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2011年4月7日木曜日
池上永一の「テンペスト」を読む
池上永一は 1970年、沖縄那覇市生まれ、石垣島育ち、早大在学中に、沖縄を舞台にした小説で認められ、注目されてきた若手の作家。
作品に「バガージマヌパナス」、「風車祭」、「夏化粧」、「シャングリア」、「レキオス」、「やどかりとペットボトル」などがある。
先週 読んだのは「テンペスト」上下巻と「トロイメライ」の3冊。
「テンペスト」は、おもしろいと評判になって、堤幸彦の演出で舞台化されて、新歌舞伎座で、公演されている。
「テンペスト」は、琉球版「ベルサイユの薔薇」とでも言おうか。真鶴という美貌で頭脳明晰な女性が 当時は女が学問することが許されていなかったので 男装して学問を修め 琉球王国の尚真王に仕えるというお話だ。
ストーリーは
19世紀 琉球王朝 第18代国王 尚育王の時代。
孫家の父は 琉球王の後継者争いに負けて今は ただの役人だが、いつかは息子を王家に上げて 王から権力を奪い 王家を復活させたいと願っている。男子の誕生ばかりを願って 生まれる前から孫寧温という名前をつけていた。しかし 妻の命を引き換えに 生まれてきたのは女の子だった。
父の落胆にも関わらず 娘の真鶴は 学問が好きで学んで知識を得ることが楽しくて仕方がない少女にだった。硫歌、孟子、荘氏 漢詩に外国語まで、知識欲は留まることを知らない。当時厳禁されていた英語やオランダ語を 唯一琉球に伝道のために来ていて拘束されていた英国人宣教師から 密かに教わっていた。
男装して私塾に入り 学問を重ねて 年に一人登用されるかどうかわからない という難関試験を経て ついに琉球政府の役人として王に仕えることになった。時に13歳、史上最年少の官士だった。
年少で小柄ながら 知識が豊富で13ヶ国語を話し、決断力のある寧温は 次々と降りかかってくる外交問題を解決して めざましい活躍をする。琉球政府は 大国清国とは 冊封体制を取っており 年一度 冊封子が 輸出品を持って来た時は最大のもてなしをして 圧力に負けず 対等な貿易をした。また、一方では薩摩藩に支配されており 島津から役人を迎えて 良好な関係を維持していた。琉球のような小国が、どの国の植民地にもならないように済むためには、清国とも薩摩藩とも等間隔の距離を置き 上手に外交することが不可避だった。
しかし寧温は 清国から秘密裏に入り込んで政界を汚染していた阿片とそれに関わっていた政府関係者全員を処分したり、思い切った財政緊縮政策を取った為、他の閣僚達からは恨みをかった。さらに、清国から追放されて来ていた臣官が、内部撹乱を目論んでいることを知り口封じするはずが、殺してしまい、断罪されて八重山に流刑の憂き目に会う。
八重山でも政敵に狙われて、逃げ延びた先で九死に一生を得て、農家の老婦に拾われる。ここでは女の子として育てられ、機織をして暮らすうち、那覇から尚泰王の側室探しに来た役人の目にとまる。王の妻は、子供に恵まれなかったため、国中で側室を探していたのだった。側室の条件は 美貌や品格だけでなく高い教養が必要だった。真鶴は その点 漢文で読み書きできるだけでなく日本の詩歌にも 琉歌にも優れていたため、難なく、何百人の候補の中から、側室に選ばれる。
ぺリーが艦隊をつれて 琉球を訪れた。ペリーとの交渉のために 王朝政府は 是が非でも寧温が必要になった。尚泰王は、急遽 八重山に使いを出して寧温の名誉回復、政府への帰還命令を出す。
