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2012年6月6日水曜日
映画「ザ レデイー ひき裂かれた愛」
数日前、国会議員に選出されたアウンサンスーチーが、24年ぶりにビルマ国外に出て、タイを訪問した。かつて戒厳令下のビルマでは、民主化運動が圧殺され 多くの活動家達や、軍政によって迫害された人々が、国境を越えてタイに逃れた。この何万人もの避難民は、今でも生活難から難民キャンプに留まっている者も多い。自宅軟禁を解かれたアウンサンスーチーが 24年ぶりに自由に国外に出られるようになり、最初の訪問先、タイで、自国の人々に熱い言葉をかけて回った。
わずかではあるが、ビルマ軍事政権の民主化、アウンサンスーチーの国会への参加を認めるなどの動きに対して 米国政府は 長年にわたる金融制裁を解除、ビルマ駐米大使任命などの動きを見せている。オーストラリアも英国と共にEUの経済制裁を1年停止することに合意した。
しかし、ビルマの国会議員のほとんどは、制服軍人であり、立法司法行政すべてが軍が掌握している。国民会議の補欠選挙でアウンサンスーチーは議席を確保したが、民主化への道のりは、いまだ遠い。
原題:「THE LADY」
監督:リック べッソン
キャスト
アウンサンスーチー:ミッシェル ヤオ
マイケル アリス :デヴィッド シューリス
この映画は、英国人の夫と二人の息子とロンドンで暮らしていたアウンサンスーチーが 母親の病気見舞いのためにビルマに帰国する1988年から 夫と死に別れることになる1999年までの、彼女の家族に焦点を合わせた姿を映画化したもの。
ストーリーは
ビルマ独立運動を主導して、建国の父と慕われるアウンサン将軍が まだ幼い一人娘のスーに物語を語り聞かせているシーンから映画が始まる。
美しい湖に面した古い洋館。迎えの車がやってきて、将軍は娘を抱きしめて、仕事に出かけていく。そこで 将軍は反対勢力に暗殺されて、娘のもとには二度と戻っては来なかった。
その後、スーは イギリスでオックスフォード大学で学び、チベット研究者マイケル アリスと結婚、ロンドンで二人の息子達と暮らしていた。しかし、1988年4月、ラングーンに住む母親が病に倒れたという知らせが入り、急遽スーは母親の見舞いのために帰国する。家族には1週間で戻ると言い残してきたが、そのまま二度とスーは、ロンドンの自宅に戻ることは出来なくなった。
この年、1988年は、学生を中心に反政府、民主化運動が盛り上がってきた時だった。スーは、母親が入院している病院で、軍と衝突して傷つき病院に収容された学生達が、片端から連れ去られて虐殺される様子を目撃する。武器を持たずにデモをする無防備の学生達が、武器を持った軍人達に無造作に殺されていく。軍政府は 暗殺された将軍の娘スーの動きをスパイし、彼女が活動家達と接触するのを警戒していた。しかしスーには、殺されていく学生たちを目撃して、すでに選択の余地はなかった。病院から退院した母親を連れて、自宅に戻るとスーの家には 活動家達が続々と集まるようになる。とうとう家は、民主化運動の事務局の様になってしまった。活動家達が望むように、ビルマ独立の父アウンサン将軍の娘スーが 民主化運動の代表者になるのは自然の成り行きだった。
同年7月、軍事クーデターにより独裁政権を布いていたネ ウィン将軍が辞任するに伴い、大規模な民主化運動が広がり、スーは、50万人の聴衆に向かって民主化を進める決意を表明する。夫も二人の子供達も駆けつけて、スーを応援する。しかし9月には国軍が再びクーデターを起こし、ソウ マウンを議長とする軍政権が誕生、民主化運動は徹底して弾圧される。スーの夫や息子達は国外排除され、活動家たち、数千人が虐殺されて犠牲となる。
