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2017年10月14日土曜日

映画:ジャコメテイの「ファイナルポートレイト」


初めて入った美術館で、遠目に見ても誰の作品かわかる展示物があると一挙に、その美術館が親しみを覚える。ニューサウスウェルス州立美術館には、入ってすぐ正面の展示室の真ん中にアルベルト ジャコメテイの女の立像がある。「ヴェニスの女Ⅶ」。初めて見る作品でも独特の、細長く引き伸ばされた人物像でジャコメテイの作品であることがわかる。背が高い。沈痛な顔、にも拘わらずどこかユーモラスな存在感。その横にはジャコメテイが残した3枚のデッサン画もある。

同じ展示室にフランシス ベーコンの絵、そのとなりの部屋に移るとピカソの大作「ロッキングチェアの裸婦」がある。以前はこれが地下の現代美術の展示室にあった。だから以前はピカソに会うためには、レンブラントや、オージーが大好きなターナーや、セザンヌやローレックを観て、それからたくさんの作品を通って、いい加減足が痛くなった頃にやっと地下にたどり着いてピカソに会えるという順路になっていた。ところが嬉しいことに、どうしてか知らないが最近ピカソの作品が全部出入り口の近くに展示室に移された。入口から入って、ジャコメテイの彫刻を通り過ぎて、ゴッホの「自画像」に挨拶して、隣の部屋でピカソのロッキングチェアの女が見られる。これだけ見ればもう用事が済んだようなものなので、サッサと帰ってくることもある。知っている人の、好きな絵じゃないと余り観たくない素人にとって、ここはとても足を運びやすい美術館になった。

そんなアルベルト ジャコメテイを描いた新作映画が公開された。ニューヨーク生まれのイタリア人、スタンレー トゥチ監督はジャコメテイが好きで、画家と親しかった作家ジェームス ロードが書いた「ジャコメテイの肖像」という本を読んで、いつか映画化すると心に決めて自分で脚本を書いて大切に20年も温めていたそうだ。ジャコメテイの作品が好きで好きで仕方のない監督が、彼のことを書いた本を愛読書にしていて、ジャコメテイにそっくりな役者をみつけて映画化したわけだ。
監督スタンレー トゥチは役者もしていて、大好きな役者さん。数えきれないほどの映画に出ている。「ベートーベン」1992年、「キス イン デス」1992年、「ペリカン文書」1993年、「真夏の夜の夢」パック役1999年、「ターミナル」2004年、「ラブリーボーンズ」2009年、「プラダを着た悪魔」2006年、「ハンガーゲーム」2013年、「スポットライト」2015年、「トランスフォーマーズ最後の騎士」2016年、「美女と野獣」2017年などなど私が観ただけでもこんなに沢山。いつもわき役としてとても良い味をだしていて、この人が画面に出てくると、馬鹿っぽいハリウッド映画が一挙に知的になるから不思議だ。

映画「ファイナルポートレート」は英米合作映画。今年のベルリン国際映画祭で初めて上映された。
監督:スタンレー トゥッチ
キャスト
ジェフリー ラッシュ:アルベルト ジャコメテイ
アーミー ハーマー :ジェームス ロード
トニー シャルブ  :アルベルトの弟
シルビー テステユー:妻 アネット
クレマンス ポエジー:愛人カトリーヌ

ストーリーは
1964年 作家で美術愛好家のアメリカ人、ジェームス ロードは訪れたジャコメテイの作品展示会で本人に会って友人となり、親しい交流をするようになった。ジェームスの肖像画を描きたいというジャコメテイの申し出に、ジェームスは願ってもないことと、喜んでアメリカからパリに飛んでくる。しかし実際、モデルになってみると画家は気分屋でわがまま。妻と愛人がいつも自由に出入りするアトリエは混沌としていて、やっと描きはじめても中断を繰り返してばかり、、、肖像も描いては灰色の筆で塗りつぶし、また描いては塗りつぶすばかりで、いつになっても先に進めない。2,3日で終わってアメリカに帰るつもりでいたジェームスは幾度も幾度も帰国の飛行機をキャンセルしなければならなかった。

金銭感覚のない画家は愛人に絵のモデルをさせ、車を買い与えたり贅沢をさせているが、愛人を維持するために、ヤクザに莫大な金を支払い続けている。このために妻の怒りも悲しみも大変なものだった。しかしジャコメテイにとっては、妻も居てくれなければ1日として生きていられない大切な同志。そんなジャコメテイの苦悩も喜びも知って、弟デイエゴはジャコメテイを後ろから、しっかり支えているのだった。
画家仲間と議論をして、かんしゃくを起こし帰るなり今までの作品に火をつけて燃やしてしまったり、芸術家の理解者だったジェームスもジャコメテイの感情の起伏にはついていけない。一向に肖像画が完成しない日々、パリ滞在が3週間に至る所で、ジェームスはジャコメテイにストップをかける。描いては塗りつぶすことを繰り返してきた肖像画を未完成のままいったん引き取り、アメリカでの展示を済ませた後また描きなおす、という約束でジェームスは肖像画を持って帰国する。しかしそのあとジャコメテイは亡くなり、肖像画は完成をみることはなかった。
このあとジェームスは心からの尊敬と愛情をこめてジャコメテイの回想録を書き出版する。
というお話。

