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2008年1月29日火曜日

映画 「アイアム リジェンド」


たくさんの人たちと 一緒に殺されてしまうよりも、一人だけ生き残ってしまうことのほうが、ずっと怖いのではないだろうか。

ニューヨークで、一人だけ、生き残ってしまった 科学者で軍医のロバート(ウィル スミス)が、草が生い茂って、野鹿が走り回るニューヨークを歩き回ったり、住人のいなくなった家から、ビタミン剤を持ち出したり、ハーバーで無線をいじったり、閑散としたホテルのプールで釣りをしたり、朝日とともに、家の窓を全開したりするのを ハラハラドキドキしてみていて、気が気ではなかった。彼が何か普通のことをしていても、何かとんでもないことが 起こる予感がして、すごく怖かった。暗がりには、ぞっとする姿のゾンビが 血を求めて待ち構えているのだから、まったく落ち着かない。

ハリウッド映画「I AM LEGEND」を観た。出演:ウィル スミス(WILL SMITH )、アリス ブラガ(ALICE BRAGA)、スミスの娘ウィロウ スミス。原作、リチャード マシスン(RECHARD MATHESON)の「I AM LEGEND」(邦題「地球最後の男」)のリメイク。

癌の特効薬ができて、人々はそれに殺到する。しかしこの薬に耐性をもつ新しいヴィルスが発生して瞬く間に 世界中の総人口を 死滅させてしまう。 死に切れなかったものたちは、ゾンビとなって暗闇で新鮮な血を求めて待ち構えている。このゾンビは馬鹿でも盲目でもない。わなを仕掛けて生き血を吸うために 生き物を生け捕りにしようとしている。 軍医ロバートが うっかりしている間に 鉄柱からワイヤーで吊り下げられたり、サム(ジャーマンセパード犬)に 噛み付いたりする。

この映画、見る前に、ホラー、暴力シーン、アダルトシーンがある、ということで、注意書きがついていたので、怖いのを観る覚悟をして観にいったが ゾンビそのものはあんまり怖くなかった。髪も毛もないツルリとして口だけが大きく、暗がりで待ち構えているから、怖いけれど、明るい陽のしたで見ると全然怖くない。なんか、去年見た映画「DESENT」に出てきた、光の届かない洞窟に住む 目も髪も体毛も退化してしまった人(?)のお化けと、メイクがそっくりだったので、ちょっと慣れてきて、「あ、またお会いしましたね。」という感じだった。

どうしてこの映画を観たかというと、軍医ロバートの唯一の生存仲間 ジャーマンセパード犬 サムが 私が昔 持っていた犬とそっくりだったから。アルメニウス セント デ ニコラウスという名前だった、昔の犬に会いに行く気分で この映画を見に行った。走る車の窓から頭をだして、風でたてがみを ソヨソヨ揺らしている姿や、ロバートと一緒にトコトコ歩く姿が可愛くてずっと見とれていた。だから、最後に軍医が死ぬところよりも、サムが死ぬところの方が ずっとずっと悲しくて涙がでた。犬は人間にとって なくてはならない友達。人に全幅の信頼をよせて体をもたせかけてくる愛犬のいとしさは特別だ。

ウィル スミスはモハメッド アリの伝記映画「アリ」では当たり前だけど、いつも映画で裸になって上半身のよく鍛えられた姿を強調して見せてくれる。この映画でも 孤独に耐え、自分の体を使って ヴィルスの免疫をつくり、血清を生き残った人々に渡すために 体を鍛えていて アフリカンアメリカンの美しい体を見せてくれた。

映画に娘役で、出ていた女の子は本当のウィル スミスの娘だそうだ。彼の前作「幸せのちから」(「THE PURSUIT OF HAPPYNESS」)では これも本当の息子が 出演して大活躍だった。この映画、この子のために、ヒットしたようなものだろう。親子3人とも、良い俳優だ。

2008年1月28日月曜日

映画「スウィーニートッド:フリート街の悪魔の理髪師」


ブロードウェイのミュージカル「SWEENEY TODD :THE DEMON BARBER OF FLEET STREET」が、テイム バートン監督によって映画化された。 ジョニー デップが ミュージカル映画で歌うというので、とても話題になっている。

