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2013年10月31日木曜日

上野でオットと友達と

            

ホテルを移る。今のホテルに何の文句もないが 他のホテルも開拓してみようと思ってホテルニュー東北というサードニックスから歩いてすぐのホテルに、旅行前から予約を入れていた。サードニックスは娘がおととし台湾の友達と日本旅行した時にも、去年ボーイフレンドの居るマレーシアに行く途中日本に立ち寄ったときも泊まっていて、早くも来年の二月にまた日本に寄るときの予約も入れている。
ホテルニュー東北は3階建てなのにエレベーターがないと聞いていたので、一階のツインを予約してあった。ダブルベッドのツインで、部屋はとても広い。いかにも下町のおかみさんという感じのおかみが迎えに出てくれて、部屋を出てカウンターに座っているおかみの前を通るたびに話しかけてくれていろいろ世話を焼いてくれる。おかげで滞在中、明日の天気から、昨日のニュースから、朝ご飯に良いカフェのパンの種類から、晩御飯に一番近いレストランのトンカツの大きさまで事前にわかった。

今日は兄夫婦と姉夫婦に昼食に呼ばれていて、夕食は中学時代のクラスメイト夫婦に招待されている。オットには何日も前から、今日は、昼も夜もイベントがあって、昼寝なしのビッグデイだよ、と言い聞かせてある。このビッグデイを終えて、翌日一日休ませてオットの体力回復を待って、その翌日に、バスの一日旅行、「上高地日帰り」に、参加したいと画策している。
銀座「ハゲ天」でてんぷらをいただく。

中学時代のクラスメイト「ひろこちゃん」とのデイナーは、嬉しい会合だった。私の中学時代から唯一親しくしている人で、ご主人も穏やかな素晴らしい方だ。3人姉妹の真ん中。いつも自分のまわりの人を喜ばせることばかり考えている。子供の時から 彼女の作るクリスマスや誕生日プレゼントは、特別に手のかかった思いやりに満ちたものばかりだった。一年半前に来日したとき会って、オットもこの夫婦が大好きになった。ただそこに居るだけで癒すことができる人。いま彼女も私も孫の居る身になって 、なお友情が変わらずに続いていることを感謝しなければならない。
落ち着いた精養軒のビクトリア風の家具調度品に囲まれて、慇懃無礼なウェイターのよって運ばれる料理は、みな洗練された良いお味だった。素晴らしい夜。大切な友人が、彼女のために生まれてきたようなご主人と仲睦まじくしている様子が 何よりも嬉しい。彼女は人目を惹く美人だが結婚は遅かった。24回見合いをして、全部断った「つわもの」だ。それまでして、妥協なして本当に自分にあった結婚相手をみつけた。自分にあった人を見つける と容易く言うが、夫婦のマッチングは難しいものだ。

オットは自分で強い主張をしたり、意見を述べたりしない。几帳面で物静かで、きわめて扱いやすい。良く誰からも「いいひとね。」と言われ、「いい人」然としている。どちらかというと、「いい人」というよりは、「どうでもいい人」という感じの没個性人間だが、内部にはなかなか強情なところもある。昔、羊を何千頭も抱えるファーマーだったから、オーストラリアの農業を基盤にしている、最も保守の国民党の支持者だ。オーストラリアでは、労働党と自由党が交代で政権を取っているが、オットは、そのどちらも毛嫌いしている。ある日、中国人夫婦に招待されて中国新正月のパーテイーに招待されて二人で出かけた。中国人の中でも、私たちには場違いな、セレブの集まりで 出席者は上院議員や弁護士や政治家ばかり50人ほどだった。当時の首相ジョン ハワードがとなりのテーブルに居た。毎日テレビのニュースで見ている見慣れた顔だ。豪華な食事が終わり、人々が自分の席を離れて、名刺交換など始めたとき、ざっと見回してもオージー(コーカシアン)は、オットとジョン ハワードだけだった。あとは全員、私以外は中国人で「テルマエロマエ」風にいうなら「平たい顔族」だった。コーカシアンが他に居なかっただからだろう。ハワード首相は、席を立つと、まっすぐオットのところに来て握手の手を差し出した。オットはニコリともせず、手を出そうとしない。その場の雰囲気が凍り付いた。人々が息を殺してこちらを見つめている、、。緊張。しかし、さすが世慣れた首相、出した手を引っ込めて何事もなかったように別のテーブルに向かって歩み去った。オットには社交辞令が通じない。このときのオットは、とても大きく見えた。

こんなオットに会ったばかりのころ、家にデイナーに招かれた。
私は左利きで、それを子供の時はあからさまに笑われたり、「おかしな子」扱いされた。今では個性重視の時代になって「ぎっちょ、ぎっちょ」と馬鹿にされたりはしないが、マイノリテイーであることには変わりない。レストランに行くと ナイフとフォークがすでにセットイングされていて、食べるとき私は手をクロスさせて、右に置かれたナイフを左手に、左に置かれたフォークを右に持ち替えなければならない。オットが運んできた料理を食べようとすると、左にナイフが、右にフォークがあるではないか。オーマイガッ! 感動だ。オットとそれ以前に食事をしたことは1度か2度だったか、「ぎっちょ」について話したことは一度もなかった。しかしオットは見ていて、気が付いていたんだな。結構いい奴なんだ、とこのときオットへの評価を上げたのだった。

オットは今、年を取ってヨチヨチと幼児のように歩く。手も震えてきた。もう長生きできない とわかっている。そんなオットとこうして日本で、本当に心が通じる仲間達や友人との時間をたくさん共有できた、ということが本当に嬉しい。