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2019年4月9日火曜日

アイスランド映画「たちあがる女」

邦題:「たちあがる女」
原題:「WOMAN AT WAR」
監督:ベネデイクト エルリングトン
キャスト
ハルドラ ゲイルハルズデツテル : ハットラ
ヨハン シグルスアルソン  :合唱団員
デヴィッド―ル ヨハンソン:牧場主
マルガリータ ヒルスカ : 二ーカ

アイスランド フランス ウクライナ合作映画
2019年カンヌ国際映画でプレミア公開。アカデミー賞外国映画賞候補作。ヨーロッパ映画に与えられるラックス賞受賞。トロント国際映画祭でオーデイエンス賞受賞。
監督は、前作「OF HORSES AND MEN」で、独特で詩情豊かな作風が注目された。
この映画を観て、感動したジュデイ フォスターが、自身が主演監督してハリウッドメイクの同作品を制作する了解を得た。

ストーリーは
あるハイランド地域の街に住む、50歳独身のハットラは、地元社会人合唱団の音楽教師をしている。双子の姉が近くに住む。ハットラは、音楽教師以外に、自然環境破壊と戦う、活動家としての顔も持つ。地元には、鉱業ジャイアント、多国籍企業のリオ テイントが所有するアルミニウム工場がある。ハットラは、アルミニウムを精製する過程で出る廃液が環境破壊につながるために、工場の生産を止め、環境を保護するために、すでに5回も工場に直結する送電線をショートさせ送電の妨害を起こしている。

会社も黙ってはいない。アルカイダによるテロか、ゲリラグループによる破壊活動か、グリーン党内部の過激組織によるものか、犯罪グループの摘発のためにCIAの知恵を借り、犯人を特定、追跡しようとやっきになっていた。ある日、ハットラが6回目にアルミニウム工場送電線を妨害して帰ってくると、養子縁組担当者から手紙がきていた。4年前の事なので、すっかり忘れていたが、ハットラは養子縁組の申し込みを出していたのだった。ウクライナから4歳の孤児を引き取るかどうか問われて、ハットラは突然の事なので、戸惑いながらも喜んで引き取ることにする。合唱団の人々も祝福され、双子の姉からも喜んでもらえた。

でも子供を引き取る前に、子供の未来のためにやらなければならないことがある。まず、アルミニウム生産による廃液が自然環境を破壊していることを街の人々に訴え、これまで6回も送電を妨害してきたのは、テロリストでも過激派グループでもなく、単独犯であるという声明を印刷して町中に撒いた。リオ テイント社の工場が閉鎖しなければならないほどの打撃を与えなければいけない。ハットラは、爆弾と電動カッターを持って、山に入り、送電線を爆破する。

警察は思いのほか早く動き出した。犬を使って本格的な追跡隊が駆り出され、ドローンもヘリコプターも日夜わけずに上空から偵察を続行する。ハットラは、山を走り、凍った氷河を登り、氷水の濁流を渡り、もう力尽きて逃げ切れなくなったところを、牧場主に助けられる。牧場主に街なかの自宅まで送ってもらうと、その日はもうウクライナに養女を迎えに行く日だった。空港に行き、カウンターに向かう。しかしそこでは、「テロリストハント」が行われていて、通過できないことを悟ったハットラは、タクシーで引き返す途中で、逮捕される。

拘置所に双子の姉が面会に来てくれた。姉はハットラをしっかり抱きしめながら、自分のワンピースを妹に頭からかぶせて、自分はハットラの囚人服を素早く身に着ける。車のキーを渡しながら「これで空港に直行し、ウクライナで亡命しなさい。」という。身代わりの囚人になった姉を残して、ハットラは言われた通りに国外脱出し、ウクライナの孤児院を訪ね、4歳の娘に会う。そこで孤児とハットラは、しっかり心を通わせる。娘を引き取ってバスで首都に向かう途中、洪水でバスがエンコする。他の乗客たちと一緒にハットラは、娘をしっかり抱いて、腰まで水につかりながら進路に向かって進んでいく。
というおはなし。

