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2010年4月29日木曜日
松本大洋の漫画
ピンポン
竹光侍
吾 ナンバーファイブ
青い春
松本大洋の漫画を初めて読んだのは「ピンポン」1-4巻が最初だった。筆太で、油絵のように、ひとつひとつの絵がしっかりと力強く描かれていて それがときとして、抽象画のような、くずれ方をする。絵が実におもしろいので、驚いた。
二人の少年のピンポンをめぐる 争いがテーマだ。ペコとヒーローの出会い、そして最後の別れが とても心に残る。 ピンポンの天才ペコが ヒーローにとって、本当のヒーローである以上、ヒーローにペコを乗り越えていくことは出来ない。それでいい と本人が心の底で思っているからだ。ナンバーワンをめざす 男ふたりの友情とも ライバルともいえない、もっと深い心の奥の方での結びつきが、単純なスポーツ漫画とは、一味ちがった感動をもたらせる。
次に読んだのは、「竹光侍」1巻から8巻で完結しているらしいが 5巻までしか手に入らなかった。竹筆で描かれているらしい。
独特の筆のタッチがとても良い。小説で言う 行間を読ませる、という芸をこの作家はもっていて、自由自在に使っている。
江戸下町長屋に住む 瀬能宗一郎は めっぽう剣は強いのに それをおくびにも出さず 長屋仲間のために 大切な父のかたみの剣を質入れしたまま質に流してしまう。子供達を集めて学問を教える寺子屋をやっている。穏やかな人柄から子供からも大人からも 慕われている。酒もいけるが、甘いものに目がない。こんな男が放っておかれるわけもなく 親しい遊女もいるが、家庭をもつ気などない。
信濃の国 立石領 多岐家、瀬能宗右衛門の息子として育ったが、実の父は 時の将軍だ。瓜二つの顔が事実を物語っている。そこに、監獄破りの極悪人が現れる。木久地真之介。メシという名の鼠をペットに飼っている。理由なく罪のないものを殺す、この極悪人を宗一郎は許せない。がゆえ宿命の敵となる。
細い筆が 侍の表情を捉えて 絵が美しい。
油断していると 子供が女に化けた狐にさらわれそうになったり、女の子に化けた大魚に 川の底に引きずりこまれそうになったりするシーンが 自分が子供の頃に想像していた世界のように、よみがえってくる。
次に「吾 ナンバーファイブ」
天才科学者:PAPAの手によって 創造された超人類は、9人。王がワン、仁がツー、惨がスリー、死がフォー、吾がファイブ、岩がシックス、亡がセブン、蜂がエイト、苦がナインの、面々だ。超人類は平和隊として、生態系を崩壊させた人類のために 人の進むべき指針を示すために 造られた。
彼らは それぞれが個性が強く、協調性はないが、「共鳴」する。仲間が遠くに居ても「感じる」ことができて、どういう状況にいるのかが互いに、わかっている。
しかし、ある日、超人類の中で、ナンバーファイブが 脱退し仲間を殺して女を奪い 女と逃避行をはかる。 恋路ゆえの逃避行なのだが、女:マトリョーシカは、いつも食うだけ。何もしゃべらず食い続け、悪無限的に太り続ける。
一方、ナンバーワン(王)は、国民から支持されてる 一番の人気者だ。彼はものすごく強いくせに非暴力主義者で心優しいヒーローだ。しかし、ナンバーファイブに狙撃されて、死ぬ。そして、反乱軍は投降して、最終的には平和隊の生き残りは 人類と平和的に共存していく。
小学館IKKIコミックでは4巻で完結した。一冊一冊の表紙の絵が美しい。ナンバーファイブと、マトリョーシカのふたりが 砂漠や雪原や牧草地や地の果てで、並んで立っている。まわりに大小 ありとあらゆる動物が 恐竜を含めて描かれている。色彩といい、動物の描写といい、額に飾る洋画のように美しい。
物語の中でも、登場人物が 自由なイマジネーションで、巨大になったり 小さくなったりしながら、いつも動物が背景に登場する。ナンバーワンのお城に キリンがやたら、くつろいでいたり、魚も浮かんでいたり、窓から熊が顔を覗かせていたりする。ひとコマひとコマが 愉快でおもしろい。
