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2011年1月25日火曜日
映画「ザ ファイター」 クリスチャン ベールの役者魂
映画「ザ ファイター」を観た。
実在するボクサー兄弟の 実際にあったことを元にして作られたバイオグラフィー映画。
2時間。アメリカ映画。
撮影もすべて この兄弟が生まれて育ったマサチューセッツ州 ローウェルという小さな町で行われたそうだ。日本での公開は3月26日。
ゴールデングローブ賞で助演男優賞をクルスチャン べールが、母親役のメリッサ レオが助演女優賞を獲得した。アカデミー賞では、クリスチャン ベールが助演男優賞、マークの恋人役を演じたエイミー アダムスが助演女優賞に、また映画が作品賞にノミネイトされている。
監督:デヴィッド ラッセル
キャスト
アイリッシュ ミッキー ワード:マーク ウェルバーグ(弟)
デック エグランド:クリスチャン ベール (兄)
母親アリス エグランド:メリッサ レオ
マークの恋人シャリーン:エイミー アダムス
クリスチャン べールの役をブラッド ピットがやるはずだったが、ピットが断った為 クリスチャンが演じることになった。クリスチャン ベールで適役。全くもって これほどボクサーとして迫力ある演技は彼にしかできなかった。ウェルター級ボクシングのチャンピオンの話だから、もともとピットの大きな体には 役柄に無理があった。クリスチャン ベールも背が高いから体重がある。それを極限まで落としている。頬には肉がなく、頭蓋骨に皮が被っているだけの感じ。異様に落ち込んだ目で、走り、跳躍しジャブを繰り返す。それが怖いほどだ。
この役者の 役作りには定評がある。2004年「マシニスト」という不眠症の男を演じるために35キログラム体重を落とした。ドクターストップがかかったそうだが、本人は平然として 全く食べなくなると体が軽くなって頭が冴えて演技に身が入る と言っていた。2007年には カンボジアで米軍兵が捕虜となり 飢餓の中をたったひとり生還した兵士役を演じた時は 体重を20キログラム落として カメラの前で 平然と蛆を食べていた。
わたしはボブ デイランの「アイアム ノット ゼア」で ギターをもって ヒゲだらけでデイランの歌を歌ったときのクリスチャンが好きだ。声がそっくりだった。
2008年には「バットマン ダークナイト」でバットマンとして、美しい肉体美を見せてくれた。また「ターミネイター4 サルベイション」でも主役の ジョン コナーを演じて 息つくヒマもない激しいアクションを展開した。
骨と皮の痩せ役で良し、むっちり筋肉をつけた肉体派ファイターで良し などという便利な役者は そうは居ない。得がたい役者だ。役柄に徹することのできる役者魂をもった役者だ。
ストーリーは
デイック(クリスチャン ベール)はローウェル町のヒーローだ。ウェイター級のボクサーとして連戦連勝してきた。母親のアリス(メリッサ レオ)はボクシングジムを経営していて デイックのマネージャーを務めてきた。彼女はデイックを溺愛している。母は9人の子供を産んだ。そのうちの6人の娘達は成人したあとも母親の家に同居している。デイックは母親からも 姉妹たちからも チヤホヤされてきた。ボクサー引退後のデイックは 麻薬浸けで犯罪にも加担しているが、家族はそれを見て見ないふりをして黙認している。そんな家族のなかで 異父兄弟のマットは 影が薄いが、幼い時からデイックにボクシングを教わってきて、当然ボクサーになることを期待されていた。
ある公式試合で ミッキーがさんざんに負けたとき、ラスベガスから試合を見に来た興行師が、ミッキーが本気でプロのコーチについて ボクサーになりたかったら 母親と麻薬浸けのデイックから離れてラスベガスに来るように言う。ミッキーは 恋人のシャリーン(エイミー アダムス)と二人でラスベガスに行って 家族のしがらみを捨てて 自立する夢を見る。
しかし 夢はデイックが 麻薬に絡んだ犯罪で逮捕され、実刑判決を受けたことで消え去った。嘆き悲しむ家族を置いて行く事が出来ない。兄のコーチなしで 自分の場所で強くなろうと決意するミッキーは 徐々にボクサーとしての力を蓄えていく。
一方 刑務所のデイックは 受刑者の間ではヒーローだ。昔デイックが活躍したフイルムを受刑者全員が見て デイックを褒め称える。しかし受刑期間は 麻薬中毒だったデイックに 良い結果をもたらせた。
