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2008年3月31日月曜日

ブルーマウンテン 洞窟コンサート


シドニー中央駅から長距離列車に乗って ブルーマウンテンの入り口、カトーンバまで2時間。そこからランドクルーザーに乗りかえて 山道を2時間、ジェノラン洞窟の中で行われるコンサートに一人で行ってきた。

前回、10月に夫と行って 肥満体の夫は洞窟の中の急な階段を登れずにあえなく落伍。せっかく出かけて行ったのに 涙をのんで帰ってきた。足手まといは家に置いて、再度、挑戦というわけだ。

洞窟を54メートルほど入ったなかに 自然にできた小さなスペースがあって教会になっている。そこで毎月第3土曜日にはチェロの独奏、第4土曜日にはパガニー二デュオといって、バイオリンとギターのコンサートが行われている。カトーンバから ジェノラン洞窟までの車での送り迎えを含めて コンサートは$95.演奏者は以下の二人。

ポーランド人バイオリニスト:GUSTAW SZEISKI
ドイツ人チェリストでギタリスト:GEORG MERTENS
朝10時に家を出て2時間の電車の旅の後 カトーンバで山々など眺め、昼食をとってから、ランドクルーザーに拾ってもらう。コンサートが始まるのが午後4時。20人ほどのコンサート観客に ガイドがついて洞窟に入る。コンサートの後は 入ってきた入り口と別の方、洞窟の奥のほうに入り、洞窟見物をしてから別の出口にでて、そこで、ちょっとしたワインとチーズのサービスを受けて またランドクルーザーでカトーンバまで帰って来る。コンサートに来ていた20人ほどのお客は皆 カトーンバのホテルに滞在している人たちだったのでここからは一人で夜9時の長距離列車で眠って帰ってきた。家に着いたのは 真夜中、という長い一日だった。

ブルーマウンテンの山々は、この夏は涼しい夏で 思いのほか山火事が少なかったので緑色が深く、美しかった。洞窟の中もすばらしい。ガイドに従って奥に足を踏み入れると 自動的の明かりがつくようになっている。石灰岩の自然にできた階段は滑りやすく、手すりができているので しがみついて歩くが 身をかがめて通り抜けるところも多く、足元に気を取られていると 頭を岩にぶつけたりする。いったんガイドを見失ったら どこかに入り込んで二度と出られないような気がする。20人のコンサートにきたお客に2人のガイドがついてくれた。洞窟見物もガイドに続いて歩き人の着物の擦れる音がするだけ、僅かな明かりを頼りに 洞窟のなかの自然が作り出した岩岩の不思議な造形に見とれる。中の教会は10メートル四方ほどのスペースに明かりをともした小さな祭壇がある。以前、コンサートのお客はそれぞれが自分でクッションを持ってきて岩のうえにクッションをおいてコンサートに耳を傾けたのが、今年から、折りたたみの椅子が提供されるようになった。

洞窟の中は何千年もの間 人工的な音のない静寂に包まれていて、常に気温15度の温度を夏の間も冬の間も保ってきた。地下54メートル、音響効果抜群のコンサート会場。1音が8秒間も鳴り響く。音の増幅、拡大が強音で豊か。それだけにより明確でより純粋な音が聴くことが出来る。

で、、、実際の演奏がどうだったか、、、ああ、私に聞かないで! 残念ながらGUSTAW SZEISKIさんは引退すべきだ。指が動いていない、音が出ていない、弓が弦をこする何という不快音。リズムさえ乱れすぎ。「MOLDAVIAN NIGHT」など私の娘達が弾いたほうが うまかった。彼、昔は上手だったんだろう。あんなに自信満々だったんだから。きっと。