この監督、よほどジョニー デップが好きらしく、「シザーハンド」、「チャーリーとチョコレート工場」など、5つの作品で彼を主役に出演させている。   ジョニー デップは、「パイレンツ オブ カリビアン」で 小さな子供から老人までファン層を広げた。強力な個性、一種独特の人を惹き付ける魅力をもった俳優だ。ちょっと、大げさのように思えるが、朝日の雑誌、アエラで映画評を書いている 藤原帰一氏の言葉に従えば、「抜きん出た美貌と演技力に恵まれながら素直に名優になろうとしないこの恐るべき子供の、これは第一の名演ではないだろうか。」ということになる。

第65回ゴールデングローブ賞、ミュージカルコメデイー部門で、これが作品賞、ジョニー デップは主演男優賞を獲得した。 余談だが、主演女優賞は、「エデイット ピアフ、愛の賛歌」の、マリオン コテイーヤルが獲り、ドラマ部門では「AWAY FROM HER]のジュリー クリステイーが選ばれた。エデイット ピアフの映画も、ジュリークリステイーの映画も、このMIXIで前に記事を書いた。2007年、10月12日の日記と、7月30日の日記だ。

オーストラリアでは「SWEENY TODD 」を、去年の1月から3月まで オペラでやって、成功した。ブロードウェイでは HAROLD PRINCE監督、RICHARD BARR、CHARLES WOODWARD などが製作したが、ここではSTEPHEN SONDHEIN,HUGH WHEELER などが オペラに仕立てた。去年は オペラオーストラリアでは、「椿姫」、「フィガロの結婚」、セルビアの床屋」、「イル トラバトーレ」、「タンホイザー」など、重くて、長くて、大きいオペラが多かったので、登場人物が少なくて規模の小さな「SWEENY TODD]のような作品を混ぜたのだろう。

ストーリーは、 
無実の罪で投獄され、妻と娘を悪徳判事に奪われた理髪師バーカーは、15年後に脱獄して復讐するためにロンドンに帰って来る。ミートパイ店を経営するミセス、ラヘッドの協力を得ながら 判事ばかりでなく 来た客を次々と剃刀で咽喉を切り裂いて殺し、肉をミンチにしてパイにいれて、人々に食べさせる。しかし、判事に奪われて、亡くなったはずの妻と娘は、、、このあとは、これから観る人のために言えない。

ミュージカル映画でジョニー デップが 立派に声量豊かに難しい歌を歌っていて、ミセス ラヘッド役のレナ ボナム カーターの声とも よくハモッていた。日本でも、オーストラリアでもこの映画、15歳以上でないと観られないのは、咽喉をかき切る時のシーンが残酷だったから と言われている。

無実の罪を着せられて、妻子を奪われた哀れな理髪師は 悪魔と呼ばれてしまったけれど、話の筋をたどっていけば、そんな復讐の鬼にならざるを得なかったのも うなずける。それなりに、人間の苦渋、哀切に共感できないわけではない。

イギリス人は こういったちょっと苦みのあるユーモアが好きなんじゃないだろうか。15歳以下 鑑賞禁止は、この映画が残酷だったからではないと思う。彼の生き方もまた、人生。これも、ちょっとしたユーモアとして、映画を捉えるだけの 達観した視野が、15歳以下の子供には 期待できないからだろう。

2008年1月26日土曜日

ヒース レジャー 28歳の死





HEATH LEDGERが死んだ。
1月23日のことだ。享年28歳。
西オーストラリア パース出身。
マンハッタンのアパートで一人、睡眠薬の過剰摂取が原因だったもよう。
薬はAMBIEN,またの名を STILNOX. こんな一般的な薬で簡単に死んでしまうなんて、、、。 しかしこの催眠薬 副作用として異常にハイになったり、異常行動をおこしたり、意識混濁を起こす可能性があるとして、厳重に医師の監督下で処方、服用するようにという警告が厚生省から出たばかりだ。家族は彼の死が報道された直後に、これは自殺ではなく事故だったと、声明を出した。しかし、死ねるほどの量を、計画的に貯めることなしに、死ぬことはできなかったはずだ。現在、警察で死因が究明されている。先妻とのあいだに 2歳の娘が残された。

ヒースレジャーは私の最も好きな役者のひとり。自分の色を捨てて、徹底して役にはまりこむタイプの 役者魂をもった役者。性格俳優としても、成熟した表現力をもっていた。彼の出ている映画を ずっと観てきて、高く評価していた。実際のところ、28歳だったと聞いて 耳を疑った。そんなに若かったのか。 18歳のころからTVシリーズでレギュラー出演していたというが、役者を始めて、たった10年で、俳優としての人生を駆け抜けて そして逝ってしまった。余りにも 早い死。

