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2013年10月27日日曜日

上野でオットと国立博物館へ


  

朝のうちだけ元気なオットをタクシーに乗せて、上野の山の今度は国立博物館に行く。
何の疑問もなく1200円の入館料を払って入ろうとすると入口の係り員が、「常設館だけの入館料なので、それだけでは京都のなんだかを展示しているなんだか館には、入れませんよ。」と注意される。常設館だけで充分。離れたところにある別館までは歩けない。
それで何気なく今、その時もらったチケットをよく見たら、小さい字で65歳以上の人は無料、と書いてあるではないか。ここもだ!。シドニーに帰ってきてから知った事実!何て親切な館員ばかりなんだ!

オットは本館で鎧や刀や槍や仏像ばかり見て、ばちばち写真を撮っている。そんな珍しくもないものが、オットには珍しかったのか。
穂高で荻原碌山(オギワラ ロクザン)の彫刻について触れたが、彼の作品「女」がここにはある。知らなかったが、彫刻を見て碌山の作品だとわかった。重要文化財に指定されている。手を後で縛られて、顔を天に向けている女のブロンズ像は碌山美術館にある「デスペラ」同様に、作者の女への絶望的な愛情を訴えていて、強力なインパクトを与えてくれる。素晴らしい作品だ。

アジア館でエジプトのミイラや石像を見る。子供たちが小さくて千駄木に住んでいたとき よく来たところだ。娘たちはエジプトの展示物が大好きだった。特に犬の顔をして人間の姿をしたエジプトの女神の石像に魅かれていた。素晴らしく美しい像だ。
展示物が、インドやアフガニスタンや中国の仏教遺跡から切り取り、持ち去ってきた成果であることが悲しいが、見る側からみると、紀元前の優れた歴史に触れることができて、ありがたいことだ。ロンドンの大英博物館は、世界中から盗んできた歴史的な遺物のコレクションでは世界最大規模を誇る。古代ギリシャの遺跡から持ってきたものはアテネに、エジプトの墓から持ちさって来た遺品はエジプトに、インドの遺跡から石を削り取ってきた仏像はインドに返却すべきだろう。あったものは、あったところに帰し、その地に発祥した文化に敬意を表して、現地に遺跡博物館を作るなどして、遺品を保護をすべきだ。

そんなことを考えながらソファに座って、大谷探検隊がエジプトから遺跡を発掘して遺品を隠して持ってくる当時の写真を見ていた。部屋にはほかに二人の男の人が展示を見ていた。ソファから 隣の部屋のソファが見えて、オットがくたびれて座っている。ハンドバッグとマフラーとカメラのストラップを持ったまま オットのいるソファに移った。そこでオットに声をかけ、あっと思った時、カメラのストラップがなかった。あわててもとの座っていたソファに戻ったが、カメラがない。ほんの2-3分のことだった。ストラップをもっていると思った私の手からカメラがソファに滑り落ちて、すぐカメラが持ち去られてしまったのだ。
撮った写真を全部無くしてしまった。
カメラを盗まれてしまった。
カメラには1000枚の写真が写ったセームカードが入っていた。そのほとんどは、孫たちの写真などでコンピューターにバックアップしてあるが、日本に来て撮った写真はバックアップしていない。剣岳をあれだけ苦労して撮ってきた。もうこの山を真近に見ることはないかもしれないと思って撮った立山、剣、北アルプスの山々の写真、弥陀ヶ原、黒部、安曇野の写真がみんなみんな無くなってしまった。

受付に走って行って、カメラを盗られたので「館内放送をさせてください。」と訴えるが、聞いてくれない。係り員が、カメラが落ちているかどうか、全館内をさがすので 探し終えるまで待ちなさいという。そうではない。ほんの5分前のできごとだ。カメラを取った人は それをポケットに入れて、まだ館内に居る。「カメラは要らないから、セームカードだけ返してください。写っている写真は他の人には価値はないが、私にとってはとても大切なものなのです。」「どうかお願い、カードだけは返してください。」と 館内放送してくれたら、盗んだ人にも心はあるだろう。聞いてくれたかも知れなかった。

私に大切なのはカメラではなく、中のカードなのに、何度説明しても係り員たちはわかってくれない。カメラの色とか、大きさとかを事務的に書いているだけだ。「夜になったら掃除の人が落ちているカメラを見つけるかもしれないので、見つかったら連絡します。」という。
ちがうんだってば。カメラを盗んだ人は 中のカードを捨てていくかもしれない。掃除の人に探してもらいたいのはカメラではなくて、カードなのだ。言っていることが通じない係り員たちを相手に、涙が勝手に出てきて、仕舞にはわんわん大泣きする。一人で大騒ぎしていて、オットなど怖がって遠くのほうに避難している。それでも悲しくて悲しくて、泣いても泣いても収まらない。撮った写真を全部失ってしまったのだ。はじめは同情していた係り員たちも、もう私に手を焼いて顔がひきつっている。「明日の朝、掃除の人がカメラの落とし物を見つけるまで待ちなさい。」を繰り返すだけ。
ちがうってば。
カメラは出てこない。無くしたカメラはまた買えば良い。中のカードを無くしたら永遠に撮った写真は無くしたままなのだ。わんわん泣いて、自分の声が頭骸骨のなかで響いてわーんわーんと鳴り響いている。吐き気までしてきた、、、。もう退け時か。

翌日、博物館に言われた番号に電話する。さんざん待たされて、担当者から担当者の間を回されて 待たされたあげく案の定、「昨日カメラの落とし物はありませんでした。」と言う。おい、ちがうだろー。