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2024年1月18日木曜日

尊厳死法:VOLUNTARY ASSISTED DYING ACT

尊厳死
発案から20年近くの論議の末、オーストラリアニューサウスウェルス州(州都シドニー)では、1年半の施行までの期間を経て「自殺ほう助法案」が合法化された。
これでオーストラリア6州全州でこの法が合法となったことになる。2017年にはビクトリア州(州都メルボルン)、2019年に西オーストラリア(州都パース)2021年には、南オーストラリア(州都アデレード)、クイーンズランド州(州都ブリズベン)、同年タスマニアでも同法が施行されている。
この法は「VOLUNTARY ASSISTED DYING ACT」と言い尊厳死を意味する。クリスチャンやモスリムは、自殺を罪と考えるので法に反対の人も多いだろう。ローマカトリック教会フランシスコ教皇は、「自殺ほう助は医療倫理から逸脱していて容認できない。」と言い、アラブの国々では討論することさえタブーだ。
しかしすでにオランダ、イタリア、オーストリア、スペイン、ルクセンブルグ、フランス、コロンビアなどでも法として機能している。

オーストラリアでは尊厳死の条件は厳しい。
1)18歳以上で市民権か永住権を持っていて1年以上その州に住んでいること。(タスマニアでは3年以上)
2)余命6か月と診断され延命が耐えがたい苦痛であること。
3)2人以上の医師の合意
4)医療側からは提案しない。あくまで本人の意志を尊重する。
5)自己投与か、医師又は看護師の手を借りるかは本人の選択。
6)アルツハイマー病と診断された患者には適用されない。
法が施行され尊厳死された方々の集計をみると、47%が女性、平均年齢71歳、77%が癌患者、87%が自宅での死を選んだ。

私は尊厳死法に賛成。人は生きる権利と、死ぬ権利があると考える。私が看護師の資格を取ったのが1976年。半世紀近く資格をもち、日本に居た時はジャーナリズムの世界で編集記者、フィリピンではバイオリン教師をしていたが、オーストラリアに来てからは20年あまり看護師をしている。74歳のいまも医療現場で働いていて、見送った患者の数は数えきれない。
人はどんなに恵まれた贅沢な暮らしをしていても、病気になって痛みを自分でコントロールできなくなったら、専門職のケアを受けて残りの人生を歩むことになる。自分が勤める施設にも沢山の末期癌、MSなどの神経変性疾患、難病、COPD(閉塞性気管疾患)患者がいて、患者と医師と看護師とが一団となって痛みを止めるための長い闘いに挑戦する毎日だ。定期的にモルヒネを打つ以外は、患者はなるべく普通の人と同じ生活をして、朝にはシャワーを介助され、朝食、モーニングテイー、昼食、アフタヌーンテイー、夕食をとり、その合間に体操、ゲーム、映画会、絵画教室、バス旅行などのアクテイビテイに参加してもらう。

法の施行後、入院患者は治療効果のない終末時に自分はどうしたいか、自分の意志を明記するようになった。最後の最後まで病院で近代医療技術を駆使して延命したいか、最大限の鎮痛剤で寿命が自然に尽きるまで痛みと戦うか、あるいは、愛する人たちに囲まれて安らかに旅立つ、尊厳死をするか、と言ったチョイスを明記する。100人100様の生き方があり、死に方がある。患者がどんなチョイスをしようが、最後の最後まで希望をもって生きるように看護する。見送る時は完全に息が止まるまで手を握って語り掛ける。それが務めだ。
生きる権利と死ぬ権利、、、悩み続け、考え続ける事を止められない。
それは誰にでも訪れることだ。