嘆いても嘆ききれないだろう。 彼と同じオージー俳優、メル ギブソンが、「ぼくの息子、、、彼の将来を期待していたのに死んでしまうなんて、」と、言っていた。2000年にメル ギブソンが映画「THE PATRIOT」(邦題 パトリオット)を演じたとき、ヒース レジャーが息子役で出演していたのだ。

主演作品は、 2001年:「MONSTER'S BALL」、「NED KELLY」、「A KNIGHT'S TALE」 2005年:「LORDS OF DOGTOWN」、「CASA NOVA」 2006年:「CANDY 」、「BROKEBACK MOUNTAIN」 「ブロークバックマウンテン」で、ゲイのカーボーイの役をやって オスカー主演男優賞に ノミネイトされたが、「カポーテ」のフィリップ ホフマンに 賞を持っていかれてしまった。

今年になって、ボブデイランの役で、「I'M NOT THERE」に出演。7月には、「バットマン THE DARK KNIGHT 」では ジョーカー役で出演しているのが観られる予定。初代のジャック ニコルソンのジョーカーが印象的だっただけに この役をやるのは大変だっただろう。

死ぬ前には「体が疲れていても、役のことを考えずにいられない。このところ平均2時間くらいしか眠れないんだ。」と言っていたという。役作りに のめりこみすぎていた彼の姿をよく表している。 最後の仕事は、「THE IMAGINATION OF DOCTOR PARNASSUS」 2009年にリリースされる映画だそうだ。

私は ヒース レジャーの 「カサノバ」や、「キャンデイー」で、彼がみせた、幸せいっぱいの笑顔や、ハンサムな優男のコミカルな演技も好きだが、やはり、「ブロークバックマウンテン」が、良かった。 妻子、家庭をもちながらも、ゲイの恋人と秘密の逢瀬を重ねる男の苦しみと嘆きを 無骨で無表情な男が、その背中で切実に表現していた。これには すごく泣けた。

でも、私が一番好きな彼の作品は、あまり話題にもならなかった、小さな作品「LORDS OF DOGTOWN」。小さな町で、少年達が 1960年代に 初めてスケートボードで遊び始めて コンペテイションに出る、というだけの筋というような筋もない作品だったが、サーフボードやスケートボードを作る店のオヤジ役のヒース レジャーが、すごく良かった。
貧困、家庭内暴力、非登校といった問題を ごっちゃり抱え込んだ少年達の唯一の逃避場が、この飲んだくれのオヤジのボードショップ。少年達の傷つきやすい胸の痛みと そんな時期を過ぎたばかりのシャイで酒乱のオヤジの 一見乱暴なやりとりに、すごく共鳴してホロッとして すごく泣かされた。
このときの、ヒースレジャーの酔っ払いぶりが、あまりにあっぱれで感動して以来 彼の大ファンになったが、いま考えてみたら、これを演じていた彼は たかだか25歳の若さだったのだ。それを思うと 彼はすごい。早世で、本当に才能がピカピカ光っていた。

もっともっと、性格俳優として、第一級の役者になれただろうに。 もう映画でヒース レジャーに会うことができないなんて、残念でならない。

2008年1月24日木曜日

マイダッド




写真は、マイダッド。 1番目の写真は 医師と看護士たちに囲まれたMY DAD。


大内義一早稲田大学名誉教授 96歳。 休暇で、一年ぶりに 二人の娘を連れて、日本に帰国した。たった、10日間の休暇だったが、96歳になった父の誕生日を、祝うことが出来た。元気でなにより。24時間介護つき有料老人ホームに独居。ときどき記憶が20年くらいスピンするけど、元気そのもの。よく訪れてくれるお弟子さんたち、姉夫婦、兄夫婦に、感謝!


誕生日にあわせて豪華な蘭を送ってくれたゴンさんに感謝! かつて早稲田にコネつき裏口入学があったころ、断じて賄賂を受け取ってヤバイことをするのを拒んだ保守派。早稲田大学全学連議長を退学させたタカ派。わたしが吉本隆明について話していて、つい「あなたが、、、」と、言ってしまったら、すかさず 「ばかもの 父上とよべ!」と、どなった当時のわからず屋。いまは、わたしにも娘達にも あまいあまい おじいちゃん。

短い滞在中、貴重な時間をさいて会いに来て下さった方々、大事な友達、お会いできなかった大好きな方々も、本当に 本当にありがとうございました。 また来年!!!