2年たち、刑期終了して帰ってきたデイックに、ミッキーは 再びコーチになってくれるように依頼する。憎み合っていた兄弟が和解し、最強のボクサーとコーチのコンビができ上がった。そしてウェルター級のチャンピオン戦にむけて、、、。
というお話。
デイックとミックの二人の体作りが徹底している。もうあきれるほどだ。
クリスチャン ベールの これ以上痩せられない顔で、走りまくり ジャンプし、フットワークも軽々とボクシングする姿もすごいが、マーク ウェルバーグもすごい。右手を警官達に叩き割られ ひどい骨折をしてボクシングができなくなった彼のおなかには、しっかり脂肪がついて みるからに重くなっていた。それが公式戦で戦うようになった時の筋肉のつきようは半端ではない。上半身、筋肉こぶが沢山出来ていた。どんなに 腹を打たれても全然平気。最後のチャンピオン戦の 激しい打ち合いには 何度も悲鳴を上げそうになる。その場に居たら 何度白タオル投げていたかわからない。スローモーション画像で一発一発の拳が入ったときの打撃の大きさに、目を背けたくなる。ボクシングは本当に激しいスポーツだ。
母親のメリッサ レオが 9人の子供を育ててビッグマザーとして家族に君臨する姿や、デイックへの溺愛する親馬鹿ぶりが 実にうまい。ゴールデングローブ賞を取ったのは 妥当だと思う。
恋人役のエイミー アダムスも 女7人の敵に囲まれて それでも負けずにミックを守ろうとする けなげさが立派だ。いつまでもママを頼る デイックの姉妹達の醜い年増女の姿も それらしくて うまい。
映画に出てくる人物すべてがよく計算されていて、よく演じていて、通行人の盲目のおじさんや、店の主人やらまでが 実に芸達者だ。すごく よくできた映画。完全完璧監督のクイント イーストウッドの作品みたいに よくできている。クリスチャン ベールを見るだけのために これを観ても良いし、完全完成品を見る目的で この映画を見ても良い。素晴らしい。
2011年1月23日日曜日
映画 「英国王のスピーチ」のコリン ファース
オーストラリアは 英国国王を元首とする立憲君主制国家だ。国家元首はエリザベス女王。
映画「英国王のスピーチ」原題「THE KING’S SPEECH」は、エリザベス女王の父親にあたるジョージ6世のお話だ。
この映画、ゴールデングローブ賞で、アルバート ジョージ6世を演じたコリン ファースが 主演男優賞を獲得した。アカデミー賞では 作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞にノミネイトされている。
監督:トム ホッカー 37歳の新鋭の監督
キャスト
アルバート ジョージ6世:コリン ファース
言語療法士:ジェフリー ラッシュ
エドワード8世:ガイ ピアース(アルバートの兄)
アルバートの妻:ヘレナ ボナム カーター
シンプソン夫人:エバ ベスト
ストーリーは
1936年、英国王ジョージ5世がに亡くなった。次期国王は当然長男の プリンス エドワード8世(ガイ ピアース)が 継承するはずだった。王政学を学び ジョージ5世を支え、次期家長として活躍し 陸軍に従事し 国民から慕われていた。にも関わらず 彼は離婚暦のあるアメリカ女性 シンプソン夫人に夢中だった。英国議会も大英教会も 国王が離婚暦のある平民の女性と結婚することは 英国憲法違反であることを指摘する。国王の座をとるか、平民となって離婚した女性と一緒になるか 選択を迫られて、プリンス エドワードは シンプソン夫人を取る。「シンプソン夫人の支えなしには 国民のための いかなる執務も行うことは出来ない」という歴史的で感動的なスピーチを残して 彼は去る。
にわかに脚光をあびることになったのは 次男のプリンス アルバート(コリン ファース)だった。彼は 海軍出身。華やかで社交的で国民に人気があったエドワードに比べて 正反対の性格。シャイで吃音障害を持っていた。吃音を治すべく 今までに何人もの専門医師や言語療法士の治療を受けていたが 効果がない。生まれもっての短気で激しやすい性格もあって、正常な会話ができないことに困りきっていたところだった。
