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2016年5月29日日曜日

日本映画 「あん」


         

原作:ドリアン助川
監督:河瀨直美
キャスト
樹木希林 :徳江
永瀬正敏 :千太郎
内田伽羅 :ワカナ

ストーリー
喧嘩の末、刃物で相手に重篤な障害を負わせてしまった千太郎は、刑務所から出所した際、多額の借金を知り合いに肩代わりしてもらった。借金を返済するために、その人が所有するどら焼き屋の雇われ店長として働かなければならない。家族も親しい人もなく、千太郎は、来る日も来る日も、どら焼きを焼く。店には学校帰りの女学生が常連でやって来る。中にいつも一人で来るワカナがいる。彼女は母親と二人でアパートに住んでいるが、母親には若い恋人が居る。いつも一人ぼっちのワカナの話を聞いてくれるのは、小さな籠のカナリアだけだ。

ある日、ひとりの老女がどら焼き屋を訪れる。雇ってほしいと言う。千太郎は彼女の年を聞いて断るが、徳江と名乗る彼女は自分が作ったというどらやきを、一口食べてみて、と言って置いていく。いったんそのどらやきをゴミ箱に放りこんだ千太郎だったが、気になってあとで食べてみて驚いた。甘いものが苦手な千太郎の舌にも美味しいと思う。しばらくして、再び千太郎の店を訪れた徳江に、千太郎はあんの作り方を教えてほしい、と頼み込む。それを聞いて有頂天に喜んだ徳江は、さっそく翌日から千太郎にあんの作り方を伝授する。やがて、美味しくなったどら焼きは評判になり、朝から客が並ぶような店になった。

しかし人気はいつまでも続かない。手指が腫れて変形した徳江の姿を見て、店の所有者は、徳江がライ病療養所に住んでいることを突き止めて、彼女を解雇するように千太郎に言い渡す。徳江は店を辞めた。しかし店の人気は落ち、客はもう戻って来ない。

ワカナは気落ちしている千太郎を誘って、徳江の居る療養所に会いに行く。二人は療養所で歓待されて、おしること、塩こんぶを出されてご馳走になる。千太郎はそこで甘い物に辛みを合わせると、味が引き立つことを教わる。一方客の遠のいた、どら焼き屋の所有者は経営を立て直すため店を改造して、自分の甥を店長にしてお好み焼き屋を始めることにした。
意気消失する千太郎とワカナは再び徳江に会いに行く。しかし徳江は肺炎で3日前に亡くなっていた。徳江が千太郎に残したものは、徳江が大事にしていたあんを作る道具一式だった。
というお話。

タブーだった元ライ病患者を正面から扱ったこの日本映画「あん」は、観終わって感動が波の様にひたひたと押し寄せて、心に染み入るような、良い映画だった。シドニー北部の小さなマイナーな映画を見せてくれる映画館で、一緒に観ていた沢山のオージー観客も感動して観終わった後拍手していた。
過失致死で罪を問われ刑期を終えて、何もかも失って、さらに借金を返さなければならない。喜びも悲しみも、希望も未来もない、そんな「ぬけがらのような男の魂」が、無垢な老女によって救済されていく様子が描かれている。またカナリアだけが話し相手だった中学生の少女の孤独も、邪鬼のない老女によって救われていく。70代の老女と、中年にさしかかった男と、中学生の女の子の3人が、強い絆で結ばれていく。3人が3人とも虚飾もなく、言い訳もなく、言葉少なく本心だけを吐露することによって、強い求心力によって結び合っていく様子が、せつない。

映画の中で、一度も笑顔をみせたことがなかった千太郎が、最後に晴れ晴れとした笑顔で、徳江の残した道具で作ったどらやきを、公園で作って客の呼び込みをしている姿が、とても良い。笑顔は、良いものだ。映画を観ていて痛んだ心が、ここで一気に解放される思い。また、ワカナは中学で学校をやめて家を出るつもりでいたが、高校に通う決意をする。みすぼらしい母親などに寄りかからずに生きていくために、自分の基礎をしっかり作らなければならない。
徳江の残したものは大きい。「生まれて来たからには、無駄な命なんてない。」「人は自然の美しさを観て、自然の声を聴くために生まれて来た。」という徳江の言葉がすべてを語っている。療養所から出て自由な人生を歩んだことのなかった徳江の言葉だけに重い。

