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2009年10月22日木曜日
コミック 中村光 「聖おにいさん」
下の娘に 赤ちゃんができたので 会いにニューカッスルまで3日間行ってきた。仕事は 忙しくてどうせ休暇願いを出しても 「それでも お願い 来て」と泣かれるに決まっているから 真に迫る演技 瀕死の声で病欠の電話を入れて行ってきた。
で、、、仕事に戻ってみると みんなに、「お孫さん どうだった?」と、会う人会う人みんなに聞かれたのは どうしてだろう?
ニューカッスルに行く前の晩に、上の娘とコンサートに行った。
オーストラリアチェンバーオーケストラの演奏するチャイコフスキー弦楽器のためのセレナーデが 上出来だった。今年 第一バイオリンのコンサートマスターに入ったロシア人の サトゥ ヴァンスカは、愛想がないが 若くて美人で 素晴らしいテクニシャンだ。彼女と、もう一人のロシア人で長いこと第一バイオリンを弾いていた イリア イサコヴィッチが、盛り上げて この夜 チャイコフスキーが とても品のある濃厚なロシアの香りする演奏になった。
良い音を聴いて、気分よく外に出ると どしゃぶり。
仕方なくタクシーで帰ることになった。車上 30分あまり。
娘が最近手に入れたばかりのコミック 中村光の「聖おにいさん」の話になったら、ふたりとも笑いが止まらない。結局 家に着くまで ふたり共 おなかを抱えて笑い転げていた。
娘が先にタクシーを降りて家に入るのを見届けて 私の家に向かう途中 タクシーの運ちゃんが 「じつに仲の良い親子で、笑いの絶えない良いご家庭ですなー。」と、心から感心してくれた。
そうなんです。
よく笑えるんですよ。運ちゃん。このコミック。
「目覚めた人ブッダ、神の子イエス。世紀末を無事に越えた二人は東京 立川でアパートをシェアし、下界でバカンスを過ごしていた。」 で始まるコミック1-3、巻 講談社。とても笑える。
絵のおもしろさが 秀逸なので、せりふだけここで言っても おかしさは半分以下なのだけど 一度読んで忘れられなかったところを ちょっとだけ。
イエスもブッダも ちょっと羽目を外すと もと来た場所にもどってしまいそうになる。ブッダが深い眠りのなかで、弟子のアーナンダと会話して夢からさめてみると、イエスが「完全に息が止まってたよー。」と。
イエスもトランポリンで遊んでいて、ブッダに「そんなに高く飛んだら 召されるって。」飛び上がるたびに 天使が迎えに来てしまい、ミカエルから苦情メイルが、、。イエスいわく「じゃ、メールで謝っとくよ。」で、「ミカエル 犬派、ねこ派?」 それに「かわいい画像を添付して許してもらおうなんて甘いからね。」と ブッダが釘をさす。
イエスの茨の冠はGPS搭載。地上でイエスがなにをやっているか、どこにいるのかを、天上の天使達は見ていて「今日もイエスは コンビニと銭湯しか行かなかった」とか、言っている。
二人が浅草寺に見物に行く。ブッダは本物のブッダが お寺に登場したのでは「巣鴨にヨン様放つようなもんじゃない。」と、身元を見破られるかと心配するが、外国人にカメラ向けられ ポーズ プリーズと言われ クール、ニンジャ、アジアンビューテイーと連発され、「アジアでひと括りされました。」と、ブッダのことばでオチがつく。
空腹のイエスは ネットでミクってばかりいて食事時間を忘れているブッダに文句を言うと、ブッダは、お盆に石と水をのせてきて 「石をパンに 水をぶどう酒にできたよね。」 イエスは 返して「どこの鬼嫁かとおもうじゃない。」で、さらにブッダが「やきそばパンとか ごはん的なパンにすればいいじゃない。」というと、イエスは「ライ麦的パンにしかできないの。」と。
おかしいのは クリスマス。ブッダに「クリスマスって何のお祝いだか、知ってるよね。」と言われて、イエスは嬉しそうに「知ってるよ。サンタクロースがトナカイでの飛行に成功した日だよ。」と答える。 ブッダの答えが「うん、大正解。その勘違いに私は奇跡すら感じるよ。」と。
