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2017年5月3日水曜日

スーマーの「泥水は揺れる」


     


弾き語りミュージシャンのスーマーが最新作、旧作の二つのCDを、シドニーに住む私と娘に送ってくれた。20年、マイクを通さず自分の声が届く範囲の場所で、聴きに来る人だけのために語り弾きしてこられた方。
ファーストアルバムは、「ミンストレル」(吟遊詩人)。2012年にオットのブルースと日本旅行をしたときに、ライブを聴きに行った。手の届くほどの距離で歌ってくれるスーマーを、ブルースは、いいね いいね、と喜んで聴き入って、ふところの深いスーマーの人柄とともにファンになった。

このとき一緒にライブを聴いた私の若い友人夫婦は、新婚旅行から帰ったばかりだったので、彼らのためにスーマーは、お祝いの歌を歌ってくれた。よく響く、よく通る声でたくさんの自作の唄を歌ってくれて、本当に楽しい夜だった。
シドニーに戻って、CDが送られてきたので、車でいつも聴いていた。エンジンがかかるとスーマーが歌い出す、ブルースは週に3日腎臓透析のために病院に往復する。その1時間半のあいだ私達は、いつもスーマーの歌を拍子はずれにハミングして、スーマーと一緒だった。

「ミンストレル」に収録されている曲のうち、「人生いきあたりばったり」を始めとする5曲が、映画「深夜食堂」の中で使われている。
新しいアルバム「泥水は揺れる」は、前作同様、桜井芳樹がプロデュース。でも音にこだわりのある「アナログ盤」で作られた。シドニーのどこに行ったら旧型ステレオやレコード針が手に入るのか、皆目わからない。あきらめていたら、後からCDが作られてスーマーが送ってくれた。ほとんどの曲が スーマーの作詞作曲。

「泥水は揺れる」は、CDのカバーから、中の12曲のひとつひとつの曲ごとに劇画作家エルド吉永のイラストが入っている。その絵は実に曲想によく合っていて、優れた芸術作品に仕上がっている。エルド吉永は、大量出版に抗し、こだわる寡黙な劇画作家。言葉に拘るスーマーと、絵に拘る作家のコーポレーションは大成功。

スーマーはギターを弾くのも、4弦バンジョーを弾くにもピックを使わない。初めてそれを知ったとき思わず彼の手指を触って見ずにはいられなかった。年がら年中強く弦を張ったフィンガ―ボードに指を走らせ、それをつま弾く弦楽奏者の指が、どれほど硬くなってタコができているか見てみたが、予想に反して柔らかい指なのに驚いた。なるほど。ピックを使わない分だけ人の血の通ったやわらかい音を出しているのか。

全曲バックミュージックの方々、ドラム、ピアノ、コントラバス、トランペット、マンドリン、電子オルガン,リコーダなど、デイュオの女性シンガーも含めて、極端に控えめ。そのためスーマーの声が引き立つ。素敵な仲間たちに囲まれているスーマーの様子が見えてくるようだ。聴いていると、自分を飾らない、表裏のない誠実な、心のあたたかい人が歌っているということが伝わってくる。

何度も何度もオットは死にかけて、今はもう自力で歩けなくなり、視力もほぼ盲目同然になった。24時間ケア付きの施設に入所し、腎臓透析には病院付きの救急車で送迎してもらうようになった。言葉もなかなか出てこない。勘違いが多くなった。
人間の5感のなかで、聴覚が一番最後まで残ると言われている。視覚、触覚、嗅覚、味覚がわからなくなり、認識障害が出て来ても、耳だけは人は最後まで聞こえる。

私に余力のあるときは、できるだけオットを家に連れて帰ったり、ドライブに連れ出している。そんなとき車の中で鳴っているのはスーマーの歌だ。ブルースの一生は病気がちで喜びの少ない人生だった。今になって2回ほど日本旅行できたことが、一番良い思い出だったという。スーマーはブルースの喜びに華を添えてくれた。車の中で、ブルースは本当に嬉しそうに拍子をとって聴いている。
ありがとう。
スーマー。