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2012年10月6日土曜日

和太鼓「鼓童」と「TAIKOZ」の合同公演


                
1971年から佐渡島を拠点に和太鼓のパフォーマンスを続けている「鼓童」と、オーストラリアで和太鼓を演奏している「TAIKOZ」というグループの合同公演を観に行ってきた。


「鼓童」は、「伝統芸術を現代的に再創造する」パフォーマンスを続けてきたプロの和太鼓集団。田耕(でんたがやす)が、立ち上げた「佐渡国鬼太鼓座」が前身。「こどう」という名前には、心臓の鼓動という意味と、子供のように無心で太鼓をたたく、という意味が込められている。1981年に、ベルリン芸術祭で発表して以来、海外で評判が高く、今まで3500回の海外公演をこなし、一年の三分の一は海外公演、三分の一が国内公演、残りの三分の一を、佐渡で共同生活をしながら、修行に励んでいる。今年からは、演出、監修するためのアートデイレクターに歌舞伎の坂東玉三郎を迎えた。

  「鼓童」は毎年、夏になると本拠地の佐渡でアートセレブレーションと名付けた国際芸術祭りを主催している。ここでは、海外からも国内からもアーテイストが招かれて、様々のパフォーマンスが繰り広げられる。
彼らが使用する太鼓は、宮太鼓と呼ばれる、くり抜き胴のものと、桶太鼓と呼ばれる桶胴で、ロープで皮を締め付ける太鼓がある。どれも、胴の大きさ、長さによって太鼓の大きさが異なり、国産ケヤキの胴に、牛の一枚皮が張ってある。大太鼓では面の直径が、1メートル半近くあり、重さは400キロにも及ぶそうだ。グループは、和太鼓だけでなく歌や鐘や琴、竹笛、踊りも見せる。メンバーは 3年の研修の後、厳しい選考と実地研修を経て、正式メンバーとなるとういう。

今回の合同公演の演出、監修を務めたのは、オーストラリアで活躍する「TAIKOZ」の創始者でタイコもたたくが、尺八の大師匠の肩書きを持つ、ライリー リーだ。彼は、1970年代に 日本国宝の山本宝山の尺八に感動して、来日し、酒井竹保に師事して、7年間尺八を習ったというアメリカ人。彼は、当時、鼓童の前身だった佐渡国鬼太鼓座に加わり、太鼓の練習だけでなくランニングや精神修行を通じて日本の伝統音楽に精通する。その後、オーストラリアでプロの太鼓集団「TAIKOZ」を創立して、パフォーマンスをしている。市民向けの太鼓教室やキャンプを常時、開催しており、評判が良い。彼らは、鼓童にない現代的な太鼓の味付けにも積極的で、尺八、鐘、琴、笛だけでなく、ジャズドラム、マリンバ、サックス、デジュリドーなどの楽器ともコラボレーションしている。ライリー リーは、州立シドニー音楽大学の教授でもある。
また、TAIKOZをライリー リーとともに、立ち上げたイアン クレタースは、シドニーシンフォニーオーケストラのプリンシパル パーカッショニストでもある。

彼らの公演を聴くのは2回目。前回は3年ほど前だった。
公演が始まって座席に座っていると、地響きがしてきて、段々とそれが大きな音になり、大地が揺れ動き、圧倒的な音量に身動きができなくなる。大地が揺さぶられ、鼓膜が痛いほどに震える。太鼓の音がこれほどまでに人を圧倒するとは、驚くばかり。
3人の若衆が 直径1メートルもある3つの太鼓を舞いながら、強打する。自在に、異なった音の太鼓に移動しながら力強く、美しく舞う。あるいは 桶胴太鼓を首から下げた10人の男女が代わる代わる異なるリズムを打つ。それが総じて鼓膜が震え立つほどの迫力だ。全員が統制がとれていて、太鼓が鳴り響いている時と、静寂とのコントラストが 際立っている。彼らは共同生活しながら、運動で体を鍛え、トレーニングをしているそうだが、本当に厳しい練習のたまものだということが、よくわかる。

思えば、紀元前からヒトは太鼓に親しんできた。コミュニケーションの手段でもあったし、共同体にとって、親睦やエンタテイメントとしても活用されただろう。音楽の元は 心臓の鼓動だが、母親の子宮の中に居た時から聞き慣れたリズムを 成長してからも太鼓をたたくことによって、再生し、心の安らぎを求める必要もあったろう。いま、わたしたちは、正確に刻まれるリズムに快感を覚え、自由自在にリズムを変え、メロデイーを楽しむという 高度な音楽的な能力も身に着けてきた。しかし、やはりリズムの力には勝てない。天井も空も堕ちよ、という程に会場にとどろき渡る太鼓の音は、何故か懐かしく、力のエネルギーに溢れていて、ただただ圧倒されていた。
素晴らしい太鼓の演奏だった。

それだけに、太鼓と太鼓のパフォーマンスの間に挿入される歌や踊りの出し物との落差に愕然とする。公演の2時間を、太鼓ばかりをたたいていたら、力尽きて死んでしまいそう。だから力を抜いた見世物が間に挿まれていても仕方がないのだけれども、これは前回の公演でも感じたが、どうしても釈然としない。
例えば、アイヌの古い歌が歌われる。歌うのは、日本人ともアイヌとも思えない不思議な着物を着て、いかにも外国人が歓びそうな神秘的な雰囲気の中で 意味不明の歌詞で歌われる。また、例えば、国籍不明のドレスを着た女性が琴を奏で、竹笛で、どこかの地方に伝わる曲が外国人向けに演奏される。鼓童は、「伝統芸術を現代的に再創造する」グループということだから、それで良いのかもしれないが、日本人が見ると違和感を禁じざるを得ない。わたしがオーストラリアに 18年住んでいてアボリジニの踊りに触れてきたからと言って、日本に帰ったとき、アボリジニ風のボデイーペインテイングをしてダンスを踊り、お客を集めて良いものだろうか。先住民族の古い歌や踊りには、彼らの深い祈りや独特の意味が込められているはずだ。まね出来るものではない。

地方独特の伝統文化を、その伝統に属さない者が、どこまでコピーして良いのか。オリジナルを、現代芸術家が どこまで再生し創造することが許されるのか。伝統をどこまで壊して良いのか。現代芸術化に、厳しく問われるべき倫理に関わることで、わたしには、わからない。
ただ、パフォーマンスが、外国人受けをねらった商業主義に陥ったならば、人々は見向きしなくなるだろう。 鼓童の太鼓が大好きなので、つい 文句を言ったが、それだけ、次回に期待している、ということでもある。