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2021年5月18日火曜日

映画「スーパーノバ」とオーストラリアの安楽死法

映画「スーパーノバ」( SUPERNOVA )

監督:ハリー マックイーン
キャスト
コリン ファース:サム
スタンレー ツチ:タスカー

スーパーノヴァの NOVAとは、新星のことで、それにスーパーが付くから「超新星」。星がその核の原子力を失うと、爆発して粉々になって滅ぶがそのときの光は太陽よりも明るい光となって消えていく。その大爆発を超新星爆発という。銀河系の中で起きる超新星爆発による衝撃波は、星どうしの密度に揺らぎを生み出し、新たな星の誕生を促すのだそうだ。私たちが何気なく夜空を見ていて、強く光を発する星があるかもしれない。その時私たちは何千億光年という遠い昔に激しく瞬いて、光と共に消えて行った星の残骸を見ているのかもしれない。残骸は周囲のガスに衝突して断熱圧縮されて高温を維持する。そして高温を維持できなくなるまで数万年輝き続ける。ふたご座にも、おうし座にも白鳥座にもその残骸がある。爆発の時、光となり、粉々になった星の粉は、地球に落ちてきて、私たちの体の一部になる。

そんなことを、夜空をみながらタスカーが、サムに繰り返し語って教えている。
タスカーは2年前に若年性認知症と診断されて、いまは、思考する自由も、体の自由も失いつつある。名のある作家として活躍してきたが、20年来の人生のパートナーであるサムに面倒をかけている。
2人は休暇を取って、キャンピングカーで昔の友人や、タスカーが生まれ育った田舎を旅行することになった。サムは、いまはタスカーと会話を楽しんでいるが、もう自分で服を着ることもできなくなったタスカーが、じきに普通に日常生活を送ることもできなくなり、サムのことを認識できなくなる日も近いことを予感している。サムはタスカーが自分のことを忘れてしまっても、そばにいて支え、排尿便出来なくなっても世話して、自分の腕の中で死なせてやりたいと心に決めている。

二人はタスカーが生まれて育った田舎で親戚や兄弟たちと、なごやかに過ごした後、湖に面した、静かな山荘に数日間過ごす。しかし、サムは偶然、タスカーが毎日几帳面につけている鍵つき日記帳を、開けて中を見てしまう。そこにはもう活字がかけなくなっているタスカーの殴り書きと、自殺用の薬が入っていた。タスカーには、まだ自分の意志で自ら死を選ぶ判断力も行動力もある。しかし進行性の病ゆえ、明日それが実行できるかどうかわからない。じきにタスカーがその薬が何なのかわからなくなったら、自分の意思を達成することもできなくなる。サムとの激論の末、タスカーは言い争いに疲れて眠ってしまう。目が覚めた時、机の上には彼の鍵つき日記帳が置かれていた。もう心配することも、思い残すこともない。トスカーはしっかりとサムに抱かれて旅立つ。
というストーリー。

美しい映画だ。イングランドの自然がいっぱいの田舎、深い森、静かな湖、落ち葉の絨毯。冷たい清涼な風。「明日」がない二人の愛情が画面をみながらしっかり伝わってきて、せつない。コリン ファースも、スタンレー ツチも素晴らしい名優だ。年を取って、二人ともどんどん魅力的な役者になってきた。

テーマは認知症と尊厳安楽死。星もいつかは爆発して滅亡する。星の爆発で地球に降りかかってきた粉をまとった人間もいつか死ぬ。尊厳死を望む人間が認知症に陥った時に、どう死ぬべきか。


オーストラリアでは北部準州(州都ダーウィン)で1995年に安楽死法が議会を通過したが、オーストラリア連邦政府によって決議が覆され、法案は廃案になった。その後、ビクトリア州(州都メルボルン)で、2017年に「VOLUNTARY ASSISTED DYING法」(医療的自殺ほう助法)が立法化され、2019年から施行されている。施行後6か月で52人の末期患者が安楽死で亡くなった。そのうち42人が医師の処方の薬で、9人が医師の静脈注射で亡くなった。
安楽死の条件は、成人で、ビクトリア州に1年以上居住し、余命半年以下であると2人以上の医師に診断され、生存よる苦痛が耐えがたいと認められた場合に限っている。

ビクトリア州に続いて、タスマニア州と、南オーストラリア州(州都アデレート)でも同様の安楽死法がすでに議会で決議され、来年からの施行を待っている。安楽死は、EUでは、スイス、オランダ、ベルギーなどで同じような条件つきで認められている。しかし、オーストラリアの法は、医師が患者に直接静脈注射で致死量のモルヒネを投与できるという意味では、EUの国々の法よりも積極的に患者の要望に応える内容になっている。

これに対して、バチカンでは神に対する冒涜だと、おきまりの批判をしている。しかし、人間は自分の人生に自己決定権をもち、本人の尊厳を守るために苦痛より安楽死を望むのは自然の流れだ。私は医療現場にいて、パラテイブケア(終末医療)に関わっているが、処方箋に従って、たくさんの末期患者にモルヒネを投与してきた。
命は時として科学では説明できない。治療効果がなく、飲めない食べられない状態になって輸液もせず、全身皮膚がんに侵された90歳の患者が激痛に苦しみぬきながらも死ねず、1か月以上も生存しなければならなかった例を見てきた。

オーストラリアは6州1準州と特別区に分かれているが、6州のの半分の3州ですでに安楽死法が議会を通過した。今後、安楽死法は各州で論議され、法整備されるだろう。
ニュー-サウスウェルス州(州都シドニー)では安楽死が認められていないが、ADVACE CARE PLAN という書類があり、ここに自分が重病になって回復の見込みがないときや、認知症や脳障害で自分の意思を伝えられないときに、どうして欲しいか、どう死にたいか、を書き残すことができる。自分は遺言状を弁護士に作ってもらった時に、これも作った。
また、オーストラリアでは運転免許証に、事故などで急死したとき自分の体のどの部位を臓器移植のために提供するかが明記してある。残された家族の気持ちより、本人の意志を優先する合理に全面賛成だ。

人は長く生きるようになりすぎた。人はどう生きるのか、そしてどう死んでいきたいか、もっとオープンに語られなければならない。その意味で、アンソニーホプキンスの「ファーザー」もそうだが、こうした映画がさかんに作られている。