2008年1月5日土曜日

オーストラリアン バレエ

今年前半期のオペラが終わり、6月に後半期のシーズンが始まるまでの間、劇場では観るべきものが何もない。


オーストラリアンバレエ「ニューロマンチックス」を見にいった。オペラハウス、プレミア席 $120. 今まで、バレエを見にいくたびに、オペラハウスコンサートシアターの舞台が狭くて、踊り子たちが可哀想に思えたものだが、今度は逆に広々とした舞台を踊り子達が使いきれないみたいで踊り子達が可哀想に思えた。

いつもは シモン ヤングの指揮でオーストラリアオペラバレエオーケストラをバックに スパルタクス、ジゼル、シンデレラ、メリーウィドーなど、毎回、楽しい出し物をしていた。


オーストラリアンバレエは、この国で唯一の国立舞踊団、団員はちょっと太めだけど、よく訓練されていて国の援助を受けて、きちんと給料をもらってプロとして公認されている。年間6つの出し物以外にも、オペラに常時出演し活躍している。 団員のなかに、厳しいオーデイションに受かって、この何年かメンバーとして踊っている日本人が3人いる。漢字でどう書くのかわからないけれど、フジノノブオ、クボタミワコ、ホンボウレイコの面々。 日本では民間バレエ団がそれぞれ定期公演しているが 公演から得る興行収入だけで団員の給料など、出せるとは思えない。公共の援助もなく、団員はスポンサーの援助と、バレエ教室で教えたりしながら生活しているのだろうが 楽ではないだろう。メジャーで踊っている人は 子供相手に教えるひまもないだろうから、家が裕福でないとバレエどころではないだろう。 それだけオーストラリアでは踊り子や、オペラの歌い手が保護されているのだから、人は公演に期待する。去年のバレエは、良かった。だが今年はなにをやっているのだろう。 「ニューロマンテイクス」は、3部に分かれていて、一部は、伝説的な振り付け師ジョージバラシンが、1928年に演出した「アポロ」という踊り。2部は、オーストラリアチェンバーオーケストラから、チェロのマスターを借りてきて、彼女の弾くチャイコフスキーに合わせて、6人の踊り子が踊った。3部最後は、AFTER THE RAINという題で、二人の現代的なちょっと体操選手みたいな踊り。 エツ これだけ?と言う感じで終わって、 何か腑に落ちないみたいな気持ちで帰ってきた。このパフォーマンスに$120払って 満足したのは、踊り子の親戚くらいだったんじゃないだろうか。 どうしてこの公演を観に行ったのかというと、このパフォーマンスを最後に引退するSTEVEN HEATHCOTEが観たかったから。彼は46歳、25年間このオーストラリアンバレエで プリンスを踊ってきた人だ。舞台で46歳まで、ジャンプするというのは、世界でも珍しい、大変なことだ。テレビのインタビューに答えて、はい、健康に恵まれて自分は幸せでした、と、とても謙虚な人柄で好感がもてた。 この人の最後の踊りを見にいったのに、彼は出てこなくて、代役だった。がっかりー。  そんなことなら、切符を買う前にいってくれ!!!  

2008年1月4日金曜日

映画 「I’M NOT THERE」


ボブ デイランが「BLOWIN IN THE WIND」を歌っていた頃 アメリカは徴兵制があった。戦場に行く理由も 殺されたりしなければならない訳もわからずに 若者は国家に駆り出され、戦争に引き立てられていった。良心的兵役拒否などという人道主義はまだなかった。徴兵制に反対したり ベトナムで女子供を殺すことを拒否した若者は脱走兵同様 非国民として即、刑務所に収監された。 そうして、58000名のアメリカの若者達が無駄にベトナムで命を落としていった。

ボブ デイランが「THE TIME THEY ARE A_CHANGIN」を歌っていた頃、日本は アメリカ軍がベトナムを攻撃 侵略するための補給基地だった。アメリカ政府のいう共産主義勢力拡大を防ぐためアメリカ軍の後押しを日本政府がしていた。沖縄はまだ日本のものではなく、沖縄は米軍が ベトナムに出撃するためのアメリカ基地だった。日本人がパスポートを提示しても簡単にいけるところではなかった。

ボブ デイランが歌いだしてからだ。 アメリカの公民権運動が表面化し、黒人有権者登録運動が大きな運動となり 人々が反戦運動に立ち上がったのは。日本では 安保条約を破棄させる運動が、反ベトナム戦争へと波及し、学生は大学を封鎖し、全学ストに持ち込み、街頭に出て行った。

