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2011年7月30日土曜日
オペラ オーストラリア公演 「二十日鼠と人間」
オペラ オーストラリアが、新作「二十日鼠と人間」を発表したので 観てきた。1973年に出版された ノーベル賞作家、ジョン スタインベックの同名の小説を オペラにしたもの。
http://blog.opera-australia.org.au/search/label/Of%20Mice%20and%20Men
世界恐慌の吹き荒れるアメリカ カルフォル二アを舞台に、農場を仕事を求めて移動する二人の出稼ぎ労働者の物語。悲劇的な結末には 涙なしに読了することができない。素晴らしい作品だ。
ジョン スタインベックは 「エデンの東」で、聖書に出てくるカインとアベルをテーマに 強い父親と二人の兄弟の確執と葛藤を描いた。映画化されて、それを若くて事故死したジェームス デイーンが主演したことで 永遠の名作映画となった。
また、「怒りの葡萄」では スタインベック自身が季節労働者として働いていた経験をもとに、土地を持たない労働者とその家族の惨状を描いて 骨太の社会派の作家として高く評価された。これも映画化されて、ヘンリー フォンダが主演している。
「二十日鼠と人間」も、1992年に映画化された。監督、演出、主演 ともに、ゲイリー シニーズ。彼は もともと舞台演出家で、この作品を舞台で成功させたあと、映画化している。自分のシアターカンパニーを設立して活動していたが、その仲間に ジョン マルコビッチがいる。
ゲイリー シニーズは 「アポロ13号」や他に沢山の映画に出演していて「プレジデント トルーマン」では主役の存在感のある男を立派に演じた。
しかし この映画「二十日鼠と人間」は 何と言ってもジョン マルコビッチの存在なしに語れない。この 1953年生まれの個性の塊のような男。只者ではない目つき顔つきで 実に個性的な話し方をする。気弱な卑怯者の男の役から、極悪人まで独特のテイストで演じるマルコビッチは、本物の役者だ。この映画で主役のレニーを演じて それが素晴らしかった。
長身、巨大な図体で精神薄弱、知恵遅れのある男 レニーは 柔らかいものを撫でるのが好き。二十日鼠をペットにしていて、柔らかい毛を撫でているうちに 力余って殺してしまう。死んでしまった鼠を ポケットに入れて大事にしている。どうして生き物がそんなに簡単に死んでしまうのか、彼には理解できない。そんなレニーの役を原作以上に上手に演じていた。
マルコビッチは 1999年「マルコビッチの穴」、2003年「ジョニーイングリッシュ」、2008年「バーンアフター リーデイング」、「チェンジリング」、2010年「レッド」などに出演、臆病でサイコパスな男とか 極悪の知能犯など、極端な性格の男を彼ほど迫力もって表現できる役者を他に知らない。
スタインベックの原作が 人間としての魂を揺さぶられるような素晴らしい上に、その作品を、二人の舞台出身の巧みな表現力を持った役者が演じたのだから、最高の映画が出来ないわけがない。好きな映画がいくつもあるが、この映画はそのうちのひとつ。本当に忘れがたい作品だった。
ストーリーは
1939年代、経済恐慌が吹き荒れるカルフォルニアで 出稼ぎ労働者のジョージとレニーは仕事を求めて農場を渡り歩いている。ふたりは一箇所に落ち着いて仕事を続ける事が出来ない。知恵の遅れたレニーが いつも何か揉め事を起こすからだ。その尻拭いをするのがジョージ。レニーに腹を立てながらも レニーの面倒を見るように 叔母クララから 頼まれて引き受けてしまったジョージには、レニーを捨てていくことができない。
ジョニーはいつか自分の牧場を買う夢を見ていた。レニーと力をあわせて農場を買い、動物を飼う。その夢の話をすると、レニーは手をたたいて 嬉しがり、自分の兎持つ夢に 夢中になってしまう。
