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2012年4月8日日曜日
オットと「初めて日本を訪れる外国人の為のツアー」に参加してみれば
「このツアーに参加された外国人には、絶対に喜んで頂けて必ず2度3度 日本にまた来られる、ツアーの中でも一番人気のあるツアーです」、、、というJTBの宣伝に釣られて オットを連れてツアーに参加した。英語に堪能なガイドつきのツアーということなので、初めて日本を訪れるオットに 自分であれこれ説明する必要がない。病気もち、肥満体で、100メートル歩けないオットの世話だけで大変なのに、ガイドまではできないので、これは丁度良い。
オットは16年前に一緒になったときから日本に行きたがっていた。仕事が終わってから ちゃんとした先生について、夜学で日本語を習っていた。日本の文化に興味をもっていて、ひらがなを書く練習をしていた。それなのに 日本行きを ずっと引き伸ばしていたのは、私だ。オットが太平洋に向かって、「ニッポン 行きたいよー」と叫んでいた間、二人の娘のシングルマザーで後家だった私は、異国での自分の職業訓練と就職、娘達の大学入学と終了、次女の結婚と育児、その後のあれやこれやで忙しかった。父が生きていたころは毎年、会いに帰国していたが、帰国のたびに滞在するのは父の住む有料老人ホーム。そこは、洋室だが、オットが滞在するための余分なベッドがない。寝具はあっても、生まれたときから床に座ったり、しゃがみこんだ姿勢から立ち上がったりする習慣のないオットに、ふとんで寝かせる訳にはいかない。いったん床に座ってしまったら、立ち上がることができないからだ。
私と二人の娘が 休暇で日本に帰国するたびに 本心は歯噛みをしてくやしがり、羨ましがっていたのだろうが、いつも笑顔で「行っておいで」と、私達を送り出し、ねこの世話をして待っていてくれた。娘達が自立して家を出て行ったあとも、母の死、父の死ごとに帰国する私をオットは見送るだけだった。日本に滞在できる場がなくなってしまった今、やっとオットを連れて日本に行くことに決めた。
いつの間にかオットも年をとり、病気も患い、足元がおぼつかなくなってきた。肥満体で、重度の喘息もち。100メートル歩くのが限度。こんなになるまで放っておいて、留守番ばかりさせて悪かった。今、連れていかないと もう二度とチャンスはないかもしれない。担当医に頼み込み、診断書や旅行中の医療保険にために書類を作ってもらう。オットのたった12日間の旅行のために支払った旅行保険が650ドル。元気な若者だったら 掛け捨ての旅行保険50ドルですむものを。「僕はベッドに仰臥する病人じゃない、普通の人と同じエコノミーで旅行できる。」と言い張るオットに内心感謝しながらエコノミーの航空券を求め、ツアー代金、二人分6300ドルを支払う。
土曜まで働いて、日曜の夜に出発。10時間のフライト。
オットは平静を装っているが、明らかにはしゃいでいる。シーバスリーガル3本を買ったのは、「僕の? ねえ日本滞在中に全部飲んじゃうの?みんな僕の?」と、何度もしつこく聞く。うんな 訳ないだろ。
驚くことに夜のカンタス便は満席で 前後両隣を女子高校生に囲まれる。ブリズベンで3週間ホームステイをしながら英語を学んできた高校生達だという。彼らの女の子独特の黄色い声を聞きながら、これでは眠れないだろうと絶望していると、彼女達、夕食が終わるか終わらないうちに、「コテン」とそろって寝息をたてて爆睡するのには仰天した。騒ぎ出すのも早いが、静まり返るのも早い。
オットはニコニコしていて、久しぶりの飛行機が嬉しくて、なかなか眠れないようだったが、たいくつで訳のわからん映画「マーサ、マーシー、メイ マリーン」を見せたら、イヤホンをつけたまま3時間くらい眠ってくれた。
成田に着くと入官で日本人は簡単に通過できるが 外国人は、指紋を取られ写真をとられて、一人一人来日目的まで聞かれている。そのために長い長い列ができている。待たされる覚悟で絶望的な暗い顔で、300人くらいの長い列の最後尾につくと、おや魔法みたい。入管局の青年が 足を引きずっているオットの手をとってパイロットやフライトアテンダンスの通る特別の窓口からオットと私を通してくれた。やったぜ。こんな手があったんだ。
外に出るとツアーのJTBの青年が、待ち構えていてくれた。待っていた黒塗りのハイヤーで九段坂のホテルへ。
26年日本を離れて外国に住んでいて、休暇で帰国したことが20回くらいあるが、成田から都心のホテルまでハイヤーをつかったことなどない。初めてのテレビつき贅沢風の車が嬉しくて、運転手とべらべらしゃべりまくる。デイズニーランドや観覧車を見て、都心に入り、スカイツリーを見る。オットは車のエンジン音が静かなことに感動している。そういえば、シドニーでは、どの車もブインーブーブーと、音がいやに煩かった。メカニカルなことは よくわからないが、日本の車は新車が多く、性能も点検もよく整備しているということだろうか。
旅行前には地図でグランドホテルの場所をみて、客室から皇居が見下ろせて、千鳥が淵に続くお堀端の桜が見えるかと思っていたが、ホテルのまわりは高いビルばかりで皇居など見渡せない。靖国神社も武道館も ちょっと見えるだけだった。
しかし、最上階のレストランから 富士が見えた。淡い水色の空と白い雲の間に白色を重ねるようにして立つ富士。こんな風にして、娘達が幼かった頃 住んでいた千駄木の家の物干し台から、晴れた日は富士が見えたものだった。「ああ、富士山がみえた」というと、オットは全然見当違いの方向を見ながら ああ見える見える、と言っている。何でもとりあえず同調してくれる心優しいオット。
富士の見えた最上階で 札幌ビールとチキンで乾杯。10時間、窮屈な飛行機で夜を明かした恨みを晴らすように 思い切って体を伸ばして眠りにつく第1日目。
明日は東京見物。