ページ
▼
2013年11月30日土曜日
島田荘司の「アルカトラズ幻想」
本の帯に「構想20年の渾身作」、と書いてある。さらに、それに続いて簡単な本の紹介があるので、書き写してみる。
「一九三九年十一月二日、ワシントンDCの森で、娼婦の死体が発見された。被害者は木の枝に吊るされ、女性器の周辺をえぐられていたため、股間から内臓が垂れ下っていた。時をおかず第二の事件も発生。凄惨な猟奇殺人に世間も騒然となる中、意外な男が逮捕され、サンフランシスコ沖に浮かぶ孤島の刑務所、アルカトラズに収容される。やがて心ならずも脱獄した男は、奇妙な地下生活に迷い込むー。」
ということだ。作者、島田荘司は、御手洗シリーズなどで、人気のミステリー作家の大御所。私はミステリーは好きだが、女の体を切ったり、貼ったり、つなげたりする猟奇事件ものを 好んで読む人は、かなり重症の女性コンプレックスをもっていて、人格が歪んでいるんじゃないかと思うし、自分の体を試しに切ったり貼ったりつなげたりして見て、痛いことをよくよく経験してみたほうが良いのじゃないかと思うから、好きではない。でも、どうして この537ページの重い本をわざわざ日本から買ってきて読んだかというと、このミステリー小説の内容やストーリーに関係なく、中で、恐竜について古生学者の記述があると、知ったからだ。
子供の時から恐竜が大好き。
2億年前、ジュラ紀にどうして自分が生まれなかったんだろう。まだホモサピエンスは出てきていないけど、、。地球をドカドカ闊歩していたブラキオザウルスの背中に乗ったり、ステゴザウルスの頭の上に登ってみたり、翼竜を自家用小型飛行機代わりに使いこなしてみたりして、まだ噴火、爆発を繰り返す地球を生きて観たかった。飽きずに何時間も小学館の恐竜辞典の絵を眺めては夢見る子供だった。
ピーターポール&マリーの「パフ」では、リトルジャッキーは大人になって、遊び友達の恐竜パフのところに来なくなって パフは泣いて暮らしたと、言うが、確かにそうなのだ。恐竜の寿命は100年から200年。パフが 遊び友達を失って孤独を嘆くのも無理はない。
同じ恐竜でも、スピルバーグが1993年に製作した映画、「ジュラシックパーク」は、面白かった。
原作は、1990年にマイケル クライトンによって書かれたSF小説。スピルバーグによって、初めて映画にデジタル音響システムが組み込まれた。彼の作り出した映像効果が、あまりに本物的で、この映画は大成功して全世界で恐竜ブームを引き起こした。琥珀の中から、蚊が吸血した恐竜のDNAを採取し、その欠損部分をカエルのDNAで補完してワニの未授精卵に注入することによって 恐竜を再生する。現実に琥珀に閉じ込められた虫を私たちは博物館で見たことがあるから、がぜんこうした技術が実際にできることのように思える。映画ではDNAの補完材料だったカエルが性転換できるカエルだったために、自己繁殖してしまい恐竜が人間のコントロール範囲を超えて増えてしまうという設定だった。遺伝子工学が発達した今、思い返してみてもSFとして、少しも古くない。良くできたストーリーだったし、映画も優れていた。島田荘司の「アルカンタズ幻想」も、映画にすると、おもしろい。この小説は、どちらかというと視覚的に受ける作品だ。
さて、「アルカンタズ幻想」だ。
本の中で古生学者バーナード コイ ストレッチャーをして恐竜についての沢山の疑問点を語らせている。まず、アパトザウルス。1904年に米国ワイオミングで全身骨格が出土された。1億5千年前の中世期ジュラ紀に生息していた。体長33メートル、体重40トン。首の長さ13メートル、草食で毎日500キログラムの草を食べていた。泳ぐ能力を持っていないので、陸上で暮らしていたとされる。今日一番動物のなかで体重の重いゾウが、5トンの重さだが、40トンの体重をもつこの恐竜がゾウよりずっと細い足で自分の体重を支えられるわけがない。また13メートルの長い首を、長いしっぽと同様に水平にしたまま それを支えて動き回れるような強靭な骨格や筋肉は、物理的に言ってあり得ない。生物学、考古学、生理学、物理学、地質学など、すべての英知を集めて考えてもこの恐竜はあり得ない。でもアパトザウルスは33メートルの体長で、13メートルの首を水平にしながら、その細い足で歩き回れるわけがないから、といって、のろのろしていていつも肉食恐竜の餌食になっていたかというと、そうではなく1億年以上の間にわたって、100年から200年の寿命を生きた。どうして、それができたのか。