2024年1月15日月曜日

SEMITIZM + ZIONISM

セミチズムとシオニズム(SEMITIZM&ZIONISM)
例えば欧米では子供に人道主義を教えるとき「アンチセミチズムは許されません。ユダヤ人を差別したり差別言葉で侮辱することを社会は許しません。」と厳しく教育する。そういった基礎教育を受けてきた子供たちは、ユダヤ人が紀元前のローマ時代以前から差別され、見下され、ゲットーに囲い込まれ、まともな職業につけず何十世紀もの間、民族差別を受けてきた末に、ナチズムによって民族浄化ジェノサイトの災難を受けてきた存在であることを、繰り返し教えられてきている。
私の娘たちもインターナショナルスクールで小学校から厳しくアンチセミチズムの教育を身に着けてきた。
セミチズムとはセム語を話す人、ユダヤ人、ユダヤ教に対する差別、敵意、憎悪、迫害、偏見によってユダヤ人を排阻することを言う。
発音が似ているが、混同してはならないのはセミチズムとシオニズム。シオニズムはかつてユダヤ教エホバがいたエルサレムの丘に、自分たちの民族国家を作ろうという思想、ユダヤ人ナショナリズムのことで、19世紀の終わりから1948年までの、イスラエル国家独立国建設の動きをいう。このユダヤ人ナショナリズムの動きを支えるのは唯一絶対の創造神エホバだ。他の神々は間違っているのであって、唯一正しいユダヤの民は選ばれた者としてユダヤ人だけの国家を建設する。

この思想は、パレスチナとの2国家共存という国連決議での約束は無視し、パレスチナ占領、避難民を封鎖する暴挙をもたらせた。現在も1948年の建国だけで終わらず、シオニズムは領地の拡大、多民族ジェノサイトといった前代未聞の強力なレイシズムの動きを見せている。わたしはシオニズムを憎む。どんな思想も、25000人のパレスチナ人を殺す理由にはならない。無抵抗の避難民、女性子供の命を奪う理由にならない。
ユダヤ人の命が、パレスチナ人の命の20倍も価値があると信じるような民族主義は絶対に間違っている。そのような思想を良識ある人は恥じるべきだ。

イスラエルのネタ二ヤフはいくつもの汚職と腐敗した金権政治で起訴されていた。軍の力を強化し司法の持つ力を制限する法案を議会で発議して数万人の反対デモで政権が揺らいでいた。選挙で再選されることはあり得ないと予想されていた。選挙前の人気取りのためには、どうしてもユダヤ人は一致団結して民族的ナショナリズムを高揚させる必要があった。これがハマスによる10.7攻撃だった。みごとにユダヤ人は懐柔された。
いま国連のアントニオグテレス事務総長が イスラエルを批判して即時停戦を訴えようが、南アフリカが国際法廷にイスラエル軍によるジェノサイトを告発しようが、ユダヤ人のナショナリズム高揚を鎮静化することができない。

米国のバイデンは、イスラエルの最強支持者となり武器支援に奔走し、国連ではほとんどの国が望んだ停戦決議に反対している。そのために国連は、停戦への動きが取れない。バイデンも今年10月の選挙に勝つために、強いアメリカを見せつけなければならない。よぼよぼ歩いて小声でぼそぼそ語り、副大統領に何一つ重要な仕事をさせず、再選は不可能と言われながら、選挙に勝つために自分の居場所にしがみついている。
民主主義を形作るための「選挙」のために、世界でネタニヤフとバイデンという、2人の男が無慈悲で凄惨な戦争を続けている。自分たちの強欲のために、2人のエゴのために世界中が泣いている。こんな民主主義で良いのか?