帰りのランドクルーザーのなかで、隣に座っていたイギリス人の旅行中のおじさんと シドニーシンフォニーについて話していたら、後ろに座っていた新婚旅行のカップルの若奥さんが おずおずと、あのー?と話しかけてきて、「あのバイオリニストは上手でしたか?ここでは、有名な芸術家なのでしょうか?」と聞いてきた。で、「いやー あのーそのー」と、正直な私の感想を告げると、奥さん 急に嬉しそうに、「私も、下手だと思いました。でもみんなわかったような顔で拍手していたので私の耳が悪くなったんだと思って自分を責めていたのです。」と。なんと謙虚な人か。自分に自信をもちなさい! そんな車中での会話も、カトーンバまで。この後は一人でポツネン 駅の待合室で電車を待って、電車のなかでは眠って帰ってきた。

人には引け際というものがある。
夫は17歳から車を運転してきて運転は男の仕事だと思っている。家族で出かけるときに、運転は自分がするものと思い込んでいるから 娘が自分は死にたくないから運転台に座ろうとすると 怒る。道を曲がるときは2車線 ひどいときは3車線使って曲がる。路線を変えるとき 自分ではまっすぐ走っているつもりだから 車線変更サインは 絶対出さない。青信号で止まったり、赤信号を見落とすことも多い。後ろを走っている車に迷惑をかけているだろう といつも思って助手席で小さくなっている。私は夫にいつ、運転から引退したら?といえるだろうか?

職場に70歳に近い年のナースがいて 誰も引退を強要できないから困っている。ナース二人でしなければならない仕事もあるので声をかけたとき、彼女が忙しいと手一杯なので 対応できず急に怒り出す。顔を真っ赤にして 足をどんどん床踏み鳴らし、狂ったように老人のかんしゃくをおこして1時間くらい誰にも触れられない危険物と化す。患者に薬を確認せずに渡す。渡したつもりでどこかに置き忘れている。自分の老眼鏡がなくなったと言って寝ていた患者みんな起こしてベットからシーツはがして眼鏡探し始める。その間 患者はふるえてベットの横で待っている。引継ぎを終えて自宅に帰ってきてシャワーをあびていると、電話をかけてきて、渡してあげた薬の鍵を受け取ってないといってどなる。彼女が患者を殺す前に マネージャーは引退したら?といえるだろうか?

誰もが自分は特別だと思っている。
自分だけは年を取らない と思いたいのだ。そんな人に引退を勧めるのはつらいことだ。人に引退の時期ではないか?と宣告される前に 自分で己を知る、そういう人間でありたいと切に思う、ジェノラン洞窟の旅だった。

2008年3月13日木曜日

オペラ 「ラ ボエーム」


オーストラリアオペラの定期公演のひとつ、「ラ ボエーム」を観た。
プッチーニの作品。音楽:オーストラリアオペラバレエオーケストラ。指揮:TOM  WOODS。 監督:SIMON  PHILLIPS。
出演は、
詩人ロドルフ:WARREN  MOK (テナー)
画家マルセロ:BARRY  PHILLIP(バリトン)
哲学者コリーネ:JUD  ARTHER(バス)
音楽家ショナルド:WARWICK  FYFE (バリトン)
お針子ミミ:ANTOINETTE  HALLORAN(ソプラノ)

若きボヘミアン、パリのカルチェラタンの屋根裏部屋に住む 貧しいが、志を高くもった若い芸術家達のお話。

詩人ロドルフは、画家マルセロ、哲学者コリネ、音楽家のショナルドと一緒に 貧しくつつましい生活をしている。ストーブに くべる薪も買えない冬の夜を 自分の売れなかった詩を燃やして凍える手指を暖めたりしている。そんななか、やっと、音楽家のショナルドの 曲が売れて 皆の食べ物が手に入って ほっとしている。喜び勇んで 皆がカフェに出かけていってしまった後で、一人残って書き物をしていた詩人ロドルフのところに、同じアパートに住む、お針子ミミが ろうそくの火をもらいにやってくる。

二人は すぐに惹かれあい 愛し合うようになる。でも、ミミは結核に侵されていた。せっかく二人で幸せな生活を始めたのにロドルフは ミミのために薬を買ってやることも出来ない ふがいない自分を責めながら ミミと別れることにする。ミミは別の男のものになって去っていくが、結局ひどい扱いをうけて、最後、ロドルフのところに帰ってきて、ロドルフに抱かれながら死んでいく というお話。

