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2020年2月8日土曜日

映画「ROOM」

2016年カナダ、アイルランド、英国、米国合作映画
第40回トロント国際映画祭、観客賞受賞
第88回アカデミー賞主演女優賞受賞
原作:エマ ドナヒュー「ROOM」
監督:レニー エイブラハム
キャスト
ブリー ランソン:母親ジョイ
ヤコブ トレンブレイ :息子ジャック
ジョアン アレン:ジョイの母親 ジャックの祖母ナンシ
シーン ブリドジャー:誘拐犯オールドニック
ウィリアム マッコイ:ジョイの父親 ジャックの祖父
トム マクマス :ナンシーの夫、ジョイの義祖父レオ
アマンダ ブルゲル:婦人警察官

ストーリーは
オハイオ州アクロン
ジョイ ニューサムは高校生、17歳のときに、男に誘拐され、厳重にロックされた物置小屋に監禁されている。逃げようとするたびにドアや鍵が厳重になり、どうしても逃げることができなかった。すでに7年経った。誘拐監禁されレイプされて妊娠し、子供を産んで5年になる。今も週に1度、食料を持って通ってくる誘拐犯オールドニックの粗暴な扱いに耐え、大切な息子と二人で小さな部屋に閉じ込められながらも、息子の成長を励みにして生きてきた。息子のジャックは、生まれてから3.4メートル四方の、ここ小屋から一歩も外に出たことがない。オールドニックが通ってくるときは、母親から離れて戸棚になかで小さくなって眠る。隠れていないと子供嫌いのオールドニックから暴力を振るわれる。母親のジョイが体を張って守ってくれるが、暴力的な男をジャックは何よりも怖がっている。

母親のジョイはいつも限りなく優しい。ジャックは目が覚めれば、おはよう椅子さん、おはよう机さん、おはよう戸棚さんと挨拶して、ジョイと一緒にトーストか、シリアルを食べ、部屋の中を走り回り、ちょっとした運動をしてからテレビを見る。夜は母親と一緒にお風呂に入り眠る。それだけの生活を5年間してきた。ジャックは母親に甘えたくなると、5歳になってもまだ母親にしがみついて、おっぱいをしゃぶる。ジョイはいろいろなことを教えてくれる。テレビの中の世界は、うその世界なのだという。木の葉も、お日様もお話に出てくるおじいさんもおばあさんも、みな嘘の世界。本当の世界は、ジョイとジャックだけの世界だという。

5歳の誕生日がきた。母子は一緒にバースデイケーキを作った。オーブンはないから、小さなお鍋で。でもテレビに出てくるようなキャンドルがケーキの上に立っていない。ジャックがすねると、ジョイはとても怒った。もう5歳なのだから、本当の世界を知らなければならない、と母親は言う。この部屋での生活は本当は偽りの世界で、テレビの世界は本物だ、とジョイは今までと反対のことを言う。ジャックは今までの母親との生活が楽しいのに、急に本当の生活に戻らなければいけない、と言われても混乱するばかり。本当の生活って何? 今になって母親は、急に怖い顔で、自分はオールドジャックに騙されて、この部屋に閉じ込められている、という。本当の世界に戻るためにこの部屋から脱出しなければならない、と説明する。ジャックは怖くて仕方がない。
母親はジャックが高熱を出したので病院に連れていって欲しい、とオールドニックに嘘を言う。1週間後オールドニックが来たときは、ジャックを絨毯で巻いて、ジャックは死んだので処分するように、と言って絨毯を引き渡す。あわてたオールドニックは、絨毯ごとジャックをピックアップトラックの荷台に乗せて家を出る。

ジャックにとって生まれて初めての冷たい風、緑の木々、陽に照らされる木の葉、車の荷台で絨毯から這い出たジャックは、外の景色に見惚れる。そして母親に言われたとおりに車がスピードを落とした時に、荷台から飛び降りる。しかし狭い部屋しか知らないジャックには、平衡感覚が育っていないので走ることができない。とたんに転んで動けなくなる。運よく大型犬を連れた男の人が目の前にいる。ジャックはオールドニックにつかまって、連れ去られそうになって、必死で助けを呼ぶ。犬を連れた男に呼び止められて、オールドニックは車で逃げる。そして警官が駆けつけて、ジャックは保護される。感の良い婦人警官がジャックからわずかな言葉を、上手に引き出したために、オールドニックは逮捕され、母親のジョイは小屋から助け出される。