超人類といいながら、ひとりひとりは実に心細やかな 好青年たちなのだ。彼らの「感じ」「共鳴」できるという結びつき方に、とても魅かれた。
次に読んだのは「青い春」。
短編集で、「しあわせなら手をたたこう」
高校3年生。学校屋上の柵に 外からつかまって、手を何回叩けるかを競う、命をかけた娯楽。校長らは、落ちこぼれどもの同士討ちだ、ととりあわない。7年ぶりに8回手をたたいた英雄の九条は、もう仲間達から離れたい一心で、弟分に ついはっぱをかける。兄貴を心から慕っている弟分は12回たたいて、踊り場のコンクリートで頭を割って死ぬまで 手をたたき続行ける。
「リボルバー」
突然ヤクザに リボルバーを贈られた3人の高校生。これは本物のヤクザからの招待状だ。3人は 学校では、ワルだが、ヤクザになる気はない。弾丸を1発だけ残して、3人は海に向かう。地獄にタッチして、帰ってくることにしたのだ。ロシアンルーレット。誰も恨まない。誰か死んだら海に流す と約束して。しかし、3人とも生き残り、「感動だよ、、。」と。
「夏でポン」
みんなの夢だった甲子園。県の準決勝。
最後の一球。エースは ピッチャーが カーブのサインを出したのに、直球を投げて、サヨナラ負けした。
エースとピッチャー、サードとセンターの4人は 甲子園が終わるまでマージャンをする。15日間休みなし、眠さにも負けず、4人甲子園が終わるまで苦行を続ける。マージャンをしながらも会話は最期の試合のことばかり。「カーブで勝てたんだ。」と言い、「キャッチャーはいつも正しかった。」「ヒーローは自分勝手でよ。」と言うが、みな「あの直球は最高だったよ。」と。
エースは プロからスカウトをされていたが 甲子園に行けなかったので、親の後をついで酒屋になる。少年達、大阪の球遊びが終わるまで 不眠不休でマージャン がんばれ!
このほか「鈴木さん」、「ピース」、「ファミリーレストランは僕らのパラダイスさ」、「だみだこりゃ」がある。
どれも味わいがあって、良い。わたしは、「夏でポン」が一番心に残った。
松本大洋の絵はそれぞれの作品ごとに大きく異なる。ひとつひとつの作品がほかの作品と全然 類似点がなくて、並べてみても 同じ人が書いたと思えない。とても、作品ごとのテイストを大事にしていて、絵にこだわる人なのだろう。
読んだもの、みなおもしろかった。
残りの作品も、読んでみよう。楽しみが増えて、嬉しい。
2010年4月24日土曜日
映画 「剣岳 点の記」
原作:新田次郎
監督:木村大作
音楽:仙台フィルハーモニー管弦楽団
キャスト
陸軍測量部測量士 柴崎芳太郎:浅野忠信
山岳ガイド 宇治長次郎 :香川照之
測量士 生田信 :松田龍平
日本山岳会 小島鳥水 :仲村トオル
ストーリーは
明治39年(1906年)、日清戦争に勝利した日本軍は勢いをもっていた。当時、陸軍は 防衛上の観点から、日本全土の正確な地図を製作する必要があった。剣岳は前人未到の山であったため 地図の空白を埋めるために、早急に剣岳を中心とした正確な測量と地図を作ることが必要とされていた。そこで、陸軍測量部は、測量士の柴田芳太郎に、一刻も早く剣岳に登頂することを厳命し、その為の調査と準備をするように 彼を送り出す。
明治39年10月、柴田は山岳ガイド 宇治長太郎と共に、室堂から入山、様々なルートから剣岳をアプローチを試みるが 聳え立って取り付きようのない岩壁に阻まれて 登頂路さえ発見できないまま 一足早い冬を迎えた剣立山連峰から 吹雪の中を下山する。
立山は、信仰の山で、剣岳は弘法大師が3千足のわらじを無駄にしても登頂できなかった死の山とされ、登ってはいけない山だと信じられていた。そのため 剣岳登頂のための案内人 長次郎に当たる地元の風は、冷たいものだった。
一方、陸軍測量部に提出した柴崎芳太郎の「登頂不可能」の報告は全く陸軍からは受け入れられず 翌年春に測量チームを派遣することが決定していた。何が何でも剣岳登頂を成功させなければならない。
