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2010年9月27日月曜日

州境を越えて キャサリンからクヌヌラへ




旅をはじめて第4日目
北部準州のキャサリンから さらに500キロメートル車を走らせて、州境を越えて 西オーストラリア州に入る。
州境では 厳しい荷物検査がある。リンゴや蜜柑、ローストしてないナッツ、植物、昆虫などは、すべて取り上げられて棄却される。生ものに付いているかもしれない農作物に害になる害虫の卵などを 西オーストアリア州に持ち込ませないためだ。

到着した町は 西オーストラリアで一番新しく出来たばかりの町、クヌヌラ。
1960年にオルド河かんがい工事をするために、人口が増えて、町になった。山々と渓谷から落ちてきた水を貯めて 人工的に湖に変えたのが アジル湖(LAKE ARGYLE)。オーストラリアで一番大きな人工湖だ。豊かな湖の水はオルド河に流れ、水力発電に使われ かんがい用水として牧畜、農業に使われる。また、毎年のように新しく発見される鉱物資源の発掘にも使われている。
鉱物資源というと、必ず名前が出てくるのが リオティントとPHB、世界最大の地下資源を牛耳っている。これがオーストラリアの経済基盤を握っていて景気の上下を左右している。採掘しているのが 金、ダイヤモンド、亜鉛、ニッケル、銅など。世界で産出されるダイヤモンドの3分の1を ここで産出している。農業では、バナナ、マンゴー、メロン、麦、大麦など、近年では、サンダーウッドの植林が主流になってきている。

クヌヌラでは こういった開発が始まる前は 長いこと デュラックファミリーが牧場を経営していた。彼らは、まず土地を買い、所有した1万2千平方メートルの土地に5万頭の牛を持って牧場を始めた。
オーストラリアが 50万年前に、南極大陸から分離して以来、厳しい自然のなかで 火星同様の表土を持つ砂漠ばかりのオーストラリアで 岩と渓谷から流れ落ちた水で湖を作り、灌漑施設を作り、牧場と農業を確立したイギリス人開拓者たちの努力と開拓者精神の強さに思いを馳せる。

現在1万4千平方メートルの土地が 灌漑工事によって潤され、牧畜、農業、鉱業を成功させ、オーストラリアを支える経済をこの一番新しい人口たった6000人の町が代表しているわけだ。
クヌヌラの町を歩いてみる。あるのは しょぼい銀行、スーパーマーケット、酒屋など。滞在したホテルはバンガロー風。アジル湖、オルド河に作られた水力発電で、電気はあるものの おせじにも一流ホテルとはいえない。年間平均気温が35度。もともと西オーストラリアは オーストラリアの中でも一番 年間平均気温の高いところだ。ここには住みたくないが、家を買うとすると平均的安つくりの3寝室の家で7千万円、と聞いて驚愕する。鉱山開発で、次から次へと新しい鉱物資源が見つかり、農業も順調で人が足りなくて 家も足りなくて家がものすごいスピードで値上がりしているのだそうだ。

北部準州の地図を広げてみると、その多くが グレーの色に塗り分けられていて、アボリジニーの土地ということになっている。5万年も前から 元来アボリジニーの土地だったオーストラリアに イギリス人が入植して以来 砂漠ばかりだった土地に水を引き、農業、牧畜を持ち込み人が住めるようにして、さらに地下資源を確保してきた。
そのあとで、公民権の認知を経てアボリジニーが土地所有権を主張して、裁判では かなりの土地がアボリジニーに返還されてきた。しかし、現実には狩猟で生活をしてきたアボリジニーは、白人入植者たちの経済活動に協調して生きていくしか他に方法はない。土地所有権は返されても 近代生活の中で 農業、牧畜、鉱業に、雇われて給料生活者となり 折り合っていくしかない。

一方、北部準州の20%あまりの土地を占めるアーネムランドが 残されており この広大な未開発の土地には 完全なアボリジニー社会が残っている。ここには部外者は立ち入ることが出来ない。許可されたものだけが出入りできて、完全なアボリジニーだけの世界が残されている。
現実と、あるべき姿としての理想、この2つが何とか折り合いながら やりくりしている姿が 現在のオーストラリアの姿だ。
500キロメートルあまりの移動。
今日もビールが美味しい。

写真は、アジル湖、湖畔の木にとまる蝙蝠、灌漑農地