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2012年4月19日木曜日
オット スーマーさんと会う
ツアー8日目。
今日は、友達に会う日。
お昼には、中学校時代から ずっと仲の良かった女友達と、その旦那様にお会いしてヒルトンホテルで昼食を取る約束をしていた。彼女は去年8月に父が亡くなったとき、通夜にも葬式にも来てくれて、父が元気な頃は、外国暮らしの私に代わって老人ホームに住む父に、何度も会いに行ってくれた。父は、彼女が大好きだった。中学校から、権威というものに反抗することでしか自分を表現できず、真正面からぶつかっていって、派手に傷を作ってばかりいた自分と正反対で、彼女はいつも穏やかで静かな自然体で黙って見ていてくれた。批判も同意もせず、ただ見ていてくれた優しい人の存在がどれほど心の慰めになったか知らない。50年、半生記ちかくの時間をかけて 変わらない友情を持ち続けてきた。いつも、人に喜んでもらえることを、大切にしていて、それが自分の楽しみになってしまったような、謙虚なひと。ご主人も、素晴らしく優しい人。オットも初めて会って、彼らが大好きになった。
夜は、吟遊詩人、スーマーさんのライブを聴きに、東中野の店に行った。
カントリーミュージックとロックがベースになっているが、彼の語り弾きは いつも彼の真心だ。ギターも上手だが、4弦バンジョーの指さばきが、素晴らしい。昔はドラマーだったそうだ。自分は彼のミュージックが、すべて好き。
3.11の地震が起こったとき、スーマーさんは 阪神大震災の経験から、いち早くツィッターで、今注意すべきことは何か、すぐできることは、そして準備するべきは何か、というきわめて現実に即した情報を流し始めた。シドニーでニュースを聞いて 何かとんでもないことが起っていることに、漠然とした不安で潰れそうになっているとき スーマーさんのツイッターを見ていると 東京の人たちが、どんな様子なのか、想像することが出来た。それで安心することはなかったが、貴重な情報だった。
やがて、スーマーさんのツイッターが 「こんなときに ひとつになれないなんて、、。」という嘆きとともに止まる。このときほど、その時期の自分の気持ちに通じる言葉は他に無かった。心から共感し共鳴した。この言葉ほど、犠牲者たち、被害者達の孤立を言い表す言葉は他に無い。加害者が罰せられず、責任を追及されず、失ったものを保障する必要もなくなったら、被害者は孤立する。それが当たり前になってしまって「がんばれ日本」などという言葉が街中に張り付けてある。なんと言うことだろう。
http://note.suemarr.com/
スーマーさんとウィスキーを飲みながら、お話する。会ったのは初めてだが、彼の歌を以前から、ユーチューブで聴いていたので、初めて会った気がしない。彼は日本語で歌うから、「どう?」とオットに聞くと、日本語がわからなくても、歌はよくわかるよ、と言う。よしよし。
夜はライブハウスに居るよーと言ったら、会いたいと思っていた友達が駆けつけて来てくれた。一人は大学のレクチャラー、活動家で皮肉屋で本の虫。
もう一人はグラフィックデザイナーで2日前に、屋久島で結婚式をあげたばかりの青年だ。奥さんを連れてきてくれた。彼は、昔シドニーで大怪我をして死にかかった。32人分のオージーの血液をもらって、何本ものピンで骨盤を留めて、元気になった。日本に帰るごとに会っているから、すっかり息子のような気がしているから、奥さんも他人とは思えない。スーマーさんは、新婚夫婦のために、祝福の歌を歌ってくれた。彼のうたの一つにこんな歌がある。
平和な国よ
問われているものは オレたちの国
問われているものは オレたちの心
思っているのは オレたちの故郷
思っているものは本当の故郷
知りたいことが たくさんある
知るべきことが 誰にでもある
こんな時に 見えてくるのは
キラキラした町の 生活の柄、、
戦争をしない 平和な国なら
ここが見せどころさ 平和の国よ
小さなライブハウスで 会いたかった人ばかりに囲まれて楽しい夜を過ごす。そして、そこに居る人たちが みなオットを大切にしてくれた。
そのことが、何より嬉しい。
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