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2017年3月19日日曜日
映画「ボブという名のストリートキャット」
原題:「A STREET CAT NAMED BOB」
イギリス映画
監督 :ロジャー スポテイスウッド
キャスト
ボブ : ボブ自身
ジェームス:ルーク トレタウェイ
べテイ :ルタ ゲドミンタス
ヴァル(ソーシャルワーカー):ジョアナ フロガテイ
父 二―ガル : アントニー ヘッド
今から15年前のことだが、シドニー北部で最大規模のベッド数を持つ公立病院に勤めていた間、病院の前に建つアパートに住んでいた。病院は広大な敷地に、メインビルデイング、研究室、小児科病棟、透析室、産科、精神科、など独立したビルが散在していた。目の前に住んでいても、務めていたビルに行くまで歩くと結構距離があって、巨大な樫の樹や、ガムトリーが茂る木々の間を歩いていると、枝から枝へと飛び移る猫サイズの有袋類ポッサムによく出会った。大きいリスのような姿で、両手で木の実を抱えてすわって食べる様子は、愛らしい。出会うと嬉しく、ポッサムのためにいつも果物を持ち歩いていた。牧歌的な時代だった。
やがて敷地一杯に新しい総合病院が建てられ、100年を超える歴史を持った木々たちは、無残に切り倒され、土の香りもなくなった。大きな建物の一角に、ドアには何も書かれていないが、それとわかる「メサドンクリニック」が開設された。ヘロイン中毒者と一目でわかる顔つきの人々が朝早くから並んで順番を待っている。メサドンを飲んだ後、仲間同士つるんでから、彼らはそれぞれ散っていく。
薬物中毒者が薬を絶ち、自立するには、大変困難を伴う。常習者は薬物が体から脱けると自分の意志に関わらず体が薬物を求める。一挙に薬物を中止することができないので、メサドンという代行ヘロインを毎日飲んで、徐々に薬物依存から抜け出していく。メサドンはビンごと患者に渡すと貯めて売ったりするから、必ず毎日クリニックに通わせて、医師や看護師の前で飲ませる。医療側も毎日患者の顔が見られると、様子がわかるので管理しやすい。メサドンを飲んでいても、働き出してお金ができるとヘロインを打って、過剰投与で命を失ったり、行倒れになるかもしれない。メサドンをもらいに来なくなると、警察の世話になっているのか、交通費もなくて困っているのか、など状態を把握し福祉関係者と連絡を取り合って必要な援助をすることができる。
シドニー最大の歓楽街キングスクロスには、ユナイテッド教会が経営する「ヘロイン注射所」がある。やってきた人に医師や看護師は、清潔な使い捨ての注射器と駆血帯をあげる。来た人はこれを受け取って、自分でヘロインを打つ。おかげで過剰投与で命を失うことも、注射器の使いまわしで HIVなど感染症を拡散することもない。薬物過剰投与で命を失う若い人が後を絶たないので、他州でも同じような注射所を開設する動きが出ている。薬物の関しては、今のところ、メサドンプログラムと、ヘロイン注射所の継続によって、かなりの感染症が防げて、過剰投与による死亡者を減らす効果が出ている。
というわけで、「ボブという名のストリートキャット」だ。
同名のタイトル原作本が世界28国で翻訳紹介されてベストセラーを記録している。日本でも愛読されているそうだが、全然知らなかった。ボブと名付けた野良猫に出会ったジェームス ボーエンというストリートミュージシャンが、猫と暮らすうちヘロイン中毒から立ち直ることができたという実話を、映画化したもの。
ストーリーは
ジェームスはオーストラリア生まれだが、父の再婚を機会にロンドンに移って来た。プロのミュージシャンを目指していたが、うまくいかず、父の再婚相手とも良い関係を築けない。家にいたたまれず家出、学校も放校となる。ドロップアウトの終着駅、ヘロイン中毒者となり、住むところも失い、コペントガーデンでギターを弾いて、その日暮らしをしていた。お金がたまるとつい薬を打つ。何度目かの過剰投与で死にかかって病院に送られたあと、ソーシャルワーカーの計らいで、古いアパートを提供され、メサドンプログラムを始める。