病院で数日過ごした母子は、両親の迎えを待って帰宅する。7年間もの長い間誘拐監禁され誘拐犯と暮らし、その子供まで生んでいた高校生。好奇の目を輝かせながら押し掛けるメデイア。ジョイは親たちに守られながら自宅に戻る。ジョイの母親ナンシーは、ジョイの部屋をそのままにしておいて待っていてくれた。
しかし父親は、孫にあたるジャックの顔を見ようとしない。憎い誘拐犯の血が流れている子供を見たくない、という父親の言葉にジョイは深く傷つく。その父親は母のナンシーと離婚していて、母親にはレイという新しいパートナーがいた。やがて、家の前で待ち構えていたメデイアも引き上げた。母親ナンシーとレイと、ジョイとジャックとの生活が始まる。

ジョイは落ち着いたところで弁護士の勧めもあって、1社だけメデイアのインタビューに応じることになった。しかし、インタビュアーに「どういう気持ちで誘拐犯の子供を産んだの?」と聞かれ「子供のためを思えば、どうして子供だけ病院にでも置いてくるように、犯人に頼まなかったの?」「あなたは子供のことで正しい判断をしたの?」と問い詰められて、ジョイは深く傷つく。監禁され日々の暴力に怯え、子供を産んだ高校生に対して、「良識ある」質問者らは、どんな倫理的な判断を求めているのだろうか。ジョイは薬を飲む。ジャックが発見しなかったら、生きてはいなかった。
ジョイは病院に送られる。7年間の過去からフラッシュバックされてくる記憶に耐えられない。精神が壊れてしまった。

ジャックは生まれてから一度も切らないでいた長い髪を切るように、祖母のナンシーに頼む。髪はパワーだと母親に言われて育った。いまパワーを失った母親ジョイに、自分のパワーの源の髪をあげて、母親を元気付けたい。祖母ナンシーはジャックの髪を切り、入院中のジョイに届けた。母親がいないジャックのために義祖父のレイが犬を連れてきてくれた。ジャックは母親以外の人に初めて心を開いていく。「グランドママ、アイ ラブ ユー。」そういわれ、祖母ナンシーは涙にくれる。ジョイは退院して家に帰ってきた。
ジャックはジョイに、二人だけの思い出の部屋、自分が生まれて育った小屋に帰りたい、という。二人は警官に付き添われて、7年間監禁されていた小屋を訪れる。ジャックは部屋の小ささに驚く。縮んじゃったの? もうここは自分の部屋ではない。そして、毎朝おはよう、毎晩おやすみと声をかけていた、家具のひとつひとつに、さよなら椅子さん、さよなら机さん、さよなら戸棚さん、と別れを告げて小屋を出る。
というストーリー

実際にオーストリアで起きた「フリッソル事件」を書いたエマ ドナヒューの「ROOM」が原作。母親のジョイを演じたブリー ラーソンがアカデミー賞主演女優賞を受賞した。彼女の諦め、悔い、怒り、憤怒、嘆き、悲しみが、じかに伝わってくる熱演だ。それと、カナダ人、5歳のジャックの名演には恐れ入るばかりだ。まだセリフを覚える年齢ではないため。ワンシーンワンシーン監督が説明して、演じたものを撮影しつなぎ合せたという。実の親子のような二人の演技は演技と思えない。天才子役そのものだ。この映画、母子二人の結びつきがテーマになっている。

子供にとっては、与えられた世界が唯一の世界だ。どんな場所にいても親はそれがどんなところであっても生活し、日々の暮らしのために努力を惜しまない。ジャックにとって、3.4メートル四方の部屋が子供にとって唯一で、世界のすべてだった。そこで7年間正気を保ち、子供のために二人で濃厚な時間を作ってきたジョイは、素晴らしく立派な母親だ。普通だったら7年間、正気でいることができなかっただろう。彼女の精神力の強さを、理解しようともせず「教養あるエリートインタビュアー」が、「子供の将来」を語り質問する愚かしさ。それはアボリジニー先住民族の子供たちを親から無理に引き離し、白人社会で教育、調教をして得意になっていた先進国の愚か者と同じだ。本当に子供たちに必要なのは、アルファベットが人より早く読めるようになることでは断じてない。そのように子供の時から「調教「」された子供は人として育たない。生まれた時から母親に可能な限り抱きしめられ、愛された子供でないと他人を愛し人としての情感をもった人に育たない。アルファベットはそのあとだ。ジョイは正しい子育てをしたのだ。