しばらくこんなに素敵な映画を他に観なかった。まず映像が素晴らしい。そして音楽が良い。まず映像だが、前作で映像の詩人といわれた監督の作品。詩情に満ちた映像に、登場人物のかもしだす大人のユーモアがちりばめられていて何度映画を観ながら笑ったことだろうか。アイスランドの山々が広がる広大な高地の美しさが例えようもない。山々は何億年もの間、溶けることのない雪渓を抱えている。雪解けの水が川を作り、乾いた大地は深い緑色のミズゴケの覆われている。その柔らかな大地にうち伏してミズゴケの匂いを胸いっぱい吸うハットラの自然にむけた深い愛情。われら皆大地の子供。山々が吹き下ろす風の音を聴け。雪渓から落とされる水滴に耳を澄ませ。ミズゴケに覆われた大地の柔らかさに心を開け。

そんな美しい大地にいくつもの送電線が林立し、ミズゴケを殺し環境を破壊する工場に電気を送っている無惨なすがた。たった一人、誰の支援もなく単独で、多国籍企業に立ち向かっていくのはドン・キホーテでもなく、スーパーヒーローでもなく、ひとりの中年のおばさんなのだ。50歳独身の音楽教師の家の居間には、ネルソンマンデラと、ガンジーの大きな写真が飾ってある。そんな彼女が何をしているか知った人々は、手助けの労をいとわない。確固たる心情をもって、ひとりきりで突き進む孤高の活動家は、決して孤独ではなく、アイロニストでもペシミストでもなく、ただただ大真面目に生きているのだ。彼女が絶体絶命のときに救いの手を差し伸べる人々とは、彼女のやり方がどうのとか、批判も評価もせずに、ただ出来ることをしてやる。みんな大人なのだ。成熟した社会に住む人々。

警察の追跡から逃れようと、山を走り、雪渓を渡り、氷の河を潜り、力尽きて死にかけているハットラを助ける牧場主が素敵な男だ。何も聞かず、何も問わず黙って低体温で半分心臓がとまりかけているハットラを温泉に放りこんで救命し、警察の警戒網を突破する。人生を達観した男の魅力。
ハットラが警察から逃げまくっているときに、3回も同じスペイン人バックパッカーが、ハットラの身代わりの様にして警察に逮捕される。山でテントを張り、自転車で気ままに高地を彷徨っているのだから誤解されても仕方がないのか。彼が登場するたびに大笑いしてしまうけれど、精悍な顔をした好青年なのだ。

この映画の一番の良さは詩情たっぷりの映像の美しさと、そして音楽のスタイリッシュな使い方だ。映像と同時に画面に音楽隊が登場する。ハットラが山で走り回っているときに、突如ドラムとピアノのホーン3人の楽隊が登場して演奏する。ドラムがハットラの早鐘のような心臓の音を鳴り響かせる。
彼女がウクライナから養子をもらうことになった途端に、3人のウクライナ女性が民族衣装を着て登場して、フォークソングを歌い出す。ハットラが合唱団を指揮したあとの帰り道自転車を走らせるバックミュージックは、合唱だ。3人の楽士と、3人のウクライナ歌手達は、映画の最後まで繰り返し、繰り返し登場して演奏する。ハットラの頭の中に住む存在なのだろう。最後に異常気象で苦しむウクライナの洪水のなかを、ハットラが子供を抱いて歩くシーンでは、3人の楽士、3人のウクライナ合唱隊が総出でバックグラウンドミュージックを奏でて、ハットラを見送る。
映像のバックに音楽を演奏する楽隊を登場させるという斬新でスタイリッシュな方法に感動する。新しい。これからこのスタイルで音楽を使う映画が沢山出てきそうだ。

登場する人々がみんな大人で、過激な活動家の話なのに安心して見ていられる。成熟した社会が背景にあるからだ。豊かな自然をもつアイスランドの魅力も尽きない。ヴァイキングが9世紀に持ち込んだ、長い毛と太い足を持った美しい馬たち、山から吹き下ろす風に揺れる山岳植物、雪渓の広がり、ミズゴケが生えそろう柔らかな大地が、いつか訪れるとき、待っていてくれるだろうか。それとも鉱山開発の垂れ流す汚水で生物が死に絶え、気温上昇で河が氾濫し、洪水で村が流され、破壊された自然を怒った火山が大爆発を繰り返すアイスランドになっていることだろうか。