このオペラで一番良いところは 第1幕の始めのところ。ロドルフとミミが出会って、二人で歌うアリア「冷たい手を」で、ミミの冷たい手をロドルフが自分のポケットで温めてやるところ。本当に美しい曲だ。この「冷たい手を」は、ハイC (高音のド)といって、テノールの歌い手にとって、限界ともいえる高音なので とても難しい曲だ。それを 痩せ型 ハンサムなロドルフがミミを抱きながら 難なく歌い上げるところに このオペラの良さがある。これが歌えないテノール歌手も、たくさんいる。

この曲に続いて、今度はミミが、「私の名はミミ」を歌い 可憐な美しさで 舞台を圧倒する。 この二つの曲は 最後ミミが死ぬときにも 繰り返し歌われる。

それとミミが死にそうなとき、哲学者のコリーネが美しいバスで 自分のジャケットを売って ミミのために薬を買いに走るときの歌が良い。凍えそうな寒い火の気のない部屋で 僕を温めてくれた上着よさようなら、と歌うのだけど 彼のロドルフへの友情のあつさに ほろっとくる。

総じて、今回の舞台は 第2幕のカーニバルの華やかさも楽しかったし、画家マルセロと愛人ムゼッタとの ドタバタも楽しかった。寒くて、空腹で結核持ちの暗い悲しいお話だけれど、笑いも涙もあり良い舞台だったと言っても良い。

でも、やはりオペラに200ドル近く出して観にいくからには 声が良くて楽しい舞台だったら良いかというと、それだけでは不足。どうして主役ロドルフが 中国人? 彼、髪をオールバックにして、小太りで背が低い。いくら声が良くても、、、WARREN MOK さん、その外見 なんとかなりませんか?

それと登場人物の衣装にも もんくがある。この悲しいお話は結核が不治の病だった頃のプッチーニの頃のお話で パリでカルチェラタンなのだから、画家は画家らしく、詩人は詩人と ひとめでわかるような服装で 当時のパリの雰囲気を出して欲しかった。

オーストラリアは 北半球のイタリアファッション、パリコレクションからは、遠く離れていて およそ、こいきなファッションに縁遠い。オーストラリアブランドといえば、マンボーとかビラボンとか みんなサーファーグッズや水着の店しかない。若い男のファッション最先端といえば、ひざ下までの半ズボンに 花柄の半そでシャツ、女の子といえば ゴムぞうりに吹けば飛ぶような小さな水着 というわけだ。

で、この舞台の衣装係は、何を血迷ったか パリに お気楽オージーファッションを持ち込んだ。 画家マルセロは 皮ジャンにブーツ、(バイク乗り回すわけじゃないでしょう?)。 哲学者コリーネは ひざ下半ズボン(真冬ですよー)に建築現場のひとが履く様なドタ靴。 主役のロドルフは 唯一、ベルベットの背広ジャケットを着ていたけど、禿げ上がった頭にオールバックヘアで、二段腹では、ねー、、、。トホホ。

そんな訳で、いつもはオペラを見るときは老眼鏡にオペラグラスももって 舞台の隅から隅まで ながめながら素晴らしいテノールやソプラノに酔う私も 今回の舞台ではオペラグラスもめがねも さっさとバッグにしまいこみましたよ。眼鏡なしで ぼやけているくらいが丁度 良かった。時々 目をつぶって聴いていました。

昔テレビで 盲目のイタリア人歌手 ボッチェリが この主役ロドルフをやったときの素晴らしい舞台を観たが、目を閉じて このときの情景を思い描いていた。盲目なので 動きが少なく シーンによっては他の俳優に手を取られながら演じて、歌っていたが 当時のカルチェラタンに住む若い詩人の雰囲気を身につけていて、ミミを失ったときの 悲嘆の歌は、ハンカチが3枚くらい必要なほど真に迫っていて泣けた。そんな、舞台を観たかったなー。