年末の大掃除。ブッダに一気に掃除しよう と言われて、イエスは「そういえば とうさんも言ってたなー。」そのとうさんは、「よごれはかなり溜め込むんだけど 大事なものだけ箱舟に詰めてから 大洪水で流して一気に洗い流すんだ。」と 嬉しそうに言う。
買い物帰り 町内会の福引で 期待していたお米でなく、景品の仏像を当ててしまったブッダは、しまった「偶像崇拝禁止しとけばよかったな」とポツリ一言。
イエスは泳げない。気の弱いイエスに、ブッダはプールで水に顔をつけられる練習をさせようとするが、イエスが大決意して顔をつけようと意気込むと、プールの水が2方に別れて エジプト出のモーゼのような通り道がプールにできてしまう。
川で イエスに洗礼を施したヨハネさんは 潜ることも水に顔をつけることも出来ないイエスのために、どんどんハードルを下げてくれて、「そうか、今の洗礼の形式は ヨハネさんの優しさなんだね。」とブッダ。
ブッダ、ちょいワル聖人やってみようか、と。
「盗んだ木魚を打ち鳴らし、夜中に祇園精舎の窓を割って回る」
「おおー15の夜」のりきったブッダにイエスは 「ごめん、まさか、君と尾崎がリアルにリンクするとは思わなかったんだ。」と。
1ページに一度は爆笑するコミック。とってもお気に入り。
2009年10月8日木曜日
映画 「毛沢東のバレエダンサー」
映画 「MAO’S LAST DANCER」(邦題「毛沢東のバレエダンサー」)を観た。
中国から米国に亡命したバレエダンサーの リー シュイン シンの自伝をもとに映画化された作品。彼と同じ、北京ダンスアカデミー出身の バレエダンサーで 現在イギリスのバーミンガムロイヤルバレエのプリンシパルの チ カオが 映画では リーの役を演じている。素晴らしいバレエダンサーが リーを演じることによって 作品に命が吹き込まれたと言っても良い。
ストーリーは
1972年、中国の貧しい山村に 専門家らが踊りの素養のある子供を捜しにやって来る。8人子供がいる家庭の7番目の男の子が選ばれて、家族から引き離されて、北京ダンスアカデミーに入学することになる。全寮制で 毎日厳しくバレエを指導され、家に帰ることなど全く許されない。国の為に 国が誇りとするような優秀なダンサーになることだけが 目的だ。リーは ダンスを教えてくれる教師を心から慕って 練習に励む。
ある日 国の官僚が バレエを観にやってくる。共産党員の官僚は 生徒達の踊る「ジゼル」が ブルジョワの見世物ではないかとダンスの教師を批判する。これに異をとなえた教師は 解職され強制労働キャンプに送られてしまう。慕っていた先生は、キャンプに送られる前にリーにヨーロッパのバレエダンサーのフィルムをリーに託して行く。
リーは行き場のない怒りを胸に秘めて 自己鍛錬に一層励むようになって、自分は解職された先生が思い描いていたような 立派なダンサーになる決意をする。
そうしているうちに、時代に変化が現れる。毛沢東が亡くなり 四人組が粛清され、米中関係が変化する。米国のヒューストンから、バレエカンパニーの面々が 親善友好訪問にやってくる。このときに、リーが一行の目にとまった。そして、リーは 北京ダンスアカデミーが派遣する初めての留学生として、米国に渡ることになる。
リーの父親が休まずに肉体を酷使して1年働いて$50の収入しか稼げないというのに、ヒューストンのホストファーザーは、リーの着る物を買う為に1日で$500を消費する。豊かな米国の暮らしぶりは、リーにとっては何もかも驚きの連続だった。
留学生として来たのにも拘らず、その年の出し物で 主演が肩を故障したため代役を演じたことを契機にリーは ヒューストンバレエカンパニーの人気をさらってしまう。卓越した技術と 強靭な筋力が 人々を魅惑したのだった。
そして留学期限の2年がたって、リーは美しいバレリーナ エリザベスに恋をしていた。リーは彼女と結婚をして、米国に留まりたいと願うようになる。
