金を課せられる という。これでは戒厳令ではないか。

期間中 カトリックの祭典に対して、反対行動やデモを何故してはいけないのか。憲法で保障されている、人間の表現の自由は どうなのか。
カトリックのいう避妊や中絶に対する見解に反対する人々は多い。カトリック牧師による 少年への性的被害は数え切れない被害者を出してきた。
ワールドユースデイのためにレイオフされたホテル従業員、この1週間シテイーが交通規制されるため、強制自宅待機されている沢山の短期雇用者、パートタイマー、競馬場を明け渡した為 仕事を失った馬のトレイナー達、この期間学校閉鎖され行き場のない子供達、シテイーの病院が閉鎖されて遠くの病院に行かなければならない人工透析患者達、車が一斉規制されるシテイーのたくさんの劇場も、客が来られない為に影響が大きい。

ワールドユースデイに世界から集まってきている若者達は、自分の信条が正しいと信じるだけでなく、それに反対意見を持っている人たちが世の中には沢山居るのだということを知らなければならない。人は真空管のなかだけで生きていくことは出来ない。沢山の違う意見と出会って 考える機会に恵まれなければならない。だから、反対者を圧殺してはいけない。

ローマ法王が来るというだけで、警察の権限を強化させた知事、人として恥を知りたまえ。

2008年7月8日火曜日

映画「シルクロードの子供たち」




映画「CHILDREN OF THE SILK ROAD 」を観た。
オーストラリア中国合作映画
監督:ロジャースポッツウッド(RPGER SPOTTISWOODS)
俳優:ジョージ=ジョナサン リース マイヤーズ(JONATHAN RHYS MEYERS)    
    チェン=チョー ユン ファー(CHOW YUN FAT)    
    マダム=ミッシェル ヤオ(MICHELL YEOH)    
    リー=ラダ ミッシェル(RAHDA MICHELL)

ストーリーは、
1937年の中国。
日本軍の占領下にある中国に、オックスフォードを卒業したばかりのイギリス人ジャーナリスト、ジョージ ホッグ(ジョナサン リース マイヤーズ)が、赴任してきた。
当時、戦時下にあっても、外国人と一部富豪家だけの租界と呼ばれる退廃した上海(シャンガイ、SHANGHAI)の空気に飽き飽きした、ジョージは、本当の、戦争の姿を報道しようと決意して、前線の医療品を運ぶ赤十字のトラックを運転して、単身、南京(ナンジン、NANJING)に入る。

南京では日本軍による住民大虐殺が行われている最中だった。ジョージは 瓦礫となった元新聞社ビルで、隠れて記事を書き、虐殺の模様を写真に撮る。そこを、日本軍に逮捕され、写真を撮った罪で 処刑されるところを、コミュニストのゲリラに救命される。隊長のチェン(チョー ユン ファ)に出会い、ジョージとチェンとは、親友となる。

日本軍の圧政下、国民軍勢力と、チェンらのコミュ二スト紅軍とが入り乱れ、行き場のないジョージは、紅軍と行動を共にしていたオーストラリア人の赤十字看護婦 リー(ラダ ミッシェル)に紹介された孤児院にたどり着く。破壊された古い学校には、60人の男の子ばかりの孤児が住んでいた。ジョージはたった一人の大人として、孤児たちのシラミだらけの体からシラミ退治をし、学校をきれいに整頓し、清潔な服を着るように指導する。執拗に反抗を繰り返す年長の孤児を巻き込んで、畑を耕す。

町に住む富豪マダム ヤンは(ミッシェル ヤオ)は大規模な貿易商を経営しているが、麻薬の売人も している。彼女のささえによって、孤児たちが作った野菜を、米に替えることができて、やっと生活の基礎ができる。壊れた発電機を修理して電気を点し、ジョージは英語を少年達に教える。

しかし、ここにも日本軍が町にやってきて、学校を兵舎として接収し、少年達を兵として受け渡すように 要求されて、ジョージは 夜の闇にまぎれて、60人の少年達を連れて 安全な避難先を求めて、出発する。 数百マイル先の 四川省を越えて、ゴビ砂漠を越えて、重慶(ションクイン、CHONGQING)の先、LUZHOUというところまで、避難して、古い寺院に落ち着く。しかし、ジョージはここで、小さな怪我から破傷風にかかって、亡くなる。と言うお話。

本当にあったことだそうだ。
地図で見ると なるほど雪の山々を越え、ゴビ砂漠を越えて、万里の長城の西の果てまで、大変な距離だ。 これを、歩いて、少年達と、走破した努力は並みではない。ジョージが死ぬ前に、破傷風患者独特の硬直した口で、ふりしぼるように、僕は運が悪かった、本当に運が悪かった、と、言う姿が哀れだ。本当にジョージは死を前にして、無念だったろう。 オックスフォードを卒業したばかり、戦争の現場から、戦争の本当の姿を世界の伝えたい真正直で エネルギーにあふれた青年の生と死の物語だ。60人のシラミだらけで、無法化した孤児院で、まともに攻撃してくる年長グループに、傷だらけにされながら、年少者のために シラミを退治し、黙々と部屋を整頓し、畑を作る。若いが教育者そのものだ。