心配した妻 エリザベスは ドクターライオネル ロークという新しい言語療法士に会いに行く。オーストラリア パース出身の変わり者。彼は プリンスの妻に向かって 治療してもらいたかったら 自分の家の診療室に来るように、と言って、プリンスを呼びつける。古いロークの家には 極寒のロンドンにもかかわらず充分な暖房さえない。そんな彼の自宅で治療が始まった。発声練習から歌ったり踊ったり ワルツを踊りながらシェイクスピアを読む。意表をつく独特の治療法に、幾度も幾度も アルバートは 怒りを爆発させ 治療を中止させる。
しかし、そんなことを繰り返すうち、アルバートは次第に 今まで誰にも打ち明けられなかった胸のうちを ロークに聞いてもらうことができるようになる。序序に、二人の間に友情が芽生えてくる。
時に、ナチスドイツがポーランドを始めとするヨーロッパで侵略を進める。フランスに次いで 英国も参戦せざるを得ない。英国の誇りをもって開戦するに当たって、国王は国民に向かって スピーチをする。歴史に残る名スピーチだ。アルバートは ロークを伴って放送室に入って マイクロフォンに向かう。何度も 詰まりそうになりながら オークの励ましのもとに スピーチを最後まで 声高らかに威厳をもって読み上げる。
というお話。
とても良い映画だ。
どんなに吃音障害をもつことが苦しいか よくわかった。映画を観ている人は アルバートと一緒になって 理路整然としている自分の考えを 伝えることができない苦しみを味わう。言葉が出てこない。うやうやしく待ち構える人々や、議会や教会の官僚達の前に立って 口を開く瞬間の緊張感。失敗に失敗を繰り返し 自己嫌悪に身をこがし、こみ上げる怒りをぶつける相手もいない。立場が立場なだけに どもって言葉が出てこなくても 笑う人はいない。人々はただ かしこまって次の言葉を待っているだけだ。それが本人には 余計なプレッシャーになってますます言葉が出てこない。家に帰れば 二人の幼い娘達が待っている。愉快なお話を作って話して聞かせる ふつうの父親だ。父親が言葉につまれば 娘達は幼いながらも 根気よく次の言葉を待っていてくれる。それが またつらい。
コリン ファースの いかにも外見からして誠実でまじめな姿が 吃音障害に苦しむ国王の役に適役だ。今年のアカデミー主演男優賞を獲るだろう。とても良い役者だ。
対する 人を食ったようなジェフリー ラッシュの名演技、、こればかりは他の役者にまねができない。この映画で ロークがシェイクスピアの「ヘンリー4世」を 舞台のオーデイションで演じてみせるシーンがある。さすがにうまい。ゾクゾクするほどだ。何年か前、彼は 映画「シャイン」で精神分裂症のピアニストを演じてアカデミー主演男優賞を獲った。
英国教会が どこの馬の骨かわからないロークを退けて 権威ある専門の言語療法士をつけるように圧力をかけたとき、アルバートは ロークは自分にとって個人的に特別必要な人なので やめさせるわけにはいかない と擁護する。そのとき初めて ロークは自分が 医者でも専門の言語療法士でもない。パースからきた役者にすぎないと言う。かれは 役者として発声訓練をしているうちに 戦争から帰ってきて 体や心に傷を受けた兵士達が 言葉を失っているのを見て それらの人々を治療してきた。経験の多様さでは専門の言語療法士よりも自信を持っている。そんなロークの告白を 驚きもせず聴くアルバート。二人は すでに分かちがたい固い友情で結びついていたのだ。名優どうしの名場面だ。
アルバートが兄エドワードのむかって どうして王位を捨てるのか 問い詰めた時 残酷にもエドワードがアルバートの口調を真似して からかって 立ち去る場面がある。温厚で人格者だという評判のエドワードだが、兄は いつも強い立場だから、からかわれて こき下ろされてつらい思いをする弟のつらい立場には理解が及ばない。強いものは常に弱いものに対して 無自覚だ。
アルバートの吃音障害は 左利きを 教育係に厳しく更正させられたことが契機だが、年上の兄に 大事な玩具をとりあげられたりしたトラウマも要因になっている。何気ない兄弟間のやりとりで内気な年少者の方が傷を負う。年下にしか わからないつらさだ。
妻エリザベスのヘレナ ボナム カーターも良い役者だ。「アリスのワンダーランド」でスペードの女王をやったり「スウィートチャーリー」で 人肉パイを作る悪魔のような女を演じた。今回は 出過ぎず、語り過ぎず ただ夫を支える妻の役が良かった。夫とともに傷つき 共に不安に慄き、歓びを共にする、ひかえめだが なくてはならない役を よく演じていた。役作りのために 歴史学者に会ったり 古い英国のしきたりなど、すごく勉強したそうだ。