エリザベスを伴って中国領事館に 滞在延長を申請にいったリーは、そのまま 拘束され、収監されてしまう。驚いたヒューストンバレエカンパニーや、人権弁護士が マスコミを動員して領事館を取り囲んで リーの拘束に対して、抗議する。テキサス州だけでなく、米国の上部政治家の介入があって、遂にリーは釈放されるが、中国人としての国籍を剥奪されて、二度と中国に帰る事が出来なくなってしまった。
その後、リーは傷心のまま、ヒューストンバレエカンパニーから仕事をオファーされ、エリザベスに支えられてバレエを踊り続ける。プロの世界で、公演を次々と成功させて リーの名声が上がっていく一方、それほどの技術を持たないエリザベスは 仕事がなく自分も踊りたいのに 家事をしながらリーの帰りを待他なければならない。やがて二人の関係は破局する。
リーは 一見華やかな舞台にいても、残してきた両親のことを思わない日はない。自分のわがままにために 両親が軍に連行されて強制労働キャンプに送られたのではないか、死刑にされたのではないか、と眠れぬ夜を送っている。その不安をかき消すために ダンスに打ち込んで生きるしかなかった。そんなある日、、、
というおはなし。
監督:BRUCE BERESFORD
リー: CHI CAO(おとなのリー)
HUANG WEN BIN (子供のリー)
エリザベス: AMANDA SCHULL
映画の予告編を観て、チ カオの踊りに目を奪われた。パワフルなハイジャンプ、華麗な身のこなし、素晴らしいダンサーだ。何があっても この映画 絶対観ようと思っていたら、そのうちに、’この予告編をテレビでも しつこいくらいに流すようになり、リーが2009年の「今年のお父さん賞」を受賞し、TVや新聞で引っ張りだこになり 彼の自伝が本屋に山積みになって飛ぶように売れ出してベストセラーとなり、映画が始まると、映画館に人の列ができるようになってしまった。リー シュイン シンは現在、メルボルンに奥さんと3人の娘さんと共に住んでいる。映画の撮影にシドニーが使われたことも、映画の人気に関係しているかもしれない。
人々の騒ぎぶりに比べて、映画としての出来は良くない。フィルムがあかぬけない。彼のバレエの偉大さを強調するあまり、彼が舞台でジャンプした瞬間、画面が止まって いかにも人並みはずれたジャンプをしているように効果をねらった映像を作っている。バレエの回転では スローモーションを使って 彼の動きを強調している。こんな小細工をするところが 安っぽい。洗練されたバレエのフィルムをちゃんと作るべきだ。
ストーリーの要のところを明かしてしまうけど、、、
映画の最大の泣かせどころは 最後の両親との対面シーンだ。幼い時に親から引き離されて以来 全寮制のバレエ学校で育ったリーが 夢にまで見て、案じてきた両親が、ヒューストンで 満場の拍手で迎えられて 舞台の上で抱き合うシーンに、誰も彼もが涙をふり絞る。ことになっている。
で、、、どうだった と オットに聞いてみた。
オットは 他の多くのオージーのように、映画を観ても オペラを観ても、コンサートを聴いても めったに批判めいたことは言わない。協調と柔軟さで他の誰とも うまくやっていくタイプだから、私のように ずけずけと欠点を言い立てたり 監督を批判非難したり、挙句の果てに糾弾したりはしない。
そのオットが珍しく、「この映画 おもしろくなかった」、、、という。どうしてかと聞くと、「最後の年取った中国人女性は何だったのか わからない。何なの あの女。」と聞かれた。腰が抜けるほど びっくりしてしてしまった。
たとえば 「母を訪ねて三千里」を見たとしよう。少年が母を捜し求めて 苦労しながらたくさんの土地を探し回り、遂に母を見つけ出して、ヒシと抱き合っている。さて、この女の人は誰でしょう。ここで「あの女なーに???」と 聞かれたらどうだろう。 ここはどこ?わたしはだれ?
