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2015年4月19日日曜日

漫画 「ぴんとこな」1-13巻

                        
              

漫画:「ぴんとこな」1巻ー13巻 作 嶋あこ 小学館
キャスト
河村恭之介(本名 河村猛)
澤村一弥 (本名 本郷弘樹)
千葉あやめ
田辺梢六

ストーリー
「ぴんとこな」とは、歌舞伎の言葉で、凛とした美しい役者を指す。
歌舞伎の名門中の名門:木嶋屋の御曹司、「河村恭之介」は、声よし、顔よし、家柄よし、3歳の時から歌舞伎が好きで努力してきたため、人気も申し分ない歌舞伎の申し子ともいうべき存在だ。だが高校生になって、いつまでも自分を褒めてくれない父親への反感から、急に練習に身が入らなくなって、いい加減に歌舞伎のスケジュールをこなすようになってしまった。周りは心配しているが、きちんと練習しなくてもファンは相変わらず、彼を持てはやす。彼の存在そのものが、「空かから宝石が落ちてきたのか」と思われるくらいに輝いている。「どこに紛れていようと、光は真っ先に君を照らすんだ。」などと学友に言われている。

一方、彼と同い年の「澤村一弥」は、歌舞伎界で最近急に人気が出てきた実力ナンバーワンで、歌舞伎のバックグランドがないのに、小学校5年の時から、弟子入りして役者になろうとして努力してきた。それほど歌舞伎に入れ込むことになった理由は、小学校4年のときに出会って恋をした、「千葉あやめ」にある。歌舞伎が好きな女の子、あやめは、一弥を歌舞伎を見に誘い、そこで一緒に河村恭之介が「鏡獅子」を踊るのを観た。同い年なのに、舞台では他のおとなの歌舞伎出演者たちよりもずっと芝居も舞いも上手で輝いている。目を輝かして河村恭之介を見つめるあやめを見て、澤村一弥は激しく嫉妬し、あやめのために立派な歌舞伎役者になりたいと願う。あやめのために、歌舞伎役者のナンバーワンになると誓ったが、間もなくしてあやめの家が破産して彼女は一弥の前から姿を消す。一弥とあやめを結びつけるものは歌舞伎だけになった。一弥は努力を重ね、再びあやめに会うために一日でも早く舞台に立ち、あやめの目に止まるように願ってきた。しかし彼は弟子入りした轟屋の一人娘に愛され、のちには養子として轟屋の後継者になることを求められる。
というお話。

この漫画の面白さは、たくさんの歌舞伎が出てくるところだ。それぞれの歌舞伎のストーリー、役者の見どころ、演技の難しさなどが次々と登場人物たちによって語られる。役をもらい、その役を自分なりにどう解釈して演じるか、役柄を自分のものにするために四苦八苦する若い恭之介と一弥の姿が興味深い。大人に見えるが、二人ともまだ15歳なのだ。

1巻であやめと一弥を感激させた恭之介が踊る、「春興鏡獅子」では、いかに女役と、激しい獅子を踊る二役が、演じるのに難かしく体力も集中力も要る激務であるかがわかる。そんな舞台で、大人顔負けに踊る10歳の恭之介は、まことに天才的な役者なのだ。

1巻で一弥は「恋飛脚大和往来」(こいのたよりやまとおうらい)で、遊女梅川の役を演じる。主人公の忠兵衛は、飛脚問屋の子で梅川を身請けする約束をしたが、身請け金の全額を出せず手付金しか用意できない。そこで遂に公金3百両に手を付けてしまい、結果として梅川と死出の旅に出る。哀しい運命の梅川が、あやめに会うために歌舞伎に精進してきたのに、自分の意のままにならず師匠の娘と関係を持ってしまう一弥の哀しさに通じて、観客の涙を誘う。一弥の表現力と演技力に観客は夢中だ。

第2巻では、今では努力することを放棄したぐうたら恭之介と、一弥が初めて「松葉目物舞踊劇、棒しばり」(まつばめもの)を共演する。日々努力する一弥と恭之介との体力や演技力の差は一目瞭然だ。一弥は恭之介を憎みながらも放っておけず、つききりでスパルタ教育を施し体力をつける運動を強いて練習に励み、二人は大名の家来、太郎冠者と次郎冠者を演じる。舞台で、両手を棒に縛られてしまった二人は、好きな酒を飲むために協力して互いの口に器を運んでやらなければならない。後半一歩遅れる恭之介は、舞台でも遅れた。しかし一弥の機転で一弥は恭之介に合わせてやることができる。その瞬間舞台に出ている他の役者たちも恭之介に合わせていた。初めて舞台の上でそれに気がついた恭之介は、努力してこなかった自分の愚かさに愕然とする。舞台は主役だけでするものでなく控えのたくさんの役者や音楽に支えられている。舞台で一歩遅れる恭之介に合わせて舞台を進められる人々の独白、、、「みんな子供のころからこの世界にいる恭之介がかわいいんですね。」「だめでなまいきな御曹司をそれでも愛しているんです。」という台詞が感動的だ。これを契機に歌舞伎一直線に突っ走る恭之介が、本当に可愛い。

第3巻と4巻では、一弥は、「菅原伝授手習鑑」(すがわらでんじゅてならいかがみ)で、加茂堤の刈谷姫を演じる。好きな男の前で恥じらう16歳のお嬢様の役を演じる。役つくりで悩む一弥は恭之介と同級生だったあやめに、恭之介のはからいで再会し、あやめの表情から刈谷姫の役どころや表現を学ぶ。あやめにたくさんのインスピレーションを得て、舞台に立つが、あやめに師匠の娘との関係を知られて拒否されたことで立ち直れなくなってしまう。