次にテイラノザウルス。1908年に米国モンタナで全身化石が発見された。肉食で体長12メートル、体重5トン。頭だけで前後左右に1.5メートルと大頭で大きな顎と歯を持ち、2本足で歩き、前足はカンガルーのように退化している。肉食で、咬筋力は3-8トンという強力な噛む力を持っていた。ということがわかっているが、この恐竜と同じ重さのゾウが4本足でも、自分の体重を支えて、ゆっくりしか歩けないのに、細い2本足で、大きな頭と体を支え、逃げる獲物を追って、敏速に走り回れるわけがない。生物は大型化すれば 筋肉も大きくなり早くは動かせなくなる。にも関わらず、発掘された化石はこの恐竜がきわめて発達した筋肉をもち、肉食していた証拠を示している。どうしてそのような生き物が、地球上に存在したのか。
最後に翼竜。キリンと同じ大きさの背の高さで体重100キログラム。左右の翼の幅が12メートルで、肉食。今日生きている一番大きな鳥はワタリアホウドリで、翼が3.5メートル、体重12キログラムで、これが飛行する鳥の体重の限度とされる。航空物理学上、体重40キロを超える鳥は飛行できない。大型化した羽を支える筋肉は、重い体重を支えるために敏速に羽ばたきし続けなければ落下する。にもかかわらず、翼竜は1億数千年もの間、肉食を楽しみ、羽ばたきして空を飛び回っていた。どうしてそんなに長い間、生存できたのか。
そこで、バーナード コイ ストレッチャーはある結論を出し、それを証明するために実験をする。
うーん。
で、結論はどうだったかって?わからない。1億5千万年前よりももっと前の地球で起きていたことだ。証人はいない。いや、ゴキブリがいた。ゴキブリに知能を発達させて話ができるように開発して、大昔に起きたことをゴキの先祖がどう語り伝えたか、聞き出せたら真実がわかるかもしれない。この本、猟奇殺人ミステリーが好きで、宇宙の話が好きで、恐竜も大好きな人には読まずにはいられない本だろう。私には、猟奇殺人に興味なく、宇宙の話は難しくて理解できなかったので、この本の前半で恐竜に関するところだけが面白かった。後半は、ミステリーを解くために、あり得ない不自然さが目立ち、興ざめした。まったくミステリー読者に向いていないらしい。
2013年11月23日土曜日
映画 「舟を編む」
原作:三浦しをん
監督:石井裕也
キャスト
馬締光也 :松田龍平林香具矢 :宮崎あおい
西岡正志 :オダギリジョー
たけ :渡辺美佐子
松本崩祐 :加藤剛
松本千恵 :八千草薫
岸部みどり:黒木華
佐々木薫 :伊佐山ひろ子
荒木公平 :小林薫
三好麗美 :池脇千鶴
ストーリー
大学院で言語学を専攻した馬締光也は 出版社玄武書房で営業部員として働いていたが 人と話すことが得意でないため、営業成績は最低だった。そんなとき、編集室辞書編纂部では、30年もの間勤めて来たベテラン荒木公平が退職することになり、人探しをしていて、馬締に白保の矢がたつ。馬締は、まじめ一方で趣味は読書。知識は豊富だが上手に人との関係を作ることができない。学生時代から10年余り下宿している早春荘の大家、たけに可愛がられ、たけの亡くなった夫の書庫を自分の図書館のように使っている。自分の部屋も 蔵書で足の踏み場もない。時間さえあれば本を読んでいる。
出版社にとって辞書編纂部は社内でも「金食い虫」と呼ばれ、数十年単位で編集出版される辞書を編集する部なので、ベストセラーや雑誌の様に出版するそばから売れて会社に利益を出す部ではない。地味なまじめ一方の学者肌の人材が必要だ。社では「大渡海」という名の新しい辞書を出版するために編集を進めているところだった。監修を務めるのは、この辞書を作るために大学教授職を辞めて玄武社にきた国語学者松本朋佑(加藤剛)、彼を献身的に支える職人肌の荒木公平(小林薫)、事務作業を一手に引き受ける契約社員の佐々木薫(伊佐山ひろ子)、そして入社5年目の西岡正志(オダギリジョー)の4人だった。馬締は、辞書編集部に移動してきて、その第一日目から松本部長の言葉に対する愛着と、辞書編纂への熱意を語られて、初めてやりがいのある仕事をみつけて発奮する。仕事は、「辞書はことばの海を渡る舟、編集部はその海を渡る舟を編んでいく。」地味で、果てしのない仕事だ。しかし学者肌だが面倒見の良い部長をもった編集部は、家族のような信頼でまとまっていて、馬締は 初めて自分の居場所をそこに見つける。そして馬締は、水を得た魚のように新しい仕事に没頭する。
ある日、下宿している早雲荘の大家たけのところに、京都の料理屋で修業していた孫の香具矢が帰ってくる。可憐な彼女に一目ぼれした馬締は、半死状態、、。編集部の面々の助けを借りながらやっと恋を成就させる。そして遂に馬締は香具矢と結婚にこぎつける。時間がたち編集長松本が癌で亡くなり、馬締が入部してから13年間かかって、辞書「大渡海」は完成する。というお話。
