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2016年2月19日金曜日
映画「レヴェナント」蘇えりし者
体重が300キロもある大熊が無防備におなかを上にして、すやすやと眠っている。そのおなかに顔をうずめて熊の匂いを胸いっぱい吸い込んでみたら、どんなに幸せな気持ちになれるだろうか。写真家、星野道夫は、地元の青年たち熊の生態調査のために冬眠中の熊の穴の中に入り、熊の健康状態を調べていた。時として空腹で眠りの浅い熊が目を覚ましたら、大惨事になるところだ。とても危険な調査で一刻も早く仕事を終えなければならない。でもその場で彼は去りがたくて思わず、熊のおなかに顔をうずめて深呼吸する。暖かいおなかから干し草の香りと、柔らかい野生動物の体臭がしたという。その彼の姿がありありと想像できて、もしそんな幸運に恵まれたら、きっと同じことをしただろうと思う。星野道夫のエッセイは、極北の空気のように乾いていて、ブルーがかった氷の色がする。彼はアラスカの写真をいくつも撮影していて、空気に様々な美しい色があることを教えてくれた。アラスカ極北の映画をみていて、星野道夫さんのエッセイと写真集を思い出した。彼は、エスキモーの国、ラップランドが大好きで、たくさんの美しい作品を残したが、熊に襲われて亡くなった。今年は彼の死から20年目にあたる。
映画「レラヴァント 蘇りしもの」は、そんな極北の淡い光と、ブルーに近い冷たい空気が映画の中でよく再現されていた。
大熊と戦って生還した男が、理不尽に息子を殺されて、復讐することに命を懸けるというお話。いつも映画界に新しい話題を提供してきたメキシコ人のアルハンドル ゴンザレス イリャリトウ監督、エマニュエル’ルベッキが撮影監督をしている作品。彼らは撮影技術の壁をいつもぶち破る革命児でもある。
ルベッキは、「ゼロ グラビテイ」で 宇宙空間を作り出すために、照明装置のついた巨大な箱を作り、その中で演技する役者がいっさい影ができない空間を作り出してカメラを回した。そこでリアルな宇宙遊泳を撮影することを成功させた。
「バードマン」では、役者を酷使するカメラの長まわしで、従来のやり直しのきく撮影の仕方をあえて拒否して、限りなく舞台に近い映画を作ってくれた。
今回の映画では、照明をいっさい使わずに自然のありのままの採光だけでカメラを回した。撮影装置や設備を効果を出すために使わずに、あえて手間暇をかけて、日照時間の少ない極北の自然光だけでフイルムを撮影した。だからフイルム全体が、くすんだブルーで何とも言えない氷の世界の美しさに満ちている。空気が寒さのために凍って霧が降っている。そんな画面に音楽が実によくかぶさっている。坂本龍一が音楽を担当しているが、音楽だけでなく、雪解けの水の流れる音、風が揺さぶる木々の音、人の呼吸する音などが効果的に使われている。男の荒い呼吸音で映画が始まり、その荒々しい呼吸が止まるところで映画が終わる。
零下数十度の厳しい冬のアラスカ、人の生きることができる極限で、スタントマンなしでレオナルド デ カプリオが好演している。厳しい自然、暴力的な開拓者たち、先住民族の土地への侵略、無法地帯の状況を強い男だけが生き残る。究極のサバイバル。
監督がイニャリトウと、ルベッキで、主演がレオナルド デ カプリオだというだけで、この映画は観る価値がある。このような極地で熊と戦った男だけが、自分が殺した熊の毛皮を羽織ることができる。熊との死闘で生き残った男の、死の床に敷かれるのはその毛皮だ。そしてたくましく生き残った男が身にまとうのもその毛皮だ。うらやましくても横取りなどできない。誇らしく大熊の毛皮を最後まで身から離そうとしない、立派な毛皮を着たデ カプリオが男らしい。ストーリーは単純だが、映像が美しい。
この映画でデ カプリオは、英国アカデミー賞主演男優賞と、ゴールデングローブ主演男優賞を与えられ、オスカーで主演男優賞の候補になっている。この人ほどハリウッドの映画興行に貢献している役者はあまり居ない。1997年若干22歳でジェームス キャメロン監督の不朽の名作「タイタニック」を主演し、ハリウッド前代未聞の興行成績を記録した。数字では全米6億ドル、世界で18億3500万ドルを稼ぎ映画史上最高の世界興行収入を記録して、ギネスブックにも登録されている。作品は11部門でアカデミー賞を受賞したが、デ カプリオに何の賞も与えられなかった。その後、「ギャング オブ ニューヨーク」(2002)、「キャッチミー イフ ユーキャン」(2002)、「アビエーター」(2004)、「ブラック ダイヤモンド」(2006)、「シャッターアイランド」(2010)、「インセプション」(2010)、「Jエドガー」(2011)、「華麗なるギャツビー」(2013)、「ウオルフ オブ ウォールストリート」(2013)など、次々と映画をヒットさせてきたが、彼は毎年話題になるだけで、一度としてアカデミー主演男優賞を与えられることはなかった。
彼はナチュラリストで環境保護運動に力を注いでいる。ハリウッドで環境運動家は喜ばれない。ましてユダヤ資本でとりしきっているアカデミー映画賞の審査官たちの目を惹かない。環境保護活動家は、大気汚染のガソリン自動車の広告塔にはなってくれないし、武器産業や、原子力エネルギー産業に力を貸すこともしないで、世界を牛耳っているユダヤ資本に無縁だ。だからデ カプリオは、日本では人気があるがアメリカではそれほどのことはない。サイエントロジーに凝っているトム クルーズも、宗教に感心のない日本人の間では人気があるが、アメリカでは変人扱いだ。人権活動家のバネッサ レッドグレープなど、極左コミュニストとあからさまに呼ばれている。
今年のアカデミー賞は、2月28日、ハリウッドのドルビー劇場で発表される。この模様はABCが中継するが、2015年に公開された映画の中で優れた作品に授与されるはずだ。ところが賞の候補作、候補者が選別されたとたん、今年のアカデミーは、「ぺイル、メイル」で「ホワイトアカデミー」だと批判にさらされている。候補者が全員白人一色で、男が中心だったからだ。でもここにベンゼル ワシントンや、ナオミ ハリスや、渡邊健や、ジャッキーチェンが混じっていたら、どうだというのか。「白だけでなく少ししだけ茶色や黄色や黒が混じっていたほうが安心」、という白色側のバランス感覚というのもおかしなものだ。
アカデミーでは優れた作品が高く評価され、優れた役者が選ばれれば良い。賞というものは、公平か、不公平か、差別的か、おそらくすべて当たっている。アカデミー賞の審査は公平ではないし、世の中はすべて公平ではない。人の好みはそれぞれだし、人は差別の中で生きなければならない。そんなことを論議するよりも、ハリウッドのアカデミー賞から、もっとベネチア映画祭や、シド二ーのマルテイグラ映画祭とか、英語圏でない国々のローカルな作品に授与される賞に、目を向けた方が良い。
でも日本の映画がアカデミーの外国映画部門でもアニメーションの部門でも候補作にあげられなかったのは残念だった。