ある意味で、イギリス人でオックスフォード出身でなければできなかっただろう。昔から、イギリス階級社会では、エリートのケンブリッジやオックスフォード出身者は 国の中枢機関に直接入るか、インドなど国外で外交を経験することが出世の道だった。イギリス人の冒険家 探検家精神は、7つの海、6つの大陸を支配下に入れたいイギリス人のエリート意識の表出、一種独特の国民性といえる。

それにしても己の正義感に従ったために、日本軍圧政下の中国で、60人もの孤児を連れて避難先を求めて、中国の西の果て、国境近くまで徒歩で走破することになった青年の志は、本当に死ぬまで変わらなかった。立派な人だ。

監督は述べている。 この実際にあった出来事を映画にしようと、6ヶ月、撮影場所を探して旅をしている間に、ジョージ ホッグのことを、しっかり憶えている 沢山の当時の孤児達に出会った。これが映画をどうしても仕上げなければならない、という決意を固めるきっかけになった。

2時間20分の大作。
中国奥地の山と河が例えようもないほど 美しい。カメラマン:ZHAO XIAODING.
映画の最後に出てくる、当時の孤児たちの笑顔がとても良い。

2008年7月7日月曜日

映画「アンフィニッシュ スカイ」


オーストラリア映画「UNFINISHED SKY」を観た。邦題にすると「果てしない空」とか「終わりなき空」か。

監督:PETER DUNCANは、社会派の監督。
俳優:WILLIAM MCINNES    MONIC HENDRICKX    DAVID FIELD

ストーリーは、
クイーンズランドで牧場を経営しているデビッド(ウィリアム マッキネス)は、妻子を早産のときの事故で亡くしてからは、一人きりで生活してきた。典型的なオーストラリアの牧場で、隣の農家まで 何キロも離れている。一人で、羊を囲い、新しい牧草地に移したり、トラクターで小麦を作っている。いつも、ブルーヒーラーと呼ばれる牧用犬が一緒だ。孤独だが、平和な生活に満足している。

そんなある日、突然ふってわいたように はだしで、重傷を負って 泥にまみれた女がデビッドの土地にたどり着いたとたんに 意識を失う。デビッドは いやおうなく、女を家に連れてきて 洗って泥を落とし、寝かせて、傷の手当てをしてやる。意識を取り戻した女は 怖がって逃げようとするが、デビッドが自分を助けてくれたのであって、自分に危害を与えた男達とは違うことを悟る。デビッドは女がアフガニスタンから来たことがわかるが 英語を一言も話せない違法移民らしい女に関わって責任をもつ気など全くない。

しかし、デビッドは 町に出てみて、女を捜している男達に会って、自分の町の男達が女を人身売買する違法行為に手を貸していることを知り、女を匿ってやらざるを得なくなる。女は 長い一人暮らしで荒れ果てた家を ピカピカに磨き上げる。畑を手入れして、男の為に料理を作り、心を開いて、デビットに寄り添ってくる。
女は 自分の娘が 他の家族に引き取られて、オーストラリアに移民したので、それを追って 娘を取り戻しにきたのだった。デビッドは娘を探し出してやることを、約束する。孤独な魂が求め合うように 二人は愛し合うようになる。

しかし、ある夜、女の売買に関わっていた男達が悪に手を染めた警官と やってきて彼らを襲い、、、 というお話。

1998年のオランダ映画「THE POLISH BRIDE」のリメイクということだが、オーストラリアの社会派の監督が 前作よりずっと、上手に撮っている。

どこまでも続く青い空、赤い土。 果てしない土ぼこりの赤土がが続くなか、カーボ-イハットに、ジーンズ、ロビーウィリアムのブーツを履いた ごっつい男、その大きな背中、、これぞ、まさしくオージー男だ。可哀想な女を救う 強い男は無口で無骨な男だが 根は優しい。クイーンズランドあたりで牧場やっている男の典型みたいで すんなり納得できる。 孤独な牧場主と、移民の女という設定が良い。

自分の両親または自分がオーストラリアでなく外国生まれ、と言う人がオーストラリアの人口の43%を占める国、オーストラリア。民族の るつぼと言って良い この国で なかでも最も保守的な牧場主。彼の英語を一言も話せない女との出会いが おもしろい。
しかし、牧場主の外国人に対する差別と偏見が、自分の町の男達が正しくない人身売買に手を染めていると、知ったとたんに 正義の目覚めて、弱いものを守ろうとする 男の潔さ。男が無口なのが良い。

乾いた風の音が聞こえてくるような、干草のにおいが鼻をかすめるような、オーストラリアの土埃が感じられるような 映画だ。
こんな映画を観た後は、今夜は、レモンを齧って、テキーラで一杯だ。