ちょっと変わった小説がベストセラーになっているという話は聞いていて、興味をもっていた。原作が手に入る前に 映画のチケットを娘が入手してくれた。シドニー日本文化交流フイルムフェステイバルというイベントのこけら落としに、この映画が上映されたのだ。日本では70万人もの視聴者を映画館に動員し、興行成績をあげたそうだ。
ふだん何げなく使ってきた辞書というものを作る人々が居て、何十年もの時間をかけて、地道に「言葉集め」をして、意味の解釈だけでなく用例集めや使用例を他社の辞書と比較しながら コツコツと編集する、その仕事ぶりに驚かされた。また流行語を含めた新しい言葉を常に探し求めて、新たに辞書に解釈を加えるだけでなく誤用例もあげていく。そんな編集部の苦労する様子が実に興味深かった。20数万語の言葉を収録するために15年間文字通り、一目一目を編んでいくような地道な歩みに目を見張る。
ただ、タイトルの「舟を編む」ということばには違和感が残る。舟を編むことはできいない。たとえ比ゆ的に「編む」という言葉が使われたにしても、自分は何となく日本語としてすんなり呑み込めない。しかしタイトルの斬新さゆえにこの本が好きになる人も多いのだろう。
石井裕也監督と馬締を演じた松田龍平とは、共に30歳だという。若い監督だが、実力がある。上質の落語のような会話の呼吸、間合いの良さが秀逸。誰かが何かを言う。その瞬間にガラリとその場の空気が変わり、居合わせた人がそれぞれその人なりの反応をする。その間合いと、変化の仕方をしっかり演技で見せてくれる役者たちがとても生きている。見ている人が自分の体験を思い起こしてその場にすんなり納得できて 深く共感できる。
香具矢に一目ぼれをして腑抜けになった馬締が出勤してきたところを、松田が後からふざけて脅かしただけなのに、その場に崩れ落ちて腰をぬかして立ち上がれないシーン。人とうまく話ができない馬締にちょっとした冗談やおふざけが通じなくて、かえって慌てる人の良い西岡がおかしくて笑える。西岡は一見軽薄に見えるが実は情のある、良くできた男だ。私は映画の登場人物の中でこの西岡が一番好き。社の予算が足りなくなって、馬締か西岡かどちらかが辞書編纂部から広報部に移動しなければならなくなって、それを誰にも知らせずに自分から潔く部を去っていく。後からそれを知らされて、馬締が必死で西岡を追うが突き返されて言葉を失い茫然と佇むシーンも印象的だ。どっちもいい奴なんだ。
編集部の面々が馬締が恋の病に陥ると すかさず香具矢の勤める料理屋に予約をとる、その息のあったチームワークの良さには笑いを誘い人の心をなごませる。編集長松本の人柄の良さゆえだ。仕事の後で居酒屋に皆を連れて行き、本音で部下との交流を図る。部下たちは熱い親父には勝てない、と文句を言いながらその親父を慕っている。こんな職場で働きたいと思う人も多いだろう。家族のようだ。
役者がみんな良い。西岡を演じたオダギリジョーがとても良い。この役者、個性の強い役柄を演じることが多いが、この映画のような普通の男を演じると、すごく光っていて魅力的だ。加藤剛と八千草薫の夫婦も良い。本当の仲の良い夫婦が一緒に年を取ったみたい。
主役の松田龍平と宮崎あおいは、難しい役を上手に演じている。
馬締は軽度のアスペルガー症であるらしい。これは 自閉症の一種でオーストリアの小児精神病医ハンス アスペルガーによって命名された症候群。対人関係に障害をもち、特定分野に強いこだわりを持ち、軽度の運動障害をもつ。知的水準は高く、言語障害も持たない。子供の時に「b」と「d」、「つ」と「て」、「わ」と「ね」の区別ができず、鏡文字を書いたりして発見されることが多い。ふつうに学校生活た社会生活ができ、「ちょっと変な人」くらいに認識されて何の問題もなく、家庭を持つ人も多いが、社会適応ができず ひきこもりやうつ病を併発する人も多い。ひとつのことに偏執狂のように異常な興味を持つ特性を生かして、芸術分野で優れた結果を出す人も居るが、自分の興味ない分野には、きわめて冷淡になる。そういった難しい役を松田龍平は、若いのによく演じていた。お父さんは松田優作だそうだが強い役者遺伝子を受け継いだみたいだ。
1988年バリー レヴィンソンの「レインマン」で、トム クルーズと共演したダステイン ホフマンが重度の自閉症を演じている。きっと松田龍平は役作りの過程でこのダステイン ホフマンを100回くらい見たのではないだろうか。
この作品、日本映画製作者連盟から、アカデミー賞外国語映画部門に出品されたそうだが、欧米で評価されるだろうか ちょっと心配。「仕事人間、過労死、残業クレイジーニッポン」の典型みたいに見られないといいけど、、。個が確立していて、個人生活重視、公私混同を嫌い、時間がきても仕事が終わらなくて残業すると自己管理ができない無能者とされ、残業どころか休暇は締切だろうが何だろうが、きっちり取る、、、他人の個人生活に介入しないことが礼儀とされて、職場ではどんなに信頼できる仲間でも互いの私生活には関心を持たない、、、そういった欧米型社会で育った人達に、この映画の良さがわかるだろうか。