ジャックは、たった5歳にして唯一無二の母親を理解し、オールドニックという悪者を憎み、正しい人に助けを求めることができた。そして母親を励ますために、髪を切り、自分のパワーをすべて母親のために差し出した。そうした過程を経て、母親だけでなく祖母や祖父を愛することができるようになった。ジャックの心は、3.4メートル四方の世界から、ずっと大きな世界に開かれている。ジャックの心の成長が手に取るようにわかる。ROOMを出てからのジャックの成長が感動的だ。
狭い部屋で生まれ、5歳まで育ったので本当の太陽の光がまぶしくてよく見えない。車から飛び降りて逃げたいが、平衡感覚が育っていないので走れない。男たちの怒号、犬の吠え声、周囲の騒音が激しすぎて転がったまま動けない、初めて連れていかれた家で、生まれて初めての階段が怖くて足を乗せられない。そんなジャックの姿が痛ましい。

無力な女子供が、男の暴力支配によって、酷い目にあうということがこの世で一番許せない。女子供はもっと怒らなければならない。男はもともと体格が良く、堅固な骨格を持ち、筋肉が発達して生まれてきた。それは構造的、物理的な差異であって、女子供との違いは、オツムの違いでもなければ、頭脳の重さでも、感性の違いでも、才能の違いでもない。オーストラリアでは週に一人の女性がパートナーの暴力によって殺されている。日本はもっと酷いそうだ。男が、物理的に自分よりも弱い他人の人生をないがしろにし命を奪うのは簡単だが、それをしないでいるためには、女子供にも自分と同じだけの「人権」があることを、しっかりわからなければいけない。

フリッツル事件は決して特殊な事件ではない。似たような事件は世界各国でいくらも前例がある。拡大解釈をしたら、自分の母親も同じような被害者だった。宝塚が好きで二人の兄(のちの宇佐美正一郎北大名誉教授と宇佐美誠次朗法大名誉教授)の腕にはさまれて銀ブラがてら宝塚見物、オープンカーでお出かけ、ベレー帽ロングスカートで竹製スキーを滑り、戦争中何が悲しかったかというとテニスできなかったから。結婚するまで爺やと婆やに大切にされていた、そんなモダンガールが父と結婚して、妻は常に家を守るべしと外出禁止。79歳で死ぬまで父に尽くすことを強要された。結婚のおぜん立てをしたリベラルの旗手といわれた大内兵衛も、自分の息子代わりだった甥が、それほど馬鹿な頑固者だったと気付いていなかったのだ。当時の女に職はなく逃げようがなかった。

昔に比べて少しは良くなっていると信じたい。誘拐されそうになっても、子供たちには護身用ベルや携帯電話があり、情報も広がり人々の目も行き渡るようになってきた。虐げられた者が訴える法も少しは整備されてきている。このような暴力によって力のないものが被害にあうような事件が減ってきていると思いたい。ジャックのような子供が、もう出ないと思いたい。
この映画、誘拐されてひどい目にあった、可哀そうな高校生の話ではない。暴力を自分の叡知ではねのけた、立派な女性のお話だ。パワフルな母親と息子との愛情物語だ。しっかり結び合った母と子供との愛の物語だ。だからとても感動的だ。

2020年2月4日火曜日

映画「7月22日」ノルウェー2011年ウトヤ

原題:7月22日
アメリカ映画 ネットフリックス配給
監督:ポール グリーングラス
キャスト
アンデルシュ ダニエルセンリー:犯人アンドレスBブレビク
ヨン オイガーデン      :ゲイル弁護士
ジョナス ストランドグラベリ :被害者少年 ヴィリャル
ソルビョレン ハール     :首相
アイザック バキリ アグレン :トルジェ ヴィリヤルの弟
オラ G フルセス       :被害者少女 ジェーン

ストーリー
2011年7月22日早朝 アンデルス ベーリング ブレビクが、盗んだ警官の制服に身を包み、手際よく手製爆弾を車に積み込むシーンからフイルムが始まる。
ブレビクはオスロの官庁街、ストルテンベルグ首相のオフィスのあるビルの前に車を止める。彼が車から立ち去った数分後、セキュリテイーが動き出す前に車は爆発する。死亡者8人。建物の被害は絶大だった。しかし、警察や報道陣が動き出すころには、すでにブレイビクは、別の車でオスロから22キロ離れたウトヤ島に向かっていた。