第5巻では、「狂言三人吉三巴白波」(さんにんきちさともえのしらなみ)を、西田屋の御曹司西田完二郎と、一弥と恭之介の3人で演じることになる。3人の吉三と言う名のお坊と和尚とお嬢が泥棒になるお話。女装のお嬢役の一弥と、恋仲のお坊を演じる恭之介は、役作りに苦しむ。あやめを愛し、あやめのために歌舞伎に生きると決めた恭之介は、一弥のライバルだったが、一弥と別れたあやめは自分の思い通りになるような女の子ではない。役作りにのめりこんで恭之介は、一弥にまといつき、どうして二人は愛し合い、一緒に死の旅に出るのか理解しようと四苦八苦する。あげくに恭之介は一弥に会うと胸が高鳴るようになり、一弥に「僕に惚れていませんか」と言われる始末。しかし苦しんだ末に役に息を吹き込んだ舞台を上演できた恭之介は、「あいつは俺の片割れよ。生きるの死ぬもこいつが居なけりゃツマラねえのさ。」ということになって、二人は互いになくてはならないライバルとして互いに技を磨きあう友情が芽生える。

第6巻では、「野崎村」が出てくる。恭之介は ライバルを得て絶好調、もっと一弥を理解したくて初めて女形を演じる。彼は久松を愛するお光の役を演じて人気沸騰の絶好調。あやめは役つくりに力になるが思い通りになるわけではない。しかし本気で舞台に精進する恭之介を心の中では愛し始めていた。この舞台は、ご贔屓さん小向ミネの要請によるものだった。彼女は恭之介の祖父、人間国宝の河村樹藤の秘密の恋人だった。樹藤がお光を演じた舞台が忘れられない彼女は、恭之介が演じるお光を、樹藤との思い出に重ねて、心から満足する。

第7巻では恭之介に負けず、一弥が今度は男役に挑戦。「女殺油地獄」の与兵衛を演じ、恭之介を感激の涙で溺れさせる。
第8巻で、「桜姫東文章」(さくらひめあずまぶんしょう)で、恭之介と一弥の二人は再び共演する。恭之介な清玄と権助、一弥は白菊丸と桜姫だ。権助と桜姫との濃厚な濡れ場が見せ所の舞台で、女を知らない恭之介は役つくりに苦しむ。一弥のプレッシャーとあやめの上向き加減の態度でやっと自信をつけた恭之介は立派な舞台を仕上げて、一弥に向かって「俺たちコンビだもんな。次も一緒に演って、その次もまた次もずーっと演ろうぜ。」と言い、一弥も同意する。

第9巻では父親の意向で恭之介は、修行のため歌舞伎界の大御所、高村恵利左エ門の家に預けられる。この大御所は、怒り肩をしているが、女形としての体型を作るために生涯努力をしている。そんな歌舞伎魂に恭之介はすっかり魅せられて、恵利左エ門と意気投合し、また可愛がられる。恵利左エ門は、定例の舞台で、「藤娘」を踊る予定だった。しかし、一弥が見せしめのように、年老いた恵伊左衛門の前で、若く美しい「藤娘」を踊って見せたため、恵利左エ門は自信を失って舞台をキャンセルしてしまう。恭之介は生涯の片割れ、ライバルと信じていた一弥よりも恵利左エ門を励ます。また恭之介は、「白波五人男極楽寺」で、主役でなく、捕手役をやって屋根からトンボ返りをして見せて、主役をなおざりにして舞台を沸かせてみたりもする。

一方の一弥は、西田屋の娘と婚約して西田屋の後継者の地位を約束される。しかしあやめを未だに心の中では忘れられず、あやめとの中を裏で田辺梢六という下端の役者を使って引き裂いた師匠の娘を許す気になれない。娘は婚約中の一弥に疎まれているうちに、田辺梢六の子供を妊娠してしまう。西田屋の師匠は一弥の子供ができ、孫が生まれると勘違いして一弥を混乱させる。じつは、相手の田辺梢六は、恭之介の祖父河村樹藤と愛人小向ミキとの間にできた子の息子だった。誰からも見向きされない下端役者の梢六は、実は歌舞伎界の人間国宝の孫だった。西田屋の師匠の娘は人間国宝の孫の子を身籠ったのだった。
というところで13巻。

魅力は、主人公の恭之介にある。御曹司で苦労知らず、まっすぐで繊細で、人が好い。あやめのために生きると決めるもう何があっても変更できない。一弥に、「生まれ変わったら何になりたい? 僕はもう一度河村恭之介になりたい。」とすらりと言う。一弥は、口には出さないが、生まれ変わったら自分も河村恭之介になりたい、と思っている。誰でも、太陽のように明るくて、どこに紛れていても必ず恭之介から陽が射す宝石のようにキラキラ輝いている存在になりたい。それができない一弥が哀しい。また、恭之介は高校の親友、春彦に「お守り役はヤダ。」と 突き放されて仲たがいするが、「おまえ、何怒ってるのか知らねえがお守り役はいやだって言ったけどいいじゃねえか。俺にはまだまだお守り役が必要なんだよ。」「春彦はいねえとさびしいだろ。」と蹴りを入れて、仲直りだ。魅力的で可愛い。
まだまだ話は続く。歌舞伎は次々と紹介されて、二人の15歳高16歳の役者が、苦しみながら、悩みながら、与えられた役に命を吹き込もうとして努力を重ねる。彼らの成長を、歌舞伎の役を演じるごとに見ることができる。
おもしろい。
作者には、今後もたくさんの歌舞伎を紹介してもらいたい。