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2018年3月21日水曜日

半世紀ぶり三潴末雄さんとの再会


          

初めて会ったときは17歳。大学に入ったばかりで、三潴さんは4年生だった。
「ねえ、次の日曜日デートしない?」と言われて、生まれて初めて口紅をつけて来たというのに、連れて行かれたのは砂川基地。頭の上をすれすれに飛んでいく軍用機の轟音と、新芽を出したばかりの青々しい茶畑と農家のおばあさん。そして砂川闘争で凶器準備集合罪で逮捕状の出ていた味岡さんとの出会い。
乾いた喉を潤すために水を飲むような自然さで、次の日には赤いヘルメットに角材を握っていた。

アートギャラリーを主宰している彼がシドニービエンナーレのために、シンガポールから香港に移動する途中で、シドニーに立ち寄ることになった。
1994年に自分のギャラリーを持ち、アジアから現代アートを創り出す若手アーテイストを育成、発掘、紹介している。彼は自著「アートにとって価値とは何か」で、「鹿児島市の美術館に行けばモネの睡蓮やピカソの青の時代の作品を見ることができる。札幌市の近代美術館には印象派やモダンの時代の作品がコレクションされている。---日本の美術館がいかに西洋由来のアートのコレクションに大枚をはたいてきたかか一目瞭然でもある。」ではなぜ彼が「苦労を金で買いに行くような厳しい内容で、事業としての成功の展望」のないギャラリーを続けているかというと、「日本の現代アートは間違いなく日本の文化なのに、これを美術館が支えなくて一体誰が支えてくれるというのだろうか。」という動機で、ギャラリストとして活動されてる。

彼は、現代アーテイストの草間彌生、オノヨーコ、村上隆など、やっと日本でも僅かながら評価されてきた現代美術の前衛作家達を高く評価しつつ、若い芸術家たち、会田誠、山口晃、小沢剛、天明屋尚、近藤聰乃、奈良美智、鴻池朋子、山本竜己基、池田学、宮永愛子、ベトナムのジュン グエン ハツシバ、CHIN PON、猪子寿之のチームラボなど、たくさんの芸術家たちを発掘、デビューさせてきた。

2007年北京オリンピックの前には、アイウェイウェイの設計によるギャラリーを、北京で開設したが、アイウェイウェイの突然の逮捕、政府当局の介入によりギャラリーは、2014年にいったん閉鎖された。2012年にはシンガポール、ギルマンバラックスで、ギャラリーを開設。香港とジャカルタに若い芸術家たちが集まって刺激を与えあう場、としての「レジデンス」を開設している。東京の市ヶ谷にあるギャラリー、シンガポール、香港、ジャカルタ、ニューヨーク、ロンドンと、一年の200日は外国という忙しさの中で、さらに活躍幅を広げて、若い作家たちと「ニューヨークでも暴れてみたい。」と言っている。ニューヨークで新しいギャラリーが立ちあがる日が待ち遠しい。

NSW州立美術館に、ジーンズとスニーカーで現れた長身の三潴さんは、ニューヨークからシンガポール、そしてシドニーから再びシンガポール、香港へと移動している最中とは思えないほど元気で、まるでシドニーに住んでいるわけではないのに、23年間住んでいる私よりも身軽に、美術館の中を自分の家のように歩いていた。足早にビエンナーレの作品をみながら解説してもらう。世界各地で現代美術を見て回り若い芸術家を育成し、大学の講師を務め、高校生の進路講習会で語り、様々な芸術家達と交流を図る、超多忙な人から作品の説明を聞くことができるなんて、なんて贅沢なの。

どうしてキャンバスに黒い絵の具で塗りつぶしただけの絵が絵なのか、現代美術って自分にとって意味のある作品を作っているだけのくせに、他人に見てもらおうなんて自己満足すぎる、だいたい作品の背景から作家の生い立ち、作品を作った動機まで長い説明がないと全く理解できない作品にどうやって共感しろというのか。
日本の芸術って、くぎ一本使わずに建築された寺院や神殿、漆の器、古代織物、壊れた茶碗を金継ぎで再生するような伝統芸術や、骨とう品にこそ美が凝縮されているのではないか。そう思ってきたが、しかし「美術館は美術の墓場でしかない。」と言い切る若い人達の作り出すものはおもしろい。作品に共感はできなくても、おもしろいと感じ、若いエネルギーが感じられるだけで良い。

三潴さんと、NSW州立美術館、現代美術館、コカトゥー島を回って、300展示されているビエンナーレの作品の大半を早足で観た。何十キロ歩いたことか。尋常ではない長い一日。もう一か所、アートスペースという建物に設置されていたアイウェイウェイの「クリスタルボール」を、時間切れで一緒に見ることが出来なかったのが残念だった。
しかし70歳を超えて健脚な三潴さんに、ちゃんと付いて行けた自分の健脚も褒めてあげないと、、。彼は階段も手すりなしてサッサと上り下りする。50年前も、いつも三潴さんと歩くときは、長い足で大股で前を行く彼の歩調についていくために、私は息せき切って小走りでついていかなければならなかったのを、まざまざと思い出した。

大変興味深かったのは、コカトウー島の旧造船所は、昔海軍工廠があり軍艦を作っていたから、重器具、機材や、石炭発電所や立派な防空壕などがそのまま残っている。それを三潴さんが嬉しそうに写真に収めていたこと。展示されていたアート作品のほとんどを、写真にとらなかったというのに、アート作品の上、天井にそびえるクレーンや、さび付いて埃を被った造船のための機械をカメラに収めているので、「どうして」と聞くと、若い作家たちに見せるんだ、と。70年間、80年間と使われてきた機械が当時のまま埃を被っているが、これらの機械は油をさせばそのまま、まだ使える状態で歴史的な存在感を示している。それらの機械に囲まれた若い人々のアート作品は、比べると何てチャチなんだ。思い付きで作った作品など軽い、価値を見出せないものなんだ。ということを見せてやるんだ。と言っていた。
そうなの。三潴さんの言葉に発奮して、若いアーテイストが是非、50年先に生まれてくる人たちにとって価値を見出せるような作品を作っていって欲しい。

どうしても現代アートは反政府、反権力、反権威、反核、反戦に通じる。でも三潴さんは、「政治をやりたいヤツは立て看板を作れ。」とも言う。作品に政治的メッセージを込めることはできる。しかし、メッセージだけでは美術にならない、という意味の深い彼の提言なのだ。
初めて会ったときから51年ぶりに、やっと会えた大切な大切な人と一緒に、素晴らしい一日を過ごすことができた。