困ったのは、真鶴だ。一人二役を演じなければならなくなった。真鶴は側室として女性ばかりの館に住まいながら、朝になると役人になって寧温として出勤しなければならない。しかし、寧温の巧みな外交術によって ペリーとの交渉は 琉球国としての面目を保つことができた。ペリーら一行は 琉球のあと、浦賀に向かい、江戸幕府に開国を迫る。近代日本の幕開けだ。
しかし、一人二役はいつまでも続けることはできない。
遂に寧温が 真鶴という側室であることが明るみに出てしまい、真鶴は地位を剥奪されて城から追放される。そのとき真鶴は 尚泰王の赤子を抱いていた。保護された寺で子育てが始まる。明という名前をつけられた男の子は 母親の真鶴に負けず劣らず利発な子供で 早くから読み書きを憶え、学問好きの子供に育っていった。
しかし、時は 明治12年。琉球処分として、熊本から帝国陸軍の大軍が来襲。首里城が明け渡され、尚泰王は 東京に連れ去れていった。
真鶴は 空となった首里城王宮に明を連れて忍び込み、これが最後と知って、明を王座に座らせ、国王任命の儀式をするのだった。
「1879年 琉球王国は沖縄県となった。」で、この物語が終わる。
沖縄はむかし3年間 住んだ。娘達が幼稚園から小学校2年戦まで過ごした土地なので、特別に愛着がある。守礼の門のわきにある城西幼稚園、城西小学校に通っていたので 竜たん池や首里城は毎日の遊び場だった。
首里は、那覇の喧騒と庶民の生活臭から離れ、坂を上り石畳を登っていった高台にある。城の歓会門、久慶門まで石段を登っていくと 素晴らしい眺めだ。この小説のラストシーン 琉球処分で、あわただしく王家が東京に拉致されたあと、残った寧温が 息子を幻の尚家の国王として王座に座らせるシーンは感動的だ。
ペリー来日、徳川政府の終焉、日本開国、近代日本の幕開けと天皇を中心とした集権国家のはじまりも、沖縄の側からみれば「琉球処分」の一言に尽きる。視点を変えて日本の歴史を捉えることに、小説は成功している。
清国からの冊封子を歓会門から通し、薩摩からの役人を久慶門から通して、ペリーが港の借款契約を取ろうと圧力をかけても応じないで どの国からも独立した琉球王朝を存続させてきた琉球の外交戦略が、とてもおもしろかった。
それにしても 彼の悪文には悩まされた。
たとえば
「同じ頃、表の世界にいる花当の嗣勇は、美貌に磨きをかけていた。王府の高官たちを次々と手玉にとって着実に出世の道を切り開いていく嗣勇は琉球のシンデレラだ。ただし計算高いのが玉に瑕だけど。--花びらが枯れてしまう前に次のステップを考えておかなければならないのは、時代を超えたホステスの悩みだ。」
とか
「王宮にはふたつの顔がある。昼間は政治の中枢として知的な顔つきをしているが、夜は紅をさす貴婦人に変わる。もともとは王宮は男装の麗人なのだ。」
などとある。
???
文章は まず言っている事に矛盾がなく文体に無理が無いのでなければ すんなりとは読めない。描写するためには表現力が必要だ。残念ながら文才は誰もが持って生まれてくるわけではない。生まれつきスポーツが得意な子がいたり、絵をかくのが上手な子が居るのと同じように 文才も生まれて付いて来る。努力によって補うことは出来るが 努力で文才を得ることは出来ない。この作家の文章には格調も品格も文法の正しい使い方もない。テレビ文化の中で育って現代っ子の会話調。あらかじめ映画化されたり漫画化されることを念頭において書いている。しかし、おもしろい。それで良い。
以前娘達とテレビを見ていたら、ひどく美しい少年が、極端に音程が狂っているのに マイクをもって平気で歌を歌っている。それを指摘したら、娘が ビジュアル系だから、それでいいのだ、という。びっくりしたが、そうか、、、それでいいのか。なるほど。
だから、この小説も ビジュアル系ということで、、、これで良いのだ。
おもしろいのだから。