満開の桜で、映画が始まりドラマが展開して、満開の桜で終わる。画面いっぱいに桜の花が咲き誇る並木が、次々と映し出されるごとに、映画館の中がオージー観客の溜息と、ビューテイフルとささやき合う声が繰り返された。ソメイヨシノの淡い、もうほとんど白といって良いほどの桜が、本当に美しい。オーストラリアは人口が少なく、日本映画を上映してくれるような映画館がごく限られる。この映画が見られたのは、幸運だった。監督の河瀨直美は、「もがりの森」で、映像の抽象画家のように自然を美しく描く彼女の映像画面が印象的だった。日本のルノアールか。

ライ病差別は日本に限らない。オーストラリアも隔離政策による’犠牲者を沢山抱えている。無知による差別の歴史は、良心の痛みの歴史でもある。
感染症ライ病を一般社会から完全に隔離することを目的とした悪名高き 「らい予防法」は1996年になって、やっと廃止された。その後、隔離されていた患者の救済を目的とした「らい予防法違憲国家賠償訴訟」は、伝染の恐れがあるとして隔離することを認めたらい予防法は日本国憲法に違反する、として提訴され、2001年になってやっと、原告勝訴を獲得した。当時の小泉純一郎総理大臣が、国として控訴を取りやめたことで、遂にライ病予防法廃絶と、患者救済と保証金支給に関する法が施行されることになった。
1953年に施行された「らい予防法」は、科学的根拠のない差別むき出しの法だった。患者は国の指定した療養所に強制的に入所されられ、外出を制限され、後見人や親権のない患者やその子供達は、療養所の所長が親権を持ち、療養所内で教育を受けた。優性思想によって、患者は断種、子宮除去手術を受け、死後は骨を引き取る人が居ない為、療養所内の納骨堂に収められ、元患者は、死んでからでさえ故郷に帰ることはできなかった。

古くは聖書にさえ、ライ病患者への差別が見られる。ライ病患者は一般社会から駆除されて、自分たちのコミュニテイーを作っていた。旧約聖書物語を映画化した、チャールトンヘストン主演の映画「十戒」でも 差別されている患者達の姿が描かれている。中世においては、ライ病は仏罰、神罰であって、罪ある者が神によって罰を背負わされていた、と理解されて非人扱いされていた。患者の多くは零場への巡礼の旅に出され、寺や神社のまわりに住まい、乞食として放浪した。

90年に及ぶライ病隔離政策は、終止符を打ち患者は一応救済されたが老齢の患者たちは、故郷に引き取り手もなく、今までの療養所にとどまり、そこで死を待つ者が多い。ライ病は皮膚症状からみて、関節リウマチ、サルコイドーシス、全身エリテマド―シスなどと誤診されることも多かった。こうした自己免疫疾患を誤診されて治療の機会を逃した患者たちは、ライ病予防法国家賠償からも、取り残された。
ライ病は細菌感染疾患なので完治するが、早期発見と早期治療がなされないと末梢血管にダメージを受けて手足の指や鼻など変形することが多い。細菌感染は自己免疫能力が落ちていると誰でも感染する可能性がある。決してなくなった疾患ではなく、現に今でも、毎年患者がわずかだが出ている。ライ病問題は、医療問題ではなく、無知なために差別を許してきた社会の問題だ。

深刻な社会問題を、肩の力を抜いて平易な言葉で書いた原作者、ドリアン助川を心から尊敬する。ドリアン助川が、「叫ぶ詩人の会」を主宰していたころから、注目していたが、本当に、人の感覚に鋭敏で、それを表現しまっとうなことを語る人だ。この映画でカンヌ国際映画祭に招待されて、作品の契機になった元患者さんの車椅子を押して、監督も一緒にみんなでカンヌに行ったという。

この作品は読書感想中央コンクールで、中学高校の指定図書だそうだ。差別を語り続け、忘れないために、これからもずっと子供たちの必須図書であって欲しいと思う。