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2024年11月17日日曜日

委縮する脳

人は、手術台に乗って腹を開けてみれば、肌の白い人も黒い人も、黒髪の人も金髪の人も障害者も健常者も、内臓はみんなおんなじピンク色。心臓の大きさも誰でもさほど変わらない。だから、人は外見でなく内面に価値がある。
そして
人は、病院で生まれ病院で死ぬ。だから、医療従事者は差別なく誰の命も等しく大切にしなければならない。
おまけに、
人は誰しも歳を取れば脳が委縮して認知障害をもつ。
これは
1977年にナースの資格を取って、74歳になる今も、医療現場で働いている私の日々感じている実感だ。
私の父は、70歳まで早稲田の政経学部で教壇に立って、学生達を本当に可愛がった。若い人から慕われて満足な人生を送ったと思うが、最後の頃は実在しない人と会話して、見えない人と一緒に幻の世界に入ってしまうことが多かった。壁に向かって大声で嬉しそうに会話したり笑ったりする姿は、なかなかの迫力だった。

その父を、自分の弟の息子だった故に、実子同様に育てた経済学者の大内兵衛は、あれほど学問の人で、敬愛される人格者だったのに、晩年はひとり、話しかけても答えず、1日中ただ座って目の前のテレビを見ているだけの人だった。

いま、高度医療つきエイジケアに勤めていて、職場にはアルツハイマー病、癌末期、重度障碍者、経管栄養、経管尿、人工肛門、腎臓透析、糖尿病など複数の診断名を持つお年寄りが50人いる。多くが80歳以上なので、18年間勤めてきた間、数えきれない入所者を見送った。入所者のほぼ全員が自分では食事と排泄ができない。そしてほぼ全員が認知症を発症していて異常行動も起こすことも多い。
認知症による問題行動、混乱、ヒステリー、徘徊、盗み、暴力、譫妄などは、そういう人がいるのではなくて、風邪や尿路感染や、鬱病などを契機に問題行動が出る。トイレに座り込んで便をこね回して遊んだり、他の入所者やスタッフを殴ったり、何でも口に入れてしまったりする異常行動は、一つ一つ対策を考えて対処する。

NSW のクーマという街の老人ホームで、95歳の入所者が2本の刃物を振り回して徘徊しているので、困ったスタッフが警察を呼んだ。やってきた警察官が抵抗するおばあさんにテーザー銃を撃って転んだところ、打ち所が悪くて亡くなった、という事件が起こった。裁判で係争中だが、一般世論は、屈強な警官が可哀そうな年寄りを殺した殺人事件として報道されている。が、事はそれほど単純ではない。認知障害で譫妄を起こしている人は、予想外の暴力性と、普段の姿からは想像できないほど、何かに取りつかれたような強い力がある。その怖さは経験しないとわからない。
ただ今回の事件では、老人ホーム入居者が、簡単に台所に忍び込んで刃物を持ち出せた、ゆるい管理だったことは、責任を問われなければならない。95歳のおばあさんは以前も老人ホームを抜け出そうとして、止めようとした職員にけがをさせている、という。よほど家に帰りたかったのだろう。もっと家族も年寄りと、入所について密に話し合うべきだったろう。ただ家に帰りたかっただけのおばあさんも可哀そうだが、テーザー銃を撃った若い警官も、世間の非難を一身に浴びて気の毒だ。これがトラウマになって自分の人生を壊すようなことがないと良いと思う。

人は年を取り、様々な体の変化を体験する。自分が年を取り脳血管が詰まったり、脳神経の伝達に障害が出たり、脳が委縮したために、どういった症状や、異常行動が出てくるのかは誰にも予想ができない。
だから自分の脳がちゃんと働いてくれているうちは、そのことに感謝して、できるだけ良き人でありたいと思う。

ジャガランダが満開のシドニー、右がハーバーブリッジ、左がオペラハウス。