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2009年10月8日木曜日

映画 「毛沢東のバレエダンサー」


映画 「MAO’S LAST DANCER」(邦題「毛沢東のバレエダンサー」)を観た。
中国から米国に亡命したバレエダンサーの リー シュイン シンの自伝をもとに映画化された作品。彼と同じ、北京ダンスアカデミー出身の バレエダンサーで 現在イギリスのバーミンガムロイヤルバレエのプリンシパルの チ カオが 映画では リーの役を演じている。素晴らしいバレエダンサーが リーを演じることによって 作品に命が吹き込まれたと言っても良い。

ストーリーは
1972年、中国の貧しい山村に 専門家らが踊りの素養のある子供を捜しにやって来る。8人子供がいる家庭の7番目の男の子が選ばれて、家族から引き離されて、北京ダンスアカデミーに入学することになる。全寮制で 毎日厳しくバレエを指導され、家に帰ることなど全く許されない。国の為に 国が誇りとするような優秀なダンサーになることだけが 目的だ。リーは ダンスを教えてくれる教師を心から慕って 練習に励む。
ある日 国の官僚が バレエを観にやってくる。共産党員の官僚は 生徒達の踊る「ジゼル」が ブルジョワの見世物ではないかとダンスの教師を批判する。これに異をとなえた教師は 解職され強制労働キャンプに送られてしまう。慕っていた先生は、キャンプに送られる前にリーにヨーロッパのバレエダンサーのフィルムをリーに託して行く。
リーは行き場のない怒りを胸に秘めて 自己鍛錬に一層励むようになって、自分は解職された先生が思い描いていたような 立派なダンサーになる決意をする。
そうしているうちに、時代に変化が現れる。毛沢東が亡くなり 四人組が粛清され、米中関係が変化する。米国のヒューストンから、バレエカンパニーの面々が 親善友好訪問にやってくる。このときに、リーが一行の目にとまった。そして、リーは 北京ダンスアカデミーが派遣する初めての留学生として、米国に渡ることになる。

リーの父親が休まずに肉体を酷使して1年働いて$50の収入しか稼げないというのに、ヒューストンのホストファーザーは、リーの着る物を買う為に1日で$500を消費する。豊かな米国の暮らしぶりは、リーにとっては何もかも驚きの連続だった。
留学生として来たのにも拘らず、その年の出し物で 主演が肩を故障したため代役を演じたことを契機にリーは ヒューストンバレエカンパニーの人気をさらってしまう。卓越した技術と 強靭な筋力が 人々を魅惑したのだった。
そして留学期限の2年がたって、リーは美しいバレリーナ エリザベスに恋をしていた。リーは彼女と結婚をして、米国に留まりたいと願うようになる。

エリザベスを伴って中国領事館に 滞在延長を申請にいったリーは、そのまま 拘束され、収監されてしまう。驚いたヒューストンバレエカンパニーや、人権弁護士が マスコミを動員して領事館を取り囲んで リーの拘束に対して、抗議する。テキサス州だけでなく、米国の上部政治家の介入があって、遂にリーは釈放されるが、中国人としての国籍を剥奪されて、二度と中国に帰る事が出来なくなってしまった。
その後、リーは傷心のまま、ヒューストンバレエカンパニーから仕事をオファーされ、エリザベスに支えられてバレエを踊り続ける。プロの世界で、公演を次々と成功させて リーの名声が上がっていく一方、それほどの技術を持たないエリザベスは 仕事がなく自分も踊りたいのに 家事をしながらリーの帰りを待他なければならない。やがて二人の関係は破局する。
リーは 一見華やかな舞台にいても、残してきた両親のことを思わない日はない。自分のわがままにために 両親が軍に連行されて強制労働キャンプに送られたのではないか、死刑にされたのではないか、と眠れぬ夜を送っている。その不安をかき消すために ダンスに打ち込んで生きるしかなかった。そんなある日、、、
というおはなし。
監督:BRUCE BERESFORD
リー: CHI CAO(おとなのリー)
    HUANG WEN BIN (子供のリー)
エリザベス: AMANDA SCHULL