それと、子役のふたりの娘達。長女のエリザベス(いまのクイーン エリザベス)役の子供の利発そうな姿が ひときわ目立っていた。
2011年1月20日木曜日
映画 「ブラックスワン」
映画「ブラックスワン」を観た。
第68回ゴールデングローブ賞映画部門で この映画を主演したナタリー ポートマンが主演女優賞を受賞した。予想通り。
これだけやって 女優主演賞が取れなかったら 余りに可哀想だ。100分余りの映画の間、彼女がアップで、または遠くから、横から 斜めから 下からカメラが追って 彼女がいないシーンなど皆無と言うほど 彼女が出ずくめのフィルム。一人芝居と言っても良い。音響も音楽よりも彼女の息遣いだけが サウンドになっている時が 嫌に多かった。それでスリラーとかミステリー効果を狙ったのだろう。
ナタリー ポートマンは 子供の時からバレエを たしなんでいたそうだが、この映画のため に徹底的に体重をしぼって痛々しいほど骨と皮になって 本当にバレエを代役なしで自分で踊っている。すごい。
今回 同じゴールデングローブ賞で、クリスチャン べイルが「ザ ファイター」で 助演男優賞を受賞したが 彼がまた 信じられないほど体重を落として ボクサー役を演じている。なんか俳優達が 役作りのために、そろって我慢大会をして やせこける映画ばかりが賞を獲って、「よく痩せましたね」の努力賞みたいだ。そんなに体重をしぼって 熱血熱演しているのだから迫力がある。痩せた熱血漢がヒーローになり、デブはお笑いコメデイをやるしかない という単純なアメリカ文化も やるせないが バレリーナもボクサーも体重をコントロールすることが条件だから それに合わせて俳優が伸縮自在になるのも 仕方がないことか。
http://www.imdb.com/video/imdb/vi3985807385/
監督:ダーレン アロノフスキー
ニーナ:ナタリー ポートマン
リリー:ミラー クニス
ニーナの母:バーバラ ハーシー
アートダイレクター:バンサン カッセル
ストーリは
ニューヨークシテイーバレエ団では 久々に大作チャイコフスキーの「白鳥の湖」に取り組むことになった。バレリーナたちは 誰が主役を取るのか 気もそぞろだ。遂にニーナ(ナタリー ポートマン)が主役に抜擢された。彼女は母親と二人暮らし。バレリーナだった母親は ニーナのバレエ教育に厳しく 健康管理や生活態度にまで うるさく干渉してきた。ニーナは 子供の時から そんな母親の期待にこたえようとしてきたから、プリマドンナに選ばれた歓びはひとしおだった。
地味でシャイなニーナが主役を射止めた一方、ニーナが怪我や病気をしたときに代わりに踊る代役に リリーが抜擢される。リリーは外交的で明るい性格。ライバル意識を隠そうともせず ニーナに接近してニーナの役を奪い取って自分が主役を踊りたい。ふたりのバレリーナの競争心や アートダイレクターとの関係も緊張感を増し 開演が迫るにつれ 互いのプレッシャーが、爆発寸前にまで煮詰まっていく。
この先は 一応この映画、スリラーとか、ミステリーということになっているので ストーリーを言うことができない。
ストーリーも ナタリー ポートマンのバレエもかなり期待を裏切られた。良いシーンは、二つほど。リハーサルで ニューヨークシテイーバレエ団オーケストラのヴァイオリン ソリストが立って 独奏するのに合わせて ニーナが踊るところ。もうひとつは、やはりヴァイオリンに合わせて 長いデュオでカップルが踊るシーン。天井の高いバレエスタジオで チャコフスキーが 素晴らしく響いていた。バレエの素晴らしさは やはり美しい曲と 見事な演奏なくしてはあり得ない。生の演奏に合わせて 踊り子達が跳躍する姿はとても美しい。
昔「アンナ パブロア」というフランス映画があって、忘れられない 素敵なシーンがある。アンナがひとり 劇場の様子を見に行ってみると、舞台のそでで初老の男がピアノを弾いている。アンナは新しいピアニストが 自分が踊る謝肉祭の「白鳥」を リハーサル前に 練習しているのだろうと思って、服のまま、舞台に立って ピアノに合わせて踊り始める。ダンサーもピアニストも 次第に熱が入ってくる。でも、どうしても1箇所 ピアノがワンテンポ遅れるところがある。アンナは「そこ、あなた まちがっているわよ。ワンテンポ 休符がはいるでしょう?」とピアニストに注意する。何度かやってみて、やはり、うまくいかない。そこで、ピアニストは「フムフム、ここで君は息継ぎをしないと 次の動作に入れないんだね。じゃあ君のために この部分を書きなおしてあげよう。」と老人は言う。「え、、あなたは誰?」驚いたアンナに 作曲家サンサーンスが 名乗りをあげる。若々しいアンナと 老紳士サンサーンスとの出会いのシーンだ。とても微笑ましい。良いシーンだ。
