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2009年8月11日火曜日

映画「パブリック エネミーズ」


アメリカ映画 「パブリック エネミーズ」を観た。
キャストは
ジョン デリンジャー:  ジョニー デップ
メルヴィン パーヴィス: クリスチャン べイル
女 ビリー:    マリオン コテイヤール
フーバー検察局長:  ビリー クラダップ

1929年大恐慌が始まり 30年代の経済低迷期には、アメリカ社会は病み 混乱を極めていた。失業者があふれ、飢えた人々の不満は膨れ上がるばかり。シカゴに根を張った ギャングによる凶悪事件は 止むことを知らず ジョン デリンジャー(ジョニー デップ)率いる、レッド、ハミルトン、ジョージ ネルソン、チャールズ フロイドといった面々は、次々と銀行を襲って強盗を繰り返していた。困りきった 検察局のフーバー(ビリー クラダップ)は これを機会に 地方警察の枠を超えて 全米範囲で凶悪犯を追い 捕らえることができる捜査組織FBIを作ろうと画策していた。フーバーは メルヴィン パーヴィス(クリスチャン べイル)を抜擢して FBI最初の大仕事 ジョン デリンジャーの逮捕を命ずる。デリンジャーとハーヴィスの 戦いが始まった。

デリンジャーは 何度も刑務所に放りこまれても 協力者を得て、脱獄を繰り返し 銀行強盗を繰り返す。極悪犯人でありながら、仲間を大切にし、仲間の命を守る為に 自分の危険を顧みない。一目ぼれした女 ビリーを自分のものにする為には何でもする。初めて ビリーに会って これからはどんなことがあっても、君を愛し一人きりにはしない と誓う 純情さも持ち合わせている。
しかし、FBIも すべての電話回線を盗聴し、次から次へと デリンジャーの協力者を力で屈服させて寝返らせた。遂に、デリンジャーの女ビリーを逮捕、拷問して デリンジャーを追い詰める。
というストーリー。

滅びの美、悪の華、がテーマ。それをどう人間味豊かな一人の 生身の男として映像で表現するかが、この映画の真髄。 若く、熱く 生きて死んでいく男は美しくなければならない。
不況、失業 飢えた人々の間で 火花のように華を咲かせて 権力者にたてついて 極悪犯として散っていった パブリック エネミーは 人々の不満の捌け口であり、希望の星であり、英雄だ。FBIが生まれることを 人々は決して歓迎していたわけではない。人々の心は 極悪犯の側にあった。
だから 映画を観ている人も、ジョニーデップの味方だ。危険な罠が仕掛けられるたびに デップに生き延びて欲しいとハラハラし、最後の最後までデップに 逃げろ、走れ、生きろ と心で叫び続けて、最後にビリーと一緒に、大きな涙をひとつ落とす。
ジョニー デップのベビーフェイスと、ちょっと間の抜けた感じが とてもデリンジャーらしくて良かった。

この映画、男向け、アクション映画に仕上がっている。このところハリウッドでは アクションになるとハンドカメラを使って 実況中継ふうに 揺れるカメラで撮るのが一般的になってしまった。はじめから最後まで ハンドカメラだけですべてフィルムを編集したような映画もでてきた。私はこれが大嫌い。 チャップリンは 動かないカメラの前で 俳優の方が大変な努力をしてアクロバット的な動きまで習得して映像を撮った。だから 特殊撮影で飛んだり跳ねたりする香港カンフー映画も ハンドカメラで追う暴力シーンも私にとってはニセモノにすぎない。

キャストに デリンジャーをジョニー デップに演じさせたのは、成功だった。そして、一方のFBI責任者 クリスチャン ベールも 大成功。クリスチャン べイルのような シャープでハンサムな男が 30年代の服を身に着けると 俄然引き立つ。彼のような 美男子には バットマンのお面を被ったり、ターミネイターの戦闘服よりも この1930年代の、白いワイシャツ、タイ、しっかりしたコートに帽子が良く似合う。きちんと折り返しのある純毛のズボン、ジャケットと、長くてがっしりしたコート。そしてソフト帽。ネクタイもピンクや水色や黄色なんかの軽薄な色でなくシックで落ち着いたタイ。1930年代の男達、なんと素敵だったのだろう。いまの男達 化繊のスーツに 色シャツ、頭はボサボサ、、一体男の美はどこへ、、、。オージーなんか 冬でも半ズボンで、カーボーイハットだもんね。

人々は映画を観ながら ジョニー デップに共鳴している。だからクリスチャン べイルは正義の側かもしれないけど 全然、誰も味方していない。それをわかっていて 演じるクリスチャン べイルって、いつも損な役回りだ。
「バットマン ダークナイト」では 彼は主役のバットマンだったが、ジョーカー役のヒースレジャーが この作品を遺作に28歳で事故死してしまったので この映画はクリスチャンべイルのではなく、ヒースレジャーの特別な映画になってしまった。
「ターミネイター4」では 彼が主役のジョン コナーだったが、この映画の話題と言えば アーノルド シュワルツネイガーが出たかどうか ばかり話題になって、クリスチャン べイルは2時間あまり戦っていたのに、数分間でただけのシュワちゃんに主役を奪われてしまった。
「ユマ3時10分決断のとき」では、悪役、ラッセル クロウを裁判所まで連行する 潔き 正しく 立派なクリスチャン べイルが正しい道をあゆんでいたのに 最後には見事に逃げられて、ラッセル クロウが 断然 輝いていた。
役者としては クリスチャン べイルは 役になりきる素晴らしい役者なのに、何故か不運が続いている。めげないで 「アメリカン サイコ」でショックを与えた 不気味なほどの美しくて、悪い奴を主演して欲しい。

最後に 映画で エージェントのひとり、ステイーブン ラングがデリンジャーの女ビリーに会いに来る。このシーンが良い。FBIの中でも いつもこの 目立たない中年捜査官は 他の捜査官のように突っ走ることも 罠を仕掛けて人を陥れることもなく冷静に事態に対処していた。
血の通った この男の「ひとこと」と、ビリーの「大粒の涙」。
これがすべてを語っている。心に残るシーンだ。

話題作で新作だから観た。
しかし、残念ながら 1967年の「俺達に明日はない」(原題「BONNIE AND CRYDE」)や、1969年「明日に向かって撃て」(BUTCH AND THE SUNDANCE KID」)には比べようもない。同じ時代のギャングを描いた映画だが、フェイ ダナウェイとウォーレン ビューテイー、ポール ニューマンとロバート レッドフォードにくらべ、輝きが 全然足りない。この時代に比べて フイルムの質も撮影技術も格段によくなっているはずだ。それなのに、60年代の映画を超えられていない。これらの優れた映画は 時代が作ったと言うのだろうか?