I am singing [Tear in Heaven] by Eric Clapton. Eric made this song after he lost his 4 years old son.
エリッククラプトンの歌を歌ってみた。彼が4歳の息子を亡くした時に作った曲。意訳は以下
  もし僕が君に天国で会えたら   僕の名前を言えるかい   もし僕が天国で君に会えたら    同じように居てくれるかい   僕はこのままでいるように 強くならなくちゃ   だって僕はまだ天国に行けない
  もし僕が天国で君に会えたら  僕の手を握ってくれるかい   もし僕が君に天国で会えたら   僕が立ち上がるのを手伝ってくれるかい   昼も夜もどうやって生きていくか探さなくちゃ    だって僕はまだ天国に行けない
  時間は僕をぶちのめし  立っていられない   僕の胸は張り裂けて ああどうか  どうか、と嘆いている
  ドアの向こうは平和だろうね
  天国では涙なんかないよね

2024年1月9日火曜日

映画「オッペンハイマー」GG受賞

今年のゴールデングローブ賞では、監督賞をクリストファー ノーラン、作品賞では彼の「オッペンハイマー」が受賞した。
原子爆弾を世界で初めて開発した理論物理学者オッペンハイマーの半生を描いた映画だが、日本では拒否反応が強く公開が遅れた。彼は原爆実験の成功で一躍国の英雄になったが、ヒロシマ ナガサキの被害の甚大さを見て、以後の水爆開発に関わることを拒否したため、国からは裏切り者、コミュニスト、ソ連のスパイというレッテルを張られて生きた。映画は物理学者の半生を描いた作品であって、日本の映像も日本人も全く出てこない。

日本では敗戦間際だったのに原爆が落とされて壊滅的な被害を受けた、人道的見地に立って米軍は謝罪すべきだ、という人がいるが、原爆投下によって太平洋戦争が終わったというのが、世界の定説になっている。異論も沢山あるだろう。しかし原爆投下の前、1945年7月26日、何度も米国から勧められていたポツダム宣言を鈴木貫太郎首相は、「ポツダム宣言黙殺、戦争邁進」と世界にむけて発表している。
この時点でニューギニアでは第18軍10万人の日本兵士のうち9万人が餓死していた。この時点で沖縄では6月23日すでに戦闘は終わり、牛島満司令官は、さっさと責任放棄してハラキリ自殺していたが、住民は投降すれば、敗残兵に後ろから撃たれ、隠れていた洞窟は火炎放射器で焼かれていた。東南アジアのジャングルで兵士は、餓死するか、武器なしで死ぬための万歳攻撃を命令されていた。
日本軍は中国人と軍民合わせて1100万人、インドネシア、フリピンなどアジアで800万人の人々を殺してきていた。7月26日の時点で誰一人降伏、敗戦を言っていない。「ポツダム宣言黙殺、戦争邁進」の命令は、原爆が投下されたあと8月15日に大本営天皇が玉音放送するまで続いたのだ。
原爆投下は、繰り返し勧められた無条件降伏を拒否し戦争を長引かせた大本営天皇に責任がある。

いま2つの戦争が拡大するばかりだ。ロシアア、ウクライナ戦は終結できず、イスラエルは国際法無視、国連無視でガザへの凄惨な攻撃をし、ガザのみならずレバノン、シリア、イランへと戦火を拡大している。これほど人道に反するドローン攻撃、白リン弾、クラスタ―弾を使いまくる近代戦はこれまでなかった。
なぜ停戦が受け入れられないのか。
米国もNATOも、ウクライナを支えきれなくなっている。ゼレンスキー大統領は個人私財をたっぷり貯めこみ、腐敗した武器商人と化した取り巻きによって現状を保持することにしがみついている。
イスラエルはハマスによる攻撃を格好のエサにしてパレスチナ人の居住地を占領し、パレスチナ人を国から追放しようとしている。いま何故停戦できないのか。権力者による私利私欲が先に立っている。武器が武器を呼んでいる。

この映画でトルーマン大統領が原爆投下を決断したとき「 マイボーイズ バック、一刻も早く戦争を終える。僕たちの息子たちを一刻も早く帰国させたい。」というセリフがある。どうして日本の大本営天皇は、マイボーイズを平気で餓死させ、自分のために死ぬことばかり命じて、家に帰してやることを望みもしなかったのか。マイ ボーイズ バック!そしていまこそ、即時停戦、核兵器廃絶、軍縮を。