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2016年4月29日金曜日

ドキュメンタリフイルム「ダイビングベル」セウォル号の真実 真実は沈没しない

            

監督:アン へ リオン
製作:ファン へ リム

事故は2014年4月16日午前8時48分に起きた。
大韓民国、仁川港を出て済州島に向けて運航していた大型旅客船セウォル号が、済州島の手前18キロのところで、急激に右転回したことによりバランスを失い横転し、沈没した。ダンウオン高校の修学旅行の生徒たち325人、教員14人、一般客108人、乗務員29人の合計476人を乗せていた。救助活動の不備のため、304人が亡くなり、救助活動に携わったダイバー8人も命を落とし、救助されたのは,たった172人だった。

事故から2時間後に教育長が修学旅行のために乗っていた生徒325人は全員救助されたと、生徒の保護者たちに一斉にメールをしていた。其の4時間半後に、事故対策本部は、全乗客476人のうち368人が救助され、約100人が不明だと発表。その3時間後に今度は、海洋警察が300人が不明だと発表していた。
混迷する情報に、保護者達は同校体育館に集まり、海洋警察の説明に苛立った。保護者達は、携帯電話を通して自分の子供達がいまだに船内で救助を待っていることを知っていた。状況を把握していない海洋警察に業を煮やした保護者の一部は、済州島に来て、漁船をチャーターして事故現場に行った。そこで彼らが見たものは、現場には対策本部さえできておらず、「640人の救助隊員、ヘリコプター121機、船舶69艘が救助にあたっている、」という警察発表がまったく偽りだという現実だった。

ドキュメンタリーフイルム「ダイビングベル」の語り部は、ジャーナリスト、GLOBALニュースのリー サン ホーだ。彼は自分の足で取材していて、「640人の海軍を含めたダイバーが救助活動をしている」 という政府発表が、全く事実に反することを知っていた。すでに6月19日となり、事故から3日経っているが、たった8人のダイバーが現場までボートで行き帰って来ただけだった。彼は民間のボランテイアのダイバーにインタビューした。彼らは現場で海洋警察に妨害されて、何の救助活動もできなかったと、証言している。
政府は、海洋警察、海軍、水産庁、独占的に救助を依頼されたオンデイ―ヌ社と結束していて、民間のボランテイアも、日本からの援助も、米軍からの救命ボートのオファーもすべて断っていた。それでいて19日時点でも、「海洋警察は720人の救助隊員、261艘の船、35台のエアクラフトが救助活動をしている」 と公表している。オンデイーヌ社のリー サン ホー社長は、海中から生存者を救出することは大変困難だ、と言っている。政府も警察もオンデイーヌも、すでに乗客を生きて救出など出来ない、と知っていたのだ。

ジャーナリストリー サン ホーは、社から解雇されたが、気にせず海洋事業で海難救助に詳しい人を探し回り、民間会社のリー ジョン インに出会う。彼はダイビングベルがあれば、転覆した船のエアポケットの中にいる生存者を救出できるという。ダイビングベルとは鉄製の釣り鐘型の救命機で、中では4人の人が座って普通に呼吸ができるという’装置。アメリカで沈没した戦艦に閉じ込められて30メートル海中で船内のエアポケットに居た兵士を救助した記録がある。これを使えばダイバーは、20時間も海中で捜査、探索ができるという。リー ジョン インは$150000もするダイビングベルを取り寄せて21日に、現場に向かう。 しかし、大型ボートでダイビングベルとともに、現場に行ったリー ジョン インと彼の仲間たちは、海洋警察に恫喝されて戻って来る。メデイアは、そろいもそろって「ダイビングベル設置できずに失敗」と報道する。ジャーナリストのリー サン ホーと、リー ジョン インは自分たちの前に立ちはだかる「権力」というものの大きさを改めて知らされる。

帰ってこない子供達に思いをはせる保護者達は黙っていない。海洋水産庁長官リー ジュ― ヤングと、海洋警察署長キム スック キョンを前に、「この3日間、救助と言いながら何もやっていないではないか、750人の救助隊員とは、どこにいるのか」と、追及し、怒りを爆発させていた。 その場でジャーナリスト リー サン ホーは、ダイビングベルを試してもらいたいと提起して、海洋水産庁長官と海洋警察署長の承認(オーダー)を取り、保護者達の賛同も得て、リー ジョン インに戻ってきてもらうことになった。
2度目のダイビングベルの登場。しかし当日になってみると、同行するはずのメデイアは見当たらず、船に同船するはずの保護者達も居ない。それでも 「わずかな人は私の失敗を待っているが、ほとんどの人達は成功して奇跡が起こることを望んでいるはずだ。」 と言ってリー ジョン インは港を後にする。そして再びセウォル号に近付くと海洋警察の停められて、「腹を刺されたいか」と恫喝威嚇される。

