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2017年1月3日火曜日

映画 新海誠の「言の葉の庭」


                             

映画:「言の葉の庭」
英語題名:「GARDEN OF WORDS」
監督 製作:新海誠
音楽:大江千里 
歌: 秦基博

ストーリーは
15歳のアキズキ( 秋月孝雄)が他の高校一年生に比べて、大人びているのには理由がある。父の居ないシングルマザーの家庭で、母親はひとまわり若い恋人と家出中、兄も近々ガールフレンドと同棲するために家を出ていく。家事は全部自分でやっていて、料理も自然と上手になった。
彼は雨の日が好きだ。子供の時は、空はもっと近くにあった。空の匂いを連れてきてくれる雨が好きで、そんな日 彼は学校に行かず、新宿御苑に行って雨の音を聞く。

ある日、アキズキが雨の新宿御苑の自分の定位置、東屋にいくと珍しく先客が居た。見ると彼女はビールを飲みながらチョコレートを食べている。変な人だ。以降、何度も雨の日にはアキズキの居る東屋に彼女も来ていて、二人は自然と話をするようになる。アキズキの作って来たお弁当を二人で分けて食べたり、家事のできないらしい彼女の作った、出来損ないのお弁当を分け合ったりしながら、二人は互いに会話をすることが楽しくなってくる。ふだんは口の重いアキズキも、この女性ユキノ(雪野百香里)を相手にすると、自分が進学をせず靴を作る靴職人になりたいという夢を語ることができる。ユキノは 喜んでアキズキの靴のモデルになってくれた。彼女は、いろいろあって、社会の重圧から歩くことができなくなっていて、歩く練習をしているのだという。

アキズキは、まだ自分が子供で父親が居て幸せだった頃、父が母の誕生日に宝石のような美しい靴を贈り、母がことのほか喜んだときのことが忘れられない。靴が母を喜ばせたように、自分が将来 美しい靴を作って、人を喜ばせたい。次第とアキズキはユキノが歩きたくなるような靴を作って贈りたいと、願うようになる。雨の日には会える。二人は互いに雨の日を待ち望むようになる。

ある日、アキズキは学校でユキノを見つけて、驚愕する。ユキノはアキズキの通う高校の古典の先生だった。彼女は学年で女生徒から人気のあった男の先生と関係を持った、という悪意のある噂が流出して、登校できなくなって休職していたのだった。ユキノ先生は、自分のことは、学校で多くの人に知られていたので、アキズキも自分のことを知っていると思っていた。アキズキは、ユキノを不憫に思い、悪意の噂の元になっていた先輩に向かって行って、さんざんにぶちのめされる。

翌日大雨の日に、二人は再び御苑の東屋で出会う。台風が接近していて、突然の豪雨にあって二人はずぶ濡れになる。ユキノは、ぬれねずみになったアキズキを自分のアパートに連れてくる。服を乾かしている間、アキズキはユキノのためにオムレツを作り、ユキノは熱いコーヒーを淹れる。二人して雨の音を聞きながら、二人して自分が今世界一幸せだと思う。
アキズキはユキノに、好きだと告白する。でも、恋愛に臆病になっているユキノはそれをまっすぐに受け止めることができない。拒否されて、傷ついたアキズキはユキノを、激しく責める。アキズキの悲鳴のような言葉を聞いて、ユキノはいままで自分の押さえつけて来た気持ちが爆発してアキズキに抱きついて泣きじゃくる。
というお話。

この映画は、「君の名は」に比べると短編だが、ストーリーも絵も、こちらの方がずっと良い。
15歳の少年が、27歳のちょっと不良で挙動不審な女性に出会って、話をするうちに打ち解けて好きになっていく様子が、とても自然だ。恋をして、恋を失いそうになったときの一生懸命なヒリヒリと痛む少年の心が痛いほど伝わってくる。ポール 二ザンは、「20歳が美しいなどと誰にも言わせない。」と言ったが、若さは美しいどころか、みじめで苦難に満ちたものだろう。好きな人ができて、心が舞い上がり、それがバウンドをつけて突き落とされる恋を、だれもが経験しながら大人になってきたのではないか。アキズキの悲鳴のような叫びをあげ、ユキノの号泣のように大量の涙を流しながら。

アキズキは学校でははぐれ者だったし、自分の話をよく聞いてくれる人が必要だった。大人の女性が自分の靴職人になるという夢に きちんと共感し、支持してくれて嬉しかった。ユキノはユキノで、妻子ある教師との恋愛が原因で、職場でトラブルを起こし、傷ついて生きる目標を失いかけていたが、一つの目標にむかっていくアキズキとの出会いが、何よりの励ましになった。アキズキとユキノは互いを必要としていて、その求心力が愛情を呼び起こした。相手を必要とする互いを求める力は、純粋で自然なことだった。
社会の重圧から、食べ物の味がなくなり、職場に通えなくなり、歩けなくなったユキノのために、アキズキは靴を作り始める。そんなまっすぐな本心を告白するアキズキに、ユキノは、「靴が無くても一人で歩けるように練習していた。」と言って強がってみせる。社会の壁にぶつかり、教師としての制約を思い知らされ、人格を壊されていたユキノには、アキズキの心情をまっすぐ受け取ることができないでいる。泣きじゃくり、泣き続けることでしか自分の気持ちを伝えることができない。
そうすることが、ユキノの魂の再生への過程だった。

最後にアキズキは独白する。「歩く練習をしていたのは、あの人だけでなく僕もそうだったのかもしれない。いつかもっと遠くまで歩いていけるようになったら、あの人に会いに行こう。」 そこまで言える心境に達したアキズキの大人の態度が立派だ。まさに、
「雷神の少し響みて さし曇り 雨も降らぬか 君を留めむ」
「雷神の少し響みて 降らずとも我は 留らむ 妹し留めば」

画面の自然描写が例えようもなく美しい。
本当のことを’伝えるために少し嘘を使った方が本当に近くなる、という表現方法の例えがあるが、アニメーションという方法でここまで本当の雨を表現できるということに驚愕する。雨が降りはじめ、水たまりができて、水面に鮮やかな緑が映える。雨の音を聞いていると、雨から匂い立ってくる雨の匂いが呼び起こされ、雨を感じることができる。雨の音が強弱を繰り返し、緑の木々が揺れ、風を感じることができる。空から雨が落ちてくる様子が自然を写した本物のフイルムのように、生き生きしている。高層ビルに囲まれた新宿御苑の緑が雨に濡れ、鮮やかさを増し、生き物すべてに命を与えるように、輝き始める。雨に濡れて木々が息を吹き返すように、若い男女の魂も再生する。雨によって二人の命が生き返る姿が目に見えるようだ。
美しい映画だ。