物語を理解するための 基本の基本がオットにはわかっていないのではないだろうか。今まで 一緒に観てきた数え切れない映画のストーリーが オットの頭の中では どんなふうに理解され、処理されてきたのだろうか、頭をかち割って中をのぞいてみたい誘惑にかられる。
オットは ばかではない。驚くべき記憶力を持ち、知識も豊富だ。ヨーロッパは右の方、アメリカは左がわ、北極は上、南極は下の方などといっている私が 「キルギスは地名だっけ、国名だっけ」などと聞くと すぐにキルギスが何年に独立した国で ロシア語をしゃべって、地下鉱物のなんがしかがあるとかいうことを、すらすら教えてくれるし、「ポーランドとインドネシアの国旗は同じ?」と聞くと、赤が上がインドネシアで 赤が下がポーランドなど、と0.5秒で返事がくる。
映画ではよく暗示が行われる。はじめに青くて硬いぶどうの実が画面に出て、次に たおやかに色付いたぶどう色の実は写れば、季節が変わったのだ、ということがわかる。新しい本が最初に写り、ボロボロになって変色した同じ本が画面が出れば、そのときから何十年も時がたったのだ、ということを教えてくれている。男が胸を押さえてパタリと倒れて 次の画面で 黒服を着た女が肩を落としていたら、男が死んだことを 説明しているのだ。そういった わかりやすい理解のための約束が わからなかったら物語りの筋を追う事は出来ない。
オットは、目に見えるものはよくわかるのだが、想像力が足りないのか? これからは、映画を見ながら、ちょっと想像力を要するシーンでは 解説が必要なのかもしれない。
2009年10月3日土曜日
オペラ 「ザ ミカド」
オペラ オーストラリア 今年後期オペラの最後の出し物のひとつ、「ザ ミカド」を観た。
アーサー サリバンによって二幕もののオペラとして作曲され、W S ギルバートによって 脚本 劇化された作品。英語で歌われて、英語の字幕がつく。オペラハウスにて、A席 $180。10月31日まで。
19世紀にロンドンで開催された万国博覧会を契機に日本ブームが起きた その勢いに乗って生まれたオペラ。登場人物がみんな 日本の着物らしきものをまとい、天皇が登場、皇太子のお妃選びをめぐる おもしろおかしい喜劇だ。
これをむかし、娘達がインターナショナルスクールの中学生だったときに 上演したことがある。舞台の下で オーケストラに駆り出されたので忘れられない。学校では年に一度のミュージカルは、学校を挙げての大きなイベントだった。本格的オーデイションで 配役を生徒、教職員、父兄のなかから選び、数ヶ月かけて舞台を作り上げる。仕上がりは本格的。今思うと、芸達者ばかりが そろった学校だったと思う。
インターナショナルスクールの教職員は 毎年アイオワで、大規模なマンハンテイングが行われる。世界中のインターナショナルスクールの校長たちが より良い先生を求めて これまた世界中から応募してきた先生達を審査し、面接をして雇用契約を結ぶ。
このときに、歌って踊って楽器を演奏するテストでもあるのではないかと思うほど インターナショナルスクールの先生方はバラエテイーに富んだ タレンテイッブな人が多かった。ウェストサイドストーリーのマリアが歌う歌を全曲 歌って踊れるアメリカからきた理科の先生、プロ並みのヴァイオリン奏者のインド人社会学の先生、だいたいアメリカ人の校長が「屋根の上のバイオリン弾き」のテビオの役、「オペラ座の怪人」などミュージカルなら何でもござれの 玄人はだし、この「ザ ミカド」のココの役などお手の物だった。
インターナショナルスクールの敷地は いわば「租界」で、どんな低開発国でも回教国でも この学校の中だけは 治外法権といってよい、いわば「ちいさなアメリカ」だった。各国の大使 領事館の子弟、世界銀行やアジア銀行の職員の子供達は、ここに通って来ざる終えない。マニラでは、ビレッジの中の敷地には、幼稚園児から高校3年生までの合わせて2000人たらずの子供達が通ってきていた。