翌年明治40年3月 柴崎芳太郎ら3人の測量士と、宇治長次郎をリーダーとする山岳ガイド4人の一行は再び剣岳を目指す。「剣岳は誰かが登らなければならない。登らなければ道はできない。」という長次郎の強い信念のもとにチームは再び剣岳の頂上をめざす。
一方、日本山岳会も、同時に入山しており、測量隊よりも早く 初登頂を成功させようと目論んでいた。彼らは外国製の近代装備と、豊富な資金を使って 剣岳一番乗りの記録争いに挑戦していたのだった。
測量隊が剣沢 池の平、雪渓を通り絶壁を越えて頂上に立ったのは 明治40年7月。遂に 山岳会に一足早く登頂に成功した。
しかし、頂上には 錆び付いた鉄剣と、銅製の杖があった。彼らが初登頂したのではなかったのだ。知らせは直ちに 陸軍に報告される。陸軍の威信にかけて征服したはずだった剣岳登頂の筋書きが狂う。剣岳初登頂の記録は全く無視され、測量部と山岳部との記録争いを 追っていた新聞社だけが、柴崎、宇治らの成功を報道した。
頂上で発見された鉄剣などは、奈良時代後半から平安時代初期の求道僧によって残されたものと考えられている。
柴崎らは 登頂を成功させたが 険しい岩場に阻まれて 測量のための三角点標石を頂上に担ぎ上げることが出来なかった。そのため、三角点設置場所、地図上の「点の記」を記録することができなかった。剣岳の標高は 周辺の山々から測量して 2998Mと計測された。
というお話。
余談だが、剣岳に三等三角点が設置されたのは 2004年だそうだ。GPS測量によって 剣岳最高標高は2999Mと、観測された。
この映画は 日本で2009年6月に公開された。監督、撮影はカメラマンの木村大作、彼にとって初めての監督作品。撮影に 2年間、延べ200日余りの時間をかけて撮ったそうだ。明治時代の柴崎 宇治らが登ったように、季節も史実に合わせて登って、撮影したそうだ。登頂に成功した日も 事実に合わせて7月13日に撮影しようとしたが、天候不順で、17日に延びた。が、服装も装備も当時と同じものを使い 極力 史実通りに再現させたという。
監督に言われたとおりに 山を登ったり下ったり、凍ったり、吹雪にあったり、強風に飛ばされたり 豪雨にあったり、雪渓で滑ったり転んだりした 役者さんたちは大変だったろう。
山に魅せられていた時期がある。
「穂高 槍ヶ岳」と、「立山 剣岳」に魅せられる。これほど美しい山々は世界でも他にない。これらの山々の写真やフィルムを見ると 清涼な山の風、乾いた山の匂い、突き抜ける高い空、心地よい日差し、湧き水の冷たさ、唐松の匂い、這い上がってくる真っ白なガス、ライチョウの姿などがよみがえってくる。柴崎芳太郎、宇治長次郎が登った道を それとは知らず 歩いたことがある。
1971年。 室堂から剣沢小屋、みくりが池、雷鳥沢、剣御前、前剣岳に至り 遂に剣岳。360度のパノラマ。くさり場を、カニのように横ばいで進みながら 岩場を通り、垂直に伸びるハシゴを上り下りする。クサリやハシゴがなかった時代、命綱をつけてどんなに、大変な思いで人々は登ったのだろう。
翌年は室堂から浄土山、一の越山荘を経て 雄山(3003M)。そこから剣岳まで縦走するはずが、雄山頂上で凍死しそうになって 目前の剣岳の勇壮な姿を 目に焼き付けて すごすご下山。その後 二度と登る機会がなかった。夏山だけで、春の山も秋の山も 増して冬山を知らない。だから、映画の中で、秋の雪渓を渡る浅野忠信や、すっぽり雪に覆われた山を歩く香川照之を見ながら 山行を疑似体験したのが嬉しかった。
芝居とはいえ、ザイルのまま岩壁から転げ落ち 雪渓の下まで滑り落ちた松田龍平も大変だっただろう。へたをすれば 頭を岩にぶつけて死んでいる。彼を助けようとして、二人の山岳ガイドが 雪渓をグリセードして滑り下りていたが、これも下手をすると二人ともオジャンではないか。わらじで本当にグリセードやったんだろうか。傾斜のある雪渓の壁に90度の角度をつけて靴の踵で滑って下りてくるグリセードは とっても かっこいいが、とても危ない。二人の山岳ガイドが素敵。