スーは1990年に予定されている総選挙に出場するため 国民民主連盟を結党、全国遊説をはじめたところで 1989年7月、軍政権によって自宅軟禁された。1990年5月の総選挙では、国民民主連盟が圧勝した。にも関わらず軍事政権は、スーの自宅軟禁は解かなかった。夫と息子達は 幾度も幾度もビルマ入国を申請するが許可されず、夫も息子達もスーに会うことが出来なくなった。電話も、軍事政権の妨害電波のために、思うように家族で話しをすることも出来なくなる。
そんな中で1991年ノーベル平和賞が授与されることになった。国外に出ることのできないスーの代わりに、夫と二人の息子が授与式に出席、長男のアレックスが受賞の挨拶をする。スーは自宅軟禁されて、仲間とも家族とも連絡不通になっている中でノーべル賞受賞の様子をテレビで見ようとすると 軍は停電の嫌がらせをする。玄関先に軍人が立って、監視し、スーは徹底的に孤立させられる。
ビルマ入国を要求する夫の申請を、軍は繰り返し却下し、1999年、夫は遂に前立腺癌で亡くなる。死の直前まで 夫のか細い声とスーの声を繋ぐ電話線は妨害を繰り返される。弱弱しい夫の声にスーはとうとう居たたまれなくなって「わたし帰ろうかしら。」と問う。いったんスーがイギリスに帰れば二度とビルマに入国できない。ビルマの民主化運動の火は消えてしまう。夫は気丈に最後まで、「僕は大丈夫、君はビルマから出てはいけない。」と言い続けて 遂にホスピスで亡くなる。
2007年9月、仏教僧侶達が立ち上がる。国会にむかう道を何百何千という僧侶達が埋め尽くす。人々が拍手をしながら僧侶達のデモを守るように取り囲む。というシーンでこの映画は終わる。
しかし私達は、2007年の僧侶達の勇気ある反乱を事実として見てきた。素足 素手で軍に向かった僧侶達の抗議行動の激しさ。国民から尊敬され心の支えである僧侶達を、軍は軍靴で蹴散らし虐殺し、見せしめに僧侶の死骸を野にさらした。軍は寺を襲い、破壊の限りをつくした。累々たる僧侶の屍によって、民主化運動は再び圧殺された。
2009年5月には一人のアメリカ人が、スーの自宅に泳いで侵入したことで、スーの関わりある事ではなかったのに、自宅軟禁条件違反、国家転覆の罪状で、彼女は実刑を言い渡された。
このような、明らかな人権を蹂躙してきたビルマ軍事政権は 世界諸国から経済制裁を受け、孤立してきた。2011年6月 政府は遂にスーと話し合いの可能性を示し、政治活動を許可する。そして、2012年4月のビルマ議会補欠選挙に国民民主連盟から出馬して、議員に選出される。軍政のなかで、議員としてのスーにできることは何か。民主化への道は、いまだに、とても遠い。
映画では 中国人のスター、ミッシェル ヤオが、スーを演じた。顔が全然違うのに 映画を見ているうちにミッシェルが、スーの顔に見えてくる。何よりも、たたずまいがそっくり。さすが一流の女優だ。民衆に向かって演説する語調の確かさ。歩き方から顔つき、しぐさまで熱心に研究して、ビルマ語も習得し、スーのなまりまで完全にものにしたそうだ。
カンフーアクション映画では女剣士で飛んだり空中で相手と刀で切りあったりしたかと思うと、映画「さゆり」では、日本の芸者になりきって三味線を弾きながら長唄を歌っていた。役者として、ものすごく努力をする人。ミッシェル ヤオが演じて、とても良かった。また、夫役のデヴィッド シューリスが 素晴らしい名演で、泣かせてくれた。
むかし、ビルマの友達と話していて、無遠慮にミャンマーと言ってしまった時、彼女は、にこやかに、でも毅然として「ビルマと言って」と訂正してくれた。軍事政権が勝手にビルマの長い歴史を否定してミャンマーと国名まで変えてしまったのは ビルマの人々の総意ではない。彼ら軍は、未来都市のような近代的な人工首都まで作ってしまった。私達は誇り高いビルマの人々を尊重してミュンマーではなく、ビルマと言うべきなのだ。
楚々として美しいアウンサンスーチーの映画、とても良い。日本では7月中旬に公開と聞いている。