編集長の部下に対する父親のような愛情、家庭よりも仕事への情熱、苦労を分かち合うことによって育つ職場での結束、仲間の犠牲になって自分から移動になる潔い部員、ボスへの敬愛、自己主張の強かった新人が職場の空気に染まっていく様子、夫を思いやり自分を決して主張しない謙虚な妻、家族の理解、愛情の示し方が下手だが心から妻を愛する夫。個を超えた共同体の中でこそ自分たちの達成感、満足感を充足させる日本人特性。日本人の優しい労わり合い。あうんの呼吸で仲間が育っていく環境のやさしさ。謙虚と潔さ。熱すぎず、ぬるすぎない、ぬくくて温泉みたいに心地よい映画だ。。映画を観ていると、日本人って、何て良いんだろうと思う。
さて、外国人はこれをどう観るか。作品は、アカデミー賞に輝くだろうか。結構、高く評価されて、「シャル ウィー ダンス」みたいに、この映画の欧米版「オックスフォード辞典を編む人々」なんていうコピー映画を、エデイー レッドメインみたいなハンサムな役者が主演して大成功するかもしれない。わくわくする。
2013年11月14日木曜日
映画 「ザ ロケット」
http://www.abc.net.au/atthemovies/txt/s3827512.htm
監督:キム モルダウト (KIM MORDAUNT)
ラオス映画
キャスト
アロ (AHLO) :KI SITTHIPON
キア (KIA) :LOUNGMAN KAOSAINAM
母 :ALICE KEOHAVONG
叔父さん :THEP PHONGAM
父 :BOONSRI YINDEE
ベルリン国際映画祭最優秀賞、アムネステイインターナショナルフイルム賞
シドニーフイルムフェステイバル2013年オーデイエンス賞
ストーリーは
全裸の女の出産シーンから始まる。女の義母が出産の介助をしている。長い苦しみの末に、元気な男の子が生まれてほっとしているところで、再び女の陣痛が始まる。後継ぎになる男の子の誕生に顔を崩して喜んでいた出産介助の母親は、急に別人のようになって女を責めたてる。彼女は双子を宿していたことを隠していたのだった。義母は介助しない、氷のように冷たい視線で産み落とされたもう一人の男の赤子を見ている。昔からのしきたりで 双子は家族に悪運をもたらす邪鬼だと言われてきた。どこの家でも後から生まれてきた二人目の赤子は 生まれてすぐに埋められる。出産直後だというのに、嫁と母親は赤子を抱いて山に向かう。赤子を誰にも悟られないうちに埋めてしまわなければならない。しかし、嫁は掘った穴の中にどうしても元気な泣き叫ぶ子供を埋めることができない。
そこで、画面は突然、満面笑顔の元気な男の子に変わる。10年の時が経ち、家族に不幸をもたらすと言われた疫病神のアロは、元気に育っている。双子の兄は、居ないので病気か事故で亡くなったらしい。義母と両親とアロは貧しいながらも仲良くに暮らしている。しかし平和な山村に、突然政府の役人がやってきてダムができるので強制立ち退きを命令される。村民たちが軍に追い立てられるようにして山に移動する最中、こともあろうにアロの母親が事故で命を落としてしまう。用意された代替え地は痩せた土地で、人々はビニールをはぎ合せて雨風をしのぎ、トカゲや蛇を捉えて空腹を凌ぐような生活だった。アロの父親は、家や田畑を無くし、妻にさえ先立たれ、腑抜けのようになっている。気丈なアロのおばあさんだけが頼りだが、彼女は口を開ければアロを、家族に不幸を呼んできた疫病神だと責めたてる。空腹で先の見えない生活の中でもアロは 友達を見つける。エルビスプレスリーのような奇妙ななりをした叔父さんに連れられた8歳の女の子キアだ。二人は野山を駆け回り二人して遊び呆ける。しかし、アロのちょっとしたいたずらが、村の自警団の怒りを買ったために、アロ家族もキアとキアの叔父も村を追われることになってしまう。
10歳のアロの父とおばあさん、8歳のキアとその叔父、これら5人の奇妙な放浪が始まる。キアの叔父は自分の故郷に皆を連れていく。しかしそこは無数の地雷と不発爆弾の埋まった廃村だった。5人は苦しい流浪の旅を続ける。ある村に着いてみると、ロケットフェステイバルが開催されるという。村は干ばつに苦しんでいた。ロケットを打ち上げて雲の上まで飛ばして雨を呼んできたものには、多大なご褒美が出るという。アロの父親は母親からなけなしのお金を引き出して、ロケットを作り始める。
