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2013年9月1日日曜日

メトロポリタンオペラ 「椿姫」

http://www.palacecinemas.com.au/events/metopera20122013season/

       

このごろ大泣きすることがなくなった。
14歳年の離れた最初の夫と一緒になった頃は、夫の居ないところで隠れてひっそり泣くことが、よくあった。ずっと年上の夫をもつと その人の世界が理解できなくて、ひとり置き去りにされたような気持ちで泣くものだ。今のオットとはもっと年が離れているが 全然泣かなくなった。自分が年を取ったうえ、この世に慣れて図々しくなったこともあるだろう。

久しぶりに心から大泣きしてみたくなって、オペラを観ることにした。オペラで一番泣くのは 文句なく 「椿姫」だ。オペラ「カルメン」では、カルメンの死は悲しいというよりも「むごい」。「リゴレット」の娘の死は、あり得ない悲劇だし、「ラ ボエーム」のミミの死は、しょうもない、みじめなだけだ。「蝶々夫人」の死は馬鹿げている。全然泣けない。泣くなら「椿姫」だ。
「椿姫」の悲しさは、やっと見つけた本当の愛の中で、若い恋人と幸せの絶頂にいるときに、男の父親に別れてくれと懇願され、諄々と諭されて、自分の幸せを諦める女が健気でいじらしくて、泣かされる。男に別れると言っても信じてくれない。他の男に心変わりしたと言って飲んだくれて遊び歩いても信じてくれない。一直線に愛を求めてくる恋人を、はねのけて、はねのけて最後まで男のために、自分を偽ろうとする女の姿に、大泣きせずにはいられない。うんと悲しい悲劇で泣きたかったら、やっぱり「椿姫」だ。

ニューヨークメトロポリタンオペラ「椿姫」、去年の公演をフイルムに収めたものを映画館の大画面で観た。今年はジュゼッペ ヴェルデイ生誕200年にあたる。彼はイタリア北部に生まれたが、そのころは、今日のようにイタリアはひとつの国ではなかった。イタリア統一は ヴェルデイ48歳のときだ。同じ年に生まれたワーグナーのように、パトロンが居たわけでなく、特別豊かでもなかったヴェルデイは、生活のために生涯 作曲し続けた。「椿姫」は 中でも彼が一番油が乗りきっているときに書かれた作品で、完成度が高く、素晴らしい曲ばかりだ。

指揮:ファビオ ルイズ
キャスト
ビオレッタ:ナタリー デユッセイ
アルフレッド:マチュー ポレンザー二
ジェルモン:ドミトリ ボロストスキー
ストーリーは
第1幕
パリ社交界の華、高級娼婦のビオレッタは 浮気者で人気者。結核を病んでいて、長生きできないことを自分で知っている。ならばと、うんと享楽的に遊び呆けて、男から男へと渡り歩いて派手に愉快に人生をやってきた。ところが若いアルフレッドに愛を告白されて、今までに味わったことのない胸のときめきを感じる。アルフレッドに惹かれている自分に自分で、ビオレッタは驚いていた。
第2幕
ビオレッタは生まれて初めて 純真な若い恋人アルフレッドとの幸せな生活に浸っている。社交界からは身を引いて、二人だけの幸せな生活。でも二人して暮らしていくために、ビオレッタは 自分の宝石や家具を売らなければならない。隠れて家具を売るところを知ったアルフレッドは、自分の世間知らずを恥じ、お金を引き出しにパリの家に帰る。アルフレッドの留守中に、老紳士が訪ねてくる。それはアルフレッドの父、ジェルモンだった。彼は 結婚する娘のために 世間体を繕わなければならない。家名を汚さずに済むように 息子とは別れてくれという。はじめは取り合わなかったビオレッタだったが、切々と説得する父親の話を聞くうち、遂にアルフレッドの将来のために自分が犠牲になって別れる決意をする。
第3幕
ビオレッタは心変わりしたという手紙をアルフレッドに残して、パリの社交界に戻る。他の男たちと遊び呆ける姿を見てアルフレッドは 逆上してビオレッタに金を投げつけて侮辱する。ビオレッタはただ泣き崩れるしかない。
第4幕
数か月後、結核に病むビオレッタは、死の床に居る。そこに、すべての事情を知らされたアルフレッドが駆け付ける。アルフレッドは、自分の無知を謝り、二人して田舎で暮らそうと言う。謝罪するために来た父、ジェロモンは、ビオレッタこそが、心の美しい本当に自分の娘にふさわしい人だと述べて、心から詫びる。しかしビオレッタにはもう それに答える力が残っていない。二人に見守られながらビオレッタは死んでいく。
というお話。