ウトヤ島では民主党主催で若者たちのリーダーシップを育てるためのサマーキャンプが開催されていた。民主党党首のストルテンベルグ首相のオフィスがテロのターゲットになったニュースは すぐにウトヤ島にも伝えられる。島には小さなフェリーで行き来する以外に交通手段がない。島に渡るためのフェリーの入り口には、2人の主催者が待機していた。警官の制服を着たブレビクは、主催者にオスロで爆弾事件が起きたので警備のために島に渡りたいと言う。主催者はブレビクをフェリーに乗せて島に着いたところで、ブレビクの態度に疑問を持ち、警察証明書の提示を求める。ブレビクはためらうことなく2人の主催者を撃ち殺す。

こうして陸から孤立した小さな島に閉じ込められた子供たちへの無差別攻撃が始まる。逃げ惑う子供たち。戸外でキャンプをしていた子供たちが、重装備に身を固め、何丁ものライフル銃をもった犯人ブレビクに次々に打ち殺される。銃声に驚いた建物の中にいた子供たちに向けて、ブレビクはマイクを通して、「外は危険なので教室の中で待つよう」に指示する。サマーキャンプの主催者の一人であるビジャルは、弟のトルシェをふくむ数人の仲間達と海に面した崖に身を隠す。海に泳いで逃げようとしている子供たちは、一人ひとり狙い撃ちされ、殺され沈んでいく。林に逃げ込んだ子供たちも皆見つかって殺される。崖に隠れていた子供たちもどんなに息をひそめていても、犯人には容易なターゲットになった。教室で恐怖におびえながら待っていた子供たちも次々と殺された。
子供たちの悲痛な声が警察本部に届き、船で警官隊が到着した時には、死亡者69人、怪我人100人近くの犠牲者が出ていた。単独犯ブレビクは警官に包囲されて、笑いながら無傷で拘束される。

ブレビクは極右白人愛国者グループのリーダーを自称し、以前ネオナチグループの弁護を担当したことのあるゲイル リップスタッドを、自分の弁護士に指名する。ゲイル弁護士は事の重大さに逡巡するが、プロの弁護士として任務を引き受けることを承諾する。犯人は900人ほど居るネオナチグループのメンバーだと主張するが、グループは、ブレビクのあまりに過激な子供たちへの攻撃には批判的で、グループメンバーだったことはない、と関係を否定する。ブレビクは16歳で両親が離婚し孤独な人生を歩み、ヒットラーを信奉してきたがパラノイドがあり、明らかに精神分裂病の症状が出ている。ゲイル弁護士は、彼を警察署に拘置せず、精神病院で治療すべきだ、と主張する。しかし世論はそれを許さない。何の罪もない子供たちが恐怖のどん底に落とされて無残に殺されたのだ。これからの民主党の若いリーダーとしてノルウェーの未来を担っていく子供たちが惨殺されたのだ。怒れるおとなたちは、犯人に極刑の断頭台に引きずりださねば気が済まない。ゲイル弁護士の自宅に石が投げ込まれる。家族も自身の身も安全があやぶまれる。しかし弁護士は動ぜず、犯人と1対1で、対話を続ける。

サマーキャンプのリーダービリャルは、5発の銃弾を全身に浴び、長い昏睡状態に陥っていた間にも幾度も手術を受ける。意識が戻ったが片目の失い、さらに脳に入り込んだ銃の破片を全部取り除くことができなかった。何時その破片によって急死するか、何らかの障害がおこるかわからない。彼はそんな壊滅的な状態から歩行練習を始める。歩くことも自分で立つこともできない。視界も狭くなり良く見えない。過酷なリハビリ。どうして自分がこんなひどい目にあっているのか、答えがない。怒りが収まらない。怒り、不安,焦燥。困難ながら歩けるようになっても、犠牲が大きすぎてまともな精神状態が保てない。家族がはれ物に触るように扱うのもやりきれない。運よく無傷で生き残った弟がどんなに兄を思っているかわかっていても、さらに煩わしい。同じキャンプで一緒にリーダーを務めていたジェーンは、妹を失ったがビリャルの壊れてしまった心を支えようとする。