一方、アロはキアの叔父が、もとは米兵だったという秘密を知っている。叔父から得た知識で蝙蝠の糞を集め、高い木を伐り出して独力でロケットを作り始める。お祭りが始まり、大人たちが作った大型のロケットはアロの父親のロケットも含めて、決して雨を呼んでこなかった。村民たちが失意のうちに祭を終了させようという時になって、小さなアロがロケットを背負って会場に到着する。そして、アロの作ったばかりのロケットは、厚い雲を超えてどこまでも飛んでいき、雷を引き起こし、ついに雨をもたらせてくれた。どしゃぶりの中で、村長は、アロたち家族が村に定住するための許可を与えた。抱き合って喜ぶ大人たち。満身笑顔のアロとキア。ここで映画は終わる。
ラオスは世界で一番激しい爆撃を受け、一人当たりに落とされた爆弾の量が世界一の国だ。ベトナム戦争でラオス北部とベトナムのホーチミンルートを通る南東部に、アメリカによって200トンを超える爆弾が落された。米軍はやっきになって北ベトナムから南ベトナム解放戦線に補給を送るホーチミンルートを断裂しようとした。1964年から1973年の9年間の間に200トン、8分ごとに一つの割合で爆弾を落とし、それはラオス人一人当たり1トン以上の量に値する。
それに加え、フランス植民地時代の独立戦争や、第2次世界大戦中の日本軍の進駐や パテトラオとラオス軍との戦争を含む地上戦で大型爆弾、ロケット爆弾、手りゅう弾、大砲、対人地雷などなど、膨大な不発弾が埋まっている。また米軍が落したクラスター爆弾は7800万個であり、そのうち30%は不発弾だ。国連はラオスの山村に今だに埋まっている不発弾は約50万トンと、推定している。
そういった地雷と不発弾による事故でたくさんの人がいまだに死傷している。不幸なのは不発弾を解体して金属や火薬を抜き出して売って生計を立てている人々が多いことだ。金属スクラップ集めで家計を支える子供たちの多くが命を落としている。
映画の中で、アロがひもじいのとおばあさんのつらく当たられて、しょげている時、キアがふざけて腐った木の実をアロにぶつけるシーンがある。二人は始めは土や葉を投げ合っているが、しまいには二人して夢中になって大笑いしながら石や木切れなど片っ端から掴んで投げ合う。アロが土の色をした丸いものを投げようとした瞬間、見ている観客は心の中で「ダメ―!」と叫ぶ。アロがそれをキアに投げつける瞬間、おじさんの太い腕がアロのつかんでいた手りゅう弾をつかむ。それまでただの飲んだくれでロック狂のへんてこな叔父さんでしかなかった男が、初めて頼もしく見える瞬間だ。うまいな。こういう見せ方。監督の腕が良い。
ラオスにはたくさんの山岳民族、少数民族がいる。ラオスを時計回りにみるとベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、中国に囲まれた内陸国だから、ラオ語を話さない少数民族もたくさんいる。キアの叔父さんはロック狂でへんてこで、どこに行ってもつまはじきされている少数民族だ。アメリカによって起こされたベトナム戦争の中で最も、激しい被害にあった被害者と言える。
米軍はベトナム共産軍を圧殺するために、少数民族に武器を与えて、軍事訓練をした。これらラオス政府から差別されてきた少数民族は 米兵の一兵卒としてベトナム軍のスパイとして戦場に送られたり、米軍に役立つ兵力としてこき使われて そして捨てられた。だから今だに少数民族は、新政府から虐殺され、差別されている。少数民族出身で米兵くずれでロック狂という 難しい役をタイ人俳優のTHEP PHONGAMが、上手に演じている。彼の狂いっぷりが、素晴らしい。衣食足って礼節をわきまえてしまった日本人俳優には こんな屈折した奇妙な男を演じる役者はいないのではないか。
とにかく二人の子役が素晴らしい。ひもじい、情けない、逃げ場のない小さな社会で、こぼれるような笑顔、二人して大口を開けてガハハと笑いころげる豪快な天真爛漫さ。子供を主人公にした そのパワーの圧倒されまくる。映画はまさに演劇、映像、音楽、脚本、舞台、原作、光と影そしてすべてを含んだ総合芸術だという事実を目の当たりに見せてくれる。ベトナム戦争のもたらしたもの、無数の死、政治の不理屈、常に置き去りにされる女や子供の生きる権利、こうしたものを訴えるための100の理論や論争を このひとつの映画が表現して語りつくしている。子供の持つ本来のパワーが、優れた反戦映画として完成している。
これほど心に沁みる映画を観たのは、「赤い運動靴と金魚」(1997年)、と「禁じられた遊び」(1958年)以来だろうか。言論弾圧のひどかったイランで、マジット マジによって製作された「赤い運動靴と金魚」は、子供たちを主人公にすることによって、宗教よりも戦争よりも人間らしく生きることを訴えた。又、ルネ クレマンによる「禁じられた遊び」は、ドイツ軍の爆撃機によって両親も可愛がって抱いていた犬も殺されて生き残った孤児と、農家の少年との心の触れ合いが、胸をえぐられるような痛みをもって反戦を訴えかけてくる。
