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2010年3月27日土曜日
映画 「ミステイック リバー」
翻訳ものの探偵小説にのめりこんで 月に軽く30冊以上、読んでいた時期がある。
パトリシア コーンウェル、ステーブン クーンツ、ジョイス メナード、ジョン カッツエンバック、イヤン フレミング、トム クランシー、メアリー クラーク、ちょっと 違う味だけどダン ブラウンなど。特に、パトリシア コーンウェルは 検視官という職種のドクターが難解な事件を 解決にまで もっていく過程がおもしろく、次の出版を待って夢中で読んでいた。
翻訳ものの良さは その訳者の才能次第だ。よい俳優に イメージそっくりの良い声役を あてはめることが その映画の成功の条件であるように、小説も作家と同じテイストをもった訳者に当たれば ヒットまちがいなしだ。サリンジャーを村上春樹が訳したのは、やるべき人がやるべき仕事をした と言える。
デニス ルへインも 実におもしろい小説を書く。翻訳もすごく良い。スコセッシ監督の「シャッターアイランド」を書いた人だ。彼の小説「ミステイックリバー」で おもしろい表現が無数に出てくる。
たとえば、昔、高校で同級だった2人の男が、昔人気ものだった女のことを話題にしている。
「ああ、今なにしてるんだ?」「売春婦」とヴァルは言った。「ひどい老け方だ。おれたちと同じ年くらいだよな。なのに棺桶にはいったおれの母親の方が 元気そうに見えた。」
銃が撃ち込まれたバーの主人が やってきた警官の質問に答える。
「弾丸はビンを割って あの壁にめり込んだんだ。」「怖かったでしょう。」老人は肩をすくめた。「グラスにはいったミルクよりは怖かったが、この近所の夜ほどは怖くなかったよ。」
「もしも、あの日 デイブの代わりに俺かお前があの車に乗っていたら どうなっていたと思う?俺たちの人生は違っていたと思わないか? ヒットラーの母親が彼を中絶しようとして すんでのところであきらめたと言う話を聞いたことがある。やつがウィーンを去ったのは 書いた絵が一枚も売れなかったから という話も。だが もし絵が一枚でも売れていたら?もし母親が本当に中絶していたら?世界はまったくちがう場所になっていたはずだ。だろ?」
原作者デニス ルへインは「ミステイックリバー」の映画化を はじめ断じて拒否していたそうだ。でもクリント イーストウッドの誠意ある依頼に 承諾せざるを得なかったという。イーストウッドに懇願されて、断れる作家などいないだろう。予想通り この作品は 発表された2004年のアカデミーで 監督賞をノミネイト、ショーン ペンは主演男優賞、テイム ロビンスは助演男優賞を獲得した。映画のできも最高だが、キャステイングが良い。ショーン ペン、ケビン ベーコン、テイム ロビンスの3人が 幼馴染の遊び仲間だったが 殺人事件を契機に再開する。3人3様の役にぴったりの はまり役だ。
当時に話題になった こんなに よくできた映画の映画評を どうして今頃書いているかというと、今ごろ 遅ればせながら初めて観たからだ。どうしてか忘れたが 見逃して そのままになっていてヴィデオも手に入れるのを忘れていた。それを聞いた娘が買ってくれたので、やっと見ることができた、というわけだ。
ストーリーは
11歳のマーカム(のちのショーン ペン)、ショーン(ケヴィン ベーコン)、とデイヴ(テイム ロビンス)は 近所どうしで仲の良い遊び仲間だ。ある日、舗装道路のコンクリーが固まらないうちに、柔らかいセメントにそれぞれ自分達の名前を いたずらに彫り付けた。そこを通りかかった2人の男にいたずらを注意される。ごめんなさいを頑固に言わないマーカム、今にも噛み付きそうで すばしこいショーン、うなだれるデイヴ、、、。2人の男は3人の悪童に説教をしたあとで、デイヴを家まで送ってやる、と言い うながして車に乗せる。しかし、デイヴはそのまま連れて行かれて帰ってこなかった。街中が、大騒ぎになって、大人達はデイヴを探し回る。4日後に憔悴したデイヴが 帰ってくる。何があったのか、人々は口をつぐみ その後この事件について触れる人は居なかった。
3人は大人になり マーカムは表向きは雑貨屋だが、裏では立派な刑務所帰りのギャング、ショーンは刑事、デイヴは腕の良い職人になっていて、もう一緒につるむこともない。
マーカムの19歳になる娘ケイテイが ある夜 友達の家行ったまま 帰ってこない。翌朝 ミステイック川沿いにある森で遺体が発見される。捜査にあたるショーンは 狂ったように娘を捜し求めるマーカムに顔をあわせることになる。
一方、ケイテイが殺された夜 デイヴが血だらけで帰ってくる。妻が理由を問いただしても 酔って けんかをしたとデイヴは言うだけだ。挙動に不信をいだいた妻は ショーンの娘の殺人に夫が関わっているのではないかと、疑い始める。
3人3様の男達。雑貨商のマーカムは幾度も刑務所と娑婆を行き来した末 再婚してやっと家庭を築き上げることができたにも関わらず 唯一無二の宝だった娘を殺される。
刑事のショーンには 頻繁に無言電話がかかってくる。黙って出て行った妻からの電話だということが分かっている。ショーンには、そんな妻にどう対応してよいかわからずにいる。
デイヴは生真面目に働き 妻と堅実な生活をしてきたが、内面に重苦しい傷を抱えている。3人の平穏な暮らしは、一皮むけば たちまち深い傷や弱さが露呈する、あやうい均衡を辛うじて保っている。
ケイテイを誰が殺したのか。
とてもおもしろくて よく出来た小説と映画なので、読んだり観たりする価値はおおありだ。大事なのは、マーカムの言葉に表れている。「もしもあの日デイヴの代わりに 俺かお前があの車に乗っていら、、、」というマーカムとショーンの会話だ。
連れて行かれた子供と いかれなかった子供、この違いが3人の男達の一生に関わっている。連れて行かれなかった子供は 連れて行かれたこどもに一生 返しきれない負債を背負うことになるし、連れて行かれた子供は誰にも想像不可能なほどの深傷を抱えたまま生きることになる。この世は 連れて行かれた子と 連れていかれなかった子とで できている。君も あなたも連れて行かれた子か、連れていかれなかった子かのどちらかなのだ。
事態は急展開する。殺人犯はあがる。事件は解決する。
しかし 連れて行かれた子といかれなかった子は 依然として存在する。決して、何も変わらないのだ。
オーストラリアでは、戦中、戦後1000人余りの孤児達がヨーロッパから戦火や食料危機を避けて オーストラリアに船で送られてきた。そのうち多くの子供達が 教会施設や養父母に引き取られて ぺデファイルの犠牲になった。現在60代、70代のこれらの人々は 精神的にも肉体的にも多大の被害を受けた。このことで、オーストラリア首相、ケヴィン ラッドはつい先日、公式に謝罪したばかりだ。ヨーロッパから孤児を引き取るということが、1950年代まで行われていたという事実に驚かされるが 受け入れていた教会が あたたかいベッドとスープを提供するどころか性的奴隷や労働に使役したという事実には さらに驚かされる。
今年ハイチを津波が襲い チリを地震が襲った。大災害のあとにくるものが大規模な孤児を出現と 彼らを待ちうけている幼児売買などの犯罪グループの跋扈。人々の欲望。なんと浅ましいことだろう。世がどんなに変わっても、連れて行かれる子たちは いっこうに、減ることはないのだ。
この世の嘆きをクリント イーストウッドが冷静な目、クールなタッチで映画化した。良い作品だ。