音楽 ヴィバルデイが剣岳にとても似合っていて良かった。
バイオリン弾きにとって、というか、私にとってヴィバルデイの「四季」を好きな室内合奏団をバックにソロでやるのは夢の夢だ。映画が始まって いきなりヴィバルデイの「夏」のソロで、浅野忠信が 夏の剣岳を歩くシーンになったので、思わずワーッと うなってしまった。とってもマッチ。冬山シーンでは「冬」が演奏される。岩壁の険しさ、聳え立つ絶壁のシーンでは シャープな弓さばきのソロパートがたくさん出てくる。演奏がシーンに とてもよく合っていた。
ヴバルデイと剣岳とは相性が良い。とすると、穂高 槍ヶ岳には、モーツァルトの「ジュピター」だろうか。うん、そうに違いない。とすると、アイガー北壁には?
役者では、浅野忠信より、香川照之が良かった。浅野が、どんなに軍から強い圧力を受けても 山でふぶきにあって死にかけても、若い妻に甘えられても いつも同じ顔をしているのには なんか乗っていけなかった。こういう無表情で動じない顔で売っている俳優さんなんだろうか?
香川照之の素朴で謙虚な役柄が好ましく共感できた。
まあ、誰にしても、ヒラリー卿よりも、テンジンに見方したくなるものなんだろうけどね。
2010年4月22日木曜日
映画 「ドラゴン タトゥの女」
トルストイを描いた映画「終着駅 トルストイ死の謎」が 映像、音楽 キャストすべて合わせて 実に よく完成された作品だったので、そのあとほかの映画を見る気になれなかった。これ以上のものを映画に求めることは出来ないだろうと思える作品だったからだ。英国人の品格のある役者たちが、ロシア文学の香り高い文芸作品を作っていた。
「タイタンの戦い」とか、いつもの惰性的習慣で、新作ハリウッド映画も いくつか見ていたが 心に響かないので 全然映画評を書く気になれなかった。
そこで、スウェーデン映画を見てみた。
劇場で公開され始めて すでに2ヶ月たっているのに いまだに独立系の小劇場で公開されている。客が入らないと 話題作でさえ 1週間で劇場から消えていく映画が多いのに、しぶとく残っている。映画評論家たちが こぞって高得点をつけているので、見る価値はあるのだろう。
スウェーデン映画というと、ベイルマンをすぐに思い出す。学生のころ ベイルマンの映画を いくつか 生あくび咬み殺しながら見た。ネチネチ理屈っぽい議論ばかり繰り返している 会話中心で 動きの少ない映画ばかり。どちらかというと、2時間の中で、人が出会ったり 愛したり 憎んだり 殺したり 殺されたりするドラマが好きだったので、雪に閉ざされた家の中で 男と女が延々と言い合いをする心理劇には、辟易した。
しかし、今度のスウェーデン映画は、全然違うテイスト。15歳以下 お断りの暴力と人種差別とパンクに満ちた 現在のスウェーデンを写し取ったような映画だった。
「ドラゴンタトゥの女」原作「THE GIRL WITH THE DRAGON TATTOO」
原作: ステイーブン ランソン
監督: ニール アーデン オプレフ
キャスト
ジャーナリストマイケル:マイケル ナイクビスト
エリザべス: ノーミ ラパス
この作品は 昨年世界中で1000万部の売り上げを記録したベストセラー、ステイーブン ランソンによるミステリーだ。惜しいことに この作家は2004年に 作家として絶頂の時だったに関わらず亡くなった。日本では早川書房で翻訳出版されている。ミステリーは読むほうが絶対おもしろいが、映画で見るのもいい。
ストーリーは
ストックホルム。
ジャーナリストで ある企業のスキャンダルを暴いてセンセーションを起こしたマイケルは、その徹底した密着取材を、逆に企業から個人情報を暴露した罪で起訴され、3ヶ月の実刑判決を受ける。しかし やり手のジャーナリストにとって 実刑など勲章のようなものだ。人々はマイケルの暴露記事に拍手喝さいしていた。