監督はオーストラリア人のテレビドキュメンタリーフイルム作家。フリーで東南アジアに残された戦禍の中を生きる人々を描いた「SECRET WAR」、ロシアの政治的自由とベルリンの壁崩壊を描いた「45YEARS IS ENOUGH]」、などで実力を認められてきた。代表作は、「BONB HARVEST」2007年で、ラオスの不発弾から金属を回収してスクラップで家計を支える子供たちを描いて、最も優れたドキュメンタリーフイルムとして評価されている。
このひとのこれからの活躍を見ていきたい。
2013年11月8日金曜日
オットと日本さらばじゃ、また逢う日まで
16泊17日間の日本旅行も終わりに近付いた。今夜、日本航空でシドニーに帰る。
成田出発は夜8時。これが嫌なんだ。ホテルは10時か11時にはチェックアウトしなければならない。そこから夜8時まで、外で時間をつぶさなければならない。生後10か月の赤ちゃん並に昼寝が必要なオットには これが辛い。2つの大きなスーツケースは 宅配の人が空港に持っていってくれていて先に飛行機の貨物に収納していてくれている。小さなリュックサックひとつの身軽な姿で夜まで、さあ、どうするか。
タクシーで浅草のスカイツリーまで行く。4階まで上がって、上まで上がるチケット売り場にいくと、2時間待ちだという。遊び盛りの5歳の子供の並に、じっとして列に2時間並んでいることなどオットにはできない。私に寄りかかって立っていられるのがせいぜい10分間。4階から、頂上を見上げる写真を撮って、横にある墨田区水族館に入る。区立の水族館らしく子供への教育を目的として建てられている。エレベーターで最上階まで上がって、海中生物を見ながら、らせん状の通路を下りてきて、階下の大きなプールで泳いだり、体を干しているペンギンを見られるようになっている。上野動物園の水族館に比べると見劣りするが、子供たちを連れてきて じっくり水の生き物を観察させるのには良いところだ。
コーヒーで一休みして上野駅に向かう。そこから特急で成田へ。京成電車から眺めるのどかな初秋の眺め、、、田んぼはすでに収穫が終わっていて、野菜畑に大根や青葉野菜が植わっている。疲れるから目をつぶって寝ていきなさい、というがオットは車窓の風景から目が離せない。空港駅に着くまでオットは名残惜しそうに ずっと景色を見ていた。
空港の中のレストランは来るたびに利用するから、もうほとんど端から端まで試しに食べてみたことがあるが、寿司屋を除いて 1件としてまともな食べ物を出すところがない。外見だけまともに見えるが、実際はとても、プロの料理人が作っているとは思えない。これって、日本の恥じゃないだろうか。国辱ものだ。空港の中は、見送りに来る人や、たくさんの外国人が何時間も過ごさなければならない場所だ。朝から夜まで、人が絶え間なしにレストランを使う。マクドもスタバもあるが、レストランならば、もう少しましなコックの居るレストランとして営業すべきだ。シンガポール空港には、飲茶や、レストランは勿論、仮眠室も無料のシャワールームもコーヒー一杯で座ってゆっくりインターネットを使わせてくれるカフェがいくつもあった。それらが成田には一つもない。
機内は驚くことに混んでいて、空席が全然なかった。食事が終わり次第 空いている席を確保してオットを横にさせてもらおうと思っていたが、それができない。小さな席に丸くなって10時間。
前回の帰りの飛行機では、3席空席を確保してオットを寝かせて、自分は、ビデオで
ランランのコンサートパフォーマンスがあったので、ずっとこれを繰り返し繰り返し観て聴いてきたので10時間がつらくなかった。今回は、映画はみんなもう映画館で観たものばかり、ビデオはお笑いのもしかなくて退屈なので、同じ映画を繰り返し見ていた。今ではそれも良い思い出だ。
日本で、わざわざ忙しい中を、時間を作って会ってくださった心の優しい友達たち、ありがとう。食事に連れ出してくれた兄姉、ありがとう。いつまでも忘れずに、帰るごとに会いたがる こんな母親のためにいつも優しくしてくれる息子たち、ありがとう。ありがとう。昔の同級生も、いつもと友達でいてくれて、ありがとう。ツアーの方々も親切にしてくれて、ありがとう。
山たち、その清々とした空気の中で雄姿を見せてくれて本当に本当にありがとう。会えて良かった。
オットと休暇を充分楽しんだ。良い休暇だった。休暇の欠点といえば、それが短すぎることだ。
2013年11月3日日曜日
オットと上野で科学博物館へ