ボブ デイランがいかに、時代を先駆けていたか、彼の「風に吹かれて」の歌詞をみて、いまでも、驚く。彼はレイチェル カーソンの科学書「SILENT SPRING」(沈黙の春)の発表のすぐ後でこれを書いた。環境ホルモンなどという言葉もまだなかった頃のことだ。

「I 'M NOT THERE」は、ボブ デイランの半生を映画化したものだ。彼のようにまだ生きていて、音楽活動も継続していて、多様性をもった音楽家を ひとつの映画にまとめるのは、いかにも、困難すぎたらしく、映画では、6人の俳優がボブ デイランを演じている。

1959年ー1961年:MARCUS CARL FRANKLIN
1965年       ;BEN WHISHAW
1964年ー1973年:HEATH LEDGER
1966年       :CATE BLANCHETT
1979年ー1981年:CHRISTIAN BALE
1967年       :RICHARD GERE

以上の6人が6様のボブ デイランを演じた。
なかで、ケイト ブランシェットは、これで、ベニス映画祭 最優秀女優賞をもらった。2008年ゴールデングローブでもブランシェットは助演女優賞にノミネイトされた。

初めに 1959年の頃のデイランを演じた、マルコス カール フランクリンは10歳くらいのアフリカンアメリカンの少年で、めっぽうギターで語り弾きがうまくて、一人前に口が立ち よくしゃべる。確かに、ボブ デイランのその年頃、あんなんだったろう と思わせる。天才音楽家の開花直前といったところ。

1973年までのデイランを演じた、ヒースレジャーは 私の大好きなオージー俳優で、「ブロークバック マウンテン」では泣かせてくれた。が、ここでは、フランス人画家と結婚、家庭を持ち、二人の女の子をもつが、妻のラジカルについていけず、オタオタしていて、すごくかっこ悪い。音楽家としては充実期のデイランだ。

1981年までのデイランを演じた、クリスチャン ベイルも大好きな俳優、「バットマン ビギンズ」で あこがれて舞い上がった。彼のデイランは ボーン アゲイン クリスチャニテイーに入って洗礼を受け、牧師とともに説教台に立ち、ゴスペルを歌う。この時期のデイランに批判的な人の方が多いが、彼のゴスペル すごく良い。

リチャード ギアは、デイランがバイク事故で重傷を負い、隠遁生活に入った1967年のころの姿。リチャード ギアは素晴らしい俳優だが、ごっつすぎて、デイランのイメージが私には作れなかった。

しかし、なんといっても、ケイト ブランシェットのボブ デイランが すごい。胸にさらしを巻いて 両あごに詰め物をして、あの頃1966年ころのデイランにそっくり。歩き方、身振り、話し方なんかも。デイランが歌と歌の間にアジテーションをよくいれるが、その調子は全くのデイランそのものだ。劇場の舞台でピアノ語り弾きも、すごく本物。ロイヤル アルバートホールでの舞台だと思うけど、「LIKE A ROLLING STONE 」も、すごい迫力で歌った。
メデイアが インタビューのためにデイランを探していたら、近所のジュニアスクールの子供達と転げまわってふざけて遊んでいたシーンがあったけど、デイランが生き生きしていて ものすごく可愛い。
チェーンスモーカーで、小柄で、やせっぽちで、パワフル、まさに1966年のデイランが生きてよみがえってきて、心の底から、感動してしまった。

デイランは詩人 音楽家として天才だが、ケイト ブランシェットも 役者として天才。彼女は何にでもなれる。変形自在、カメレオンジャック。デ カプリオの相手役で出た映画「アビエーター」で、キャサリンヘップバーンの役をやって、アカデミー女優賞を獲った。話題になる前に見たが、あまりにキャサリン ヘップバーンにそっくりなので、映画を観ながら おーおーおー!っと声を出さずにいられなかった。キャサリンとケイト 全然顔が違うのに、ケイトが演じると 肩をそびやかしたり、歩いたり、話し方もッ表情もキャサリンとしか思えない、すごい役者だとおもってたけど、今回も、ボブデイランという、性別のちがう人の役を 立派に演じていた。

というわけで、私はこの映画、2時間30分を長いと思わず 充分楽しんだが、ボブ デイランをあんまり知らない若い人にとっては、お経みたいなもんなのか???