3度目の強行。ついにダイビングベルはセウォル号に取りつき海底探索を決行する。70メートル海中を2時間近く調査して浮上した。いままでの海洋警察のダイバーがダイビングできたのは11分、海軍が26分、それに比べてダイビングベルでは2時間捜査探索ができる。リー サン ホーと、リー ジョン インは、嬉々として、これで今後は海洋警察と海軍がこのダイビングベルを使って効果的に捜査できるだろうと、小躍りする。
しかし、翌日リー サン ホーとリー ジョン インが受け取った海洋警察の言葉は、「そこをどけ。」「帰れ」だけだった。
という記録。このドキュメンタリーフイルムは釜山映画祭で上映されたが、その執行委員長が更送された。

事故から2年経ち、いろいろな事実が明るみに出て来た。YOU TUBEだけでも、「DIVING BELL」、「NEWSTAPA:KCIJーGOLDEN TIME FOR SEWOL FERRY」、「UNCOVERING THE WEB OF INTRIGUE SURROUNDING THE SEWOL FERRY DISASTER」、「NEWSTAPA SEWOL FERRY ONE YEAR SPECIAL」などなどを見ることができる。亡くなった生徒達が送ったメッセージやビデオも、それを受け取った保護者達が記録として残している。セウォル号が沈没し、多くの死者が救出できなかった原因は。
1) 過剰積載オーバーロードで、積荷は基準の3.6倍もあり、大型車両などの貨物が固定されておらず、極めて不安定だった。
2) 操縦席に船長は不在、船長を含め、乗員全員が契約社員だった。事故当時操縦は入社4か月、26歳の女性三等航海士ひとりに任されていた。
3) 不適切な船体改造で、船体がバランスを欠いていた。過剰積載のバランスをとるための水が4分の1しか注入されていなかった。
4) 船体の公的機関、監査院による安全のための定期検査が行われていなかった。役所との癒着が船の安全を失わせた。
5) 船の機械そのものに欠陥があった形跡がある。
6) 船の引き上げ、乗客救助を民間会社オンデイーヌ一社に不正に独占契約させた。当会社は海洋警察と癒着し海洋警察の天下り先となっている。この独占企業が他の民間企業の協力を拒み、他国からの援助も拒否する結果となった。

時間を追って問題を見てみると
4月16日午前8時49分
セウォル号を船長に代わって操船していた入社4か月の契約社員三等航海士パク ハン ギョルは、この航路での操船は初めてだったが、16-18ノットで航海すべきところを21ノット(時速39キロ)のスピードで航行し、19ノットで急旋回したため、船体が傾き荷崩れが起きた。彼女は5度以上の操船角度で回せば沈没の危険があることを知っていて15度以上の大角変針して船を沈没させ、その後乗客に救護措置をとらずに船から脱出した。

船には大型トレーラー3台、車両180台(245トン)、コンテナ150本(1157トン)など、合計3608トンの貨物が積荷され、それらは固定固縛されていなかった。基準の987トンを大幅に上回った重荷を載せているため、それを隠すため船体のバランスをとるため注入されるべき2000トンの水を、その4分の1に減らしていて、580トンの水しか入っていなかった。またこの船は 2012年に輸入され、客室拡張のため、客室2階部分が増設され船体重心が上昇していた。そのため、船体は極めてアンバランスな状態になっていた。

