ページ
▼
2013年6月17日月曜日
ロイヤルオペラ、ドミンゴの「ナブコ」
英国ロイヤルオペラ「ナブコ」が、プラセド ドミンゴ主演で公演された。そのフイルムを映画館で観た。今年4月26日に、劇場公演されたばかりのオペラ。ロンドンでしか観られない公演を 2か月もたたないうちにシドニーで、観られるなんて、何という幸運だろう。
監督:ダニエル アバド
指揮:二コラ ルインテイ
キャスト
ナブコ:プラセド ドミンゴ
アンドレア カル
ヴィタリ コワルジョ
世界一美しいテノールを、半世紀もの間、聴かせてくれたドミンゴが、ナブコを主演してバリトンを歌っている。72歳。変わらず高音がよく伸びて、低音がよく響く。かつてドミンゴのように背が高くて がっしりした体で、ハンサムなテナー歌手が他に居ただろうか。独唱だけで、何万人もの聴衆を集められるテナーの華の時期に、喉頭がんを克服したホセ カレラスを励まそうと、パバロテイに声をかけて「3大テナーのコンサート」を開催して大成功に導いた。ジョン デンバーやポップスの音楽家と共演して、敷居の高いオペラの垣根を取っ払っって、クラシックファン層を拡大した。どこに行っても誰とも打ち解ける人柄の良さや彼の度量の大きさも、実力ゆえのことだろう。フイルムではニューヨークメトロポリタンオペラの解説者、インタビュアーとして聴衆と音楽家との架け橋をユーモアたっぷりの上品な語り口で務めている。
このフイルムでもオペラの幕間に リハーサル風景や 監督による解説や歌い手のインタビューが流された。劇場に行ってオペラを観て、帰ってくるよりも得をした気分だ。もちろん、実物の舞台は良い。何年も何年もオペラオーストラリアの会員になって 年にいくつかの舞台を楽しみにしてきたが、今年は一枚もチケットを買わなかった。足腰の弱ったオットは、オペラハウスの地下駐車場から劇場までの階段を、もう上がれない。去年やっとのことで連れて行った、「魔笛」の間中、オットは疲れ切って眠っていた。その寝姿を見てもうオペラハウスには連れてこないと、心に誓った。会員でもチケットは一枚3万円余り。二人で駐車場を使い、幕間にシャンパンを飲めば7万円かかる。公演フイルムを映画館で見れば ひとり2千5百円也。
「ナブコ」は オペラオーストラリアで数年前見たが、この時の演出家が愚かで、ナブコをサダム フセインのそっくりさんにして歌わせて 頭から血の雨を降らせるという悪趣味な舞台で、最低の舞台、最低の評判だった。旧約聖書をもとにした美しいオペラに こんな「新解釈」をするなんて。それ以来、本当の「ナブコ」をぜひ見たいと思っていた。
フイルムの前に、解説者がドミンゴの練習風景を紹介する。ロイヤルオペラに現れた72歳のドミンゴ、、、思わず涙が浮かんだ。すっかり足が細くなってしまって、、、、、。でも、声の力強さは変わらない。じきに、この張りのある高音も力強いバリトンも、彼には歌えなくなる日が来るに違いない。いま、彼の美しいオペラを聴くことができる幸せを感じながら 彼の声を全身で受けて聴こうと思った。
ストーリーは
バビロ二ア国王ナブコと、その王女アビガイッレの率いられたバビロン軍が エルサレムを攻略した。ナブコには猛女アビガイッレと、可憐なフェネーナの二人の娘がいる。フェネーナは、エルサレムで人質に取られている。ナブコはフェネーラを連れ出したいと思っていたが、彼女はエルサレム王の甥にあたるイズマエーレと相思相愛の仲になっていて、二人の関係をナブコが認めてくれなければ、死ぬつもりでいる。一方の娘 アビガイッレも、イズマエーレを愛していて、フェネーナとの仲を引き裂こうとしている。
ナブコとアビガイッレは、エルサレムの街や人々を蹂躙し、神殿を破壊する。しかし、アビガイッレは、自分がナブコと奴隷との間にできた娘だったことや、ナブコがフェネーナを、自分の後継者に望んでいる書類を見つけて読んでしまった。激しく妹に嫉妬するアビガイッレは、父ナブコを監禁し、一人王位を横取りする。ひとりきりになったナブコは、自分が王よりも「神」だ、と誇り、権力に奢りすぎた自分を反省し、死刑を言い渡されたフェネーナを救うために、エホバの神に赦しを請う。ナブコは、自分たちバビロニアの神々を祭った祭壇や偶像を自ら破壊する。エホバを讃え、ヘブライ人を釈放、ナブコは許され、アビガイッレは、服毒自殺する。
というお話。
1842年、ミラノスカラ座で初演。ジョゼッペ ヴエルデイ3作目のオペラ。28歳の時の作品。旧約聖書「バンビロン捕囚」をオペラにしたもの。1813年生まれのヴェルデイが、生まれた頃は イタリアはまだ国としては存在しなかった。ミラノは、強国オーストリアの圧政下にあった。イタリアが統一されるのは、彼が48歳の時だ。「ナブコ」の第3幕で歌われる合唱曲「行け わが想い」は、イタリアの第2の国歌と呼ばれている。当時、国家統一途上にあったイタリア人の愛国心を鼓舞した、力強い合唱曲だ。イタリア王国が成立した時、48歳だったヴェルデイは、国会議員に推薦されている。国歌のように人々に愛唱された合唱曲が、イタリア人としてのアイデンティテイを明確にして国家成立の心のよりどころにもなった。
ピアニシモから始まる。土地を追われ、家族を失い、迫害された人々が 涙ながらに声をひそめて囁き合う、その声が徐々に、徐々に、やがて仲間に伝播してフォルテ強音の合唱になっていくところは、感動的だ。オペラの合唱曲の中で、最も素晴らしい曲。アイーダの「凱旋行進の曲」とともに、合唱のパワーに圧倒される。
1901年、ヴェルデイが87歳で亡くなったとき、棺が運ばれるミラノの沿道で、何万人もの市井の人々が、この合唱曲で彼を見送ったと、言われている。
行け 我が想い
金色の翼に乗って
行け 斜面に
丘に憩い
暖かく 甘い 故国のそよ風になって
行け 我が想い
我が故郷よ
ドミンゴは素晴らしかった。指揮者も猛烈に情熱的な指揮をする。
イタリアオペラの良さが詰まったオペラ。いつまでも合唱の曲が耳に残っている。