「ブラックスワン」同様ニューヨークシテイーバレエ団を主役にしたバレエ映画「ザ カンパニー」という映画(2003年)もあった。こちらの方が わたしは好きだ。プリマドンナに抜擢された娘が ニューヨークのアパートに一人住んでいて、バレエだけでは食べていけないので バレエの合間にカフェでアルバイトをしている。恋人(ジェームス フランコ)との付かず離れずの優しい関係も、現実のバレリーナの生活に近い。彼女が大役を終えて 仲間との打ち上げパーテイーも終わり、アパートに一人帰ってきて、お風呂に入る。公演のプリマドンナという重荷を下ろして 熱い湯に身を浸した瞬間に 安堵の涙がどうと溢れて すすり泣く。そのシーンにとても共感できた。観ていて自分の体のすみずみまで熱い湯がゆきわたるような気がしたものだ。うまい。プロが作る映画とは、こんなふうに共感、共鳴の波を作りだせるのか、と感心した。
「ブラックスワン」に共感できるところは、ひとつもない。またこのストーリーとニューヨークシテイーバレエ団とがマッチしない。10年前のキエフバレエ団なら 合うだろうか。
映画に出てきた主役と代役との葛藤は 興味深い。代役で 切っ掛けをつくり成功して 若い役者が主役以上の人気者になってしまう例はたくさんある。「アラビアのロレンス」は リチャード バートンにはずだったのが、ピーター オトッールが演じて成功した。「風と共に去る」は エリザベス テーラーでなく ビビアン リーが主演したから大成功した。未知数の可能性を持った 若い人が こんな風に代役を契機に出てくるのは良いことだ。
ハリウッドもそろそろ 女アクションはアンジェリーナ ジョリー、SFはキアノ リーブス、正しい人はべンゼル ワシントン、忠実な男は マット デイモン、強い女はヒラリー スワンク、変態はジョン マルコビッチ、死なない男はブルース ウィルス、精神病者はジェフリー ラッシュといった 繰り返し似たような役ばかりを 決まった役者にやらせる安易な使い方をやめて、若い人を発掘するべきなのかもしれない。
2011年1月12日水曜日
クイーンズランドの洪水
akikoさん。
オーストラリアの町が
浸水被害に襲われた映像を見ました。
シドニーは離れているから大丈夫ですよね?
ふと心配になり、メッセージしてみました。
スーマー
DEAR スーヤグニールさま
ご心配いただいて どうもありがとうございます。
私どもの住むシドニーは 高台ですし、クイーンズランドの洪水にあっている地帯とは 離れていますので、無事です。ただ、送られてくる クイーンズランドのニュースに心を傷めています。
いま、クイーンズランドを中心に 雨が降り続けて、オーストラリアの国土の15%が、水に浸かっています。その広さは フランスとドイツを合わせた大きさだそうです。オーストラリアは 日本の21倍の広さをもっていますから、日本が2つと半分 水に沈んで居る計算になります。
オーストラリアで3番目に大きな ブリスベンの街がすっかり水に浸かってしまいました。
「陸地津波」で、10人の死亡者と80人の行方不明者が出ました。死亡者数は今後、増え続けると予想されています。
陸地津波とは 日本で言う鉄砲水のことだと思いますが、雨がやまず、河が氾濫して、集中豪雨が鉄砲水となって、、川沿いの家々を、高さ8メートルとか9メートルの高波が襲い、人々が家ごと河に流されました。
今年の冬は 珍しく雨の多い冬だったので、10年余りの旱魃に汲々としていたニューサウスウェルス州やクイーンズランド州の農業牧畜経営者達は 嬉しくて恵みの雨のなか、牛を増やし、作物を植えたところで、洪水にやられました。
街に住む私たちも、雨の多い冬と春を過ごし、緑がひときわ冴えて美しい初夏を 楽しんでいたところだったのです。
オーストラリアの東側が洪水で被害を受けているというのに、パースなど西側では 逆に旱魃に苦しんでいます。雨が降らず、土地が乾燥して自然発火して山火事が多発しています。もともとオーストラリアは 海沿いの街以外の内陸は乾ききった砂漠ですから、雨が降らなければ 内陸での農業、畜産に被害が出ます。
