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2014年9月15日月曜日
結婚した娘へ
7月6日に「結婚する娘へ」という記事を書いたのだけれど、今また再びおめでとうを言いたい。
そしてお疲れ様でした。オットとなった人のその家族のために、クアラルンプールで挙式を上げることになって、準備が大変でしたね。招待状の準備や、教会やホテルとの交渉、披露宴の食事やケーキの内容から、花の注文に至るまで、慣れない異国で一人奮闘しているあなたを心配しながら見ていました。その後、すべて、あなたが準備していた予定通りの運びとなって、挙式が進行していく様は、美しい手品を見るように見事でした。 私たちが式の2日前に到着してみると、5日間滞在する予定のホテルの支払まで済んでいる手際の良さにはびっくりでした。
式の前日は、私たち家族だけでそろって、ゆっくり食事ができて良かった。そのあとには、あなたのかつてのクラスメイトだったインターナショナルスクールの仲間たちが家族そろって会いに来てくれたのは、嬉しかったですね。みんなすっかり大人になって。日本から、台湾から、韓国から、フィリピンからと、なつかしい友達があなたの結婚式のために来てくれました。また日本から叔父夫婦たちや、フィリピンでお世話になった方や、シドニーで仲良くなった方も、飛んできてくれました。
それでも、新郎側のマレーシアに住む親せき友人150人には、数では、かないませんでしたけれど、にぎやかで晴れやかな結婚式になりました。
式は歴史ある聖フランシスコ ザビエル教会で、新郎が子供の時からお世話になっている神父さんの手によって挙式が行われたことで、新郎側の方々の喜びは大きく、皆さん満足されたことでしょう。そのあとのセレモニー、そして披露宴。朝7時から準備を始めて、深夜、披露宴で酔っぱらった新郎の友人達が帰るまでの長時間、あなたは笑顔を絶やさずにいて、立派でした。疲れていたでしょうにウエデイングドレスにハイヒール姿で、まっすぐ立った姿勢も崩さず、来てくれた人ひとりひとりにきちんと挨拶をして、最後の一人まで、みごとな笑顔で送り出しました。なかなかできることではありません。そして、短いリゾートでの旅行をして、一週間後に、もう一人の娘家族とそろって元気にシドニーに帰ってきてくれて、本当にほっとしました。
私が結婚して二人の娘をもって本当に良かったと思っているので、あなたにも結婚してほしかった。それが、思い通りになって、心から嬉しいのです。
何100年も語り継がれてきたお伽噺のように、「そうしてお姫様は王子様と結婚して幸せに暮らしました。」というように現実はいかないし、3組に1組は離婚する世相です。日本では33年もの間、出生率が下がり続けているそうです。それでも、人は結婚し家庭を作ろうとする。それは、きっと人が自分だけの為でなく、誰か他の人のために生きたいと願う存在だからでしょう。トルストイの言葉になかに、こんなのがあります。「われわれは他人のために生きた時、はじめて真に自分のために生きるのである。」 それが結婚というものかもしれません。
あなたは日本から離れた外国で成長し,両親が離婚しても、父親が急死してもどんなことがあっても、嘆くことをしなかった。いつも物事の良い面を見て、後ろを振り返らずにやってきました。正しいことと、そうでないことを常に明確に判断する鋭い目をもっていました。それでいて正しくないところにいる人々に対しても糾弾しないで見守る優しい目を持っていました。そういったところは尊敬に値します。
世の中は間違いに満ちています。制度は不公平と差別と物欲によって成り立っています。政治は大企業と兵器を売る死の商人とユダヤ資本によって繰り動かされています。3.11 東日本大震災から3年半経って24万人避難中の人々がいまだ苦しむ中で、東京オリンピックが誘致されました。13年前の9.11同時多発爆破事故は、アルカイダによるテロではなかったのにアメリカがイラク侵攻を強行し、良心的弁護士としてそれを批判したオバマが大統領になってみると、再びイラク空爆を強行しています。日本はそれを支持して協力を約束しています。日本は新たな血と憎悪を求めて戦争への道に向かっています。2020年の東京オリンピックは、1936年のベルリンオリンピックのようになるでしょう。
私たちは、間違いだらけの世の中を生きているのです。
しかし、どんな時代にも、多くの人々は黙々と種を集めて土を耕しながら、樹を植えようとしています。そこが荒地であろうと、砂漠であろうと。人が人である限り、どんな状況、どんな時代にも人は良き人になりたいと思っています。今の自分よりは少しでも良き人として生きようとします。一緒にそのようにして生きていきましょう。私の娘として生まれてきてくれて、本当にありがとう。そして
結婚おめでとう。