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2022年7月26日火曜日

自民党独裁政権、いつまで

むかし米通帳というものがあった。各家に1枚ずつ配布されて世帯主、住所が明記され身分証明書代わりになる公文書だった。それをもって米屋に行くと、必要な分だけ精米してくれて米を買うことができた。18歳で大学入学と同時に父親と争い家を出たは良いが、米を売ってもらえなくて、あやうく飢えるところだった。地方から来て下宿している友人達から食物を分けてもらったりしたけど。戦後生まれのベビーブーマーだが、米は今のように自由に買えなかった。自民党は農業が基幹産業だったときに、農政によって農家からの支持基盤を獲得してきた。人々は日々の米まで自民党に管理されていた。
農業から製造業に国の基幹産業が変化すると、高度成長によって利益を得た経営者など富裕層を、税制によって支持を得て、法人税を下げ、消費税を上げて、正規労働者を制限し非正規労働者を主体にして格差社会を作り上げてきた。
戦後日本の政権は、ほとんど自民党が一党独裁政権を保持してきたと言ってよい。日本で労働者が、その労働を報われたことなど一度としてなかった。常に分断され、長時間勤務と低賃金に晒されてきた。さらに自民党は、心の平静を求めて宗教に救いを求める人を信者に取り込み収奪してきたのか。何と罪深い政党か。宗教を収奪の手段にしてきた自民党の、構造を変えない限り再生はない。
琵琶湖周航の歌を歌ってみた。京大ボート部員だった小口太郎作詞、吉田千秋によって作曲された京大の寮歌。1941年金沢第4高等学校(今の金沢大学)のボート部員と京都大学のボート部員,11人が、琵琶湖で遠漕訓練をしていたときに、ボートが転覆し全員が亡くなった。当時強風が吹き荒れ濃い霧がかかっていて、学生たちは泳ぐ方向を見失い、互いに助け合おうとしたために、溺れたのではないかと言われている。現在でも京大ボート部は、3泊4日で琵琶湖を大津市三保ケ崎から今津彦根を経て161キロを1周するのを伝統行事にしている。
I am singing [ Boating Biwa Lake] composed by Yoshida Chiaki and written by Oguchi Taro who was one of Kyoto University boat club member. On the April 1941, 11 university students drown and lost their lives while the boat had turned upside down by violent blowing wind and cold thick mist. Despite such a tragedy, this song is loved by people, as a college song