2008年3月10日月曜日

ケアンズ 修学旅行の旅


1週間、仕事を休んで、日本から修学旅行でオーストラリアに来た高校生の付き添いナースをやった。フルタイムでナースをしている私にこういった仕事が時々、舞い込むのは、 日本とラリアでは 医療システムが違うので、日本からナースを連れてくるよりは ラリアで働く日本人ナースを雇うほうが 救急患者やけが人が出たときに 役にたつからだ。

ケアンズ3日間、シドニー3日間 前後7日間の旅は 愉快な旅だった。日本の高校2年生にとっては、試験休みでも、ケアンズでは 雨期。連日予定されていた グレートバリアーリーフでのシュノーケリング、グリーン島に渡ってグラスボートで海中見物などが、できなくなったが、ケアンズからキューランダを観光し、ゴンドラ スカイレールに乗り、それなり観光もできた。

シドニーでは自由行動で、シドニータワー、タロンガ動物園、水族館、天文台、博物館、美術館、クイーンズビクトリアビル、ロックスなどなど、それぞれが 地図を片手によく行動していた。

1週間、一人の看護士に、103人の生徒、6人の先生方が旅行して、たった一人の病人もけが人も出さなかったのは、奇跡か?

今の高校生は 親と一緒に食事をする習慣がないので、マナーを知らない、とか、みなインターネットばかりやっていて、対話ができないとか、新聞や雑誌で言われて久しいが、私が出会った高校生達はみな、きちんと挨拶のできる、大人と話もできる 普通の良い子ばかりだった。

部屋に トントンとノックしてやってきて、足が痛いんです と男の生徒、見ると 靴擦れのできかけ、、、。 手の骨が折れたかも、、とやってきた子は、ホテルレセプションにあった大型扇風機に手を突っ込んだ、と。 吐きそう と乗船前に言ってくる子。 頭が痛い、咽喉が痛いと言ってくる子。

足に靴擦れが出来るほど よく歩き回った子を思い切り褒めてあげる。大型扇風機に手を突っ込んだ子、やってみてから反省する子をよくやった と褒めてやる。吐きそうな子も、頭が痛い子も、咽喉が痛い子も、グループの中の 人間関係が問題のことが多い。ちょっと大人が、加わって話しを聞いてグループを見てみるだけで解決できることが多い。いじめもあって当然。大人がどう関わるか、だ。

グリーン島の行き来は 揺れる船が 遊園地のジェットコースター以上のスリルだった。これをネガテイブにとらえるか、ポジテイッブに捉えて楽しむか、この子達次第だったが、みんな、すごく楽しんだ。これが何より 嬉しかった。

私はといえば、ケアンズでもシドニーでも 3食 昼寝つき、一流ホテルの眺めの良い部屋を1室とってもらって、ひとり夜景にみとれながら 気分良く眠つた。元気な子供達から ポジテイブ パワーを しっかりもらった。空港でみんなを 見送ってしまったあとは、、、 ああ、寂しい。
きょうからは、また、末期癌の患者達が 職場で私を待ってるー。

2008年3月9日日曜日

映画 「THE BUCKET LIST」


映画「THE BUCKET LIST 」を観た。監督ロブ レイナー(ROB REINER)、90分のアメリカ映画。主演 JACK NICHOLSON と、MORGAN FREEMAN.

この映画は ジャック ニコルソンと、モーガン フリーマン 二人の為に作られた映画のようなものだ。芸達者な二人の男がいれば 他に誰も登場人物がいなくても 観客は物語にひきつけられて 画面から目を外すことができない。余命半年と宣告された末期のがん患者 二人の男の友情物語。

カーター(MORGAN FREEMAN)は、自動車整備工で、3人の子供と妻を何より大切にして 家庭と仕事の為に1日1日と、日々を重ねてきた実直 誠実を絵に描いたような男だ。しかし、彼は引退間際になって、末期がんに侵されていることを知らされる。

エドワード(JACK NICHOLSON)は、億万長者の実業家だが、ある日、税金査定で、裁判所に呼び出され、富裕層のためでなく、社会に還元できる社会事業を始めなければならないことになり、やむなく 個室なしというポリシーをもった 病院を建設、経営することになる。病院建設当初は予想もしなかったことに、エドワード本人に癌がみつかり、その病院に入院することになる。