アパート生活が始まって、ある日、大きな傷をうけた茶色の猫を保護する。彼は有り金を全部はたいて、猫の治療をしてもらい、猫と一緒に生活を始める。動物病院の看護婦とも仲良くなって友達になる。ボブと名付けた猫は、すっかりジェームスに慣れて、ジェームスがバスで、1時間もかけてコペントガーデンにバスキングに稼ぎに行くときも、一緒についてくる。そのうちボブは、バスキングでギターを弾くジェームスの肩の上に載ったり、歌うジェームスのギターの上に座り込んだりするようになって、道行く人々が、珍しがって足を止めるようになった。猫と一緒のバスキングが人気を呼んで、稼ぎも良くなると、他のストリートミュージシャンの嫉妬、ねたみうらみを買う。遂に喧嘩になって、ジェームスはコペントガーデン出入り中止の命令を言い渡される。バスキングできなくなると生活費を稼げない。
被雇用者が雑誌を売るとその何割かのお金を受け取ることができる「イシュー」を、街角で売ることになった。ここでもボブを肩に乗せたジェームスは、たちまち人気者になって他の「イシュー」の売り子たちの顰蹙をかう。それで「イシュー」を売ることも禁止されてしまった。クリスマスにジェームスは、なけなしの金で買ったシャンパンをもって父の家に訪ねていくが、再婚した母は冷たく、その子供達は面白がってボブを追いまわし、散々な目に遭ってジェームスとボブは、家から追い出される。せっかく友達になった動物病院の看護婦とも仲たがいしてしまった。おまけに殴り合いのけんかで警察で留置されているあいだに、ボブを失ってしまった。
最低だ。ボブはもういない。バスキングが出来なければ稼げない。仕事も友達も失い、もう何の希望もない。そんな情けない、どん底のジェームスのところに、ひょっこりボブが帰って来る。ジェームスは、もう2度とボブに辛い目に遭わせないように、心を決めてヘロインもメサドンも絶つ。地獄のような数週間、そして数か月、、、。ボブがいつも見守っている。遂にジェームスは完全に薬から抜け出すことができた。ボブのおかげだ。
というお話。
依存症は性格のひとつで、もって生まれてくる。だからひとつのことに依存する人は、年を取ったり、家庭環境が変わっても依存する対象が変わるだけで、依存そのものは無くならないことが多い。タバコ依存症の人は、コーヒー依存症にも、睡眠薬依存症にも、アルコール中毒症にも、薬物依存症にもなる可能性がある。依存を絶ち、立ち直るには、どうしてそれがなければ居られなくなったのか冷静に自己分析して、ならばどうやって無くても居られるか解決方法を導き出し、よそからの援助を仰がなければならない。ドクターや医療関係者や施設やソーシャルワーカーや福祉施設の利用は必須だ。
自分の力だけで抜け出せる人は少ない。まして施設に入らないで自力で薬を断つのは容易ではない。ジェームスが、ばかをやってどん底まで落ちた時、それでもジェームスのところに戻ってきてくれたボブのために自己再生することができた男の実話は、同じような状況にある人達に勇気を与えることができるだろう。
この映画の良さは、1にも2にも猫のボブにある。映画化された実話をボブ本人が映画特別出演している。ジェームスは役者のジェームスだが、本物のジェームスの肩に乗るようにして役者のジェームスが歌っている間、彼の肩やギターの上に座って、ちゃんとじっとしている。これはすごい。天才的な立派な役者ではないか。それが、丸々とした可愛い猫なのだ。ジェームスのお話が本になり、ベストセラーを記録し、それから映画が撮影されるまで何年も経っているのにボブは、かっぷく良く丸々として年齢を感じさせず、美しい毛並みを誇って平然としている。立って姿よく、座って気高く美しく、歩く姿は堂々として華麗そのもの。すばらしい。
映画が公開され、英国映画ベストフイルム賞を受賞し、キャサリン ミドルトンからも頭をなでられた。フェイスブックにアカウントを持ち、そのフォロワーは20万人だそうだ。うーん!
ボブが自分のところに帰ってきてくれたから、ジェームスはドラッグから抜け出せることができた。しかし、実のところは、猫は飼い主を救おうとして帰って来たわけではない。はなから猫には、飼い主などというものは居ない自由な存在ではなかろうか。猫は単に居心地の良い場所に戻って来ただけ。
気がむいたから帰って来たのさ。
猫は、そうやって猫である、というだけで人々を救う。