ミュージカル出演者のオーデイションは厳格な審査のもとに行われる。生徒達は 主役が欲しくて授業のあと プロの声楽家についてヴォイストレーニングに通ったり、ダンスクラスで練習に励んだりしていた。興味深いことに、このような学校をあげてのミュージカルで主役や、準主役や 常連役者になる子供達は 舞台稽古が始まると 毎日学校の授業後 3時間も4時間もリハーサルが続くにも関わらず、勉強もよくできる子供達だったことだ。勉強も課外活動もスポーツもできて、おまけにボランテイア活動もしているというような子がアメリカで一番とか2番とか、高く評価されていた大学に そろって推薦入学していた。アメリカが欲しがる子供というのが おのずと理解できる。勉強が好きで、チームスポーツを楽しみ、舞台で踊ったり歌ったり楽器をひいたり表現力の豊かな、ついでにボランテイアに時間を割くことも出来る そんな子供ならば将来法曹界にはいっても、実業界に入っても立派なリーダーになれるからだ。
学校で演った「ザ ミカド」は大成功だった。
ストーリーは
ミカドの国の都 ティティプーで、旅芸人のナンキンプーは、美しい娘ヤムヤムに恋をする。しかし、ヤムヤムには、ココという婚約者がいた。ココはミカドのお気に入りの死刑執行大臣だ。気まぐれなミカドのいうまま、ミカドが好きなときに 好きな方法で 人を死刑にするのが仕事だ。ミカドは しばらく死刑がなかったので、来月までに一人死刑囚を連れてくるように とココに命令する。
そこで、ココは 自分のフィアンセを夢中にさせてしまった ナンキンプーが、ヤムヤムと結婚できなければ死んだ方がましだ、と言った言葉尻をとらえて、1ヶ月だけ ヤムヤムと結婚させてやるといって、1ヶ月後にナンキンプーが死刑にされることを納得させてしまう。
一方、ミカドと その息子の婚約者、カテイシャは、行方不明の皇太子を探している。年上で醜いカテイシャが嫌で、皇太子は逃げ出して行方をくらませていたのだった。
1ヵ月後に、ミカドと カテイシャが天皇の御所で待ち受ける中を 約束どうりに死刑囚が引き立てられてくる。それは、ミカドが探していた息子の皇太子ナンキンプーだった。
怒ったミカドは、ココがナンキンプーの代わりに死刑にされるべきだという。ココは死に物狂いで、ナンキンプーに捨てられた婚約者カテイシャに命乞いをして求婚する。カテイシャも 逃げ出した皇太子より男前の ココに求婚されて悪い気はしない。そこで、ヤムヤムとの結婚を許された皇太子ナンキンプーはヤムヤムと愛を誓って、ハッピーエンドとなる。
という たわいのない喜劇だ。
オペラオーストラリアの配役は
ミカド:リチャード アレクサンダー
ナンキンプー:カネン ブリーン
ココ:アンソニー ワーロウ
ヤムヤム:ターリン フィービグ
今年一番印象深かった映画「グラントリノ」で、クリント イーストウッドが、どうしてもモン族の女の子の名前を覚えられなくて、ヤムヤムと 勝手な名前で呼んでいたのを思い出す。イーストウッドが ヤムヤムと発音すると、なんで、あんなに優しげに聞こえるんだろう。
ナンキンプーこと、カネン ブーリンのテナーが とてもとても良かった。ソフトで無理のない のびのびとした テナーで聞いていてとても気持ちが良い。こんなに、柔らかい 優しいテナーを聞くのは 久しぶりだ。ヤムヤムの、ソプラノも悪くなかった。
ミカドのバリトンも良いし、ココのバリトンも悪くない。ココが、舞台回しで、死刑に使う斧を持ち歩いて笑わせる。アドリブで、あいつもこいつも死刑にせにゃあならん。という中で、4輪駆動車で街を我が物顔で走り回る若者とか、息子ほどの若い男を追い回している大型女優を揶揄してみたり、とある政治家たちも 死刑のリストに出てきて、皆を大笑いさせていた。
ところでこのオペラが作られて 100年もたっている。クラシックと言って良い程のオペラなのだ。
戦前 天皇をからかっているということで、在連合王国日本国大使が英国外務省に抗議して、上演を差し止めるように要請した、という話もある。真偽さだかではない。しかし、このオペラは日本人の間では 評判が悪い。あまり日本では 上演されていないみたい。
日本人にとっては 天皇を笑うことはタブーになっている。しかし、天皇が 現人神ではなくなって65年たつ。いつまで笑わないでいるつもりなのだろう。
エリザベス女王や、彼女のロイヤルファミリーなどいつもジョークの種になっているし、シニカルな例えなどで、ケチョンケチョンに言われたり、映画では 女王のそっくりさんが おばかをやって笑わせている。ヒットラーなど、喜劇の定番登場人物だし、毛沢東や、サダム フセインも。
むかしむかし、日本に気まぐれで冷酷無常なミカドがいましたってサ、、、 と言うお話に 日本人が怒る必要はない。大いに、ミカドを笑ってよいのだ。人々の笑いが文化を造り 継続させていく原動力になるのだから。