映画の予告編を観て、チ カオの踊りに目を奪われた。パワフルなハイジャンプ、華麗な身のこなし、素晴らしいダンサーだ。何があっても この映画 絶対観ようと思っていたら、そのうちに、’この予告編をテレビでも しつこいくらいに流すようになり、リーが2009年の「今年のお父さん賞」を受賞し、TVや新聞で引っ張りだこになり 彼の自伝が本屋に山積みになって飛ぶように売れ出してベストセラーとなり、映画が始まると、映画館に人の列ができるようになってしまった。リー シュイン シンは現在、メルボルンに奥さんと3人の娘さんと共に住んでいる。映画の撮影にシドニーが使われたことも、映画の人気に関係しているかもしれない。

人々の騒ぎぶりに比べて、映画としての出来は良くない。フィルムがあかぬけない。彼のバレエの偉大さを強調するあまり、彼が舞台でジャンプした瞬間、画面が止まって いかにも人並みはずれたジャンプをしているように効果をねらった映像を作っている。バレエの回転では スローモーションを使って 彼の動きを強調している。こんな小細工をするところが 安っぽい。洗練されたバレエのフィルムをちゃんと作るべきだ。

ストーリーの要のところを明かしてしまうけど、、、
映画の最大の泣かせどころは 最後の両親との対面シーンだ。幼い時に親から引き離されて以来 全寮制のバレエ学校で育ったリーが 夢にまで見て、案じてきた両親が、ヒューストンで 満場の拍手で迎えられて 舞台の上で抱き合うシーンに、誰も彼もが涙をふり絞る。ことになっている。
で、、、どうだった と オットに聞いてみた。
オットは 他の多くのオージーのように、映画を観ても オペラを観ても、コンサートを聴いても めったに批判めいたことは言わない。協調と柔軟さで他の誰とも うまくやっていくタイプだから、私のように ずけずけと欠点を言い立てたり 監督を批判非難したり、挙句の果てに糾弾したりはしない。
そのオットが珍しく、「この映画 おもしろくなかった」、、、という。どうしてかと聞くと、「最後の年取った中国人女性は何だったのか わからない。何なの あの女。」と聞かれた。腰が抜けるほど びっくりしてしてしまった。
たとえば 「母を訪ねて三千里」を見たとしよう。少年が母を捜し求めて 苦労しながらたくさんの土地を探し回り、遂に母を見つけ出して、ヒシと抱き合っている。さて、この女の人は誰でしょう。ここで「あの女なーに???」と 聞かれたらどうだろう。 ここはどこ?わたしはだれ?

物語を理解するための 基本の基本がオットにはわかっていないのではないだろうか。今まで 一緒に観てきた数え切れない映画のストーリーが オットの頭の中では どんなふうに理解され、処理されてきたのだろうか、頭をかち割って中をのぞいてみたい誘惑にかられる。
オットは ばかではない。驚くべき記憶力を持ち、知識も豊富だ。ヨーロッパは右の方、アメリカは左がわ、北極は上、南極は下の方などといっている私が 「キルギスは地名だっけ、国名だっけ」などと聞くと すぐにキルギスが何年に独立した国で ロシア語をしゃべって、地下鉱物のなんがしかがあるとかいうことを、すらすら教えてくれるし、「ポーランドとインドネシアの国旗は同じ?」と聞くと、赤が上がインドネシアで 赤が下がポーランドなど、と0.5秒で返事がくる。

映画ではよく暗示が行われる。はじめに青くて硬いぶどうの実が画面に出て、次に たおやかに色付いたぶどう色の実は写れば、季節が変わったのだ、ということがわかる。新しい本が最初に写り、ボロボロになって変色した同じ本が画面が出れば、そのときから何十年も時がたったのだ、ということを教えてくれている。男が胸を押さえてパタリと倒れて 次の画面で 黒服を着た女が肩を落としていたら、男が死んだことを 説明しているのだ。そういった わかりやすい理解のための約束が わからなかったら物語りの筋を追う事は出来ない。
オットは、目に見えるものはよくわかるのだが、想像力が足りないのか? これからは、映画を見ながら、ちょっと想像力を要するシーンでは 解説が必要なのかもしれない。