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2023年9月21日木曜日

リビアの人々を地獄に突き落としたのは誰か?


今月9月10日リビア北西部では、大雨と洪水によって2つのダムが決壊して、約2万人の人々が亡くなった。一昨日は被害救済に後れをとる政府に業を煮やした人々が暴動を起こし、市長宅が放火されるなど暴力行為が横行している。

私が学生だったころ、1960年代終わり頃から70年代にかけては、キューバではフィデロ カストロ首相(1926-2016)が、リビアではムアンマル カダフィ大佐(1942-2011)が国政を掌握していた。
カストロもカダフィも国の「英雄」だった。カストロはキューバを植民地の圧政から独立を勝ち取り、カダフィは27歳で王政を倒した。どちらも、政権を取った後、国民に納税の義務はなく、無料の義務教育と、無料の医療制度を提供する国を作った。2人とも今までになかった真に民主的で平等な新しい国作りをする熱意を持った革命家たちだった。 リビアには豊富で高品質の油田と、天然ガスがある。カダフィはその後、42年間、直接民主主義のアフリカで一番安定した国を築いていた。

リビアでは、もともと首都トリポリのある西部と、ベンガジ東部地域の間には部族間の対立があった。しかしカダフィはアラブ系の西部とアフリカ系の東部を統合し、部族間の差別を解消し、過激派イスラムのシャイアローを否定して、女性の権利を保護し、アフリカでは最も民主的な国家として安定させた。
リビアは国の90%は砂漠だが、カダフィは大規模な灌漑、治水事業を展開、砂漠式農業、河川事業によって砂漠の緑化を成功させ、自国民の食料が安価で自給できるシステムを作り出した。人々が革命後、飢えなかったのはカダフィのおかげだ。リビアはアフリカで幼児死亡率が最も低く、平均寿命は一番高く、国民の25%が大学の学位を持つ誇り高い人々の国だった。

そのリビアに欧米諸国が侵略を始めたのが、2011年3月。
カダフィに不満を持つ反政府グループが、ベンガジに集結すると、旧植民国イタリアとフランスに押された国連安全保障理事会はリビア軍が反政府グループを攻撃できないように飛行禁止区域の指定し、フランス軍が戦闘機でリビア軍を攻撃始めた。ドイツ、ロシア、中国、インドなどの反対を押し切って、フランス、英国、米国が駆逐艦でミサイル攻撃をして本格的な戦争を始めた。そしてカダフィ大佐は敗れ、殺害される。

リビアのベンガジ周辺に埋まっている油田と天然ガスの利権を奪うことが目的だった。またリビアの英雄カダフィを自由にしておくと、彼の大きな構想:アフリカを一つの連合体としてまとめ、金本位制の世界経済を作る計画を、欧米諸国は潰してしまう必要だあったからだ。
カダフィが殺害されたとき、手をたたいて無邪気に喜び合うヒラリー クリントン国務長官(当時)と、バラク オバマ大統領の様子がフイルムに収められ、ジュリアン アサンジのウィキリークスから提供されている。

まず42年間リビアに安定した国家を築いていたカダフィを2011年に殺害すべきではなかった。世界一の油田と天然ガスを持ち、ダムで砂漠を緑化し、アフリカ全体の自立を夢見たカダフィが作った社会主義国を、欧米は侵略すべきではなかった。
露骨な欧米によるリビアの国の分割支配がなかったら、このような災害は起きなかった。ダムを作り人々を飢餓から救ったカダフィが居たら、ダムも補修され洪水で簡単に決壊するようなことはなかった。これはリビアを侵略し、分割し、2つの政府を作り上げ、オイルの利権を奪った欧米諸国による人災だ。
殺害しておいて、奪っておいて、いまになって「2万人の命が失われたので、募金しましょうという」などという欧米諸国、ヒラリー、オバマ、国連、慈善団体、、、。どの口が言うか!

「浜辺の歌」を歌ってみた。林古渓作詞、成田為三作曲
I am singing [ HAMABENOUTA] ](Song of Sea Shore) Lyric by Kokei Hayashi, composed by Tamezo Narita.
In the early morning. Wandering on the sea shore. Remind my memory of old people. Sound of wind. Clouds gather and lift. Waves are surfing and breaking.
In the evening. Walking at the sea shore. Recall my memory of the old days. Waves are surfing and breaking. Repeatedly and endlessly. the moon is shining. The stars are twinkling.