まことに日本は 水が豊かで、緑の多い 温暖で穏やかな自然に恵まれている、ということが、アメリカやオーストラリアに住んでみると しみじみ実感としてわかります。日本のアルプスなど山々が 他のどこの国の山より美しく、多種多彩な植物 蝶の種類も多く、四季の変化がはっきりして、それが人々の心にも影響して独特の文化を育ててきた日本は、本当に特別な国だと思います。
今年のお正月が帰国できなくて、スーマーさんの音楽を聴きにいけなくて残念です。
ジョンの70歳の誕生日に、スーマーさんの歌を聴きたかったなー。
どうぞ、お元気で ご活躍ください。
あ、、、勝手に個人あての手紙を公開してしまって、ごめんなさい。
事後承諾ということで、、。
2011年1月5日水曜日
映画 「ラブ & ドラッグ」
映画「LOVE & OTHER DRUGS」、邦題「ラブ&ドラッグ」を観た。新作アメリカ映画。
監督:エドワード ズウィック
キヤスト
マギー:アン ハースウェイ
ジェイミー:ジェイク ギーレンホール
http://www.loveandotherdrugsthemovie.com/
ストーリーは
ジェレミーは 製薬会社のセールスマンで口が立つ。口八丁手八丁で 売り込みの為ならば 顧客とベッドを共にするくらい お手の物。プレイボーイで甘い顔立ちだから、まず相手を惹き付けてから強引に売りつける。セールスに マナーも倫理も道理もない。薬の副作用で自殺者が出たり 症状が悪化する人が出てきても そんなこと かまっていられない。とにかく売って売って売りまくる。売り上げを記録して 自分が住んでいる街からシカゴに栄転できることが望みだ。
ある日 クリニックで 受診してきた美しい患者マギーに出会う。互いに良い印象を持ったあと、偶然 二度目にカフェで会った時、マギーは 「欲しいものは すぐに手に入れなければ、、」とジェレミーに言い、二人は迷うことなくそのままベッドに一直線。二人の波長はぴったり合って、そのまま二人は恋人になってしまう。
マギーは ウェイトレスや老人ホームの世話係をしながら、写真を撮っていた。絵を描き 写真を編集するマギーに魅かれながら ジェレミーの セールスマンとしての 過酷な競争が続く。
マギーは若年性パーキンソン氏病に罹患していたのだった。手先が震え 写真の編集や細かい手先の仕事ができなくなっていく。あせって苦しむマギーを かまってやる余裕がジェレミーにはない。 そうしているうちに、ジェレミーの会社が バイアグラを開発して これがヒットした。ジェレミーはこれを売りに売り、セールスの成績を上げる。
一方、マギーはパーキンソン氏病の患者の会に足を運んで パーキンソンで苦しむのは自分だけではないとことを知って、勇気をもつ。しかしジェレミーは 同じ会で、重症のパーキンソン氏病患者を妻に持つ男から 日々顔の表情が変わっていって、顔の表情が失われ、笑うこともなくなった妻を介護する苦労話を聞かされて、ショックを受ける。マギーにそんな状態になって欲しくない。居ても発ってもいられなくなって ジェレミーはマギーを連れて パーキンソン氏病の専門医を求めて脳神経科病院を訪ね歩く。
しかしマギーを治療できる病院はない。いきり立つジェレミーに向かって マギーは 一方的に別れを告げる。ジェレミーの 何故別れるのか と問うジェレミーに向かって マギーはただ沈黙を守るだけ。
ジェレミーの長年の夢だった シカゴへの転勤が決まった。引越しのための荷物を片付けているうちに、ジェレミーがマギーと幸せだった頃のヴィデオが出てくる。ヴィデオでマギーは 二人が出会ったときと同じ事を言っていた。「今欲しいのなら 今手に入れないと手に入らない。」
それを見て ジェレミーは 進行性の病気を抱えたマギーの絶望と、心の苦しみを知る。また、自分の病気のために ジェレミーを苦しめないように 別れたマギーの愛情の深さを知る。ジェレミーは 狂ったようにマギーを追いかけていって、、、。
というお話。
ジェイク ギレンホールもアン ハースウェイも全裸シーンがたくさん出てきて ベッドシーンの てんこ盛りの映画だ。
お姫様役とか知的な女性の役ばかりだったアン ハースウェイの女優としての新しい役柄だが、これがとても良い。何をしても品があって、可愛い。