夜中じゅう嵐が吹き荒れていた。日本滞在最後の日、朝になると、大型台風は過ぎ去りつつあったが、風がとても強い。私一人なら行きたい美術館も、行きたいコンサートも、観たい映画もたくさんある。でも オットには遠くが無理なので、ホテルのまわりを タクシーで出かけてはタクシーで帰ってくることを繰り返している。それでもオットには 初めてのカフェ、初めてのレストラン、初めて見る美術館や博物館に、珍しいものがたくさんあって、とても嬉しそうに眺めている。オットが日本に居ることを知らないオーストラリアの仕事仲間から 携帯電話に電話がかかってきて、「ジャパンは素晴らしい、食べ物は美味しいし、人々が親切で、謙虚で、優しい。喘息も起こさず最高のホリデーを過ごしているよ。」と熱弁している。
風で髪が、ぐしゃぐしゃになりながら、タクシーで上野科学博物館に行く。入口にシロナガスクジラがある館で、娘たちが子供のころ一番好きな遊び場だった。中には、「忠犬ハチ」が居て、南極から生きて帰ってきた「ジロー」が居る。カメに入ったミイラも健在だったし、恐竜のレプリカがたくさんある。いくつになっても楽しいところだ。
ダイオウイカという世界最大のイカも居る。マッコウクジラの前身骨格も組み立ててある。アンモナイトもたくさんあって、フーコーの振り子もあって、地球が自転していることを実感させてくれる。
ゼロ戦機が展示されているのを初めて知った。前にも見ていたのかもしれないが、ゼロ戦に否定的だったから目に入らなかったのかもしれない。パブアニューギニア沖で発見されて海から引き上げられて復元されたという。オットは、嬉しそうに、「オーゼロー!!!」と叫ぶ。オーストラリアでも有名だ。日本ではゼロ戦は、ジブリの宮崎駿による「風立ちぬ」で、一挙に話題になって関心が持たれた。この映画を観たかったが、日本滞在中は無理だったので、上下2巻のアニメを本にしたものを、帰る前に空港で買った。帰りの飛行機を待つ間、読むというか、見ていたら、見ず知らずの中年のおじさんに、シドニー行の飛行機を待つゲートで、「それ、いくらでしたか?」と聞かれたので、びっくりした。ジブリはもはや子供むけのアニメではなく 大人も中年も老年も共通で愛されていることがわかって、嬉しかった。
ゼロ戦については、百田尚樹の「永遠のゼロ」を読んでいて、ゼロ戦がいかに低予算にもかかわらず優れた戦闘機だったか、を知った。「今思い出してもあのゼロには悪魔が乗っていたと思う。550ポンドの爆弾を腹二抱えてあれほどの動きができるなんて信じられない。」とアメリカ人パイロットに言わせた攻撃性と機動性を持っていた。しかし、日本軍は、「参謀たちはゼロの搭乗員は消耗品と言い、整備士は備品と呼んでいた。」のが実情だった。この作品は、ゼロ戦パイロットを主人公に、戦争の非情さと人間愛を描いた稀有な小説だ。漫画化されたようだが、小説に感動したのと、好きな漫画家が書いていないので漫画は読まない。
オットは第2次世界大戦前とベトナム戦争の中間に青春時代を送ったために どちらの戦争でも兵役を免れた。彼の2歳上の人々は強制的に徴兵でヨーロッパ戦線に送られた。彼より5歳若い人々は懲役制で、一兵卒としてベトナムに送られていた。この不人気なベトナム戦から帰ってきたオージーたちは、徴兵で行かされたのに、「ベトナムで女子供を殺してきた」、と帰れば非難され、世論に叩かれた。このころはアメリカもオーストラリアも兵役は国民の義務で、反戦思想から兵役を拒否すれば 「アカ」のレッテルを張られて国家犯罪者として刑務所に送られた。オーストラリアでベトナム参戦者が第1次世界大戦や第2次世界大戦の退役兵士として国の功労者として認められるようになったのは、つい最近のことだ。望もうが望むまいが 否応なしに戦場に送られたのだから すべての退役者が同等に評価されるようになったのは時の流れゆえだろう。しかし、オットがもしベトナムに送られていたら、私との結婚は絶対無かっただろう。
戦争が悲劇なのは、それを望む者はわずかな者なのに、実際に戦場で戦う圧倒的多数の若者たちは、自分の意思ではなく強制されて、それが必要だと思わされて戦うからだ。何て非人間的なことだろう。だから、どんなことがあっても兵役を強制する徴兵制だけは 絶対に認めてはならない。
阿部首相は、福島原発事故以来、1000トン単位の放射線汚染水を海に垂れ流しているのを知りながら、それを否定して見せたり、28万6千人の被災後 避難生活を続けていて、10万人の人が仮設住宅生活を強いられているのに、東京オリンピックを誘致した。辞退すべきだろう。28万6千人の人が避難生活している、そのとなりでお祭りをして誰が楽しいか? 3年たっても家に帰れない10万人の人々が仮設住宅で、不便しているとなりで、スポーツをやって誰が楽しいか?2020年にオリンピックが東京に決まった時、オットは「トーキョーよりフクシマが先でしょ?」とぼそりと言った。当たり前だ。本当に、東京オリンピックに使うお金を全部福島に回しても足りない。それが、オージーの常識だろう。