そんなマイケルのところに、大企業グループ バンガーの元会長から、じきじきに、会いたいという話が舞い込んでくる。バンガー氏は、マイケルに 未解決の 40年前の 姪が失踪した事件を、調べ直して欲しいと依頼する。マイケルは どうせ刑期が終わるまで 新聞社に戻ることは出来ないし 捜査のための報酬が充分得られることから バンカー家が所有する島で、捜査を始める。
マイケルの調査の進行はすべてコンピューターに打ち込まれる。誰にも侵入できないはずの 彼の入り組んだ人口頭脳のなかに、一人入り込んできたハッカーがいる。マイケルは必死で探索して 探し当てたのは、ドラゴンの刺青をした パンクでレズビアンの若い女だった。マイケルは この女性 エリザべスに、捜査の協力を依頼する。エリザベスは 大企業に巣食う腐敗や企業秘密をコンピューターから盗み取るプロのハッカーだった。しかし、彼女の豊富な資金源だったパトロンが、急死したことで早急に資金が必要になった。渡りに船とばかり エリザベスはマイケルの仕事の助手を務めることになる。
マイケル達が調べていくうちに、40年の間に、バンガー家の娘が失踪しただけでなく 何人もの若い女性が誘拐され 異常に残酷な殺され方をする未開決事件が 頻繁に起きていたことがわかった。どの女性も首を絞められ陵辱され 死体をもてあそばれている。捜査する過程で バンガー家が 強力なナチ信奉者で、病んだ血筋をもっていることが明らかになる。その段階で当然 妨害が入り、マイケルにもエリザベスにも 身の危険が迫る。
ミステリーの謎解きのおもしろさが失われないよう、これ以上ストーリは言えない。スリルと暴力と破滅に満ちた映画だ。
マイケルのまじめでこつこつと調査を積み重ねていくジャーナリストの姿が好ましく、マイケルと正反対なパンクなコンピューターハッカー エリザベスとの結びつきかたが、とてもおもしろい。
コンピューターハッカーとは、孤独な存在だ。莫大な現金が動く。裏社会を生きているのだから、例え見つかってしまっても 警察や他人に助けを求めることは出来ない。失敗しても もみ消されたり、殺されたり 生きていた証拠さえ消されても 誰にも文句が言えない。常に身の危険に備え、強い心を持っていなければならない。
どうして若い女が そんな危険な仕事をしているのか 序序に 幼い時からエリザベスの孤独で傷だらけの生い立ちが明らかにされる。つかの間のマイケルとエリザベスの似たもの同志の心の交流。
スウェーデンの「今」を切り取った おもしろい映画だ。
これをクレモン オピアム映画館で観た。この映画館は 創立1935年。中に6つのスクリーンがあって、全部で1600席。
一番大きなスクリーンでは メトロポリタン オペラや、キエフ バレエ団のフィルムを 定期的に、見せてくれたりする。幕間に、舞台からスルスルと電子ピアノがでてきて、生の演奏で客を退屈させない。赤い絨毯が敷き詰められて アールデコというか、ヴェルサイユ的というか、階段やあちこちにギリシャ風彫像が立っていたり 装飾が凝らしてある。
こんな古風で個性的な映画館だから、地元ノースのスノビーな インテリ年寄りたちが 常連だ。クレモンという場所は オージーが一番好きな「ウォーターヴュー」すなわち海が見える高台に家を持っている人々が多い。リタイヤメントアパート、日本でいう高級有料老人ホームも 沢山ある。
ここで月に一度 「ムービーランチ」というのがあって、新しい映画を見せたあと バスケットに入ったサンドイッチが配られる。近所のリタイヤメントアパートから送迎用のバスも出る。みんな きちんとした服装でくるところがやはり、イギリス的だ。おばあさん方は、きちんとイヤリングにネックレス、帽子をかぶったり、おじいさん方もちゃんと背広だ。用意されたお茶を飲みながら、映画談義に沸く。わたしもよく行くが 老人パワーに圧倒される思いだ。