この映画、笑いあり ベッドシーンあり、楽しくてコミカル ロマンチック映画と思ったら これは違う。製薬会社と医師たちとの癒着。製薬会社の卑劣な売り込み、汚職と収賄の汚い面を映し出す社会派映画ということも出来るし、若年性パーキンソン氏病という進行性の病気を持った女性の純愛物語ということもできる。
なかなか見ごたえのある映画だ。
この映画、「男の世話になりたくないから 愛するゆえに身を引く」という日本では成立する美談、、、そんなの 絶対通じないアメリカで 成立させた意味は大きい。ジェレミーの「人のことなんて この年になるまで考えたことがなかった。本当に人のことを思いやるっていことを 君から教わったよ。」と最後に語るジェレミーの言葉に嘘はない。
自己主張ばかり強い個人が育つ 個人主義の国アメリカ。自分が大声を張り上げて主張することなしに、仕事もパートナーも何も 得られない競争社会。年一度のクリスマスデイナーで 両親を中心にテーブルを囲む席でさえ、兄弟が感情をむき出しにして怒鳴り合い 主張しわめきたてるジェイミーの家庭。一人前のセールスマンになるための文字通り血を吐くような訓練。バイアグラの出現に湧く製薬会社に群がる男たちの滑稽さ。
病んだアメリカ社会で生存競争を走り続ける男 ジェレミーと 回復することのない病をもったマギーとのコンビネーションが「いま」をよく映し出していて良い。
パーキンソン氏病に完全治癒はない。日々進行していき、日常生活に支障をきたし、次第に稼動範囲が狭くなっていく。食事も排泄も自分ひとりでは できなくなる。にも関わらず 脳は正常だから自分の陥っている状況が自分でわかる。つらい。
癌は進行して最終的には脳に転移して自分のことがわからなくなったり、痛みを止めるモルヒネなどの効果で 意識は混沌となる。肝硬変も脳の細胞が侵されて自分の状況がわからなくなる。年寄りの認知症やアルツハイマーも 脳の萎縮によって 自分の陥っている状況が よくわからなくなる。
それらに比べて、パーキンソン氏病は体が動けなくなっても脳が正常であるから その悲しさは 想像を超える。
マギーがジェレミーに別れを告げる思いやりにも、それに答えるジェレミーにも涙を誘われた。かるーい映画ではない。
でも 楽しくて笑えるシーンも たくさんある。
2011年1月2日日曜日
新年ウィーンフィルコンサートと 秦の始皇帝稜兵馬俑
正月1月1日の夜は ウィスキーを飲みながら、家で 恒例の新年ウィーンフィルハーモニーオーケストラのコンサートを ハイヴィジョンTVで観て聴いた。
とても良いコンサートだった。新年を迎えて、明るい軽やかな気持ちに満たされた。
歴史あるウィーンフィルのコンサートの 指揮者を誰に任せるかは 毎年、楽団員の投票で決めるそうだ。2002年には、当時、ウィーンフィルの音楽監督を勤めていた小沢征爾だった。2007年はズービン メタ。
そして、今年はフランツ ウェルザー メスト。演奏された曲は ほとんどヨハン シュトラウスのワルツ、ポルカなどのダンス曲ばかり、リストが1曲あった。お決まりのように アンコールに シュトラウスの「美しく青きドナウ」が演奏され、最後は 「ラデッキー行進曲」で締めくくった。
「美しく青きドナウ」の演奏中 6人の可愛らしい少年少女のウィーンバレエ団が、会場に入ってきて、会場の通路で 音楽にあわせて踊るサプライズもあった。少女の一人は日本人だったのではないかな。
表立っては言わないが、ウィーンフィルには ウィーン生まれの音楽家しか入れない、男が望ましい、勿論白人だけ、 と囁かれている そんなウィーンフィル、、、。差別の砦というか、前世紀の遺物みたいなオーケストラだが、その音の軽やかさ、新年コンサートに見せる華やかさは、他のオーケストラには見られない。
映像を見ていると、この会場のウィーン学友協会の「黄金のホール」に、各国の皇族や大使やアラブの王様なんかに混ざって いつも和服姿の日本人観客が多いのが目につく。JTBで音楽三昧ツアーとかがあって、世界一入手困難なこのチケットを 結構買い占めているのだろう。
テレビで観ていて 会場にいるより得をした気になれたのは、コンサートの合間の休憩時間に、ウィーンフィルが ロシアに遠征旅行したときのフィルムを見せてくれたことだ。ぺテルスブルグに 大勢のメンバーが 家族も連れて、大型豪華船で行ったときの 船内での練習風景や ぺテルスブルグのコンサートの様子や エストニアの戸外コンサートの様子が見られて、とても良かった。やはり ブラスに強いオーケストラは強い。
