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2006年12月22日金曜日

映画 「テン カヌー」その2

「ものを創る人」の手を観ているのが好きだ。熟練した職人の手作業は芸術家を思わせる。糸を紡いで、機を織る人、壊れたものを修理する人、仕事をする人の手は一様に忙しく動き回り、美しい。

2006年オーストラリア映画祭で、アボリジニの作品「テン カヌー」が最優秀作品賞を受賞したが、この映画のなかで、アボリジニーが 道具をつくる作業が沢山出てくる。数人の男たちが樹の皮をはいでカヌーを作る。森に入った女たちが、コシの強い葉を編んで、入れ物を作り、採集した果物やイモをいれて運んだり、貯蔵したりする。若者たちが樹の枝で弓矢を作り、狩りをする。家族総出で樹の上に安全な家を作る。
そういった彼らの継承文化を見ていると、アボリジニーって 最古の人類として5万年前からやってきたことと、この映画で見せている200年前に彼らがやっていたことと、ほとんど変わっていないような気がする。
どの民族も、進化して道具を作り、村落共同体を形成して文化を形造ってきた。

「もの作る人々」と言えば、イランのマジット マジ監督による「赤い金魚と運動靴」原題「THE CHILDREN OF HEAVEN」を思い出す。これは10年程前に国際的に高い評価をされて日本でも話題になった名作だが、この映画の始まりが感動的だ。靴修理のおじいさんがお客である少年を前に 布製の古くてボロボロの赤い運動靴を修繕している。すりきれて穴の開いた小さな靴を丁寧にていねいに縫い直し 穴をふさぎ、しまいには 見事な手作りの運動靴が出来上がる。マジックを観ているようだ。この小さな 赤い運動靴は少年の妹のものだ。 物語はそこから始まる。そんなに手をかけて履けるようになった靴を 少年が大切に家に持ち帰る途中で、心ない人に盗まれてしまう。そのために妹は学校に行けなくなってしまうのだ。

子供の目から見た大人の社会の不理屈さ、不正、貧困、差別、、、今よりももっと言論の自由のなかったイランで正面から政府を批判できなかった 前衛映画監督が渾身の怒りをこめて創った作品だ。でも、わたしの目を奪ったのは 物言わぬ、この靴修理のおじいさんの あかぎれだらけの真っ黒で、大きな厚い手だった。この手をカメラで、じっと追うことで、この監督はものすごくたくさんのメッセージを発している。

また、話が飛ぶが、中国人映画監督、チャン イーモーの、「THE ROAD HOME」という映画があるった。 チャン ツイーという 今や「さゆり」「ヒーロー」などで国際女優になった女優の最初の映画。テイーンだったチャンツイーが 夏の朝に咲き始めた朝顔のよう、においたつように 美しい。 ここで、チャンツイーが片思いする学校の先生が、使ってくれたお茶碗が割れてしまって、泣いているのをみて、可哀想に思ったおじいさんが、粉々になったお茶碗を かけらを集めて膠でつけて、大変な時間をかけながら、張り合わせて、ちゃんと使えるように修理してくれるのだ。カメラがずっと 黙って、チャンツイーの目と一緒にそれを追う。仕上がって、チャンツイーのはじけるような 喜ぶ姿。この手作業が素晴らしい。もう本当に手品のよう。ひび割れた真っ黒な無骨なおじいさんの手が神の手に見えてくる。

こうして、人間は道具を作って、文化を継承して、社会を進化させてきたんだ、、、と、感動。 じーっと、自分の手をみる。おおっとーマニキュアが剥げかかってる。