おもしろいのは、映画の前にクイズがあって、みな子供のように手を上げて 当てっこをすること。「マレネ デイトリッヒの最初の映画は?」とか、「フレッド アステアが映画で全然踊らない映画のタイトルは?」とか、、。正解を言ったひとにお芝居のチケットなどが 配られる。もらったことないけど。
マイナーな映画を見せているのに 若いお客は少ない。シドニーのクレモンあたりに住む お金持ちでインテリのおじいさんおばあさん方は メジャーのハリウッド映画より、マイナーなフランス映画、スペイン映画なんかを好む。イランのマジット マジ監督の映画や、チャン イーモウ監督の中国映画を いち早く上映したのもこの映画館だった。珍しいブータンの若い監督の作品、ウイグルのドキュメンタリーフィルムを ほかの映画館に先立って上映したのも この映画館だった。
そんな映画館で映画を観ると 一緒に見ている人たちの反応がおもしろい。哀しい場面では あちこちで憚ることなくすすり泣いたり鼻をかむ音でにぎやかになるし、笑い方もすごい大声だ。
「シェリー」は、ものすごい美少年(ラパート フレンド)が、自分の母親くらいの年の女(ミシェル ハイファー)に恋をするお話だが、映画の最後に 彼は数年後に自殺しました という説明が出てきたら、あちこちで、「オーノー!」とか、深い深いため息が聞こえてきた。オージーは何で 映画や芝居やオペラを黙って観られないんだろう。
「モーターサイクル ダイヤリー」で、若き日のチェ ゲバラがバイクに乗って 倒れそうになったり 怪我したりするごとに、見ている人達が「アブナーイ!」とか、「アウチ!」とか叫んでいた。自分の孫とかが すべったりころんだりしているのを見ている気持ちなんだろうか。とても うるさかった。
スェーデン映画「ドラゴンタトゥの女」では、最後 パンクのエリザベスの後姿が消えたと同時に 拍手した人が何人もいた。エリザベスにすっかり共感したのだろう。私も同じ気持ちだった。だけど、どうしてオージーって、静かに映画を見られないんだろう。
2010年4月15日木曜日
オルセイ美術館絵画展に行ってきた
パリ オルセイ美術館のポスト印象派の絵画展が 現在 キャンベラ国立美術館で展示 公開されている。12月から4月18日まで、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、モネ、スラーなどのポスト印象派の112もの作品が 初めて海外に貸し出されて海を渡ってきた。
これらの絵画はキャンベラのあと、東京の新国際美術館で5月から公開される。そして、東京のあと、サンフランシスコのデ ヤング記念美術館に展示されてから、パリに戻る。キャンベラ、東京、サンフランシスコに住む人達は幸運だ。
この絵画展については このあいだの日記にも書いたので、貼り付けておく。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1443709527&owner_id=5059993
もとモデルで歌手のカーラ ブルーの旦那(サルコジ仏大統領)が 繰り返し言っているように もう二度とオルセイ美術館の100点余りの絵画がパリを離れることはないだろう。今後 またパリに行く機会があったとしてもオルセイ美術館まで足を伸ばすことはないだろうし、いまキャンベラに行かなければ一生これらの画を見逃すことになる。日本に行ってしまう前に、どうしても観なければ という強い気持ちで、スケジュールをやりくりしてキャンベラに行って来た。
シドニーからキャンベラまで 飛行機で1時間、長距離電車で4時間30分、長距離バスのグレイハウンドで3時間30分。キャンベラ中のホテルが満員で泊まる所がない と言われていたが 娘がネットで上手にハイアットホテルの予約を取ってくれた。あれこれ迷った末 レンタカーでドライブしていくことにした。
で、今回キャンベラに絵を観に行ったために費やした費用は