スイスのイタリア国境に近いボルコツーヴォで生まれたジャコメテイの顔は、スイスフランの紙幣に印刷されている。紙幣の裏は彼の作品「歩く男」だ。ジャコメテイはジュネーブ美術学校で絵画を学び、後にパリでロダンの弟子だったアントワーヌ ブールデルに彫刻を学んだ。彼の彫刻は写実ではなく、キュービズム、シュールリアリズムなどの影響を受けている。パリでピカソ、エンルスト、ミロやジャン ポール サルトルやポール エリュアール、矢内原伊作などと親しく交流した。サルトルはジャコメテイの彫刻した人物像は現代に観る人間の実存を表していると言って高く評価した。

このジャコメテイの顔が映画を主演したジェフリー ラッシュにそっくりだ。縮毛からワシ鼻までそっくり。ジェフリー ラッシュはオーストラリアが誇る役者だ。クイーンズランド生まれ、66歳。クイーンズランドで演劇を学び、パリのレコールインターナショナル デ シアターで2年間学んだあと、メル ギブソンを同居して二人してパントマイムとシェイクスピア芝居にうち込んだ。30歳を過ぎて初めてフイルム界に入り、1996年「シャイン」で実在の自閉症で天才ピアニスト、デヴィッド ヘルフゴットの半生を演じてアカデミー賞主演賞、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞などその年の賞という賞すべてを獲得、一つの映画作品でこれだけの沢山の賞を獲得した作品は前後に無く、未だに記録が破られていないそうだ。本当に心にいつまでも残る名作だった。
彼は1998年に「シェイクスピア イン ラブ」で再びアカデミー賞を獲得、「ハウス オン ホーンデッドヒル」1999年、「パイレーツ オブ カリビアン」3作2001年-2003年でキャプテン バルボッサを演じ、「キングス スピーチ」2010年、「やさしい本泥棒」2013年などで主演している。オーストラリアの演劇文化を代表する名役者。

一方のジャコメテイに肖像画を描かれる側のジェームスを演じたアーミー ハーマーはロスアンデルス生まれの31歳。「ソーシャルネットワーク」2010年で、フェイスブックの創始者マーク ザッカ―バーグの友人、ケンブリッジ大学で一緒だったウィンクルボス双子兄弟を好演して注目を浴びた役者。「ローンレンジャー」2013年でジョニー デップの相手役を演じ、クリント イーストウッド監督の「Jエドガー」2011年で、エドガー フーバーCIA局長の相手役を演じた。フーバー扮するデ カプリオの同性愛相手役という難しい役を好演したときは、まだこの役者さん、たった24歳だったことを思うと、でかいのは2メートルの図体だけではない。才能に満ちている。大男だが鼻筋の通った完璧型の美しい顔をしている。

映画の中でジャコメテイに連れられてカフェに入ったジェームスが、ワインとコーヒーを水の様にがぶ飲みするジャコメテイを前に、ウェイターに問われてフランス語でコカ・コーラを注文するシーンが笑えた。やっぱりアメリカ人はどこでもアメリカ人なのか。
パリのアトリエで気難しいスイス人画家がアメリカ人をキャンバスに描いている間、妻と愛人が、いかにもパリジェンヌらしい自由奔放な蝶々のようにヒラヒラ舞って男達を翻弄する姿が面白い。パリです。パリ。

この映画はジェフリー ラッシュとアーミー ハーマーの二人芝居と言って良い。名人芸の粋に達しているジャコメテイ役のジェフリーに振り回される芸術愛好家で人の良い青年作家の話。ジャコメテイが好きで好きで仕方がない映画監督が、ジャコメテイにそっくりな役者を連れて来て、ジャコメテイが当時使っていたアトリエをそっくりに再現して映画を作った。ジャコメテイが大好きな人にとっては、見ていて感動すること間違いなしだ。そうでない人でもアーミー ハーマーの美青年ぶりに心を躍らせるかもしれない。
しかし画家に興味に無い人にとっては、この映画はたいくつでたいくつで耐え難い。うますぎる演技は時として鼻につく。

藤田嗣二の半生を描いた映画「FOUJITA」では、はじめに絵筆を持ったフジタが女性モデルを前にして白いキャンバスに1本の線を入れるシーンから映画が始まる。それを役者ではなく、手はプロの画家、長友薫堂が描いている。この画家がこのシーンのために自分の絵を描くよりもずっと1本のフジタの線を描くことが難しかった、と回想している。

このジャコメテイの映画では、ずっと大きな100号の油絵の白いキャンバスに、本当に本当のジェフリー ラッシュが肖像を描き始めるための筆を入れる。描き直しのきかない大事なシーン。最初に1本の線を入れるとき、息が止まって、時も止まってしまったかと思った。緊張の一瞬。それでもジェフリー ラッシュは一気に描き始めた。度胸が据わっている。ジェフリー ラッシュという役者、一筋縄ではいかない。さすがだ。