末期がんを宣告されたカーターとエドワードが、個室なし、一部屋2ベッドポリシーの病院で 同室をすることになる。二人を待ち構えていたのは、二人部屋で、プライバシー皆無の病院生活、しかし、激しい副作用を伴う化学療法を共に受けるうち、次第にふたりには絶ち難い運命共同体のような 互いの支えあう友情が芽生えてくる。

そんなある日、化学療法を終えたカーターは、死ぬまでに自分がしたくて出来なかった事を 紙にリストアップする。それを見たエドワードは自分の分も書き加えて 二人で今まで出来なかった事を 今やってみようと提案する。二人は 喜々として スカイダイビング、スポーツカーレース、アフリカ サファリ旅行、インド体験、アジアの国々めぐり、ヨーロッパ旅行、家族が心配するのを尻目に、二人して散々遊び狂った末、アメリカの戻ってくる。

エドワードには離縁した娘がいて、そのことを罪に思っている。それを知ったカーターは ひそかにエドワードが娘に偶然のように出会える場を作ってやる。
カーターは 妻以外の女性と接したことがない。それを知ったプレイボーイだったエドワードは、ひそかに カーターが美しく若い女性を出会える場を作ってやる。しかし、どちらの画策も、相手は余計なおせっかいと、激怒して失敗。
そうしているうちに、カーターは、二人で作ったリストを一人きりになっても、エドワードがやり終えて欲しい といって、死んでいく。
そして、残ったエドワードは、カーターの望みどうりに、娘に許しを求めて会いに行く。という、物語。

末期がんという悲しく暗い話題を 二人の熟練俳優が おもしろくおかしく描いている。二人とも 本当に良くて 笑って泣ける。

ジャック ニコルソンは、アカデミー賞に12回もノミネートされてる。主演男優賞8回、助演男優賞に4回、そのうち、受賞が主演2回、助演が1回。

私が始めてジャックニコルソンを見たのは、1969年、「イージーライダー 」だった。ベトナム戦争反対の騒然とした反逆の時代に、ヌーベルバーグのなかでアメリカ映画もまた 新しい波を作り出していた。アメリカの暗部ともいうべき、北部アメリカ人と南部アメリカ人との敵対心、文明と保守との対立を これほど明確に社会に提示して見せた映画は他になかった。

そして、1975年の、「カッコーの巣の上で」。これで彼は初めてのオスカーを獲得した。今、観ても 常に新しい、アメリカ社会への激しい怒り、憤怒が湧き上がる。アメリカ国家への批判と怒りと憎しみを 精神病院に置き換えて、作られた作品だ。カッコーの巣の中から、1羽だけ、飛び立っていった、インデアンの青年の 力強い 土を蹴るリズムで始まり終わるシーンは、本当に印象的で忘れられない。

1980年の「シャイニング」、スタンリー キューブリック監督による恐怖映画。ジャック ニコルソンが、風呂場で亡霊とヒソヒソ語り合うシーンと、斧をもって妻と息子を追い詰めるシーンで、歯をむき出しにして笑う顔が怖くて 夢でまでうなされた。どうやったら、こんなに心底人を震え上がらせるような演技ができるのだろう。 1989年の「バットマン」の、ジョーカー役も怖かった。

俳優と言わないで、怪優 と言うのだそうだ。本当に一度観たら忘れられない アクの強い顔をしていて、他の俳優を食ってしまうので 主演しか出来ない俳優でもある。若いときのショーン コネリーとか、古くは、クラーク ゲーブルも。 アクが強いので、どんな役をやっても、ジャック ニコルソンは、ジャック ニコルソンにしか なれない。でも、ショーンコネリーも、007に出ていた頃の 強烈な個性が、年をとって、良い男の風味がでてきた。ジャックニコルソンも、毛が薄くなり、アクの強さが薄まって、味わい良い俳優になってきた。本人は、自分は70過ぎた ただのデブでしかない、と言っているそうだ。そういいながら、いつまで、演じるのだろう。