法廷では犯人ブレビクが精神異常なので刑事事件として法廷で裁くことができないというゲイル弁護士の主張は、世論に押されるかたちで却下される。犯人ブレビクは、77人の殺人、100人余りの負傷者を出した犯人として法廷で罪を問われることになった。ブレビクは、たくさんの犠牲者家族が傍聴室で見守る法廷に初めて姿を現し、裁判長に向かってヒットラー式敬礼をしてみせる。その一瞬、法廷にいた人々の息が止まる。
長い裁判が始まる。一人ひとりの子供たちがどのように殺されていったのか、親にとっては傷口に塩を塗りたくられるような痛みの検証がなされる。事件が起きた時、すぐに島にアクセスできるヘリコプターがなかったのは、どうしてか。テロ対策が他国に比べて、遅れているのではないか。生き残った被害者もひとりひとり証言し、犠牲がどれほど大きかったのか検証される。

ビリャルは法廷に出て犯人と対置する。そして証言する。「自分は犯人が発射する5発の銃弾を受け、頭を撃ち抜かれ片目を失った。脳の奥深くに埋め込まれた銃弾の破片は手術で取り除くことができず、何時致命的な事態に襲われるか、何時新たな障害が起きるかわからない状態で生きなければならない。しかし、あなたは可哀そうだ。自分にはあなたにはない愛がある。自分を支えてくれる両親や兄弟や友達がいる。あなたには誰もいない。あなたはひとりきりだ。」と述べる。
判決が下される。21年間の実刑、その後も裁判所が犯人が社会に危害を及ぼす懸念がある場合、実刑を延長することができる。判決後、犯人ブレビクは、笑いながら「I DO AGAIN」と言う。ゲイル弁護士は、犯人と最後の面会をする。ブレビクは笑いながら「また会いに来てくれる?」と。ゲイル弁護士は無言で、求められた握手をせずに部屋を立ち去る。
というストーリー

映画の主役は、世論の圧力に抗しながら法のために極悪犯の弁護を引き受けるゲイル弁護士。法の正義を信じるゲイル弁護士にとって、極力自分の感情を抑えて犯人と接してきたが最後に、問われたことに返事をしないこと、求められた握手を拒否すること、でもって万感の思いを込めて立ち去っていく姿が、とても良い。黙って立ち去る足音に、テロリストに対する怒りと憎しみといった、一人の子を持つ親としての、人間らしい感情がこもっている。

もうひとりのこの映画の主役、被害者のビリャルにも、心から共感する。たった16歳で片目を失い障害者となった彼の苦しみ、リハビリの痛み、激しく打撃を受けた精神に再び血が通いだすまでの死に物狂いの姿にただただ圧倒される。明日のノルウェーを担う選ばれリーダー資質をもった子供たちを含めた、77人の命が、たった一人の男の暴力によって否定される理不尽。小さな島で逃げ場がない、助けも来ない、恐怖と絶望感の中で殺されていった子供たちの悲鳴が、実にリアルにフイルムで再現されている。ショートパンツにシャツで逃げ回る子供たちに向けて、警官の制服と重装備で冷静沈着、ロボットのように銃を発射させる殺人鬼の姿に言葉を失う。
こういった暴力がいつでも起こりうる社会で私たちは生きている。民主主義が理解されていない。民主主義が体現されていない。極右勢力はいまやヨーロッパだけでなく世界のどこにでも住み着いている。わたしたちはウトヤ島7月22日の出来事を忘れてはいけない。いつまでも覚えていて、怒り続けなければいけない。そう強く思う映画だ。

この映画のタイトルは、「7月22日」だが、もうひとつ「ウトヤ島7月22日」という映画がある。ノルウェーオスロ生まれのエリック ポッペ監督によるノルウェー語の作品だ。ポッペは戦場カメラマンでもあるが、映画「ヒットラーに屈しなかった国王」でアカデミー賞候補になったことがある。これもドキュメンタリータッチで無差別乱射をリアルタイムで描いていて、生存者や遺族の全面的なサポートを受けて作った作品だ。
この映画「7月22日」はアメリカ映画だが、この映画の後、ノルウェーで起きた事件なのにノルウェー語で描かれていないことにノルウェーから怒りの声があがり、ノルウェー語によるノルウェー人俳優だけの、ノルウェー人監督ポッペによる「ウトヤ島7月22日」が作られた、と聞く。こちらも是非見てみたい。