そんなことごとを話しながら、ホテルの夜は更ける。明日の今頃は シドニーに向かう飛行機の中だ。
2013年11月2日土曜日
オットと台風で上高地が夢の夢に
日曜日に上野で仲間たちに会って、月曜日のお昼に天麩羅で兄と姉に会い、夜は仲の良い夫婦にデイナーに招かれた。火曜日にオットを休ませ、水曜日にバスで新宿を出て、上高地に行かれたら最高だと思っていた。ツアーは 朝7時に新宿を出て、新島々まで走って上高地帝国ホテルでランチを食べて夕方まで穂高を目前にして河童橋あたりを散策できるという。新宿に戻ってくるのは夜になるので 翌日シドニーに帰らなくてはならない身には少し大変だが、強行するだけの価値はある。立山、剣と同じ感動を味わえるはず。穂高に会いたい。穂高岳に会いたい。穂高岳山脈の真下で深呼吸したい。
ところが火曜日の朝起きてみると、ホテルのおかみが、台風が東京を直撃するので、強風豪雨注意報が出ているという。問い合わせると、上高地バスツアーはとっくにキャンセルになっていた。30年ぶりとかで東京を直撃する大型台風だという。
同じホテルに泊まっている外人たちが 朝、小雨も気にせずに、でかいリュックを背負って出かけようとするところを捕まえて、ホテルのおかみが一生懸命引き止めようとしている。英語で「ふーうはろーちゅーいほー」って、なんていうの、と聞かれたが「さあー」と私。一瞬、日本語がわからなくて、返事ができない。おかみに何を言われても、全然気にしないでニコニコして外に出ていくガイジン客たちを心配して、パニックになるおかみ。ダイジョブ、ダイジョブ、、若いガイジン青年たち、外国で痛い思いをすれば学ぶことも多い。何でも経験だ。そのために日本まで来ているんでしょう?と言っておかみを納得させる。
近所に朝食を食べに行き、上高地行が夢の夢になって気落ちする。くさっていても仕方がないので風速80Mとか、50Mとか言われている道をタクシーで近所の松坂屋に気晴らしに行く。松坂屋は30年前と全然変わっていない。千駄木に住んでいた時、自転車の前と後ろに娘たちを乗せて、松坂屋の前で母と待ち合わせをしておもちゃを買ってもらったことがある。
オットのシャツを買う。「ライル アンド スコット」というブランドで、胸のところにタカだかワシだかの刺繍が入っている。100%コットンで質も良い。気に入ったので色違いを3枚買う。
私にはエコーの靴を買う。日本のデパートには品質の良いものが置いてある。種類も多い。シドニーでもエコーの靴は買えるが 人口が少ないだけ靴のデザインも限られる。
この20年、靴はエコーと決めて来た。デンマークの小さな工場で作られ始めたこの靴は、本当に歩きやすい。良い皮を使って手縫いしてあるので、形が崩れないし、壊れない。今、職場で履いている靴はもう5年間、毎日使っているが全然壊れない。それだけに安くはない。3万円のショートブーツが気に入ったが、これからシドニーは暑い真夏になるので、シャンパン色の2万円のスリポンにする。
エコーは、デンマークのデイーター カプチャー氏によって開発された、世界で最も履いていて快適な靴だ。皮なめし工場から、原料調達からデザイン、製造、流通まですべて自社グループ内で行われている。牛の皮が工場に納入されてから消費者の手元に届くまで生産過程すべてを、一元化している唯一の靴製造会社。快適なのには秘密がある。足に負担をかけないクッショニング、通気性と除湿性のある靴をつくるために、1にも2にも質の良い皮を使っていることだ。年を取って皮の大きなハンドバッグを持ち歩くのが辛くなってきて、初めてエコーの靴は、同じ皮なのに、どうしてこんなに軽いのか、と考えて思い当った。エコーの皮なめし工場では、厳しい品質が求められるので、エコー製品用だが高級ブランド服や自動車メーカーからも、皮革の卸売を請われているという。エコーの靴を愛用するようになって 若いころハイヒールを常用して足指が変形してしまった足にも辛くない靴が見つかって喜んでいる。デンマークからやってきた丈夫で軽い靴に感謝感謝だ。
デパート最上階で、お子様ランチを大きくしたようなステーキやエビフライやハンバーグまで入っている重いランチを食べて、タクシーで帰りオットを休ませる。夜から台風が直撃するので、夕食のものは買い置きしておくように、ホテルのおかみに言われて あわてて上野駅のアンデルセンでコロッケパンやハムやスープを買いに行く。
山に行けなくなって恨みの台風だが、夜は ホテルで遠足気分。