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2022年2月17日木曜日

ジミーチンとマックスロウの「TORN」

                  

ジミーチンは世界一優秀なドキュメンタリーフイルム製作者だと断言できる。
2015年「MERU」でヒマラヤ未踏峰の、6250Mの絶壁「シャークフィン」に初登頂し、その過程を、登りながら撮影して見せてくれた。2019年には「FREE SOLO」でカルフォルニアヨセミテ国立公園に聳える岩壁「エルカピタン」初の単独フリー登頂をフイルムにして、その年のアカデミー長編ドキュメンタリー賞を受賞した。

今回ジミーが監督をしていないが、彼の撮った莫大なフイルムが提供されて、登山家アレックスロウの息子、マックスロウが「TORN」(伝説の登山家ー亡き父を追って)というドキュメンタリーフイルムを作った。とても感動的で、貴重なフイルムだ。しかしそれを紹介する前に、ジミーチンの過去の2作についても説明しておきたい。

「MERU」(メルー)2015年
ヒマラヤ山脈中国側のメルー中央峰、6250Mの難攻不落の岩壁「シャークフィン」の世界初の登頂記録。ジミーチン、コンラッドアンカー、レナンオズタックの3人が成功させた。3人は、2008年に頂上あと100Mのところで、登頂を断念している。総重量90キロの荷物を担ぎ、2台のカメラと機材、8日分の食料とともに17日間登り続け、悪天候と雪崩にあいながら、岩肌にビバーグしていたが、テントを強風で壊され、燃料も食糧も尽きて、世界初登頂 の記録をつくる寸前のところで、下山を決断した。このときの失望感が大きすぎて3人とも、もうこの山に戻ることはないと思ってきたという。その後、ジミーチンは別の山で雪崩にあい、600Mの距離を130キロのスピードで山から落下して大怪我をする。レオンオズダックは、スピードボードの事故で頸椎骨折、再起不能の車椅子生活を言い渡される。またコンラッドアンカーは長年のザイルパートナーで親友だったアレックスロウと、ヒマラヤ登山中に雪崩にあって亡くし、自身も怪我を負う。3人3様の事故で大きな傷を負うが、2008年の失敗を乗り越えて2011年、3人は厳しいトレーニングの末カンバック、再びシャークフィンに集まり、世界初登頂を成し遂げる。このときのドキュメンタリーフイルム。ただただ感動する。


「FREE SOLO」(フリーソロ)2019年
アカデミー長編ドキュメンタリーフイルム賞受賞
単独登山者アレックスオ二ルドが、カルフォルニアヨセミテ国立公園の中にある「エルカピタン」と呼ばれる1000Mの絶壁を、パートナーもザイルもハーケンもカラビナも使わずに、たった一人で登頂する姿を撮ったドキュメンタリー。
1インチに満たない岩の尖がりに足をかけ、3本の指でつかんだ岩のくぼみに全体重をかけて登っていくアレックスも神経を集中しているが、少し離れた横で重機材を担ぎ撮影するジミーチンも決死の覚悟で撮影している。かつて誰も成功したことがなかった単独登攀の撮影中、二人とも滑落して、その瞬間をとらえたフイルムだけが残される可能性もあった。手足のうち、3点を確保しながら登るのロッククライミングだが、両手を必要とするカメラワークを続けるには、高度な山岳技術がいる。また8000M級のヒマラヤなどの撮影では氷点下20度で、分厚い手袋を外せば瞬時に指が凍って血が通わなくなるところを、ジミーチンは手袋を取ってシャッターを押す。山岳登山家としての経験と高度な技術をジミーはもっている。他の人には真似できない。ひょっとすると彼のような、勇敢な製作者はもう二度と表れないかもしれない。


「TORN」(伝説の登山家ー亡き父を追って)2021年
監督マックスロウ
アレックスロウと、コンラッドアンカーは伝説の登山家だ。スーパーヒーロー、カリスマ登山家として山岳界で次々と新記録を更新した。二人は兄弟以上の強い絆で結ばれていた。しかしアレックスは1999年9月、チベットシシャパンマで雪崩にあって亡くなる。一緒だったコンラッドも雪崩で埋まったが、怪我をしただけで生き残った。
亡くなったアレックスは生前、家庭を持たないコンラッドをいつも羨ましがっていた。家に閉じ込められると、怒りと苦しみで手がつけられなかった、と妻は言う。いつも冒険していないと気が済まない。雪崩にあって亡くなる前の日、テントでアレックスはコンラッドに「長男の誕生日にデイズ二ーランドに連れて行けなくて自分は悪い父親だと思ってる。」と語っていた。アレックスが亡くなって、彼の息子たち、10歳のマックス、6歳のサニー、3歳のアイザックが残された。

アレックスの家族は長い間、コンラッドと家族のように親しかったから、コンラッドは、自分だけが生き残った罪悪感からアレックスの妻を支え、3人の息子たちが飢えないために、アレックス以上に家族の世話をする。クリスマスをディズニ―ランドで過ごし、アレックスの影のように、アレックスに成り代わってベストをつくすうち、自然と愛情がはぐくまれ、新しい家族が形成される。父親が亡くなった時10歳だったマックスは、父親との時間が長かったのでコンラッドを、父親としてなかなか受け入れられないが、そのとき3歳だったアイザックやサニーはほとんど父親の事を覚えていないので、何のこだわりもなくコンラッドを父親だと思っている。

16年の月日が経った。3人の子供たちはすっかり一人前の大人になった。2016年4月、シシャパンマの雪が解け、アレックスの遺体が発見される。コンラッドは、家族全員を連れてチベットに飛び、遺体を回収し、荼毘に臥す。骨はヒマラヤ山脈の風にのって散る。
というおはなし。

山のドキュメンタリーは素晴らしい。ジミーチェンは、40代になったがまだまだ活躍してほしい。常に滑落の危険を冒してザイルに身を預け、凍傷の危険を冒してシャッターを押し続けるジミーチェンは、私の英雄だ。
でもどうしてそんな危険を冒してまで山の上るのかって、、、答えは簡単。それだけ山は素晴らしい。登ってみればわかる。