このオペラには男女合唱団による「乾杯の歌」をはじめとしてアルフレッドの「燃える心を」など、有名でテレビやコマーシャルなどででよく使われている曲がたくさんある。ビオレッタが始めから終りまでずっと舞台の上に居て、息を継ぐ暇がない。彼女の独白が多く、動きも激しい。独白やアリアは技巧的に難曲が多く、3時間余り、コロラドソプラノにとって、とても見せ場が多いが、過酷ともいえるオペラだ。マリア カラスが好んで歌った。

ビオレッタを歌ったナタリー デユッセイは、やせっぽちで小さな人だが、驚くほど豊かな声量で、気品のある美しいコロラドソプラノを歌う。彼女の「ラメンモールのルチア」を メトロポリタンオペラで見たことがあるが、いつも彼女の体当たりの演技には目を見張る。今回のビオレッタも、この人ほど役にふさわしい歌手はいないのではないかと思うほど役になりきっている。何度も失神してバタリと倒れるシーンがあるが、本当に体当たりで倒れるので 彼女の体は傷だらけではないだろうかと 本気で心配した。すごいエネルギーだ。

アルフレッドのマチュー ポレンザーニ、イタリア人らしく背が高く体も大きく見栄えが良い。芝居も上手くて、若くて世間知らずの坊ちゃんが、一人の孤独な女にのめり込んでいくのが納得できる演技だ。倒れたビオレッタを抱きしめながら 愛を切々と歌い上げながらボタボタ涙を ビオレッタの顔に落としていた。あわてて拭いていたが、失神しているはずのビオレッタは目を閉じていて、顔の上に ポタポタ涙が降ってくるのにじっとしていなければならなくて辛かっただろう。真迫力の演技だ。こんなシーンは、フイルムを見ている人にしか見えず、舞台で見ている人にはわからない。

しかし、このオペラでは何といってもアルフレッドの父親のバリトンに じっくり聴かせてくれる魅力が詰まっている。ジェルモンのバリトンがよく響きわたって、説得力をもってくれないと、どうしてこれが悲劇中の悲劇なのかわからなくなる。ビオレッタが自分の幸せを諦め犠牲になって、アルフレッドが嘆き悲しむ理由がわからなくなる。ジェルモンは、とて大切な役だ。これを歌ったドミトリ ボロストスキーは銀髪で出てきたが、本当はアルフレッドと同じくらいの年か、もっと若かったのかもしれない。バリトンなのに背が高く顔が良い。バリトンは背が低く、樽みたいな体形の人が多いから、こんなバリトンの登場がすごく嬉しい。こんな人に切々と訴えられ、懇願され、諄々と説得されたら、なんでも言う通りにしたくなる。

1853年に作曲されたこのオペラ、ヴィクトリア調の背景で屋敷も、どっしりとして華麗な舞台設定、ドレスは コルセットでウェストを絞った古典的な裾の長いドレスで出てくるのが常だったが、この舞台は現代風。全4幕で、舞台が回り舞台で 背景が変わったりせず、幕間にインターミッションが入ることもなかった。終始 簡素なひとつの舞台に 移動式の家具が出てきたり引っ込んだり 壁がドアになったり実に合理的に空間を使っていた。まず白壁で囲まれた舞台に巨大な時計がひとつ。限られた時間に生きるビオレッタの命の長さを表している。ビオレッタの衣装も、赤い短いドレスひとつだけで、着替えることもない。華やかな社交界で飲んで踊るシーンも、ダンサーも男女合唱団も みな男装して黒い背広姿だ。とても斬新な発想の舞台だ。

舞台が簡素で衣装などが単純になればなるほど 聴き手の関心は 3人の登場人物の役者ぶりと声そのものに集中する。そしてその期待が、裏切られることはなかった。3人3様の良さが合わさって 素晴らしいハーモニーを醸し出している。ソプラノの気品ある力強い声と、テノールの甘い語りかける声と、バリトンの圧倒的な説得力。まったく、よく泣かせてくれた。ビオレッタが嘆くたびに、アルフレッドが絶望するごとに泣かされた。本当に、オペラはやはり素晴らしい。