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2011年10月26日水曜日

東川篤哉の「謎解きはデイナーのあとで」



推理小説のおもしろさは謎解きにある。謎解きはあくまで机上の論理であって、何故かあまり血の匂いがしない。
シャーロック ホームズシリーズや、エルキュール ポアロシリーズ、アガサ クリステイーの作品が いまでも人々に読み継がれ、愛されてきた理由のひとつは、その小説の文体に品格があり 登場人物に気品があり、ヨーロッパの洗練された文化の産物だからだ。殺人事件が起るが、庶民はあまり登場せず 貴族同士で殺しあったり、憎みあったりする。その時代、下層の人々が食うにも食えず 子捨てや子殺しなど当たり前だった などという現実の姿をあまり垣間見ることができない。謎解きは頭脳ゲームであり、知性を競い合うものだ。その点、推理小説を読むことは 社会派の小説やドキュメンタリーや、警察ものを読むのと違って、そんな架空の世界で謎解きをして楽しむのが通例であるらしい。

フイリピンで 活字に飢えていた頃 家中で、赤川次郎に夢中になった時期がある。娘達が中学に入るか入らないかの頃で、赤川次郎の作品を50冊くらい ダンボールごと下さった方がいて とても嬉しかった。この作家は音楽を愛し、楽器などにも精通し、480にも上る沢山の作品を書いている、驚異的に多作な作家だ。彼の作品は優しい視線で人を見つめて描かれている。根底に楽天家の眼差しがある。彼の作品を読んでいて、誰も傷つかない。独特の文体に彼なりの品格がある。好感がもてる。娘達は英語で育ってきたから 漢字は「木」とか「海」くらいしか書けないが、赤川次郎のおかげで「執行猶予」、「誘拐犯」、「保釈金」とか「検察送り」などスラスラ読めるようになって、そのアンバランスさが おかしかった。

日本には長いこと 住んで居ないので、このごろ日本で売れている若い作家に興味がある。久坂部羊、百田尚樹、池上永一、金城一紀など、取り寄せて読んでみた。
今年43歳になる東川篤哉の「謎解きはデイナーのあとで」(小学館)も ついでに買って読んでみた。2011年 本屋大賞第1位、100万部売れたベストセラーだそうだ。作品は雑誌きららに連載されて人気を呼び 新作を含めて単行本になったようだ。

ストーリーは
宝生麗子は金融とエレクトロニクスと医療品などで世界に名の知れた宝生グループの総帥 宝生清太郎の娘だが、東京多摩地区 国立警察署の女性刑事だ。そのボスは、中堅自動車メーカー、風祭モータースの社長の息子。いつも高級品に身を包み、派手な外車で走り回っている。
そんなお嬢さん、お坊ちゃん刑事たちが 解決できない難事件を麗子の執事が 簡単に謎解きしてしまう。

麗子の家には景山という、執事兼運転手がいる。夏でもダブルのブラックスーツに身を包み、銀縁めがねをつけて、麗子の送迎をする。彼はプロの探偵になりたかった時期があるらしく、麗子が話して聞かせる事件を いとも簡単に謎を解いて解決してしまう。
というおはなし。

文体の軽さ、内容の単純さ、庶民のお茶の間風の会話からは、麗子や景山や風祭の貴族的品格はまったく覗えない。お嬢様が身に着けるスーツがアルマーニ止まりなのも、お嬢様に気の毒な気がする。靴やバッグはどうなのか。フィリピンに10年住んでいた時、お城のような家に住む方々ともお付き合いしなければならなかった。家に住み着きのコックを12人もっている家庭、メイドが20人。家のドアから居間に通されるまでの廊下に、飾り付けられたジープニーという大きなジープを置いてある家。博物館のような居間。個人所有の動物園や 島を個人所有しているお金持ちの人たち。週末、島で過ごし、月曜には自家用小型飛行期で通学する子供達。立派な風格をもった執事たちにも会った。そんな環境に馴染んでいないと 執事というものを書くことはできないのではないか。

でもおもしろい。
お嬢様と執事、という関係の意外性と時代がかった取り合わせがおもしろいからだ。
読んでいて、様子が目に見えるように想像できるのは、作家が始めからビジュアル派で、これがテレビドラマにもなるし、漫画化されることを想定して書いたからなのだろう。
まえに、池上永一の小説を読んで、彼の悪文に、へとへとになりながらも、これも今の日本文化なのだから、ビジュアル派はこれでいいのだ、という結論に達した。
大変美しい顔 姿をした少年歌手が テレビに出てきて、信じられないほど音程をはずして歌を歌っているが、それでもビジュアル派は 許されるそうだ。だから、作家もビジュアル派はそれでいいのだ。
なんと言っても 小説がそれなりに、おもしろいのだから。