イー船長は事故発生当時、自室に居たが、船の事故を知ると、9時35分に最初に到着した海洋警察の船で逃亡した。これは大韓民国船員法「船長は緊急時に際して人命救助に必要な措置を尽くし旅客が全員下りるまで船をはなれてはならない」の違反しているため、後に高裁で、殺人罪で無期懲役を言い渡されている。
チョン ヨン ジュン副船長は前日に入社したスタッフで、セウォル号安全設備担当者も同日に入社、事故当時乗っていた船員15人のうち、8人はセウォル号乗船半年未満だった。
乗員たちが、乗客の誘導、救護をせずに、いちはやく逃げ出した理由は、20年以上前の救命ボートが使えないことを知っていたからだと、思われる。錆とペンキの塗り替えで救命ボートも、46個のカプセル状の筏も、下ろせず使い物にならない状態だった。
乗員たちは、みな制服から私服に着替えてから、乗員だけが知っている通路から救助されており、乗員として許されないことをしている自覚が十分あった。船長はズボンを脱ぎ捨てて「救助」されている。 また、のちには、いち早く救助された乗員たち15人は、海洋警察が宿泊しているホテルに滞在し、逮捕されるまで全員で口裏を合わせて罪から逃れるための画策をしていた。
高裁判決では、殺人罪を適用された船長を始めとして、14人は、遺棄致死罪で懲役1年6か月から12年まで言い渡されている。

この船会社では、緊急避難教育が全くなされていなかった。船員教育費年間:54万ウオン、広告費:2億3千万ウオン、接待費:6060万ウオンという記録がある。オーナーの楡氏に対して警察は、彼の国外逃亡を阻止しようと、彼が創設したキリスト教団体クムス院を6000人の機動隊を動員して捜査し、全国指名手配、情報提供者に5千万円の謝礼が約束された。彼はカナダとフランスに亡命申請していた。しかし2か月後に彼の変死体が見つかる。

事故後、9時24分に船は45度に傾いている。9時45分に船は62度に傾いていて、それまで船内放送で、「救命胴着を着用して待機するように、動かないように」 と幾度も念を押されていた生徒達も自分たちの客室で待っていることに、疑いと極度の不安にかられていた。傾斜した客室で落ちて来た家具などで死者、けが人も出ている。
9時43分に息子を会話をした父親が 「、言われたように待機していなさい。かならず救助されるから。」と言って携帯電話を終えた。その父親が、自分を責めて、ジャーナリスト リー サン ホーと泣きながら政府に抗議、真相究明の行進に参加している。9時56分の生徒が送って来たビデオには、エアポケットで心理的恐慌状態の沢山の生徒達が写っている。10時15分に生徒の「待て、待てだって」 という言葉が最後。それまで待つように、と放送していたアナウンサーが、同じ時間に、初めて全員脱出するように促したと言われている。しかし、この放送を誰か聞いて実行できた生徒はいない。

驚くべき権力との癒着。
見えてくるのは権力者と企業との腐敗した癒着だ。金権主義に染まっていて、子供達の安全など考えもしない。国と、海洋警察と、海軍、癒着企業の権威を取り繕うことしか考えない政府の公式発表。何事が起きてもすぐに誰かがトップになり、その他は追従する。極端に先の尖った三角形のヒエラルキーが出来上がり、一旦パワーが確保されると、どんなに人々が声をあげようが、嘆こうが、犠牲が出ようが、変えることができない。固定した「堅固な警察社会」。

混乱する現場を強力な権威:海洋警察が独占指揮を執る。民間ボランテイアやダイバー、海軍さえも海洋警察に従わなければならなかった。それはそれとして、しかし、ならば何故 生徒達が船内にとどめ置かれていることがわかった時点で、何故、どうして海洋警察は船内に入って生徒達を誘導、救助しなかったのか。市民国家にとって、ポリス:警察が市民を守らないで信頼できないとは、どういうことなのか。船が横転してから沈没するまでの1時間20分、海洋警察は何をしていたのか。

こういったドキュメンタリーを観るには覚悟が要る。
子供を失った保護者達にとっては事件は終わっていないし、いまだ海の底に沈む船内に居て保護されていない遺体もある。船の引き上げが完了するまで、見届けると言って、船の見える丘に代わる代わる座り込みをしている保護者達も居る。真相究明は、まだこれからだ。
この世で一番耐え難いことは、まちがいなく自分の子供を失うことだろう。子供のために生きて来たのに子供に先に死なれたら親は生きる価値はないと、自分を責めるしかない。今まで、これだけ嘘を重ねてきた政府権力者からの見舞い金など、受け取れるか、と拒否する保護者達の気持ちはよくわかる。

いま私たちは、テイシュペーパーボックスを次々と空にしながら、このようなドキュメンタリーフイルムを見ることが大切だと思う。何年経っても記憶して、いつまでも、こういった不正が行われ、無垢な子供たちが本当に苦しみながら殺されて逝ったのだということを、忘れない。記録を見て、強く記憶にとどめ、権力を憎み続ける。