二人は新しい農場にやってきた。農場主カーリーには 新婚2ヶ月になる妻が居る。若くて美しい女だが、女優になるために実家を出たので、結婚生活に満足できずにいる。多忙で自分に構ってくれない夫よりも、農場で働く男達を相手に 自分の魅力を振りまいたり、からかったりして退屈を紛らわしている。
ある日、レニーが もらった子犬を可愛がっているうちに 例によって 二十日鼠のように誤って殺してしまった。死んだ子犬を見つけられると ジョージに叱られると思って、納屋に隠そうとしているところを カーリーの妻に見つかってしまう。あわてるレニーの姿を面白がって からかって大声を出す妻に 動転したレニーは 彼女の口をふさぐつもりで、力余って殺してしまう。
納屋で妻の死体が見つかった。カーリーは農夫達を集めて銃で武装して 山狩りを始める。レニーは逃げながら ジョージに助けを求める。ジョージは レニーを連れて逃げ切ることが出来ないことを悟って、レニーに 自分達が買う農場の話をして落ち着かせ、幸せそうに自分の兎を飼う夢をみて夢中になっているレニーの後ろから銃の引き金を引く。
というお話。
オペラオーストラリア 3幕
監督:ブルース ベルフォード
作曲:カーリスル フロイド
キャスト
レニー :アンソニーデーン グリフィー
ジョージ:ハリー ブライアン
カーリー:ブラドリー ダーレー
妻 :ジャクリーヌ マバルデイ
監督も作曲家もレニー役でテノールを歌った歌手も みんなアメリカ人だ。監督 ブルース ベルフォードは 去年やはりオペラオーストラリアで「欲望という名の電車」を オペラに仕立てて監督した。映画監督でもあるそうだ。
レニー役のテノールも、ジョージ役のバリトンも よく伸びる美しい声をしていた。カーリーの妻も ほど良いソプラノ。
しかし、何という曲だろう。
2時間余りのオペラの間 ひとつとしてメロデイーのある曲がない。旋律も現代音楽で、とても人が歌うような旋律に なっていない。高音低音入り乱れて、1オクターブ以上の高音のすぐ次に低音になったりして、歌う方は とても大変そう。また、せりふがとても多い。芝居の合間にとってつけたように曲が挿入されていて、不自然きわまる。
2幕の最初は、幕を下ろしてフイルムを写して、武装した男達がレニーとジョージを追って山狩りしている。映画を観に来たんじゃない。
このオペラは完全に失敗だ。
むかし 失敗作のミュージカル映画がこんな感じだった。登場人物が話をしていると、突然一人の顔つきが変わって 急に歌を歌いう出す。気でもふれたんじゃないか と思って観ていると それがミュージカルだという。ストーリーの流れと歌とが うまく編集されていないから、奇妙なことになる。このオペラも、ストーリーと歌とが ちぐはぐで 舞台がしっくり進行しない。
たまには現代音楽も良いかもしれないが 不協和音の連続に、耳が疲れる。どうして オペラが終わったあと、歌の一節でも皆が口ずさみながら 気分よく帰宅できるようなメロディーのある曲が 一つもないのか。単純で美しく思わず歌いたくなるような曲が どうして作れないのか。こんなオペラに拍手して 足をふみならして居る人の気が知れない。悲劇の結末に、後ろの女性達は声を出して泣いていたが 何故でしょう。現代音楽に全く理解がないわけではない。でも、2時間余り ハーモニーのない音の連続を聞かされて、とってつけたようなせりふのお芝居と、映画フイルムを見せられて、ときどき歌が入るようなオペラを見せられたのではたまらない。オペラハウスの前から9列目の中央。180ドルの席。無駄をした。
原作が素晴らしく、映画が上出来だったが、このオペラは失敗作。
拍手もせず、舞台でまだ歌手達がお辞儀を終えないうちに、席をたって帰ってきた。