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2024年9月3日火曜日

みんなお家に帰りたい

18年余りシドニーで、老人特別介護施設でナースとして働いている。癌末期、MS、アルツハイマー病、精神分裂病、人口経管栄養、筋ジストロフィ、人工透析、先天的身体障害など多種多様な患者をケアしている。ナースの仕事は主に、疼痛対策のモルフィネ投与、点滴注射、経管栄養、尿管管理、傷の手当などで、アシスタントナースが行う、食事、排せつ、シャワーなどの世話がスムーズにできるようにマネージする。それらを記録、報告するとともに患者家族との連絡も大切な仕事だ。
老齢の患者は、多くがアルツハイマー病や譫妄も併発していて異常行動が出る。歩き回ってじっとしていられない、スタッフや他の患者に暴力をふるう、机や家具をたたいて大きな音を出す、夜中じゅう意味不明の言葉を発する、着せてもすぐに裸になってしまう、食べ物を探してゴミ箱をあさる、性的な嫌がらせをする、など色々あるが、それを記録してスタッフと話し合い対策を考える。

この施設が病院と違うところは、ここが人生の終着駅だということだ。入口はあるが、出口は葬儀車の通用門だけ。どんなに華々しい豊かな人生を送った人も、つまずいて酒とドラッグでボロボロになった人も、お金もちも、貧しい人も、ハンサムで鳴らした人も、障害を持って苦労を重ねた人も、みんなみんな、カバン1つ持って入所してくる。
だからスタッフは、患者たちを自分の家族の一員のような思いで受け入れる。わたしが見送った人はの数は限りない。

すこし昔のことになるが、53歳で交通事故にあい、5歳以下の知能になってしまった人が忘れられない。もと農場主で大きな体をしているのに歩くのも走るのも、その表情も5歳の男の子のまま、わたしが出勤するのをドアのところで待っていて、入っていくと飛び上がって喜んでくれる。仕事中もずっと離れない。書き物をしていると、のぞき込む表情など5歳児そのものだった。眠れないときはベッドの横に座ってララバイを歌った。でもあっけなく感染症で遠くに旅立ってしまった。
歩行器でやっと歩けるおじいさんが、どうしても外出したいと言って聞かない。家族も友人もいない人なので、仕方なくスタッフの1人を付けて、思い通り外出させた。夕方おそく歩行器に2つの袋を下げて帰ってきた。うれしそうに1つの袋を別のスタッフ、もう1つを私に。中身はビスケットだった。そんなことのために大騒ぎを起こして街に行った優しいおじいさん。その頭の中では、自分が昔所有していた工場で、良く働いてくれる女工に甘いものを1つ、ご褒美に渡してやる、というような気持だったのだろう。

面会時間が過ぎると出入口に鍵をかけるが、それを見てパニックを起こす患者もいる。鍵をかけられ、閉じ込められて「もう家に帰れない」ではないか。みんな家に帰りたい。
それで私から鍵を取り返そうとした譫妄患者に、壁まで押されて首を絞められたことがある。また、何が契機か、怒って重いイスをかざしてスタッフを追い回す患者に手を焼いて警察を呼んだことも1度や2度ではない。済んでみれば笑い話だが、なかなかナースは危険な仕事でもある。

みんなお家に帰りたい、という。その家は、80歳90歳の患者たちが施設に来る前に住んでいたアパートや、結婚相手を失くして1人で住んでいた家ではない。自分が両親や兄弟と暮らしていた子供だったころの家だったり、結婚したばかりの幸せだった頃の家だ。だからみんな帰りたいお家はもうない。私にできることは、お家に帰りたいと泣く患者に「明日になったら一緒に行こうね。」「何色のお家だったっけ。」と話を聞いて、寝かしつける事だけだ。
わたしも、娘たちが独立して家庭を持ち、夫を見送り1人暮らしになって6年。東京から沖縄、レイテ島、マニラ、オーストラリアと移り住んできた。じきに老化して脳が委縮するだろうが、そのとき自分が帰りたい家はどこだろうか。願わくば、可愛がっていた沖縄生まれでマニラで逝った愛犬が,ちゃんと待っていてくれて迎えに来てくれると嬉しい。

I am singing [ Home Sweet Home] written by Henry Bishop.
Japanese lyric by Tadashi Satomi.