1、3時間30分 時速130キロで高速道路を飛ばしたために磨り減った神経と、その分 短くなった寿命。
2、ガソリン込みレンタカー代:$250
3、ハイアットホテル1泊、メシつき:$350
4、キャンベラ国立美術館入場料:$18
5、館内の売店で買った絵の複製ポスターや絵はがき:$100
6、オルセイ美術館絵画集:$50
などなど。
入場時間が指定された入館料をネットを通して 買っていったので、予定時間どうりに入館できたし、充分 ひとつひとつの絵を真正面から接写で見ることができたのは、幸運だった。館内に入った人が ゆったり鑑賞できるように、入場を制限しているので、他人の体が触れるほど混み合ってはいなかった。
絵画展が始まったばかりの頃は 美術館の対応が悪くて大変だったらしい。キャンベラの人口は 90%が 連邦政府に雇われている政治家や政府関係者で構成されている。人工的に作られた たった人口30万人の街だ。そんなキャンベラに 絵を見るために国内だけでなく外国からも人が押し寄せて ちっぽけな街が人で埋まった。ホテルは皆ブックアウト。美術館の入館料を求める人々が並んで4時間待ち と言われ 館外の芝生まで 真夏の炎天下に長蛇の列ができて、病人も出た。美術館としては そんなに人が来るとは思っていなかったのだろう。
絵画展が始まって3ヶ月たって やっと遅ればせながら 入場時間指定の入場券を準備するようになり、混乱が避けられるようになった。
それにしても、画集を飽きるほど見ていたが、本物を観た という満足感は大きい。
印刷技術が飛躍的に向上し、何人もの美術専門家が監修して作られた 安くない画集に印刷された「青」と、100年前に実際ゴッホが描いた「青」とのなんという ちがい。筆のひとつひとつのタッチが 生きて輝いている。100年あまり、人々に見つめられながら輝き続けてきた「青」の美しさが、心に染み渡る。
なんということだろう。こんなに美しい「青」を見たことがない。
ゴッホの「星降る夜」(「STARRY NIGHT」)色彩の鮮やかさ。美術館で鑑賞中の人 だれもが この絵の前で、歓声をあげていた。星の降る夜に、海を背景に、仲良く星を数える老夫婦の姿。小刻みに軽快なピアノ音の奏でる ドビッシーのピアノ小曲が聞こえてくるようだ。内面に こんな美しい情景を描く美を抱えたまま 不遇の一生を終えたゴッホが ただただ痛ましい。生前に売れた絵は、一枚だけ。弟テオに 食べさせてもらいながら絵を描き続け、ゴーギャンとアルルで共同生活をするが耳を切り落とす事件のあとでは 精神病院に入院、37歳の若さで パリ郊外で猟銃で自害。これほど存在感のある絵を描く人は外に居ない。
近代画家の父、ポール セザンヌの 「玉ねぎのある静物画」、光の画家、クロード モネの「日傘をさす女性」、「睡蓮の池」。ゴーガンの「タヒチの女たち」、「黄色いキリストのある自画像」。
ピサロの「火をおこす百姓の娘」の絵が美しい。光と影が、淡く美しい色彩で描かれている。この時代、カンバスを野外のもって行って絵を描くことも 実験的なことだったが その上 百姓女など、どこにでも居る人々を描くことも革命的なことだったのだろう。100年たっても働く女の力強い姿が やわらかいパステルカラーで、詩情たっぷりに見る人に語りかけてくる。
アンリ ルソーの「戦争」が好きだ。戦いが終わり 無数の兵士が倒れ カラスがその肉をつぃばみ漁っている。炎と剣をもった白衣の「戦争」という名の少女が死者達の骸の上を駆け巡っている。キュービズムや、シュールリアリズムのさきがけになった絵だ。彼もまた 亡くなってから やっと作品が人々に理解されるようになった。いつの時代も芸術家たちは 時代を切り開くために命を犠牲にする。
本当の良い絵画展だ。
半分あきらめかけていた私の背中を ちゃんとしっかり押してくれた娘たち、、、ありがとう。
絵は
ゴーギャン「黄色いキリストのある自画像」
アンリ ルソー「戦争」
ゴッホ「星の降る夜」