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2007年1月10日水曜日

映画 「フォーミニュッツ」


ドイツ映画「FOUR MINUTSU」(4分間)を観た。デンデイー、クレモンオピアムで、上映中。監督、クリス クラウス(CHRIS KRAUS)。

ピアノ教師と女囚、二人の女のお話。 80歳のピアノ教師に、モニカ ブレブリュー(MONICA BLEIBREU)、20歳の受刑中の女囚にハナ ヘルツプルグ(HANNAH HERZSPRUG)。

すさまじいばかりの個と個のぶつかり合い、自己主張と自己主張の衝突、強制と反抗、薄氷の上を歩くような仮の和解と、その後での、血みどろのぶつかり合い。観ていて ハラハラ、時としていたたまれない思いまでしながら映画を観終わった。

80歳のピアノ教師 トルーデイはクラシック音楽だけを愛して、長いこと刑務所付属の教会でパイプオルガンを弾き、受刑者にピアノを教えてきた。クラシック音楽以外の音楽をすべて、二グロ音楽といって、断固と拒否する差別主義者、レイシストでもある。若かったころ 一人だけ愛した人は、ナチスヒットラー政権下にあって、コミュニスト女性闘志だった。軍政下 密告を強制されて、最愛の女性を失なうという 罪深く、苦い過去から逃げられず、結婚もせずに、一人孤独に生きてきた。

20歳の女 ジェニーは幼いころから音楽専門家の父親に、抜群のピアノの才能を見出され、めきめき才能を伸ばしてきたが、家に帰れば 父親から性関係を求められる ゆがんだ家庭に育ってきた。母親はそれを知って、自殺。思春期に知り合ったボーイフレンドの赤ちゃんを妊娠するが捨てられ、その父親を殺した罪で、逮捕、受刑することになる。タフな女囚刑務所で生き残る方法は、無感情、無感覚になり、暴力で、他に負けない力を養うことでしか生存できなかった。他の女囚からのいじめ、そねみ、によるシゴキで ボロボロになりながら 手負いの虎のごとく 反逆していくジェニーの姿を見続けることがつらい。

自分が 一番の音楽理解者だと思い込んでいる 看守は、ピアノ教師の家を訪ねて 音楽を聴いたり、クラシックの話を聞かせてもらうことが唯一の楽しみだった。ジェニーがピアノレッスンを始めて教師の関心が移ったことが妬ましくて、許せない。ピアノ教師にこびへつらいながら、その後で、ジェニーを執拗に痛みつけ サデイステイックにいじめつける。

心を閉ざして生きるしかない者にとって、ピアノを弾くことが どんなに大きな意味をもっているか はかりようがない。音楽は、語りようのない体験をし、語るべき方法を奪われた者のためのものだ。ジェニーが口を閉ざし ベートーベンや、ショパンを弾くことによって、語られ表現される ジェニーの心の中は 自由への希求以外の何ものでもない。彼女の生命の叫びだ。

そのようなジェニーの音楽を、教師トルーデイは 生徒は従順でなければならない、態度が悪い、二グロのリズムは認めない、私に従うつもりならば、この手紙を食べてみろ、とまで、要求する。 抵抗、そして従順、反逆そして和解 を繰り返すなかで、教師トルードは 彼女自身の生き方 狭い刑務所での教師という権威に守られてきた彼女の偏狭な意識そのものが ジェニーによって 問いただされていく。コンペテイションにどうしても、ジェニーを出したいトルーデイに向かって、「ならば、これを食べてみろ」と、破った楽譜を差し出すジェニーを前に トルードの教えるものとしての本当の生きかたが問われる。

この映画は、人は生涯、学ばなければならない。何十年生きてきたとしても、どんなに経験が豊富でも、どんな権威を持ち、業績をもっていても、人と人は 等しく平等で互いに学びあうことができる、という、学問の真実を示している。

最後、ジェニーの 警官に包囲され銃を突きつけられながら、演奏する4分間のショパンの、パフォーマンスが圧巻。これを見せるためだけのために 監督はこの映画を作りたかったんだと思う。だから、この4分間の演奏を見るだけのために、この映画を観る価値がある。