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2011年9月16日金曜日
映画 「十三人の刺客」
日本では2010年9月に公開された日本の東宝映画「十三人の刺客」、「13 ASSASSINS」を観た。
日本からは大分遅れて 今週から シドニーの大型一般映画館で公開された。日本映画が 英語字幕つきで一般映画館で公開される機会は 極めて少ない。特別の シドニー国際映画祭とか 興行成績に関係のない独立的に文化作品を上映する特殊な映画館でなら、溝口ファンとか、黒澤明ファンが オーストラリア人にも居るから 時々日本映画を見せている。
しかし、大型の興行映画館で、ハリウッド映画と並んで、日本映画を公開するのは、良くて年に1本だろう。この作品の前は ジブリの「ポニョ」だった。
監督 三池宗史(山かんむりの宗の字がPCにない)は 日本で、というよりもアメリカで一定の人気があるらしい。暴力的で残酷なフイルムを作るのが得意な人らしいが、その手の映画を観ないので よくわからない。
キャスト
明石藩主 松平ナリツグ(漢字がPCにない):稲垣吾朗
江戸幕府老中 土井大炊頭位 :平幹二朗
御目付役 島田新左衛門 :役所広司
明石藩 鬼頭半兵衛 :市村正親
御徒目付組頭 倉永左平太 :松方弘樹
島田新六郎 新左衛門の甥 :山田孝之
平山九十郎(浪人) :伊原剛志
小倉庄次郎(平山門弟) :窪田正孝
木賀小弥太(山の民 :伊勢谷友介
ストーリーは
江戸末期 徳川将軍の異母弟にあたる明石藩主 松平ナリツグは 天下泰平の緩みきった社会の中で退屈してやりたい放題、冷酷で無意味な殺生を繰り返す暴政を布いていた。藩主に反省を求めて明石藩江戸家老が 老中土井家の屋敷で切腹して訴えるが、将軍は無視、世間知らずなナリツグは 部下の意見を聞かずに一方的に腹を立て この家老一家を惨殺する。将軍の弟ということで 誰もナリツグの暴走を止めることが出来ない。
しかしこの暴君が老中に就任することが決まると、老中筆頭の土井大炊頭位(平幹二朗)は、このままにしておくことはできない と考えナリツグ暗殺を計画する。信頼できるのは お目付け役の島田新左衛門(役所広司)のみ。島田は ナリツグ暗殺が 将軍の為、民のために必要だと判断して 秘密裏に仲間を集め始める。太平な社会でしばらく戦がない。武士は志を失い 腰に刺した剣も役立たずだった。そんな中で島田のもとに、藩主暗殺の志を同じくする武士たちが少しずつ集結してきた。事を起こすのは 参勤交代で藩主が江戸に向かう途中が良い。11名の島田に命を預けた武士たちの激しい訓練と準備が始まった。そして、彼らは街道に仮の宿場を作って一行を待ち構えるのだった。
しかし 迎え撃つ敵の数は200人、、、。
というストーリー
この映画は 戦闘のリアリテイを表現するところに重点を置いている。後半、戦闘場面が延々を続く。切っても切っても13人対200人だから終わらない。殺しても殺しても殺しきれない。死ぬまで戦うのみだ。他の選択肢はない。すでに13人の反逆者たちの帰る場はない。藩主を襲う時点で 反逆者は 侍の身分も家も失っている。男達にとって死ぬことが目的とも言える。
画面全体が暗い。画面の芸術性 洗練されたカメラワークは はるかに「最後の忠臣蔵」が良かった。画面を見ていて紅葉した木々に下を人が歩くと秋の風が感じられ、川が流れるシーンでは水の冷たさが伝わってきた。映画では画面を通して 観客の五感に訴え疑似体験をさせることができるなら フイルム作りが「成功」したと言えるのではないか。それがこのフイルムにはない。監督は エンタテイメントとしての映画に徹底していて、筋書きで、強引に観客を引っ張っていく。
島田新左衛門は 何が何でもナリツグの首を取らなければならない。戦えば互角の鬼頭半兵衛と戦っても しょせん「現状維持派」の半兵衛と 「反逆」の新左衛門とではエネルギーの大きさが違う。従って鬼頭の首は飛ぶ。役所広治は とても良い役者だ。でも日本映画といえば 必ず役所広治が出てくる。他に俳優さんは居ないのだろうか。映画のなかで 役所広治のほうが 松方弘樹の役より格上の役だったと知って驚いた。松方弘樹のほうが はるかに時代劇では年季が入っていて 刀さばきも 立ち回りも素晴らしい。貫禄がちがう。
浪人の平山九十郎(伊原剛志)が素敵。怖い顔で 大立ち回りして、どんどん切って行く。まわりすべてを大量の敵に囲まれて絶望的な状況で 「オレの後から来い。俺が切り損ねた奴を切って進め。」と可愛い門弟の 窪田正孝に言う。二人の生き方も逝き方も潔い。
木賀小矢弥太(山の民)の伊勢谷友介の出現と12人との関わり方を見ていて彼は生き残るだろうと 思っていたが やはり生き残った。最後に二人の男を残したのは良い。山の民と 島田新左衛門の甥、新六郎が生き残る。希望が残った。
島田新六郎は 家を出てくるとき 妻に「行って来る。もし帰ってこなかったら お盆に帰ってくる。迎え火焚いて 待っていてくれ。」と言い捨てて出てきた。しかし、お盆に帰ってくることもなければ、家賃と食費を持って家に帰ってくることもない。そんな風にして 女が捨てられる時代だったのだろう。
彼は叔父、志のある武士が目的を達し藩主暗殺を成し遂げたことを見届け 全ての仲間の死を確認したあと、「侍なんかやめだ。ばかばかしい。オレはメリケンに渡って金髪の女を抱く。」と言う。これが良い。こんな男が明治維新を乗り切るのだ。鎖国と徳川幕府は すでに内部から崩壊していたのだ。
映画に美しい女が一人も出てこない。
話の途中に少しだけ登場する女達は 暗がりから出てきて 眉を落とし白粉で顔を塗りたくっていて お化けのように怖い。この監督 女嫌いではないか。それとも女に何か恨みでもあるのですか。
大型エンタテイメントの映画として成功している。日本で公開されたフイルムから結構大事な場面がカットされてて見られなかったらしい。カットされたシーンは 伊勢谷友介と岸部一徳のシーンと 稲垣吾朗が犬を食うシーンだと言われている。どうして海外版のために 余計なことをするのかわからない。カットについて監督は怒って良いはずだ。