どうしてか、会場に楽器が時間内に届かなくて、メンバーが みな外で普段着のまま待てっていて、とうとう楽器を載せたトラックが着くなり、一目散に楽器をむしりとり、舞台に上がって 普段着のまま演奏したコンサートもあったようだ。そういうフィルムが いちばん、見ていて嬉しい。
新年の嬉しいコンサートだった。
3時間近いコンサートを 夜の12時まで聴いて、翌日2日は朝から、ニューサウスウェルス州立美術館に行った。
ここは 大好きな美術館。
普段は人がほとんど居ない館内で、お気に入りのセザンヌとピカソの絵の前で のんびり過ごす。
いま、中国からきた「秦の始皇帝稜兵馬俑」の展示をやっている。
中国で最初の皇帝、始皇帝。BC259-BC210。 この人の墓の入り口に 6000の実物大の兵隊、50の戦車、200頭の馬が埋まっていたのが 発見されたのが1974年。その後も発掘が継続されていて、いまでは100台あまりの戦車、600頭の馬、8000体の戦士が展示されているそうだ。
現在 掘り出されたすべては 現地で博物館になっているが、そのうちの一部が オーストラリアに貸し出されてやってきた。
海を越えて やってきた「始皇帝稜兵馬俑」のうち 8体の人物像は:将軍、兵隊、射手、騎兵、膝をつく射手、戦車の御者などで、2頭の馬は 戦車用の馬と、乗馬馬だ。
それと、4頭の馬と戦車の御者の2分の1の像もある。これが白馬で ブロンズでできた戦車が飾り立てられていて とても美しい。見惚れてしまった。付属する装飾品などもたくさん展示されていた。掘り出されたときに 兵隊たちが武装していた武器は 4万点、すべて本物の武器だったそうだ。それらも 展示を見ると 柄のところが それぞれ装飾されていて、美しい。感動的だ。
この「秦の始皇帝稜 兵馬俑」の一部が、外国に貸し出されたのは、初めてだそうだ。
始皇帝。
BC246年にたった13歳で即位、戦国時代分裂していた7国をまとめて、君主となり史上はじめて中国を統一し 自ら皇帝を名乗った。郡県制を統括、各郡に警察、行政を置き、言語、漢字文字、度量衡を統一、民間の武器所有を禁止、没収し、焚書坑儒を徹底した。このころの中国の歴史が一番おもしろい。
70年代に 兵士達の像が続々と掘り起こされ 何千体も出てきたとき ニュースを見て圧倒された。鳥肌が立った。いつか、本物を見たいと思っていたが、シドニーで 一部を見ることができた。とても嬉しい。
充実した正月だった。
写真はNSW州立美術館所有のセザンヌの絵とオット
(フラッシュを焚かなければ写真撮影が許されている)
ピカソ「ロッキングチェアーのおんな」
(この写真の前に立ってオットに写真をとってもらおうとしていたら、突然中国人が20人くらい寄ってきて、狂ったようにピカソピカソと叫びながら私とピカソをバシャバシャ フラッシュで撮影はじめたので、警備員が飛んできた。おかげてオットはシャッターを押せなかった。これだから中国人迷惑。モデル代よこしなさい。)
それと 始皇帝の墓の守衛兵たち
2011年1月1日土曜日
ウェルカム 2011
シドニーでは 年が変わるニューイヤーイヴに、ハーバーブリッジと、何箇所かの岬で、大規模な花火が打ち上げられる。
これを見物するために 何万人もの人が オペラハウスのまわりや 天文台のある丘のうえなど、眺めの良い場所をとるために朝から場所取りをする。食事つきのボートクルーズに乗って シドニー湾を浮かびながら花火を見ることもできる。ハーバーブリッジの足もとにあるレストランで 花火を見て食事したこともあった。
日本に居た時は 御宿の夏祭りの花火が豪華で、忘れられない。花火は一瞬の美しさを競う。派手に広がっても すぐに空に消えてなくなる。光の芸術だ。
そんな大晦日。ことしは、夜勤の仕事。
職場で、時計が 深夜12時をまわったところで、花火が始まり、同時にシャンパンを開けて 同僚達と抱き合って 新年を祝った。
何よりも大切な家族が居て、私を必要とする職場があり、みな健康でいられる ということに感謝したい。とくに昨年は 家族が ひとり増えたことがなによりも嬉しかった。
このようにして、いつまでも 新年とともに 歓びを分かち合える家族と仲間がいてくれたら幸せだと思う。新年を迎え、新たに家族の安泰と、友達の幸せを心から祈る。